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非正規英雄(アルバイトヒーロー)
第六話 君の中の英雄 (鹽竈)

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 終末の世。破滅の淵が見える世界の様相。
 そんな世界が必要としているものは何か。
 金か。力か。運か。
 おそらく違う。
 であれば、自分は何を必要としているのか。
 自分という一個人が世界に求めているものが、鏡合わせのように世界が求めているものであるという確証は何処にも無い。
 ただ、どうしてか。
 英雄に、焦がれるほどの熱を感じた。
 ヒーローを憧れた。
 世界を救う英雄となれることを求めた。世界も英雄を求めていた。
 理由もなくそんなことを想う。
 …いや。違うか。
 そんなものは後付け。非正規ながら英雄たる資格を有したとされた時に付けた、それらしき理由の一つ。自堕落に生きて来たこの身を動かす為の燃料。
 本当はどうして、だった?どうして英雄を受け入れた?
 金が欲しかったから。圧倒的な力が得られたから。類まれなる強運に導かれたから。
 おそらく全て違わない。俗物の自分には分相応の醜い欲望だ。
 だから俺は行かねばならない。
 天使から授かった力を存分に振るい、大金を稼ぎ、高級風俗をハシゴして快楽を貪り喰らう為。人々を救った英雄として祭り上げられる為。
 ああ。それに何より。

 何よりも俺は、―――の為に。

 求められた力を、求めるがままに使う。



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 さいたまグレートアリーナ。
 超巨大多目的ホールであるここは、今日この日に六万人もの観客を収容し大規模なイベントが催されていた。
 発狂に近い歓声と息の合った応援振付は地を揺るがすほどであり、その熱気は中にいる七割以上を占める眼鏡男子の視界を曇らせる。
 彼らの視線はステージに全て掻き集められ、そこでは可愛らしい衣装に身を包んだ高い声色の女性達が歌い踊りで客を賑わかしていた。
 時刻は昼を過ぎた十二時五十分。
 熱狂の舞台を、群衆の最後尾から冷ややかに眺める男女がそこにいた。明らかにこのイベントを目的にやって来た者には見えない。
「ホントに出るの?悪魔。こんなトコで」
 目深に被ったキャップの後頭部からぴょこんと出た金髪のポニーテールを指先でいじりながら、歌に連動した怒号のような合いの手に嫌悪感たっぷりの視線を向ける女が問う。
「らしいぞ。だから来てる。お前もアイツらもな」
 長身矮躯のノッポ男が、隣の女に同業者の存在を指し示す。それは視覚や聴覚などで捉えられるものではなく、彼ら特有の空気が発する共振のようなもの。
 非正規英雄の男女二人は、自分達以外にも複数の英雄の影を掴んでいた。
 皆ここに集った理由は同じ。というより、彼らが同一の場所に意図せず集結してしまう理由など一つしか存在しない。
「取り合いになるわね。譲る気はないケド」
「それはこちらも同じだ。俺もアイツらもな。…英雄以前に日々の生活が懸かった仕事としても、悪魔討伐は逃せん」
 呟くように切実な本音を吐露する男の声が、より一層甲高くなった歌と合いの手に呑まれて消える。
 男の名は間遠まとう和宮かずみや。女は鈴井すずい鹿子かのこ。共に数多くの悪魔を討伐してきた熟練の非正規英雄だった。
 長くこの仕事を続けて来た二人だが、こうして狙った獲物が被り対面したのは初めてである。非正規英雄の報酬は悪魔の息の根を止める一手を打った者に全て渡る方式であり、こうした獲物被りの場合は必然同業者間での交渉や取り合いが発生するのが常となる。
「そいえばアンタ、なんであの悪魔姉妹がココで暴れるの知ってんの?どっかで情報拾った?」
「俺のところの天使からな。どこぞの英雄が仕損じた悪魔がこのイベントで暴れる旨の発言をしたという情報を入手してきた。天使達にも横に繋がるネットワークがあるらしい、手に負えない敵は数で圧倒するに限るからな」
「なーんだ。んじゃ、他の連中もおんなじクチってわけね」
 両手を後ろで組む鹿子も、実を言えば担当の天使から強力な悪魔の出現地点と時刻を聞いていたのだ。鹿子と和宮を除くこの会場に紛れ込んだ他三名の英雄も、おそらくは同じようなものなのだろうと予想する。
 おもむろに和宮が右腕を持ち上げて腕時計を確認する。十二時五十七分。天使の情報が正しければ、もう数分で…、

 ドッ、ブシャア…ッ!!
 『……かひぇ?』

「「あ」」
 腕時計から顔を上げた和宮と、蛆蟲を見るような侮蔑の視線を前に向けていた鹿子とが同時に声を上げる。
 間抜け面した眼鏡男子の首が錐揉みしながら高く放り上げられ、鮮血を雨と散らしながらぼとりと会場の只中へ落ちて行く。
 戸惑いに二秒、困惑に三秒。たっぷり五秒を掛けて理解した恐怖を絶叫という形で吐き出した観客達の恐慌が始まる。

『うわぁぁああああああああ!!?』
『なんっ、首、え?なんだよこれえ!!』
『う…おえぇ…!』

 落ちた生首を中心に大混乱が巻き起こり、嘔吐する者や眩暈に跪く者が多発する中で。

「英雄サン、来なかったわねぇ。約束破られちゃった」

 容易く素手で人間を斬り裂き引き裂き、血霧の中で残念そうに口を開くサハギンの怪物が現れた。
「…あと二分あるがな。せっかちな女だ」
「ま、どうせ来ないっしょ。とりあえずあの悪魔の両手足落としてから、報酬どうするか決めましょ。下手に仲間内で荒事になるのめんどいし」
 虐殺されていく観客達を興味無さげに眺めて、共に自らの神聖武具アーティファクトを具現させた英雄達が役立たずの同業者の尻拭いに赴く。



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「―――聞こえていますか。石動堅悟様」

「―――先に言っておきますが、私達は貴方達人間をなんとも思っていません。精々が捨て駒程度の認識です」

「―――多く悪魔を倒してくれれば儲けもの。一体でも滅してくれれば僥倖。そうでなくともこちらとしての損失はほぼゼロ。多少時間を無駄にする。失うものはたったそれだけです」

「―――まして今の貴方はウニ。しかし…笑い種にもなりませんが、貴方は未だに英雄なのです。だからここまで連れてきました」

「―――これは私の気まぐれです。貴方があのまま研究に使われて死んでくれた方が私としては助かったのですが。まあ、気まぐれです。あと仕事なので」

「―――……だから、貴方はせめて、応えてください。仕事とはいえ、気まぐれとはいえ、ここまで連れて来てあげた私に応えて頂けると助かります」

「―――貴方がそんな有様で、なおもこの地を目指したこと。貴方が英雄たらんとして成したことかどうかはわかりません。ですが、私はそうであってくれればと、そう考えています」

「―――…………ああ、長話が過ぎましたね。既に現地では惨劇が起きています。あの悪魔、この短期間で大きく力を蓄えたようです、今の貴方など片手で握り潰されて終わりでしょう」

「―――では、天使として加護と力を与えた私から、死地へ向かう貴方様へ」

 強風吹き荒ぶさいたまグレートアリーナの上空。可視化された天使が長い独り言を終えて、重ねた両手の上に乗せていた、黒い棘皮動物をじっと見る。
 コロコロと、天使の手の上でひとりでに転がるそれは、まるで急かしているようだった。早く行かせてくれ、と。
 ゆっくりと掌を傾け、小さく無力なウニが一つ落ちて行く。その真下、かの悪魔との約束の地へ。
 落下していくその間際に天使……翼と名付けられた天使が送る。
 極力無関心に、それでいて最大限の鼓舞を。

「貴方の活躍を願っています。武運長久を祈っています。応じてください、我が英雄」

 その口元に、いつか誰かの闘志を奮い立たせた控え目な笑みが浮かんでいることに、本人は気付かないままに。

     


「その神聖武具、かなりの当たりと見た。付与効果は『絶対切断』、代償は『力』といったところかの」

 リー老師は、そうして簡単に石動堅悟の武器の性能を見極めて見せた。自身ですらはっきり判明していなかったその事実に驚く堅悟へ老師は溜息混じりにこうも続けた。

「能力を発揮してからの動きが緩慢過ぎるのじゃ、明らかなまでの腕力の低下が見られる。そんなもの、ワシでなくとも闘えばすぐにバレることじゃろうて」

 老師は堅悟にいくつかの弱点と改善点を教えた。

「ロクに剣術の覚えもないお前が、そのエクスカリバーとやらを満足に扱えるわけがない。お前は切断能力に秀でた武器に使われているだけじゃ。…それでも尚、並の悪魔程度ならば対等に闘える性能をそれは秘めておるがな」

 大量の魔力を消費して発揮されるエクスカリバーの真価。その切断能力は、大抵の物質であれば容易に斬り伏せることのできるものだという話だった。
 ただし燃費が悪い。大量の魔力消費はいずれ英雄として付随された身体能力の向上すら阻害し、腕力を初めとする全ての力が低下・衰退するものであり、果てには常人レベルまで落ち込んでしまうという。初戦以降エクスカリバーが鉄塊のように重く感じたのはそのせいだ。
 幸い消費された魔力の回復は延びても半日程度。しかし悪魔との戦闘中に代償を支払った場合においては即座に敗北、すなわち死に直結する諸刃の剣である。

「阿呆が。性能に頼り切りのチャンバラなぞ話にならんて。そして致命的なのがお前の軟弱な思考よ。『当たれば勝てる』という考えが刃に出ておる。その斬撃、あまりに酷い」

 その言葉の通りだった。防御不可能の切断能力に魅せられた堅悟の振るう剣は素人目にも酷い太刀筋。これではその切れ味を真に発揮することは土台無理な話である。
 老師は己がすべきことを見出した。
 一つは剣術の指南。非正規英雄の大半に言えることだが、高性能な武具に頼りきりになり武器を扱う練度自体が非常に低い。悪魔に殺される英雄達の死因にもそれは繋がっている。最悪、武器を手放す事態になっても魔力を通した高い身体能力で切り抜けなければならない場面にも遭遇するだろう。それを込みで少ない期間で武術も出来る範囲で叩き込んだ。

「切断能力をアテにするな。お前の斬撃はそれしか考えておらんわ。刺突を一度もしてこないのがその証拠。刃の幅に頼り、切っ先を用いようとしない。愚か者めが、刺突は範囲こそ狭いものの、突き出す速度と威力は状況次第で斬ることより重要になる。これより貴様は刺突以外の攻撃方法を禁ずる。徒手もじゃ。尖れ、洗練せよ。限りなく鋭利で細剣が如き一撃を会得せよ」

 それは剣術武術に関してだけではなかった。一点に集中した尖り切った一撃を生むには、相応の意識が必要になる。老師が伝えたかったことが、鈍りだらけ弛んだ石動堅悟という人間性を英雄たる精神性へ鍛え直す為の鍛錬であることには途中で気付くことが出来た。
 だから堅悟はそれにのみ注力した。斬撃を放棄し、修行の合間にも貫手と刺突を磨き上げた。

「ケンよ。力とはなんだ?お前の思い描く大いなる力とはなんだ?その身の丈を越える巨大な力はなんだ?」

 堅悟はしばらく悩み、『それは銃、大砲、剣とか。人間の身体を簡単に斬ったり貫いたりできる武器や兵器』と答えた。老師は満足そうに頷いた。

「概ね正解じゃ。だからお前は剣を思い描いた。天使が与えるのはイメージを形にする力。その剣が、お前の考えた力の形じゃろうよ。人にもよるが、距離を詰めて相手の懐に潜ることを恐れる者は槍や弓、銃火器などを主武装として具現させることが多い。同様に押し潰すことが力と捉えれば槌、自由を縛ることが力と捉えれば鎖などになろう」

 予想に反し、どうやら自分は深層では近接戦闘を選り好んだらしい。剣が出たということは、すなわちそういうことなのだろうから。
 一度具現化された武具は変更が利かないらしく、堅悟はさっさと別の武器への固執を捨てて修行に励んだ。より鋭く、より鋭利に。
 そして老師はこうも言った。思えばこの発言が堅悟に大きな影響を与えたのかもしれない。

「具現される力の象徴は武器に限らぬ。例えば甲冑や籠手を具現させた者も過去にはいたわ。神聖とは、そういうことよ。ただ、人間は分かり易く力をイメージする時に武器を考えやすい。鋭い切れ味と聞いて、名刀よりその使い手の武人を想像する者もそうはおるまい?」

 逆転の発想だと思った。今まで堅悟は鋭利を求める際には槍の穂先をイメージしていた。だが、より想像力を働かせるのならむしろ、もっと違う何かがあるのではないか。
 槍などより、もっと馴染むもの。鋭利な切っ先。身体で言えば爪か。違う。もっと細く、より鋭いもの。
 自身のツンツン頭を触る。これかもしれない。
 より近いものを考える。それもより生物的な、武器よりも想像に易いもの。
 この発想が致命的だった。修行を終えて石動堅悟の肉体が変質したのはこれが起因する。堅悟の想像力が突飛過ぎたのも悪いだろうが、一体誰が天使の力を用いてウニに変貌するなど思うだろうか。よりにもよって、甲冑や籠手を超えてさらに全身を鋭利で覆った棘皮動物とは。
 最初こそウニとなった自身の愚かさに悲観していた堅悟だったが、翼と名を付けたあの天使に海へ落とされてからしばらくして、ある仮説に至った。
 これは結果ではなく、過程なのではないか?
 ウニとなったその先が、まだあるのではないか?
 鋭利に尖り、心身共に文字通り尖り切ったその先に、追い求めた行き先がある。



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「よーう勤勉な天使殿。また遠くから英雄殿のご活躍を記録してるんかい?」
「これはこれは、鈴井鹿子を担当する堕落な天使君。纏める報告書の内容は事細かであればあるほどいい。まあ、間遠君なら僕の期待通りの成果を上げてくれるだろうけど」

「間遠和宮ねー。でもま、ウチの鹿子ちゃんだって負けちゃいねーさ。なんてったって男勝りであの負けず嫌いっぷりだ。ちょいと女気が足りねーが、英雄としちゃあむしろ好ましいぐらいだ」
「他にも数名ほど集っているが、まあ大した実力じゃなさそうだね。実質的にはあの二人で悪魔二体を相手取ることになるだろう。君も暇なら記録しておいたらどうだい。勤勉であることは悪いことではないよ、あの子のようにね」

「あの子?…あー、あれね。翼ちゃん。そう呼んだら思いっきり睨まれたけどさ」
「不出来な非正規英雄に付けられた名らしいからね、あまりそれで呼ばれるのは良い気がしないのはわかる。しかしまあ、死に果てる英雄は数あれど…ウニと果てる英雄には覚えが無い」

「だな。過去には不気味な怪物になったり、逆に悪魔と転じた英雄もいるって話はあるが、どうしたらウニになるってんだ?神聖武具のエラーか何かか」
「神聖武具の力は必ずしも武器に変じるわけではないからね。強い力をイメージした時、鬼や悪魔を想像すれば神から頂いた力は剣でも刃でもなく、肉体に宿る爪や牙となることも充分あり得る話ではある」

「それでウニか。確かに全身トゲトゲしてっから強そうではあるけどさ!まさかイメージし過ぎて本当にウニになるとかどんだけ馬鹿なんだよそいつ!あはっはっは!」
「…それが、本当にウニで打ち止めかどうかも、まだ定かではないよ」

「くっくっ、あははっ!…え?なにそれ、どういうこと?」
「ずっと前にいただろう。神や天使ぼ く た ちに反旗を翻した最強の英雄。あれは契約による不可侵の約定をすら貫き破るほどに神域に迫る力を振るった。あの英雄はそうだったよ。最初、担当の天使が与えた力になんの武の具現も成さず、あろうことか力に包まれ『卵』と化したあの男」

「…………そういえばいたっけな、そんなのも」
「その『卵』が割れた時、あの英雄は真に英雄たる力を発揮した。危うく神話の神殺しが復活するような事態ですらあった。だから、まあ、もしもの話だけど」

「…もしも?」
「…もしもそのウニ英雄が、今その『卵』の段階だとしたら。間違いなく…これは




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 魚人の身体が振り回され、数多の人間を引き裂いてきた手足を叩きつける。
 ギギン、ギャリンッ!!
「へえッ!?中々、いい反応するじゃない!」
「ふん」
 サハギンの悪魔の猛攻を完全に見切った動きでいなし流す男―――非正規英雄の間遠和宮が、鼻息一つで返事とし悪魔を薙ぎ払う。
 その両手に握るは細身の長剣。黒い柄とは対照的な白銀の刃が、朱い宝石のあしらわれた鍔から長く伸びている。
 長身の彼だからこそ扱える武器を持って、今度は和宮が悪魔に挑み掛かる。
「いいわ、いいわ!それでこそ食べ応えがあるというもの!あんなゴミみたいな英雄サンよりよっぽど美味しそう!!」
 表面に張られた鋼の如き強度を持つ鱗で刃を弾き、リーチに勝る長剣を受け続ける悪魔は愉し気に叫び散らす。
 いきなり現れた人外の化物、殺され臓物を飛び散らせる人間を見て逃げ惑うアリーナの観客達がひしめき合う中で、既に英雄と悪魔はそれらに微塵の興味も寄せない。
 そんな彼の背後で、目深にキャップを被った金髪の女性が声を掛ける。
「ねえ、間遠。アンタだけで充分なら、私あっち行くケド?なんかもう一匹の方も手間取ってるみたいだし」
 遠くに見えるステージでは、気味の悪い悪魔と二人の非正規英雄が戦っているのが見える。二人とも満身創痍で、今にも倒れてしまいそうな程に疲弊しているのが窺えた。
 自分と間遠以外に三人いたはず、と目を凝らしてみれば悪魔の足元に無残に腸をぶち撒けた死体が一つ転がっている。おそらくはあれだろう。
「……」
「ねえってば」
 悪魔と相対したまま返事のしない和宮の肩を掴んでみれば、まるでたった今その存在に気付いたかのようにじろりと鹿子を見下ろして、
「…なんだ、いたのか。生憎と今、耳が『代償』だ。会話は諦めろ」
 それだけ言って再び悪魔に飛び掛かってしまった。
「あっそ」
 鹿子も鹿子で納得したように肩を竦め、さっさと踵を返す。あのサハギンは間遠和宮に譲ってやってもいいが、であればもう片方の悪魔は自分の手柄だ。渡すわけにはいかない。



「行くぞ、アンスウェラー。アレを仕留める」
 両手で握る長剣に語り掛け、魚人の悪魔の鱗を削ぎ落としながら攻防を展開していく。
「ちょっとくらいお話してくれたってよくない?態度の悪い男ってば嫌われ…」
 削がれた腕の鱗を再生させながら余裕の態度で話し掛ける悪魔ユキが、不意に気付く。
 無心に刃を振るうこの英雄はユキの言葉を無視しているわけではない。ただ理解していないだけだ。
 ―――聴覚が機能していない。
「隻脚の英雄サン?珍しいわ、ねッ!!」
 広げた五指の爪と長剣の切っ先がぶつかり、拮抗する。伸びた爪がヒビ割れるが、構わず剣を鷲掴みにしてそのまま跳び上がる。剣は押さえた、脚撃が狙う側頭部を守る術は無い。
「くだらん」
 剣を手首で返し、黒い柄で受けた和宮が呟く。ユキが握っている長剣の先端を悪魔の拳ごと真横に蹴り上げ、半円を描いて悪魔の拘束を振り払った剣の一閃が胴体を斬り裂く。
「うぐっ…やりづらいわね…!」
 悉く動きを読まれているかのような俊敏な行動。絡め手を用いてもそれは変わらなかった。
 おそらくはなんらかの能力。英雄として武具と共に付与された力。
 ユキにとってはそうとしか思えなかった。そして事実としてそれは正しかった。
 間遠和宮の神聖武具・長剣アンスウェラー。
 その剣に宿る能力は『完全自動攻防フ ル オ ー ト』。対象として見定めた相手の動きを読み切り、一切合切の攻撃を捌き受け流し確実な一撃を叩き込む。
 高い性能を持つ神聖武具だが、そうなれば相応の『代償』を求められるのが天使から人間へ与えられた力に付随される絶対のルール。
 故に代償は五感、あるいは肉体の能力、その一部。
 能力使用中に限り、人間として成立している能力の何かが欠落する『無作為不全ランダムアウト』。
(今回は聴覚が『代償』だったが、逆に助かる。この肌に伝わる震動、耳がまともであれば阿鼻叫喚の状況で苛立つばかりだったろう)
 聴覚を代償に力を発動している和宮がそんなことを思っていた時だった。
 アリーナの開けた空から、ポツンと黒い小さな塊が落ちて来るのが見えた。



「―――聞こえていますか。石動堅悟様」
 ああ、もちろん。アンタの声を、俺が聞き逃すものかよ。
 無様に成り損なったこの俺を、掬い上げてくれた翼ちゃんの声を。
 も救ってくれたアンタの声を。

「―――先に言っておきますが、私達は貴方達人間をなんとも思っていません。精々が捨て駒程度の認識です」
 ああ、知ってる。そんなこったろうとは思ってたさ。でなけりゃ、俺が英雄なんかに選ばれるわけがない。どうせ、俺以外にも沢山候補はいたんだろ?
 でも、別に構わなかったんだ。
  
「―――多く悪魔を倒してくれれば儲けもの。一体でも滅してくれれば僥倖。そうでなくともこちらとしての損失はほぼゼロ。多少時間を無駄にする。失うものはたったそれだけです」
 ああ、だろうよ。でもアンタは助けてくれたろ?なんでだか知らないけどさ。

「―――まして今の貴方はウニ。しかし…笑い種にもなりませんが、貴方は未だに英雄なのです。だからここまで連れてきました」
 …そうか、俺はまだ、英雄なのか。その素質は絶えていないのか。
 それなら、いいな。

「―――これは私の気まぐれです。貴方があのまま研究に使われて死んでくれた方が私としては助かったのですが。まあ、気まぐれです。あと仕事なので」
 流石に仕事熱心なこった。アンタの気まぐれにも感謝だな。
 これでようやく、俺は力を振るえそうだ。長らく海の中で考えていた仮説を、立証する時だ。

「―――……だから、貴方はせめて、応えてください。仕事とはいえ、気まぐれとはいえ、ここまで連れて来てあげた私に応えて頂けると助かります」
 任せろ。俺は英雄だぞ?こんな馬鹿でかい力、使わずしてなんとする。悪魔を倒して大金を手にするんだ、俺は。

「―――貴方がそんな有様で、なおもこの地を目指したこと。貴方が英雄たらんとして成したことかどうかはわかりません。ですが、私はそうであってくれればと、そう考えています」
 俺がここを目指した理由か。そんなもんは決まってる。今度こそ高級風俗で俺はこの世の極楽を味わうんだ。
 ……だから、だから応えるよ。

「―――…………ああ、長話が過ぎましたね。既に現地では惨劇が起きています。あの悪魔、この短期間で大きく力を蓄えたようです、今の貴方など片手で握り潰されて終わりでしょう」
 いいや、そうはならない。

「―――では、天使として加護と力を与えた私から、死地へ向かう貴方様へ」

 強風吹き荒ぶさいたまグレートアリーナの上空。可視化された天使が長い独り言を終えて、重ねた両手の上に乗せていた、黒い棘皮動物と化した俺をじっと見る。
 コロコロと、天使の手の上でひとりでに転がる俺は、彼女を急かしていた。早く行かせてくれ、と。
 ゆっくりと掌を傾け、小さく無力だったウニおれが一つ落ちて行く。その真下、かの悪魔との約束の地へ。
 落下していくその間際に天使……俺が翼ちゃんと名付けたその天使が送ってくれた。
 極力無関心を装い、それでいて最大限の鼓舞を。

「貴方の活躍を願っています。武運長久を祈っています。応じてください、我が英雄」

 その小さな、花の咲くような笑顔で俺は頑張れる。なけなしの闘志を全て燃やし尽くして闘えるんだよ、翼ちゃん。



「……なに?コレ」
 空から落ちて来たそれは、ちょうど戦闘の空隙によって生まれた英雄と悪魔の立つ中間点に落下した。
 それはウニだった。なんの変哲もない。いや、正しくは少し違和感があった。
「随分と大量の魔力を蓄えてるわね。英雄サン達は、こんなのを育てる実験でもしてるのかしら?」
 相手の非正規英雄もそれが何かを知らないらしい。僅かな戸惑いを見透かしたユキは歩み寄り地面に落ちたウニを拾い上げる。
「なんだかよくわからないけど、これはこれで美味しそうねェ。これだけの魔力、さぞ私の力を強化してくれるで」
『触んなよ、クソ女』
 ウニが震動して音を発した。それは声だった。ユキにはその声の主に覚えがあった。
 それらの理解と同時、ウニが唐突に発光した。爆発のような衝撃と共に全身の棘を全方位へ飛ばしてユキの手を弾き、いくつかの棘が鱗を貫通して身体に突き刺さる。
「痛っ!?」
 思わずウニから飛び退いて距離を取る。ウニの発光は次第に広がっていき、やがて人の形となって起き上がった。
 ゾワリとした悪寒を、ユキだけでなく和宮までもが感じ取っていた。
 何か、とんでもない脅威を持つ何か。
「アナタ…随分遅かったわねェ!!」
 確信を抱いてユキは光の中心へ鋭く尖った五本の爪を突き入れる。腕が手応えを得る前に爪が折れ、手首を掴むそれは完全に人の姿形を取り戻していた。
「待てっつの。お前、ヒーローの変身シーンを途中で邪魔するとか無粋にもほどがあるだろ」
 手首を掴まれたままぐいと引っ張られる。悪魔の力でも抵抗の難しい腕力に引かれ前のめりになったユキの懐に潜ったそれが、トンと肩を押し当てた直後のことだった。
 凄まじいエネルギーが胴体を打ち、瞬きの内にユキの体がアリーナの壁面まで吹き飛ばされる。
 魔力の放出と共に放つ不恰好極まりない中国拳法・八極拳が一つ鉄山靠てっざんこう
 剣術の指南と共に受けた武術の賜物である。
『本来であれば震脚、腰の捻転、回天するエネルギーの循環など会得せねばならんことは山ほどあるが、たかが二週間程度で覚えられるほどこの国の拳法は甘くない。お前も、あまり覚えが良いほうではないしのう』
 そう言って老師は技術を魔力でカバーする方法を代替案として教えてくれた。これでようやく半人前の域となる。
 それに加えて、本命、
「来いよ、エクスカリバー。今度こそあのクソ女の血を吸わせてやる」
 足元の地面を突き破り、一振りの聖剣が柄を上向きにして飛び出て来る。それを掴み、思い切り引き抜く。

 覚悟は出来た。目的も、ようやくはっきりした。
 誰からも必要とされない人生だった。無為に過ごすだけの日々だった。
 でも変わった。あの天使が変えてくれた。
 自分ですら見つけ出せない生きる理由を、君がくれた。
 英雄になる。世界にとってのじゃない、大衆にとってのじゃない。
 見知らぬ誰かの為じゃなく、もちろん自分の為でもなく。
 石動堅悟は、他の誰でもない君の為に。
 求められた力を、求めるがまま振るう。

「俺の活躍を願ってくれ、俺の勝利を祈ってくれ。それだけで俺は頑張れる。俺はアンタの捨て駒きまぐれとして応えるよ、翼ちゃん。使い潰して果てるその時まで、ちゃんと見届けてくれ」

 人の世で生きる意味を見出せなかった男が、天なる世界の住人に活かされる。そこでようやく、男は初めて生気に満ち満ちた笑みを浮かべることができた。
 一切の憂いも無く、万感の想いを胸にただ堅悟は笑みを湛えて死地に立つ。

       

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