Neetel Inside ニートノベル
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非正規英雄(アルバイトヒーロー)
第九話 ”週末”思想のエトセトラ (宮城毒素)

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 バーからの帰り道。
 意味もなく遠回り遠回りを繰り返すが、夜はまだ明けず、空はどっぷりと暗い。
 しんと静まり返った住宅地の路地はしんと冷えた風の通り道となって俺の歩みを鈍らせる。
 風。
 そういえば――と、思い出す。

「――おい、石動堅悟」

 子供の頃は強風にいつも怯えていた。

「――おい」

 風のがんがんと窓を叩く音がどこか悪魔的で。

「――おいって」

 俺が大切にしている“何か”を根こそぎ奪い去ってしまいそうな。

「――いい加減に」

 そんな恐怖を覚えるから。

「――しろぉぉぉおおおおお!」
「!?」

 どーんと背中を蹴り飛ばされ、電柱に顔面から激突する。
「ぎゃああ! 何をしやがる!」
 頭からどくどくと血を垂れ流しながら振り返った先――街灯の光を浴びてそこに立つ背が高く痩せこけた色男は、どうにも気にくわない敵意に満ちた眼差しで俺をにらみつけていた。
「……誰だよ、てめぇは」
「誰、だと? おい、ふざけるな、……確かに名乗ってはいないが、見覚えくらいはあるだろう」
「野郎の顔なんざいちいち覚えてるもんかよ。いいか、今は酔っ払いの相手をしてやれるほど機嫌がよくねえんだ。殺されたくなかったら――ここからとっとと消え失せろ!」
 そう言って俺は――。
 アーティファクト――エクスカリバーを右手に顕現けんげんさせると、その切っ先を迷わず酔っ払いの喉元に突きつけた。
 しかし、そいつは何故か怯まない。
 それどころか飽くまで至極冷静に、
「ほう、俺を一般人と認識した上でそれを向けるか。……やはり貴様は――」
 虚空こくうからその両手に取り出した――白銀の刃に殺人的な輝きを受け止めた――細身の長剣で俺のエクスカリバーを小枝のように切り払った。
「――悪魔に魅入みいられるだけのことはある」
「あ、あんた……非正規英雄同業者か!」
「先日、アリーナで会ったんだがな。どうやら鳥頭でもあるらしい」
 アリーナで?
 言われてみれば……リザと鹿子ちゃんと、もうひとり――なんか、いたような、気がしないでもない。
 それが、この男か。
 名前は、やっぱり思い出せないけれど。
「それで? その商売敵が俺になんか用かい」
 互いに一撃必殺の剣を構え、牽制するように睨み合ったまま、
「ここ数日、貴様を尾行けさせてもらった」
「おいおい、ひょっとして一目惚れってやつか? 悪いが、男にゃ興味がないんだが」
「……リザさんは、貴様にも善性があると言った。だからこそ英雄に選ばれたのだ――と。だが、どうにも俺には、貴様という人間から人並み以上の善性を感じ取ることが出来ないでいる。長いことこの仕事を続けているもんでね、見逃したら命取りにもなり得る“ひょっとしたら”、“もしかしたら”ってことが今じゃ臭いでわかるようになった。貴様からは」
「――ゲロ以下の臭いがぷんぷんするって?」
「事実、悪魔からの勧誘を受けただろう」
 それすらも見られていた、聞かれていたということか。
 後ろめたいことは何もないと思っているが、気分の良い話ではないな。
「……受けたからどうだっていうんだよ。ヘッドハンティングされるってことは、それだけ優秀だからってことじゃねーのかよ。移籍しますつったならまだしもよ、声かけられたからってその――クソみてぇな剥き出しの敵意はなんなんだよ!」
「やめておけ」
 斬りかかろうとする俺を、男は哀れみに満ちた眼差しだけで威圧する。
「一対一で俺に勝てると思うな。……貴様の能力はうちの天使から聞いたがその差は明白、実戦経験も俺と貴様とでは比べものにならん」
 舌打ちをする。
 悔しいが、きっとその通りなのだろう。
 それに、何より。
 いくら感情的になったといえども。
 人間を――斬り殺すなんて。
 そんなこと。
 そんな……こと?
 ――?
「無論、貴様が英雄として未熟なのは承知の上だ。だから、不穏分子として今すぐに排除するつもりはない。……だが、肝に銘じておくべきだ。貴様が英雄として道を踏み外すようなことがあった時は……俺が手を下すまでもなく貴様はあの天使どもに抹殺されることになる。為す術などない。慈悲もない。ただ……殺される」
「きっと、そうなんだろうな」
 勝手に素質があるとか言って強力な武器を手渡しといて、見込みが違ったら蜥蜴とかげの尻尾切りみたいに切り捨てる。
 人間も天使も何も変わりゃしないじゃないか。
 何が善性だ。何が天使で、何が悪魔だってんだ?
「なあ、あんた、名前はなんていうんだよ」
「……間遠和宮だ」
「間遠、か。……あんたは一体、どんなご立派な善性で英雄様にのし上がったんだ?」
「知らない」
「知らないだと?」
「俺は自分が善人だと思ったことは一度もない。天使どもが一方的に決めたことに俺は従っただけのこと。奴らが俺の何を見て英雄たり得ると判断したのかは知らないし、改めて考えたことも――興味さえもありはしない」
 なるほど。
 ……なるほどね。
 凄く、嫌な感じだ。
 別に意識して善行になんか励んでませんってか。自然体に生きてりゃいつの間にか良いことしてます――って?
 だけど、お前は。お前だって。
「人間を、殺してるんだろ」
「準悪魔のことか? ……それが俺たちの役割だ。良いことだから悪いことだからじゃない。それがこの世界の秩序を保つために必要な行為だからやっているんだ。自浄作用ってやつだな。そもそも奴らは――」
 人間じゃない。
 そう言い切る。
 そう切って捨てた。
「元人間だから、化け物だから、人を殺し回っているから、こっちも躊躇ちゅうちょなくぶち殺せるって?」
 いや、と間遠は首を振る。
「元じゃなくても、見た目が美しくとも、不殺を信条にしていても……俺は殺すぞ。奴らは、存在自体が悪なんだからな」
「なんだよ、それ。はは、……英雄が聞いて呆れるぜ。自分が絶対に正しいからってか? そりゃ、そうだよな。お前は、俺が悪魔どもの誘いを受ければ、その時点で容赦なく斬り殺すつもりだったんだろ。俺がまだ人間の姿を保っていてもよ」
 悪い奴をやっつける。
 わかるよ、それは正しいことだ。誰にも否定されるべきではないことだ。
 俺だって正義を標榜したい。絶対的な後ろ盾の下で絶対的な力を――正義を振りかざしたい。
 そうやって誰からも認められる――賞賛される行為は、最高に気持ちのいいものだ。
 あの時だってそうだ。違反駐車の車を通報した時。ただの腹いせだったけど、自分の絶対的正しさに腹の底がむずむずするような快楽を覚えていた。
 だけどそれは。
 正しいことではあるけれど、その動機に不純がなかったとしても、無条件に賞賛されるべきことなのか?
 わかる。わかるけれど、わからない。わからないけれど、わかる。頭の回転が足りない。知識も、それを扱うための地頭も、判断力を養うための経験も足りない。
 駄目な奴なんだ、俺は。いつも、いつだって言葉が足りなかった。
 俺はいつも誰かの踏み台にされてきた。
 六年間を通してひとりしか友達が出来なかった俺。初日でクラスの半数と友達になった転校生。要領の良いやつは怠けていても褒められて、俺はどれだけ努力してもどんくさい奴だと罵られる。
 英雄になって何か変わるかもと思った。絶対的な力を得て、戦って格好良く勝てば大金も得られる。最悪な人生だったけど、遂に一発逆転したって、そう思った。
 だけど。
 そっか、やっぱり、そっか。
 掃いて捨てるほどいるらしい非正規英雄。デビルバスターズとかいう高潔で円満なコミュニティ。
 なんか――同じだ。
 結局俺は、神か上位の天使か知らないが――見知らぬ誰かに良いように使われているだけ。
 で、やってることは実は? 元人間をぶっ殺して金をもらうことです?
 くだらねえ。くだらねえよ。
 そもそも俺には、本当に英雄としての善性が備わっていたのか?
 悪魔に唆されるような人間だってきっと生まれながらの悪じゃない。腐るほどある世の中の不平や不満にどうしようもなく押しつぶされて為す術なく鬱屈してしまった――当たり前の人間の成れの果てなんじゃないのか?
 だったら俺は。
 ――そいつらにこそ親近感を覚えてしまう。
「……やめた」
 俺はエクスカリバーを手の中から消し去り、臨戦態勢を崩さない間遠に対し無防備に背中を向ける。
「――待て、どこに行く? 石動堅悟」
「どこって、疲れたから帰るんだよ」
「なんだと?」
「なんだとじゃねーよ、根暗。お前だって俺と事を構えようってんじゃなくて、ただ警告したくて声かけてきただけなんだろ。……だったら、こっちだってやり合うつもりはねーし、……とにかくくたくただから、大人しく帰るって言ってんだよ」
「そ、……そうか。そうだったか」
 緊張の糸が切れたのか、間遠が安堵の息を吐いて、アーティファクトを解除する。
「あぁ、そうだ、石動」
「なんだよ」
「いや、なんというか……心配事があるなら、いつでも話を聞いてやれると思うんだ。困ったことがあったら、すぐに電話でも何でもよこしてくれ」
「はあ?」
「これ、連絡先だ。余計なお世話かもしれないが、こう見えて英雄業は長いし、何かあった時は力になれるんじゃないかって――」
 なんだこいつ。
 あらかじめ用意していたのか、SNSのIDが書かれた紙を強引に押しつけられる。
 これは――リア充独特の不文律か何かなのか。
 目の前でびりびりに引き裂いてやろうかとも思ったが――そういえばこいつ、数日間も俺を尾行していたとか言っていたっけ。
「…………」
 これ以上ストーキング行為が過激になられても困るし、仕方なくそれを受け取り、さっさと退散することにした。

     

 夜は続く。
 一人分の足音だけが響く。
 聞こえてくるのは俺にだけ聞こえる声。
「堅悟様……、石動堅悟様!」
 彼女が俺の名前を呼んでいる。
 だけど聞こえていないふりをする。
 無視して歩き続ける俺に、彼女はそれでもそれでも追い縋る。
「堅悟様、あなたは――忘れているわけではないはずです! 私には、あなたが何を考えているのか……その思考を読み取ることが出来るのですよ! 先ほど堅悟様が考えていたこと、あれはまるで――」
 ぴたり、と。不意に足を止めた。
 翼ちゃんがきゃんと短く悲鳴を上げ、前のめりにつんのめって俺の背中にぽすんと顔を埋める。
「あ、う……。け、堅悟様……?」
「なぁ、俺の頭の中を覗き込んで、そんで思考を読み取って――」
 振り返ると、彼女はまるで悪魔か化け物でも見たかのようにびくりと肩を跳ねさせて、
「――そんなことで、俺の心が読めるのかい? 翼ちゃん」
 ごくり、とまるで人間みたいに震えて生唾を飲み込んだ。
「頭のなかにあることなんてさ、所詮は心のなかに生まれた気持ちを……言葉に置き換えようとした時、濾紙に残っちまった不溶物でしかない」
「何の……話ですか、それは」
「俺が何を考えているのか、わからないんだろ」
「わ、わかります。わかっていますよ、そんなことは! つまり、あなたは――」
 言葉に詰まる。言いよどんで、口を噤んでしまいそうになる。
 初めて君に会ったとき――冷静冷徹冷酷な――氷の女だと思った。まあ、天使に性別はないって話だが、それはそれとして。ひょっとしたら君には感情なんてないんじゃないか。俺を非正規英雄としてサポートするだけの機械のような存在なんじゃないかって。
 思った。
 だけど、俺がウニになった時に見せた迷い、かげり、そして兆し。そこに感じたのは多分、俺らと同じありきたりな人間性というやつだ。
「あなたは……」
「……なあ、翼ちゃん」
 俺は彼女は言葉を遮って。
「退屈してはいないかい?」
「退屈……って? あなたは、一体何を――仰っているのですか」
「この前、あの車輪野郎に会ってわかったよ。神の遣いなんてご立派な肩書きを掲げちゃいるが、あんたら天使も俺たちと同じ歯車なんだ」
「歯車。……私が、ですか」
 胸に手を当て、俺を見つめる。
 考えたこともないという表情。
「ああ、退屈なはずだぜ。あんたはただお上のご意向に従うだけ。使い捨ての英雄様を二十四時間監視して、必要とあらば呼び出され、不都合とあらば頭ごなしにお叱りを受けるだけの日々。俺が死ねばすぐにまた別の英雄のもとに派遣され、繰り返し、繰り返し」
 俺は指先で渦を描き、笑う。
「同情するよ、心から。そして共感する」
「そ、そんな、私は――」
「正直になれよ。退屈してるって認めちまえ。こんな糞みたいな日常に辟易へきえきしてるって。どうにかして変えたいって、その術があるなら今すぐにでも――革命を起こしてやりたいって」
「考えたこともありません! 私は、従順な神の僕であり」
「だったら翼ちゃん、……俺のことを報告するか? 今すぐに、こいつは屠殺とさつすべき豚だ……って、天界の脅威になり得るって、あのむかつく関西弁天使にチクりに行くか?」
「それは――」
 いつも水平を保っていた彼女の視線が蹌踉よろめきながら地に落ちる。
「――ですが、あ、あなたひとりに、なにが出来るというのですか」
 おれひとりに、なにができる。
 弱い口調からの強い言葉。
 ああ、それは。
 俺がいつも自問自答してきた終わりなき迷路のその入り口。
 確かなことは、何も言えない。
 必ず――そう必ず、そう言って逃げてきた。
 可能性に縋り、蓋然がいぜん性に怯え、合理性を言い訳に、ただ姑息に生き延びることばかりを考える哀れな窮鼠きゅうそ
 それが俺だ。
 英雄になる前の俺。そしてなった後も――何かが変わらず、変われず、変えようとせず、心の中の暗がりでひっそりと呼吸していたもう一人の俺。
 俺は今、確かに鬱屈している。
 戦うと決めた。俺自身のために、何より翼ちゃんの求めに応じたかった。なのに筋が通らない。そう感じる。そう感じるのは一体、誰のせいだ? 何が俺の空に蓋をしている。夜が暗いのは、雨が降れば冷たいのは、この世界が終末に近付いているのは何が悪くてどんな正しさに支配されているからだ?
 俺は――
「……け、堅悟様」
「あ、あぁ、悪い。別に……迷っているわけじゃなくて」
「そ、そうではなくっ」
「え?」
「奴らが、この近くに」
 奴ら。
 準悪魔が現れたのか。
 それを殺すことが非正規英雄に課せられた使命。
 歯車としての役割。
「……そうか」
 そうだ。
 思いついた。
 俺に出来ること。
 面白いこと。
 その何か。
「……堅悟様?」
「翼ちゃん、あいつは――あの根暗野郎は今、すぐ近くにいるか?」
「根暗……とは、あの、先ほどの“彼”ですか? い、いいえ、すでに離れているようですが」
 なるほど一方的に連絡先を押しつけて満足してしまったらしい。
 まあ、それはそれで好都合といえば好都合だが。
「それじゃあ、行くか」
「行くとは……どこへ」
「悪いやつらを、やっつけに行く」
「……え」
 と、漏らした声はどこか切なげで。
 まるで期待を裏切られたような。
 物足りなげな貌。
 思わず抱きしめてやりたくなる小動物的な愛嬌。
 心配するなよ、翼ちゃん。
「面白いものを――見せてやるからよ」


 そこは終電を過ぎて薄暗くなった駅の構外。
 飲み屋街が近くにあるからかこんな時間に現れた準悪魔でも少し暴れればすぐに悲鳴が轟くくらいの人気は疎らにあった。
 ライトアップされた駅前広場の噴水に殺された人間を浮かべゴミ捨て場のように赤く汚し、ちょうど駅の構内へと逃げ込もうとしたカップルを二人仲良く蛇のような長い胴で絞め殺し現代アートのようなオブジェへと変えてしまったのは――上半身が若く美しい黒髪の女であるのに対し下半身がそのでっぷりと肥えた蛇のそれである異形エキドナ型の怪物だ。
 高架化された駅のホームに立った俺は、暗闇に身を紛らわせながら、地上で繰り広げられる惨状をじっと観察する。
「辺りに他の非正規英雄はいるか?」
「いいえ、この近辺には、他に誰も」
「それなら仕方がないな。早速、こいつを有効活用させてもらうとするか」
 懐から先刻間遠から手渡されたメモを取り出し、スマホから奴にメッセージを送る。
『至急。新火にいび駅の近くに準悪魔が現れた。かなり手強い。協力を要請する』
 すると、数秒も待たずに返信が。
『了解した。すぐに駆けつける。死ぬなよ』
 律儀なことだ。
「……よろしく頼むぜ、相棒」
 口にするとなんだか笑えた。
 馬鹿馬鹿しい。そんでもって空々しい。
 無茶苦茶だ。
 こんなこと学生時代にだってやりゃあしなかった。
 思いついたって、まず間違いなく出来やしなかった。
 だって、それはルール違反だ。空気が読めていないと嫌われるし、阻害されるし、除け者にされる。
 自分より強い奴ら、ルールを信仰する奴ら、ルールを広めた奴ら、ルールを作った奴らに、脅され、貶され、いつの間にか社会的にも物理的にも殺される。
 だから、いつだって人間は沈黙を愛するべきなんだ。どんな思想も行為も雄弁に物語るべきではない。
 だけど、それは力なき者の理。
 バーで会った悪魔は言っていた。アーティファクトの力は既に俺のものになっている、と。
 それなら俺はもう――かみ合わせばかりを気にしている――歯車などではない。俺はここにいる俺のみで成立しうるのだから。空気が読めなかろうと協調性がなかろうとルールから逸脱しようと除け者にされようと。
 ああ、そうだ、俺は、もう。
 ――自由意志に基づいて行動できる。
 だけど。
 その上で、俺は。
「なあ、翼ちゃん」
 一度、決めたことだ。
 俺は君に求められるままにこの力を使うんだって。
 だから、
「俺に、頼んでくれ。……お願いしてくれ」
 血溜まりが街灯を浴びて鮮やかな赤を映し出している。投げ捨てられた誰かの左脚が波紋を作り、嘆く悲鳴が耳をつんざく断末魔へと変わり、……いつしか広場は静寂に包まれていた。
 残るはひとり。
 あと一人殺せば、恐らくその腹は満ちるのだろうが。
 怪物の腕がちぎれて吹き飛び宙に舞う。一体、何が起きたのか。それは怪物自身も理解し得ない。目にも留まらぬ神速の斬撃。それを生み出したのは捕食者にとっての単なる被食者ではなかった。まるで枯れ木のような長身痩躯。彼が構えた気障なくらい鋭利な長剣はこの距離からでもその殺傷能力を見紛わせない禍々しく神聖な気配を漂わせながら夜の気配と同化している。
 間遠和宮が――どうやら間に合ってくれたようだった。
「さあ、翼ちゃん、俺に――言ってくれ」
 ひときわ強い風に髪がなびく。
 翼ちゃんは俺の隣で地表に広がる赤い空を見下ろしている。
 終末の夜は長い。
 あれもこれもどれもすべてを巻き込んだ終わらない夜。
 明けない朝。まるでこの世界が終わってしまうみたいな思想。
「あいつを――間遠和宮を、俺のこの手で殺してくれって」



 アーティファクトを使用した非正規英雄は何らかの形で“代償”を支払わされることになる。
 その代償とはアーティファクトによって様々だが、能力が強力であればそれだけ支払わされる代償も大きくなる。
 間遠和宮の能力はさて何なのか、遠巻きに見た限りでは判然としなかったが。
「まるで――目が見えてないみたいじゃないか? なあ、間遠」
 既に生命感なく地に沈んだエキドナ型の準悪魔。
 戦闘の爪痕で柱のひしゃげた街灯がばぢばぢと喘いでそのまま消える。
 沈黙したまま俺に背を向ける間遠は長剣のアーティファクトを握りしめたまま肩で息をしている。
 どうやら理解しているらしい。
 勘付かれてしまったらしい。
 戦いが――まだ終わっていないということを。
 そしてこれからすぐに――新たな戦いが始まるということを。
 どうやら悟られてしまっているようだった。




第九話 “週末”思想のエトセトラ 完

       

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