非正規英雄(アルバイトヒーロー)
第二十話 『蝙蝠』 (鹽竈)
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尋常ならざる再生能力。それは四肢の欠損、臓器の破壊をものともしない。
無論、非正規英雄とて自己治癒能力においては普通の人間のそれと比べ物にならぬものだ。片腕吹っ飛ぼうが、魔力と時間さえ足りていればいずれ生える。
だがこの女―――此原燐は、非正規英雄の治癒を超える悪魔の邪悪武装。その性能を加味した上で、さらに異常たる再生力を有している。
厄介だ、と思う。
『絶対切断』も、中国武術も、変化能力も。
あらゆる面で、この相手は相性が悪い。
右腕を斬り飛ばし、仰け反った燐の悪魔たる巨躯へと、空いた左拳を当てる。
しっかりと踏み締めた両足から螺旋するエネルギーが伝い一点へ集約。極限の一打『寸勁』を叩き込む。
かつて歴戦の英雄・間遠和宮の身体にしばらくの影響を与えるほどの威力を有したその一撃は、しかし悪魔の内側へ通らない。
いや違う、正確には通っていた。骨は砕け肉は破裂し、燐の内側はグチャグチャのミンチにされている。
こめかみから角の生えた悪魔の吐血を、懐に潜っていた堅悟は頭から被ってしまう。
途端、ジュウ、と。
熱湯をかけられたような熱と激痛が全身を襲った。
驚き、慌てて後退しながら返り血を振り払い拭う。
剣を握る腕を見下ろしてみれば、先の痛みが確かに熱による火傷のものであると確信させる真っ赤に爛れた表皮が映った。
熱を持つ血液。最初はそれほどの熱を放ってはいなかったはずだ。となれば、悪魔への変化と同時に時間経過で熱量を高めていっている。ということだろうか。
やはり厄介だ。
(接近戦に持ち込めないのは痛いな。剣技にせよ武術にせよ、近づかねぇことには…)
どう攻めたものやらと考える堅悟は、ふと身に感じる高熱と痛み以外の感覚に眉根を寄せた。剣を肩に担ぎ、体を冷ますように手団扇で顔を扇ぎながら口を開く。
「…よお、此原だったな。そんなに俺が憎いか」
噴出する殺意が、その奔流が視認を錯覚させるほどに鬼のような悪魔を覆い包んでいた。とてもじゃないが、初対面の相手とは思えない。
英雄と悪魔は対立するもので、殺し合うものだ。それに今更疑問の余地も無いし、この構図に文句も無い。
だけど、ここまでの憎悪をもって挑んでくる悪魔は見たことがない。いくらなんでも、英雄と悪魔という関係だけでは済まされない何かが差し込まれているとしか思えない程度には。
「何が気に入らない。お前、俺の何がそこまで憎いんだ」
そこら中に散った燐の血液が、ブクブクと泡立ちながら白煙を上げて行くのを横目に、何気ない世間話をするように堅悟が問う。既に、寸勁での負傷は癒えてしまっていた。
「…石動、堅悟」
「………おう」
「あなたは、最悪の人間」
突然の罵倒に思わず堅悟も面食らうが、一度解き放たれた悪魔の口は止まることを知らない。
「孤独を嫌うくせに…孤独に逃げた。そのくせ、何かを得ようと手を…伸ばす。最悪の人間。傲慢で傲岸で高慢で……なにより強欲な、最悪の人間」
濁った赤い瞳は堅悟を視界から離さない。その全てを見抜いているとでも言わんばかりに、鬼のような悪魔は石動堅悟という人間の底を見る。
「孤独が嫌いなら群れればいいのに。独りが怖いなら誰かに寄り添えばいいのに。子供のわがままみたいに…全部放り投げて。だからあなたはここにいる」
非正規英雄のコミュニティから離反し、悪魔からの勧誘を蹴り、流れ着いた先で三文記事を書き殴る日々。その生活すら、いつまで続くかわかったものではない。
「あなたみたいな人は…危険。私はそれを知っている」
燐が紡ぐ言葉の最中、二人を熱波が襲う。ついに高まり続けた血液の熱が発火点を超え、四周を炎が囲う。
白煙は黒煙へ代わり、堅悟は僅かに咳き込んだ。それでも相手の言葉を聞き逃さずに鼓膜に捉え続ける。
悪魔としての恩恵か、酸欠になりそうな状況下でも平然と喋る燐の糾弾は終わらない。
「愛を語りながら拳を振るう人、可哀想と涙を流しながら侮蔑に顔を歪ませる人。…あなたはそれらと同じ。孤独を恐れながら、孤独に身を置く矛盾の人」
「ハッ」
思わずといった具合に、笑みが漏れる。それは自嘲か、あるいは自責か。
ともあれ燐の言うことは極めて正論で、どこまでも的を射たものだった。
この状況には覚えがある。二度目だ。
正論しか突きつけられない世界、本質を見抜かれた場所、…辟易するほど自分という人間性を直視させられた幻惑。
なるほど確かに、あのいけすかない夢使いが連れて来ただけのことはある。
此原燐は淡々と、堅悟にとって最も痛手となる傷を抉って来る。
矛盾している。間違っている。正しくない。
正しさの中でしか生きられない生物でありながらにして正しさを善しとしない。逸れ者であり、半端者であり、故に孤独に晒される愚者。
「何より厄介なのは、あなたが強い力を持った人だということ…。せめて、いっそ、弱者ならよかったのに」
炎を背に悪魔がにじり寄る。大木のような両腕を掲げて、怨敵のように堅悟を睨み据えながら。
「親が子に権威を振りかざす…ように。教師が生徒に権限を乱用するように。いつか、あなたは、その強大な力をもって、きっと、矛盾のままに破壊を撒き散らす。最低最悪の、災厄となる」
妙な正義感に突き動かされたわけではない。
ただ、危険であると認識したから。
この英雄は野放しにしてはおけない。
いずれ必ず脅威になる。それが悪魔側にとってのものか、英雄側にとってのものか―――あるいはそれら以外の何かにとってか―――まではわからないけれど。
幼い頃から人間の様々な感情の渦に呑まれ振り回されてきて、その中で備わり培われてきた燐の慧眼は確かにそう判断を下していたのだ。
だから殺す。
「…は、はは」
その淀みない結論に一片の迷いも無く。殺害だけを念頭に置いて澄み切った思考に不意の笑い声が割り込む。
「ははは、あははっ!」
「…?」
空いた左手で前髪を掻き上げ笑う堅悟の奇行に、ほんの数瞬だけ悪魔の赤い瞳が丸くなる。
気が触れたわけではなさそうだと判断したのは、その笑い顔があまりにも屈託ない爽やかなものであったから。
ひとしきり笑ってから、堅悟は担いだ剣を降ろして切っ先を燐へ向けた。
「なるほどなぁ、あのクソガキ。そういうことか」
「…なにが?」
「俺とお前は似てるって話さ。忌々しいことに、あのクソ野郎ともだがな」
招くように剣先を上下に振って堅悟が誘う。
孤独を謳っておきながら、堅悟の両手は空っぽではない。一蓮托生、運命共同体の堕天者。守ると決めた、あの口喧しい小娘。
まったくもってブレている。何もかもがズレでいる。これで何が孤独なものか。
思えば無茶苦茶な行動指針や原理でしかない。これが彼の矛盾。
相手はそれを知り、認め、その上で殺しに来ている。
なんとなく、この悪魔のことがわかってきた。いや、理解されたからこそ、理解した。
互いに不動の立ち位置を確立している同族。
「俺の不当も、お前の孤独も、四谷の狂気も。どれも理解するには難しい、度し難いとすら言えるようなもんだ。だが」
既に堅悟の中で、相手を殺すという選択肢は消えていた。そもそもの話、今殺意を燃やして挑んでくる相手は敵ではない。
「俺なら理解できる。俺はお前を正しく認められる。だから、とりあえずこの勝負は決着といこうぜ。話なんざ、そのあとでも出来る」
まるで勝利を前提にした上での物言いに、燐の全身がかっと熱くなる。それは比喩ではなく、全身を染めていた自らの血液が発火して燃ゆる巨躯の悪魔と化した。
「近距離の攻撃方法しか持たない、あなたに…私は倒せない!」
「と思うよな?ところがどっこい見つけた上に思い出したぜ、お前みたいなタフを相手に有効な技を」
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そこから先の展開は速かった。
四周を囲う火炎による酸素不足がそうさせたのもあったが、そも、石動堅悟という非正規英雄の持ち得る技術・性質からしても本来その真価は短期決戦型にこそある。
莫大な魔力の消費を犠牲に発生させる『絶対切断』。
今でこそ刃が触れる瞬間にのみその能力を解放させる方法で以前より低燃費にはなっているが、それでも消費量から鑑みて長期の戦闘は望めない(能力性質上での最大最善手であったはずの『初見殺し』も、石動堅悟の現在の知名度から見れば通ずる機会は皆無と見ていい)。
この男を示す代名詞たる神聖武具を抜きにして、では彼が持ち得る力とは一体何か。
此度の戦闘をもって、堅悟は初めて自分から聖剣を手放す決意をした。
刃に触れさえすればいかな物質物体、果ては概念でさえ斬り捨てられる。あのリザが持つジークフリートとは別ベクトルでの『最強の剣』。
それを無くして、尚。
巨躯の悪魔への疾駆を開始してから、ものの数分。これまで潜り抜けて来た死線の中でも最短時間での決着であった。
その行動を、悪魔は自殺行為と受け取った。
超速再生力、そして時間経過によっては発火にまで達する高熱の血液。
これらが燐の持つ悪魔としての力にして、ネトゲ内における彼女の通り名でもある不撓の血鬼、その真名を『邪悪武装・アモン』。
即死の怪我でなければ深手からでも復帰し、その際に傷口から噴出した血はやがて敵を追い込み余裕を無くしていく。
此原燐は決して強者の部類に入る準悪魔ではない。それでも幼い頃から今まで生き残り続けられてきたのは、この能力によって戦闘を長期に引き延ばし英雄から残る余力を奪い尽くす戦法を得手としてきたからだ。
炎と酸欠に怯え焦りを見せた英雄は今回のように相打ち狙いの特攻を仕掛けてきたし、そうでない者もやがては熱にやられ、あるいは持ち前の豪腕によって沈んできた。
よって、定石通りに叩き潰す。能力を使用する魔力も残っていないのか武器すら放棄した英雄など恐れるに足らず。
自らの血液によって燃える巨大な腕を持ち上げ、振るう。鬼の如き悪魔の拳一発で、英雄など簡単に挽き潰れる。
―――というのが、燐のいくつかある誤解と誤算の内の一つであった。
「!?」
突然増した速度、氷上を滑るように右半身を前面に押し出したスライド移動。活歩という中国武術由来の疾走を燐は知らなかった。
空振りした拳が競輪場の地面を抉り、大きく揺るがす。その振動を、エネルギ―を、震脚と共に己が内へ吸収する。見上げるほどの巨躯の懐へ入った堅悟の両手が真上へ持ち上げられる。
相も変わらず型崩れな一撃、双撞掌が空振った脇の下から直打を突く。
腕が吹き飛んだかと錯覚するほどの打撃に、燐の表情が強張る。大丈夫だ、即死でない限りは腱が切れようが筋肉が弾けようが再生する。そう自身に言い聞かせ。
再度持ち上げようとした巨腕が、動かなくなったことに絶句した。
驚愕に次ぐ驚愕、もはや何が起きているのかわからない。肩が、先の一撃を受けた肩が動かない。
勘付く。違う、動かぬのではない、これは。
「外れた関節は再生の領分に入るか?答え合わせは御覧の通りだ」
声が右から左へ流れる。背後から狙われている。
「くっ!」
慌てて左の裏拳で背後を薙ぐ。一切返ってこない手応えに歯噛みすると同時、相手にこれを誘われていたことを知る。
ゴギンッ、と今度ははっきり肩関節が外れる音を聞いた。
相手の攻撃を利用、あるいはベクトルのコントロールによって反撃に転ずる化勁の一手。
思い切り振り回した腕の勢いを利用され、追加で自前の発勁を叩き込まれた腕は捻転により可動域を容易く超えて脱臼する。
両肩を外された燐が真っ赤に燃える顔を蒼白に染める。馬鹿な、ありえないという思いが胸中を巡り荒れた。
魔力大量消費が主な欠点と挙げられる英雄の神聖武具。それを手放した者がどうなるか。
基本は死である。かつて老師に教えられた通り、非正規英雄はその常識外れの威力を有する武具に依存し、それのみを頼りに闘う者が多くを占める。故に、武器が手元から離れる状況で生き残れる英雄は数少ない。
逆を取れば、それでも生き残れる英雄こそが正真正銘の猛者であることを示す。
さらに言うと、石動堅悟のように武術の心得のある者であれば、この状況自体は別段不利と断ずるほどのものではない。
これこそが悪魔の誤解。
普段は武具に回すのが常である、全魔力の身体強化全振り。
堅悟の真価が聖剣にあるのなら、その深奥にあるのは実のところこれであった。
中国から帰ってきて、一日たりとも欠かしたことのない、未だ半人前の武技。不足を補う魔力の強化、放出。
「さあ、仕上げだ」
もはや後退しか成す術のない燐の正面に、堅悟が立つ。
燐の悪魔形態は両腕が大木のように肥大化するのに対し、それを支える両足は腕ほどは太くなく心もとない。だからこそ攻撃方法は腕を使った圧殺、殴殺が主だった。蹴りは威力が出せないのだ。
こうなれば外れた肩ごと腕を食い千切るか、と考える。これまで脱臼を体験したことが無かったのでこの事態は知らなかったが、一度捥げてしまえば再生は十全に機能を果たす。
それまでの時間を、堅悟が許してくれればの話だが。
しかし、それでも。
「…好きにすれば。どうせ、あなたなんかに、素手で倒されたり、なん…て」
悪魔に対し英雄の肉体は人間のそれと変化ない。いくら強大な力が渦巻いていようと、あんな細っこい手足でいくら殴る蹴るしたところでこの身体に致命傷は与えられない。
それが最後の誤算。
言い掛けた燐の強がりの語尾が次第に小さくなり、とうとう黙りこくる。
眼前の光景が信じられなかった。
「……なに、それ」
「ソロモン・部分変化」
あっさりと答えた堅悟が、右腕を大きく振りかぶる。あまりにも体に見合わぬ、巨木と見紛う赤い腕がずっしりと人間の肩から生えていた。
あまりに奇形、どこまでも奇怪。
半ばに怪物の腕を宿す堅悟の方こそが化物に見えるほどに、その外見は不気味で。
なによりもその腕が、とてもよく見覚えのあるものだったのが信じ難かった。
此原燐の悪魔形態時のそれと酷似する腕が、どうして英雄の腕に?
考えるまでもない。そもそも答えは相手が自ら暴露した。
神聖武具ソロモン。その効果を『変化』。
見たことのある生物になら、なんであれ変化することが可能な装備。
「だか、らって……悪魔の、姿を……英雄の力で模倣する、なんて……!」
「生物であることに、変わりはないだろう?」
あっけらかんと答える堅悟に、そうではないと叫び出しそうになった。
そんな侮辱があるものか、そんな冒涜があるものか。
神から賜った英雄の能力で、まさか悪魔の力を使おうなどと誰が思おうか。
きっとこの男しかいない。どちらにも嫌厭を示し、どちらにも属さないこの男にしか出来ない。
石動堅悟は、やはり最悪の人間だ。
「意図的に脳震盪を起こす加減がわからねえから、とりあえず全力いっとくか。歯、食いしばれよ」
じりじりと後退りする燐に、情け容赦のない声が投げつけられる。
罵詈も罵倒も、雑言も謗言も間に合わなかった。
普段英雄に叩きつけているこの豪腕が、まさかここまで重いのかと知るのも初めてのことだった。
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「独りってのは楽だよ。どこまでいっても自己負担、何があっても自業自得。楽だけど、でも高潔な道だ」
薄ぼやけた意識の外から、忌々しくも敗北を喫した悪辣な英雄の声が聞こえる。
「なんとなくだけどわかる。お前は俺と違って本当に独りでいることを望める悪魔だ。俺みたいな、中途半端に逃げる為の道標として行き着いたヤツじゃない」
「…つまらない、世辞はいらない。殺すなら殺せばいいし、哀れみたいなら、どうぞ、お好きに」
気を失ってからどれだけ経っているのか。仰向けで見上げる空は橙色の浸食が蝕み始めていた。
朝と夜の狭間。どっちつかずの一刻。
「取引しようぜ」
「え…?」
負けた自分へと降り掛かる、思いつく限りの同情と憐憫の言葉を脳内で羅列していた時、燐はまったく思いがけず投げ掛けられた言葉に間抜けな声を漏らした。
「お前の孤独を護る。お前が何より優先し大切にするただ独りを、誰にも踏み込ませない。絶対に縁を繋がない、絆を想わない」
「……」
「此原燐っつったな。お前はどこまでも独りで生きて、そして独りで死んで行け。その尊厳を俺は命を賭して護ろう」
共にまったく真逆に向かう、背中合わせの孤独同士。堅悟には決して到達できない絶対的な唯一無二。
元天使の手を取り、機関銃が如き怒濤の舌回りを披露する小娘に引き摺られ、それでも孤独を愛すと戯言を溢す不当と矛盾の化身。
そんな男が永遠に相容れない少女の生き方を知り、認め、その上で手を差し出す。
いつかの、夢と現の境を操る英雄との邂逅が脳裏を過ぎる。彼の言っていた言葉を思い出す。
「…あなたは、最悪の人間」
「それはもう聞いた」
「いつか殺さなくちゃならない人。手を下さずとも…いずれ、どうしようもない無残な死を、迎える」
「かもな」
散々に言っても、堅悟は表情を笑みから崩さなかった。燃える悪魔に肉弾戦で挑んだせいで黒く焦げた腕が、差し出された格好のまま揺れる。
「だから取引だ。俺が無残に死ぬまで、あるいは見かねたお前が俺を殺すと決めるまで。それまで俺と共に孤独を生きろ。俺の矛盾と最悪を受け入れて、手を貸せ」
言葉だけ額面通りに受け取るならば、なんたる一方的な物言い。不遜にもほどがある。
だけど、まったく奇妙なことに。
そんな言い分に、気持ちが悪いほどに清々しい心持ちで納得を示す自分がいることに、燐はどこまでも吐き気を覚えた。
最悪に次ぐ最悪。果ての見えない災厄そのもの。
いつ死んだって悲しみを覚えない。いつだって殺してやりたい。目を合わせるだけで憎悪が沸々と再燃する。
理解しているから。この男の深層心理を苛立つほどによくわかるから。そしてきっと相手もそれが同じだから。
絶対に相容れないからこそ、他の誰よりも相互理解が通る。通ってしまう。
「…本当に、嫌なやつ」
心地良く滾る殺意を胸に、未だダメージの残る頭をゆるやかに振って、その手を掴み立ち上がる。
「いつだって、殺してあげるから。だからその時は、…遠慮なく挽肉になってね。堅悟」
「ああ。どうかお前も、最期まで誰とも寄り添わず死ねよ燐。お前にお似合いの末路まで、必ず俺が護ってやる」
同盟締結の握手は、浮き出る血管と軋む筋肉の悲鳴で彩られていた。
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「はいおめでと~。これで晴れて僕らは一個の組織、団体、同盟。仲良くしようね石動先輩、燐ちゃん」
「テメエは早く死ねよ人殺し」
「相変わらず…虫唾が走る」
協力関係の成立が成し遂げられたのを遠方から確認した四谷がにこにこ笑顔で二人のもとに現れ、堅悟と燐はそれを悪態でもって迎え入れる。
「えぇー酷いなぁ。これでも僕だって頑張った方なんですけどね。こんな広範囲で幻覚を覆うのは結構重労働だったんですよ。誰かさんが暴れ回るせいで燃える血液から選手とか観客を守ったりね」
神聖武具たる巨大なシールドを片手にへらっと笑う四谷の姿はまたしても変わっていた。詰襟の学生服を纏う精悍な顔立ちの美青年。しかしそれも僅かな疲労によって小皺がよってしまっていた。
一体全体本当に、どれがこの非正規英雄の本性なのやら。
「人殺しのテメエが人助けとはどういう了見だ」
「見殺しにしたら先輩また嫌な顔するでしょ?これから同盟仲間になるんですし、これくらいの恩は押し付けとかないと。それに僕は無意味な殺しはしない主義ですし。やるならこう、もっと希望と絶望をいい具合に幻の中で見せて遊んでから…ああいえごめんなさいもう黙るんで聖剣の切っ先をこっちに向けないで」
舌打ちと共にエクスカリバーを解除、(これも四谷の仕業か)いつの間にか鎮火していた競輪場の惨憺たる有様を見て踵を返す。
「とりあえず離れるぞ。これじゃ悪魔と英雄をわざわざ招待してるようなもんだ」
「ですね」
「…ん」
黒煙の上がる競輪場から、悠々と三人のはぐれ者の姿が消えて行く。
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「それで、ようやく少しは頭が柔らかくなった先輩を筆頭に立ち上がった最強ボッチ(真)と幻影イケメン(仮)で構成されたこの同盟ですが!」
「五体バラバラか内臓破裂か死に方選べクソ野郎」
「…圧死と焼死もあるから、四択で」
「なんか僕の扱い雑くない?」
サイレンの鳴り響く夕暮れの道すがら、詰襟の青年と化した四谷が仕切った途端に露骨な憎悪に表情を曇らせた二名を苦笑いで受け流し、
「ともかく、同盟を締結した以上は名前が必要でしょう。というわけで石動先輩、いっちょ格好いいのを一つ」
「なんで俺なんだよ、言い出しっぺの法則っての知らねえのかお前」
「や、この同盟のリーダーなので。必然かなと」
それこそいつの間に決定したことなのか。なんとなしに横に視線を振ってみても、既に燐の興味は手元のスマホに転じていた。大方アプリゲームでも起動しているのだろう。
「同盟の名前ねえ…」
そもそもがそんなもの必要なのかどうかすら怪しい。が、四谷は名付け終わるまで解散を善しとしないようだ。面倒だがさくっと考える他ない。
時刻は夕暮れを少し超え、藍色が空を統べる頃合い。逢魔が時。
ふと、さっきの空を見ていて思ったことがある。まるで自分達のようだなと感じた、その空を。
「…昔々、獣と鳥は戦争をしていました」
いきなり語り出されるお伽噺の冒頭のような切り出しに、燐と四谷が視線を向ける。
「獣が優勢になった時、それは言いました。『僕は全身に毛が生えている。だから獣の仲間なんだよ』と」
それはずっと前に聞かされたお話の一つ。タイトルは思い出せない。
「今度は鳥が優勢になり、それは言います。『僕には羽が生えている。だから本当は鳥の仲間だったんだ』と」
どちらの勢力にも良い顔をした結果。それは最終的に居場所を失くす。
「そうして戦争が終わり平和が訪れると、獣と鳥はそれの正体を知り、両方から仲間外れにされてしまいました、とさ」
そう。
それはどっちつかずの半端者。朝でなく夜でもない。この空によく似た存在。藍色の空を飛ぶ、獣にも鳥にも成り切れなかったもの。
燐が答える。
「…コウモリ」
「イソップ寓話だね。僕も教訓がてら読まされたことがあるよ」
何が可笑しいのか、四谷も微笑を湛えたまま意味深に堅悟をじっと見る。
「それで?そのお話によく似た境遇を抱える、悪魔にも英雄にも属さぬ我ら半端三人ぽっちの同盟に如何な名前を?」
「知るか。蝙蝠かバット、気に入らなけりゃ違うの考えろ」
本当にどうでも良かった。ただ、ふと浮かんだ過去の記憶を口にしただけで。
しかし、それを気に入ったのか四谷がうんうんと唸りながら、
「蝙蝠は少し陰気なイメージが強いかなー…でもバットじゃあんまりにも安直だし…」
(帰りてえ)
夜と化していく街の中を、悩む詰襟の学生とスウェット姿の少女、そして無職の社会人が進んでいく。何処へいくとも当てもないまま。
やがてようやく。
「よし。では同盟名『リリアック』ということで決定!はい拍手ー」
「おいコラ」
気に入らないなら違うの考えろとは確かに言った。言ったがそれはいきなりなんだ。
唐突過ぎる。
「え?石動先輩の案にちょっと小洒落た感を織り交ぜてみたいい名前だと思うんですが…?」
「蝙蝠の要素皆無じゃねえか」
我ながら真っ当なツッコミを入れてしまったものだと思った堅悟だが、「嫌だなーもう石動先輩」とからかうような笑顔で片手を振る四谷が注釈を入れる。
「コウモリといえば何か、なんでしょうか先輩。そうドラキュラですね正解です」
一言たりとも発していなかったのだが四谷には関係ないらしい。
「そしてドラキュラといえば、かの有名な串刺し公―――ヴラド三世が思い浮かぶかと思います」
まったく知らない。燐が大欠伸をして目元を擦り始めた。
「ヴラド三世の生誕地でもあるドラキュラの国ルーマニア。ここの言語で蝙蝠のことはリリアックと言うのですよ。バットよりどことなくオサレ感ありません?」
「ああ…ああ。もうそれでいいや。んじゃ解散な」
適当に相槌を打って、うつらうつらしていた燐の後頭部を引っぱたいて進んでいた道を外れる。
「味気ないなあ。それでは、また後日連絡を入れますね。良い夜を、先輩」
「おう。そこの馬鹿女も連れてけよ、このままじゃ路傍で寝落ちしかねん」
かくして同盟は初日からぐだぐだとした解散模様を遂げて、三者はそれぞれ帰路につく。
悪魔、装甲三柱を主軸とした連盟。『穏健派』・『過激派』・『単体勢力』。
互いの思惑が絡み合い複雑な関係を構築しつつあるこの連盟が、正常に一つの目的へ向かい機能していけるかどうかは不明の一言に尽きる。
大英雄リザを長として着々と人材と戦力を高めつつある非正規英雄組織『デビルバスターズ』。瓜江の修行によりさらなる飛躍を果たした彼らの動向次第で事態は如何様にも変化を生み出すことになる。
そのどちらの勢力にも身を置かない、羽と毛を持つ半端な『蝙蝠』の結成と始動。
誰の目にも留まらなかったこの同盟の存在が、後に両勢力の衝突による大渦をすら呑みかねない荒波を生み出すことにはまだ、一人として気が付かない。
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