さいたまスーパーアリーナを含むさいたま新都心エリアでも1、2を争う高層オフィスビルがあった。少し前までランド・アクシス・タワーと呼ばれていたそこは、馬場コーポレーションという巨大企業グループによる買収にあい、自社ビルとされた。1・2階には飲食店やコンビニなどのテナントが入っているがそれらもすべて馬場コーポレーション傘下の企業のものに変えられている。表向きのビルの名前は馬場コーポレーションがトレードマークとしている竜のロゴにちなんで「竜王タワー」と名付けられていたが、一部のオカルトマニアや事情通の者たちはこう呼ばれている。「デビルタワー」と。
「───では次の議題です」
感情のこもっていない平坦な女の声が響く。
そこはデビルタワーの最上階にある巨大な会議室。
───悪魔なのに天上人とはこれいかに、だが。
彼らは一様にスーツを着込んだビジネスマン然とした人間の姿をしているが、言うまでもなく実際のところは準悪魔の中でも過激派と呼ばれる者たちの集まりであった。巨大オフィスビルでもあるデビルタワーで働く社員、アルバイトはおよそ一万名にも及ぶ。そのすべてが準悪魔であり、馬場コーポレーションで人間として働いてもいる。
ところで過激派準悪魔たちの組織というと「悪の組織」のように思われるかもしれないが、そんな分かりやすいものではなかった。馬場コーポレーションは社会的評価の高い企業グループである。最初はゲーム開発やスマートフォン向けアプリ開発事業で成長してきたが、今では通信・保険・証券・人材派遣等々、様々な事業へ進出。それと並行して有形無形の社会貢献活動、赤十字を通しての発展途上国への募金までしている。悪魔というより天使のような働きぶりであった。
「先のニュージーランドでの大震災に対しての義援金ですが、我が社としては一千億円を拠出しようとしております。この決裁について……」
「天使どものホーリーローリーカンパニーは幾ら出すのか分かったか?」
「あちらはペーパーカンパニーですが、それでも我が社よりも多い二千億円を出すそうです」
「では我が社は三千億だな」
「三千億」
微かなどよめきが起こるが、誰も異議を唱えようという者はいない。安い金額ではないが、巨大企業・馬場コーポレーションとしてはまったく屋台骨が揺らぐほどの金額でもない。
「義援金はこれぐらい出さねばインパクトはない。せいぜいマスコミにも鼻薬を嗅がせるのだ。我が社のイメージアップに貢献するように」
「かしこまりました」
こうしたイメージアップ作戦には多くの思惑が絡んでいた。
準悪魔として活動する彼らは多くの人間(非正規英雄と非正規英雄を殺すのに邪魔となる一般人)を殺めている。彼ら準悪魔も元は人間であり、準悪魔として覚醒したということは元から素質はあったにせよ、殺人に対して何ら罪悪感を覚えないという訳でもない。だがこうした社会貢献をすることで免罪符になるのだ。
過激派の準悪魔は非正規英雄を殺すが無駄な殺しは極力しない。準悪魔とされるのはあくまで天界の非正規英雄に対抗する者としての名称に過ぎず、彼ら自身は「天界の支配から人間たちを救おうとしている正義の戦士である」と考えている。過激派というが、それは「真面目に天界を打倒するため軍隊のように秩序だって戦争しようとする」ことであり、穏健派はその逆に「天界を倒そうというより個人の欲望を満たしたり好き勝手暴れたいだけだから戦争はしたくない」ということであった。
だから準悪魔による犯罪が起きたとすれば、それは穏健派の方が社会の秩序を乱していることが多い。過激派の準悪魔たちはこのように馬場コーポレーションで真面目にビジネスマンとして働いていたりする。いずれ自分たちが人間たちを支配するためだが。
「───リンゴ社の買収について……」
「───与党への政治献金について……」
その後もスケールの大きな話が進んでいく。
バハムートこと馬場夢人は二代目社長というボンボンではあるが、株主と取締役の幹部たちから支持され、末端の社員たちからも人気が高い。つまり会社の利益(株主の利益)を十分に出しつつ、社員にも福利厚生や給与賞与といった面で還元し、ボランティア活動にも熱心という欠点の見当たらないホワイト企業ぶりなのだ。準悪魔としての実力もトップクラスでありながら、ビジネスマン・一人の人間としても傑出しているハイスペックマンなのだ。
「───では、次は準悪魔としての議題となります」
馬場の秘書が先程と変わらぬ調子で言うと、それと同時に会議室の照明が暗くなっていく。
開放的な強化ガラスでできた窓のブラインドが閉められて日光が入る隙間もなくなり、今や間接照明だけの薄暗さとなっていた。
円卓を囲んでいたビジネスマンたちは、いつの間にか一様に人間から準悪魔の姿へと変貌していた。
馬場夢人も、今や装甲と猛々しい海竜の仮面を被った装甲竜鬼バハムートへと変貌している。
「まず
秘書悪魔が一層冷たい声で語る。
「元馬場コーポレーションの社員・アルバイトの一部が離脱して結成された
「リザ以外にも警戒すべき者たちがいるのだな」
「はい。間遠和宮、鈴井鹿子、今鐘キョータ、秋風天音。この四名が特に危険であると」
「覚えておこう。だが反逆軍が遂にか…。彼らとは考えが違ってしまったので袂を分かっていたが、残念なことだ」
余談だが、軍隊のように秩序だって天界との戦争を推し進める過激派だが、やり方が生ぬるいと考える者たちが反逆軍に身を投じていた。彼らは手段を選ばず、テロリストのように無辜の人間を巻き添えにしてでも、非正規英雄の裏切者を味方に取り込んだりしてでも、非正規英雄を殺そうとしていた。正々堂々とした戦いや、非正規英雄や強者との純粋な力比べを好むバハムートからすると反逆軍のやり方には美学が感じられなかった。
過激派、穏健派、反逆軍…。
同じ準悪魔だが、彼らはそれぞれ目的も手段も違うのだ。そして協力できるかどうかも。
「次に……カイザーの提案を呑み、マーリン率いる穏健派とも手を結ぶという話についてですが」
「議論するに値しない」
言ったのはバハムートではなく黄衣の帝王ハスターだった。
三柱に次ぐ四大幹部筆頭として高名を轟かせるハスターは、バハムートに唯一対等に物が言える準悪魔である。人間としても先代社長の時代から馬場コーポレーションを支えてきた専務取締役・蓮田として実権を担っている。
「ハスター……お前の息子、黒崎の件は確かに残念だったが……」
「わしはそういうことを言っているのではないぞバハムート」
張り詰めた空気が流れる。
青白い、頭蓋骨を思わせる角ばった仮面の奥の光が怪しく瞬いた。黄衣の帝王の異名の通り、ハスターは黄色い古ぼけた衣で身を包んでいる。その黄衣の奥から打ち出される空気を圧縮した弾丸の威力は凄まじく、直撃すればどんな非正規英雄でも致命傷を免れないと言われている。
ハスターの声にはバハムートへ対する怒りが込められており、彼が吐き出す息からも空気の弾丸が飛ばされるのではないかと、列席する準悪魔幹部たちは肝を冷やしていた。
「わしの息子のことなどもうどうでもいい。あやつが死んだのは未熟だったがためだ。もうそれでマーリンを恨もうという気持ちも無い。だからそのこととは別に、穏健派と手を結ぶということがあり得ぬと言っておるのだ」
「なぜだ? 理由を言え」
「奴らは信用できんならず者どもだ。それが準悪魔らしいと言わんばかりに好き勝手をする連中だ。反逆軍はまだ手段を選ばないというだけで「天界を討つ」という点においては一貫しておった。だが、穏健派の連中はそうではない。場合によっては同じ準悪魔でさえも殺める無軌道ぶり。そんな連中と手を結べば、後ろから撃たれても文句は言えんぞ」
「むぅ、確かにそうだ……」
「それに我々はより良い社会を作るために天界を打倒し、準悪魔の世界を築こうとしている。そのために馬場コーポレーションとしても準悪魔過激派としても多くの活動をして功績を挙げてきた。だが勢力としては我々より穏健派の方が勝っている。ろくに非正規英雄を狩る仕事もしておらんというのに。そこで穏健派と手を結べば、我々は勢力の大きな奴らに取り込まれてしまう。我々が今までやってきた功績は何だったのかということにもなろう」
「ううむ……尤もだ」
「我々が穏健派と手を結ぶのならば、その中での地位や発言権はどうなるのだ? そういったことも煮詰めねばとても手を結べる話ではない。現段階では議論に値しないとはそういうことだ」
「分かった。分かったよハスター……」
バハムートは大きく息を吐いた。
三柱の一柱に数えられる装甲竜鬼といえど、この黄衣の帝王には逆らえないのだ。
「穏健派と手を結ぶのは無しだ。このことはカイザーにも伝えよう」
「うむ」
これではどちらがトップなのか分かったものではないが…。
「───で、では更に次の議題ですが」
秘書悪魔が空気を読み、次の話題へと話を進める。
僅かに空気が弛緩した。
「反逆軍が壊滅した要因となった非正規英雄・石動堅悟が、はぐれ者の非正規英雄や準悪魔を集めはじめています。彼らは
秘書悪魔がまた調子を取り戻して平坦な声でレポートを読み進めていき…そこで初めて、秘書悪魔の声色が変わった。
「え? これは……」
「どうした。読み上げろ」
「は、はい…」
戸惑いを隠しきれない秘書悪魔は、唇を震わせつつ続けた。
「───リリアックに続々と多くの非正規英雄や準悪魔が集結しつつあります。中には穏健派・準悪魔の中核を担う四大幹部が序列二位クトゥルフ様、三位クトゥグア様の姿もあるとのことです」
その日、馬場コーポレーションの会議室で一番のどよめきが起きるのだった。