非正規英雄(アルバイトヒーロー)
最終話・√鹽竈 忙殺される功労者
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「本当にやるのか?」
「ああ。アンタとは一度、ガチでやりあってみたかったんだ」
丑三つ時に、無人の駐車場。
眠たげに片目を擦り、石動堅悟は岩に覆われた同業者に再三の確認を取った。退く気はやはり、無いらしい。
無言で頷いて腰を落とす。一度言い出したら聞かない大馬鹿なのは、短い付き合いでも知っている。睡眠時間をこれ以上削られたくないし、決着は早々に。
聖剣は使わない。あれに峰打ちという概念は存在しないし、振れば間違いなく殺してしまう。
いやそれ以前に、使う必要がない。この身一つで男―――今鐘キョータを屠る程度は造作もないのだ。
「ぅうオォらッ!!」
活歩で詰められた間合いに虚を突かれたキョータが大振りにコモン・アンコモンを振り回す。が、そんなものいくら数打ったところで堅悟を捉えることは出来ない。むしろ隙を晒す行為であり、攻撃を差し挟む機会をいくつも与えてくれた。
上半身を落とし、空振った腕の下から脇腹に右掌をそっと押し当てる。震脚、発勁。
これで終いだ。キョータは苦悶に短い悲鳴を上げ、ズシンと岩の鎧を纏ったまま横倒しになる。
「遠当て、裏当て…まあ呼び方はなんでもいいんだが、そういう技術があるんだよ。それに熟達した人間にしてみれば、お前みたいにガチガチの鎧だの甲冑だのは一切意味を成さない。衝撃を、外殻を無視して内部へ直接叩き込む技だからな」
中国拳法は太極拳より、それは意勁の応用。
日本においても古武術から来る鎧徹しが同様の技術を以て行われるものである。
呆気ないほどの手早い撃退に、堅悟が踵を返す。その背中を赤い光と共に熱波が撫でた。
「待て…よ」
「やめとけ動くな。内臓がイかれてんだ、非正規英雄じゃなければ今すぐ病院送りでも間に合うかギリなラインの怪我だぞ」
赤熱した岩石の巨体。〝アペンドファイア〟の付与効果。ただし、激しい熱に焼かれているのは身体だけではない。
「負けんのは分かってんだ、勝てないなんてハナから知った上で挑んでんだ。だけどアンタの本気を拝まなきゃ、オレはいつまで経ってもアイツを守れるだけの力を得られる気がしねぇ!」
アイツ、というのがどの女を示しているのか堅悟も知っている。高嶺の花の、あの幼馴染のことだろう。
「オレは結局マーリンに一発くれてやることすら出来なかった。そんな野郎をアンタはタイマンで倒した!…ずっと思ってたんだよ、堅悟さん。顔を合わせるずっと前から、アンタの生き方こそがオレの目指すべき正義の道なんじゃねぇかってさ…!」
正義。ここまでの闘いで嫌というほど聞いてきた忌々しい言葉。そんなものの為にこれまで命を張って来たわけじゃないのに、それを見てきた者達はこぞって石動堅悟をこそ正義の味方だと信じて疑わない。
「出してくれよ、見せてくれよ石動堅悟!全てを守って勝ち抜いてきた、神殺しの力を!!」
ふざけるなよ。誰が勝ち抜いてきたか。負け続けてきた堅悟に対するそれは挑発のつもりか。違うだろう、今鐘キョータにそんな器用な誘い文句は謳えない。
この男は本当にそんなことを思って叫んでいる。
乗ってやる意味は無い。この力を発動するだけの価値ある闘いではない。
だが、
「十秒だ」
右手に聖剣を顕現させ、心の臓奥深くに呼び掛ける力の解放。
「身の程を知れよ今鐘。たかが小娘一人を守るだけに俺を目指すな。こんなモンを得る為に血みどろの道を歩むな」
剣を掴む指の先から表皮の色が変わる。徐々に覆い行く銀色の装甲。翼という調整役を無しにして使える時間は極々限られている。十秒程度であれば、おそらく問題はない。
ギラつく装甲に鎖骨辺りまで浸食された石動堅悟の剣技は既にそれこそ神域。第二次神討大戦を終結に導いた英雄の一撃が凡夫に見切れるものか。
「お前はお前の可能な範囲で強く成れ。踏み外すな。秋風天音を守り切る力は、少なくともこんなモノじゃないだろ」
装甲剣鬼の圧力に言葉も忘れ、防御体勢をとる暇すら与えられず、シーシュポスの鎧を真っ向から打ちのめされてキョータは気を失った。
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「つーかよぉ!聞いてねえんだよそんな話!最初に言ってくれやそれ大事なとこだろ!?」
純白の円形テーブルをバンバン叩き、置かれたティーカップから紅茶が零れるのも構わず堅悟は責任追及すべく対面の相手を睨み上げた。
「だからあの時君に訊ねただろう?リスクは承知の上かと」
「あれそういう意味だったのか!やってくれたな弓彦さん!!」
唾を飛ばして喚く堅悟を楽しそうに眺めて、海座弓彦は腿の上に置いたソーサーからカップを持ち上げて優雅に一口含む。
「もとより準悪魔の邪悪武装というのはそういうものだよ。神聖武具と違って身体融合型である邪悪武装は一度手放してしまえば戻って来ることはない。だからこそバハムートなどは子に継承させる際も慎重になっていたのさ。もし受け継ぎに耐えられねば発狂するような危険物を易々と渡すわけにいかないのは道理だ」
もう海座弓彦はカイザーではない。最終決戦で引き継がれた装甲三柱の力は堅悟の内部で聖剣と混在し、装甲剣鬼という新たな形で生まれ変わった。
装甲悪鬼の力は使用さえしなければこれ以上寿命を削られることはないというからまだいいが、それでもマーリン考案の聖邪同体兵装なる存在は未だ不確定な要素の強い代物だ。それを身から引き剥がせなくなったというのは当人としても気持ちの悪い話である。
「あまり騒がないの堅悟、近所迷惑になるでしょうが」
尚も言い募ろうとした堅悟の勢いを、横合いから現れた女性が窘める。それを黙れとばかりに片手の平を向けてこう吐き捨てた。
「アンタは黙ってろ大英雄様。こっちはまだアンタのせいで大迷惑を被ったこと許してやるつもりはこれっぽっちもねぇんだからな」
大英雄リザは、そんな情け容赦のない言葉をぶつけられて力ない笑みを返した。
憎しみだけで戦ってきたリザが、最後の最後に魔術師によって弓彦の真意を知らされた。ずっと仇を討つ為に動いていた激情の大元であった両親にすら利用されていたことを理解してからというもの、あれだけ殺意に満ちていたリザの様子は一変してしまった。人工島での決戦以来リザが武器を握っているところも見たことがない。
ある意味で弓彦が危惧していた事態でもある。空っぽになったリザに生きる理由が消失し、それを補ったのもまた弓彦だったのはどうにも因縁と呼んでいいのか運命と割り切るべきなのか。
長い間装甲悪鬼として激戦を潜り抜けてきた故の強固さだったのか、致命傷を受けても生き延びた弓彦はしかし、下半身の不随という大きな代償を支払うことになった。
車椅子無しでは移動もままならないし、それ以外の日常生活でも誰か身近な人物に支えてもらわなければ生きて行けない身体。
つまりそれこそが、これからの彼女が成すべき贖罪であり、今後の生きる理由。
「断罪せよというのなら望みに応えるわ。この首、あなたの聖剣で落とせばいい」
「ざけんな俺の剣にそんな錆はいらねえ。アンタがすべきは断罪じゃなく贖罪だ。この人がアンタの死を一度でも望んだとでも思ってんならどこまでも救えねえぞ」
視線だけで弓彦を示すと、彼はゆったりと面を上げて隣に立つリザを見た。年を経ても心が摩耗していても老けを感じさせない精悍な中年の瞳には負念は宿らず、ただただ想い人に対する願いだけが込められていた。
「以前のように、とは言わない。だからここから改めて、私と共にこれからを生きてはくれまいか、リザ」
「……はい。あなたが、先生が。…弓彦さんが。それを許してくれるのなら、私は…」
ガリガリと頭を掻いて、残りの紅茶を一気に飲み干して立ち上がる。これ以上夫婦の惚気には付き合ってられない。
新たに二人で暮らし始めた新居の庭に立てられたパラソルの下から出て、燦々と降り注ぐ陽光を目掛け背伸びをする。やはり菓子を摘まみながらの小洒落た茶会など、自分にはあまり合わないらしい。
だがこの人との会話は嫌いじゃない。だから。
「また来るよ弓彦さん。お大事に」
「なんだ、もう行くのか堅悟。先代カイザーとして色々教鞭を執ってやろうというのに。どうせ三文記事を書き殴る以外にやることもないんだろう?」
「おいコラやめろや」
事実だとしても、もう少し言い方というものがあるだろう。それにやることがないというわけでもないのだ。特に最近は。
「おぉ~いケンゴー!ねーねー!ねぇーったらー!!」
海座家へ向けて飛ばされる大声量が甲高く堅悟の鼓膜に響く。
「うるせぇな、今行くから待ってろ!」
幼く無邪気な毒気の無い声に覚えがあった弓彦が得心がいったように口元を緩めた。
「なるほど、お嬢の子守りか。あの執事が見たら怒り心頭で燃やしに来そうな組み合わせだな」
「仕方ねえだろ、野郎の遺言だったんだから……ああ、そうだ」
庭を出る直前にもう一つ用件を思い出して、視線を弓彦からリザへ移す。
「おいリザ。俺にも悪いと思ってんなら、その内にちょっと付き合えよ」
「内容次第だが、私に出来ることなら」
「簡単だ、『蝙蝠』の片翼をアンタに任せたいって話。もちろん弓彦さんのことを優先しながらでいいからよ、つまりは」
「ねぇーケンゴ~!?まだー?はーやーくぅー!!」
「数分くらい待てねえかなクソガキぃ!?ああもういいやまた今度話すからじゃあな!」
こめかみに血管を浮かばせながら半ギレの堅悟が片手を挙げて去っていく。その後ろ姿を見送りつつ、さらにカップから一口啜る弓彦はこの平和を完全に享受していた。
「悪魔と英雄を束ね仲介する半端者か。第二次大戦の恩恵は思ったより大きいようだ」
「あっちだよあっち!ねー早く行こうよケンゴ!!」
「走るなって言ってんだけど日本語理解できてるかクイン!?ストップ!フリーズ!あと触手も出すなやめろ粘液出すなお友達はマジで引っ込めろって!」
第二次神討大戦最大の功労者は、そうやってあえなく元四大幹部の少女に手を引かれて連れて行かれた。
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「あの子を頼みたい。善悪の観念が無いだけで、歪んでいるだけで、性根は悪くないはずさ。ルシアンとの約束を、僕は死んでも果たさねばならない。報酬は用意してある」
死に際のマーリンと交わした最後の会話。魔術師はあろうことか非正規英雄に純悪魔の身柄を託すという暴挙に出た。
…いや、石動堅悟を真っ当な英雄ではないと見込んだからこその英断、とも取れるが。
ともあれ亡き装甲魔鬼の遺志を引き受ける形で、堅悟はこうしてクインの面倒を見る羽目となったのだが、これが中々に骨の折れる仕事だった。何せ子供の世話なんてしたことがなかったし、その上この曲者は落ち着くことを知らない。
人工島を舞台にしての第二次神討大戦から二ヵ月。色々なことがあり、様々な変化があった。
石動堅悟のカイザー継承、海座弓彦の引退、リザの隠遁。これらはその一部でしかない。
「で」
そしてそれらの中心全てに置かれている男は今、街外れの旧洋館の庭園にて椅子に腰を下ろしていた。大きくため息を吐いて、
「まーた茶会かよ」
足を組み、椅子の肘掛けに頬杖をついて堅悟は唸る。
「文句を垂らすな若造。お嬢の要望に応じるのが貴様の仕事だろうに」
「面倒を見るとは言ったがあの執事みたくなんでもかんでも応じるイエスマンになった覚えはねえぞジジィ」
「……」
一定の感覚を置いて向かい合う二つの座席には歴戦の悪魔の姿。
一つは老齢、あの大戦からいくらか老いが加速したように思える蓮田。その少し離れた位置から野外机に乗せたパソコンをいじりながら人差し指で眼鏡の位置を直す内阿。
「あははっ、ほら行くよー!?」
「だー!ちょっと待って急すぎってか殺す気満々じゃないアンタ!?」
楽し気な声に切羽詰まった声、共に少女のそれは庭園の真ん中で『遊び』という名の激戦を繰り広げていた。踊るように無邪気に走り回りながら襲い来るクインを、鈴井鹿子は冷や汗を飛ばしながら迎撃している。
「馬場コーポレーションは持ち直したみてえだな、蓮田のジジィ」
そんな戦場を横目に眺め、足を組み替えて堅悟は早々に本題に入る。この場、英雄と悪魔の入り混じる此処は平和でこそありながらどこか不穏さが漂っていた。
「おかげさまでの。野良の英雄と悪魔を牽制し、時に撃退をしてきたお前の功績も評価しておいたほうが良いか?」
「いやいい、こっちが勝手にやったことだ。なあ?」
顔を仰け反らせて背後を扇いで問えば、そこには両腕を汲んで仁王立ちの間遠和宮が背中を向けてクインと鹿子のじゃれ合いを見物していた。
「…害さえなければ悪魔を無差別に殺すことはない。そう知っただけだ。そして害あらば、俺の看過せざる事態になれば、その時はお前らとて容赦はしないぞ幹部共」
「吠えるのう。若さの成せる無知と無謀か?」
「……」
じわりと蓮田から魔力が漏れ出る。キーボードを打つ音も止まり、眼鏡の奥から鋭い眼光を飛ばす内阿も座したまま臨戦態勢の様子を見せる。
「いやいや、待てやテメェら」
ドスと庭の地面に顕現させた聖剣を突き立てて、堅悟は薄く笑って気軽に両者を牽制する。
「話をおかしな方向に進めんな、殺すぞ?」
その声色に加減の意思は無い。現状、英雄悪魔どちらの勢力にも身を置かず、かつどちらの戦力をも上回る次代の『単体勢力』。確実にその名声はカイザーと共に引き継がれ、さらにそれは強固なものとなっている。
誰よりも強く、誰よりも無欲な男が、あらゆる全ての抑止力となる。
「絶対強者として均衡を保っていた三柱が崩れた今、新たに抑止を働かせないと準悪魔勢はもとより非正規英雄間にも混沌が渦巻きかねない。その為にお前らに手を貸した」
正直なところを言えば堅悟には興味の無い話だ。英雄と悪魔がどれだけ大きな騒動を巻き起こそうと知ったことじゃない。そのスタンスは今も変わらない。
ただ受け継いだ装甲悪鬼の意志を。
ただ引き受けた装甲魔鬼の遺志を。
完遂するまでのこと。
そして自らが手に欠けた装甲竜鬼の死が人界にもたらした影響についても、一切責任を感じないというわけでもない。その意思は蓮田が果たしてくれるだろう。
その上で、現存する勢力を束ね掌握下に置く。『過激派』と呼ばれていた馬場コーポレーション一派との会合も、それを本題としたものだ。
「今んとこ、お前らの勢力が一番保有戦力も権限も強い。他の木っ端悪魔共もお前らが幅利かせてる間は大きく動くこともできねぇだろ。それを維持してくれりゃあいい」
「だが英雄共はそうもいかんだろう?我らがおとなしくしていようがいまいが、連中は悪魔を狩り続ける、国外から来た聖職者達のようにな。それはどうするつもりだ」
「そっちは俺ら『蝙蝠』で押さえる。大英雄様の助力も得られそうだしな。あとは……ん、そういえば」
リザに『蝙蝠』の片翼を任せるつもりではあったが、もう片翼は今どこに行っているのやら。そんなことを考えていたら、轟音と共にクインの絶叫が堅悟を呼ぶ。
「ねぇーケンゴぉー!!リンは!リンは来ないのお!?」
「おう、それなんだけどよ。…お、噂をすれば」
ポケットの内で震えるスマホを取り出して見れば、件の人物からの着信。通話ボタンを押して耳元に当てると、そこからは荒い息と共に少女のやや憤慨した声が伝わって来た。
『…け、堅悟っ!』
「どうした、非正規英雄にでも追われてんのか」
『もっとタチが悪い…っ』
また厄介事か、と腰を浮かし掛けた堅悟の耳に、此原燐とは違う声が遠方から届く。
『ちょっとせっかく遊びに来たのにどうして逃げるのよ!ねえ聞いてるスクブス!?スークーブースー!!』
『…まずい、追い着かれそう。堅悟、堅悟助けて……!』
どすんと再び腰を深く椅子に落とす。何を切羽詰まった声を出しているのやら。
燐をスクブスと呼ぶのはただ一人しかいない。数少ない友人なのだから仲良くしてやればよかろうに、彼女の孤独好きはそれを頑として許さないようだ。
「仲がよろしいこって」
『堅悟、同盟組む時に…言った!私の孤独を死ぬまで守ってくれるって!…言ってたでしょ!』
「はぁて?どうだったかなぁ~」
『こ…このゴミクズ…!』
底意地の悪い笑い声を上げて、今度こそ堅悟は椅子から立ち上がる。
「クインの住んでる旧洋館、分かるだろ。街外れの。そこまで逃げられれば助けてやらんでもない。せいぜい運動不足を解消してくることだな」
言うだけ言って通話を切る。もちろんここまで逃げおおせたところでしてやれることは何も無いが、別に堅悟には関係ない。そのまま鹿子と一緒にクインの遊び相手になってもらうつもりで呼んだだけだ。
「じゃ、俺は行くわ。和宮、もし燐が来ても俺はここに来てないって言っとけよ。莉愛も来るっぽいからお嬢の世話頼む」
「…いつから俺は、お前の配下に成り下がったんだ?」
仏頂面で応じる和宮に、堅悟は笑って片手を振る。
「上も下もねぇよ、半端者のこの組織にはな。気に入らないなら掛かって来いよ、俺らはそうして繋がって来たんだから」
あっさりと背中を向けた堅悟へと、長剣を向けることもなく和宮はただ大きな嘆息を聞こえるように溢すだけだった。
石動堅悟との一騎打ちで負けたことは無い。だがこれ以降は勝てる気もしない。最終決戦を経て奴はあまりにも大きくなりすぎた。
リーダーぶることもなく、また周りを部下だ配下だと見下すわけでもなく。しかしそれでも自然と人が寄って来る。英雄も、悪魔も、ただの人間までも。
まったく不思議な男だと思う。
黙って見送ろうと思っていた男が、不意に振り返って言う。
「そういえば和宮。あの二人はどうした。街を出て行ったって聞いたが」
あの二人。そう聞かれて思い浮かぶのはそれこそあの二人しかいない。
「キョータなら、お前に負けてからすぐに天音を連れて去ったぞ。ベレヌスが無ければ非正規英雄でも全治二ヵ月は固かった大怪我だったがな。…全国を回って強さを見つけるそうだ」
決戦時にも和宮はその話を聞いていた。彼女を連れてどこか遠くへ行くと。立ち去る最後に堅悟という最大級の壁を目の当たりにした今鐘キョータの心中は如何なものか。それは和宮だけが知っている。
『必ず勝ちますよ、今度こそ。オレもオレなりの「正義の味方」やりながら、いつかあの人に届くように。オレなりの強さで天音を守れるようになります』
それは伝えなくてもいいだろう。いつか、本当に、第二次大戦を終わらせた聖剣使いの大英雄を打ち倒すだけの強さを手に入れた時に、それは本人同士で語り合えばいい。
「そうか」
短く淡白に頷いて、堅悟はそれっきり正面に向き直ったまま歩き始めた。自分の足元にも及ばない弱者のことはさして気にもならないのか。
違う。
堅悟は知っている。信念、覚悟、想いの強い者ほどがより高みに登り詰められることを知っている。
いつか超える時が来るはずだ。誰かが、自分を超えた先の強さに至る時が来る。
だがそれはまだまだ当分は先の話。
だから今は仕方ない。最強の名は自分が背負うとしよう。
牽制だの抑止だのと、七面倒臭いことを責務にされる忌名をいつか誰かが奪い取ってくれるまでは。
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マーリンという男は様々な方面に幅を利かせていた。元天使という性質上、その長命を利用して興味のあることを片っ端から当たって楽しんでいたのだろう。故にヤツは研究者であり開発者であり、時には発案者であったり創始者でもあったりした。
長年溜め込んできた知識と研究の成果。それをマーリンは全国各地に秘匿していた。山奥に偽装して、街中に隠蔽して。その集大成は散りばめられている。
それが分かったのは大戦終結直後、俺があの人工島の処理に従事している最中のことだった。
地下深くから偶然見つけた魔術師の工房、研究室と呼んでもいい。そこにあったのはとある研究結果と、俺個人に対する遺言とも挑戦状とも取れる内容の文面。
曰く、長らく続けてきた純正悪魔・クトゥルフの症状を完全に抑える方法を確保したこと。
曰く、それに不随して悪魔と英雄の複合技術〝聖邪同体兵装〟の開発に成功したこと。
曰く、天使という自らの素体無くしても兵装の維持・展開を可能とする研究にもある程度の見込みが生まれたこと。
曰く、これら全てを石動堅悟に譲渡することで今生最期の願いを聞き届けて欲しいという旨。
決戦前から既にマーリンは俺との敗北を想定し、その上で死に際に俺へとクインの保護を託すことを見通して地下の工房をあえて残していたと考えられる。
まったくどこまでもイカれた野郎だ。俺の寿命と身体を蝕む装甲悪鬼の抑制方法を遺しておいたのも、ヤツが最期に語っていた報酬とやらのつもりなのだろう。そう考えると、それを用いて今を生きている俺はまんまとあの魔術師の思惑にハメられたことになる。忌々しいことだ。
さらに問題なのが、たった一つの工房でこれだけの技術が開発され放置されていたことだ。この規模が他に何十と各地にある。
誰が言ったかそれは魔術師が遺した『負の遺産』。全てを潰さない限りあの男の影響は完全に人世から消し去ることは叶わない。
もう野良悪魔共の何体かはその情報を握り遺産の捜索と奪取を目論んでいる。立場上、俺はそれを看過することは出来ない。連中より先に見つけ、破壊し、群がるゴミ共の悉くを滅ぼす。
死後になっても未だ俺を嘲笑うかの如く問題事を置いていきやがったあの魔術師は絶対に許さん。
故に立ち上げた新生リリアック。…いや違うか。
俺という存在はいつの間にやら複数の渾名や二つ名で呼ばれることが多くなっていた。リザに次ぐ『大英雄』、英雄にして悪魔の力を振るう『融合者』、両勢力に身を置くことなく独自の判断で動き回る様を揶揄してか正義の味方ではなく『悪の敵』。
そして、『蝙蝠』。組織として立ち上げたはずが、何故か俺自身がそう呼称されていることも少なくない。
今の所は二ヵ月前の大戦からさほど荒れることなく街は安寧に包まれている。これに馬場コーポレーションの裏の顔が暗躍していることは言うまでもない。その為に助力してやったのだから働いてもらわねば困る。
鹿子も和宮も、デビルバスターズではなくなった今もなんだかんだでこの街に居残り再建した事務所で細々と仕事をこなしているらしい。俺の活動に文句を垂らすことはあれど阻害してくることはないし、必要とあらば要請して加勢してもらう旨も承知を貰っている。一応、戦力としては数に入れても問題ない程度の実力はあると認識してもいるのだ。
クインの面倒を見る手前か、蓮田のジジイからあてがわれた新居の洋館にて俺はクソやかましい小娘と一緒に暮らす羽目になったが、衣食住に困ることがなくなったのは大きい。だが当たり前のようにジジイやら内阿のメガネやら仕事関連の連中が入り浸るのでプライベートも何もあったもんじゃない。
「やることは多い。過労で死にそうだぜ、なんだって大戦で一番働いたはずの俺がこんな目に遭わなきゃならねんだ。お前もそう思うだろ?」
語りかける墓石はもちろん言葉を返さない。この下には何一つ埋葬されていない。刻まれた死者の名前すら、俺には本当の名であるのか確かめる術が無い。
四谷真琴。
マーリンの保険として用意された人形。俺がこの手で殺した裏切者。
だが思えば違和感はあった。
やけに四谷は、俺と共に死線を潜り過ぎていた。本当にマーリンが保険として生み出した傀儡なのだとしたら途中段階で死んでいてもおかしくなかった場面に四谷を置くだろうか。ある程度は自ら考え動けるよう人格がセットされていたにしてもあのマーリンらしからぬ采配だ。
四谷真琴は創造主であるマーリンの思惑から外れた行動をしていたことになる。致命的なのは、俺を裏切り俺と対峙したこと。
アイツは俺に殺されてはいけなかったんだ。そうでなく、たとえ偽りでも俺と共に大戦に挑んでいれば、最終的に俺は満身創痍で勝利したマーリンの戦闘後に意識を移り替えられた四谷真琴という肉体の新マーリンと再度戦わねばならなかった。そうなれば負けていたのは確実に俺。
マーリンが移るべき肉体の予備が無かったからこそ勝てた戦。であるならば、やはり四谷の行動は致命的なミスに他ならない。
だから、きっと、アイツは。
「……なんてのは考え過ぎか。単純に俺が気に喰わなかったんだろ、お前は」
そのミスが誘発されたものではなく四谷自身が選んだものだと判断するのは俺の自己満足だ。あれだけ周到な男(女?)が易々と俺に幻覚を突破されたのも不自然といえば不自然なのだが、どれもこれも仮定の域を出ない妄言妄想の類だ。
「まあ、なんだ。お前にも色々と世話になったよ。だからこうして報告に来てやってんだ。…ともかく街は平穏無事、俺は蝙蝠として東奔西走大忙し。そんくらいだ」
じゃあまたな、と。踵を返して墓所を出て行く俺へと。
―――要領が悪いからですよ。やっぱり僕の冴えた知能が必要ですか、石動先輩?
「……。ハッ…いるかよ、ボケ」
嘲るようにおどけるように、聞き覚えのある苛立たしい魔術師に似た口調で聞こえた幻聴に笑い、振り返らず歩き続ける。
そういえば、ああそうだった。
大戦が終わってからいくら人工島を探し回っても、斬り殺したはずのヤツの死体は見つからなかったんだったか。
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さて。
全国各地に散らばった『遺産』を捜索し抹消する作業は果てが見えない。何せ正確な数も位置もわからん手探り状態だ。そして見つけ次第、大体そこでは他の野良悪魔(時として同業者の非正規英雄)とかち合い衝突のが常となっている。どいつもこいつもが魔術師の叡智と力の残滓を求めているらしい。
そうなると当然、俺一人では手が足りない。これまでのツテで和宮達を向かわせることもあれば、馬場コーポレーションに人材を派遣してもらうこともある。
その中で、非常に厄介ながらも最速最短で事を終わらせて来る二人がいた。
『見つけたぜ石動ィ。マーリン一派の残党共が廃工場の隠し部屋を見つけて陣取ってやがる。おそらく「遺産」だろうな』
「そうか。いつも通り皆殺しにして野郎に関わる情報は全部焼き払え」
電話口で愉し気に報告するヴァイオレットに、俺も淡々と仕事を与える。当然、その近くにはカーサスもいるはずだ。
大戦以降、俺はあの二人にやたら気に入られたらしい。国を転々と移動しながら稼業を続けていたイカレ聖職者コンビはしばらく日本に居座る魂胆で、俺という依頼主からたんまり報酬を搾取しようという腹積もりなようだ。
実際のところ、やはり仕事は速い。実力そのものは共にリザに劣らない程だし、なにより手段を選ばず悪魔共を殺し尽くすその手腕には俺も舌を巻いていた。
仕事に見合うだけの報酬も用意できている。リザからは散々迷惑を掛けられた慰謝料として、また馬場コーポレーションからも多額の援助を約束させた。その為の復興支援でもあったのだから借りはきっちり返してもらう。
驚くべきは、企業一つ分と並び立てるほどの額をぽんと出して来たリザの方かもしれない。誰よりも多くの悪魔を殺して来たリザが溜め込んできた総額は計り知れない。ずっとカイザーの影を追って、ろくすっぽ自らの趣味や娯楽に金を使ってこなかったせいもあるのだろうが。
『だいぶ数が多くてな、おい石動!ちょっとこっち来いよ』
「忙しいからお前ら雇ってんのに何言ってんだ残虐シスター」
『せっかくだから競争しようぜ。あたしとカーサスとアンタ、誰が一番悪魔を殺せるかだ。アンタが勝ったら報酬は無しでいい』
仮にも聖職者を名乗っておきながらこの発言。連中にとって悪魔とは崇拝する真なる神に反する存在であって尊ぶべき生命には含まれていないらしい。カーサスも同様、見定めた敵に対する容赦の無さはブレを見せない。
だがまぁ提案自体は悪くない。勝てば二人に払う報酬はゼロとなり、それはすなわち俺のポケットマネーと化す。
「後悔すんなよ、あとで撤回しようったってそうはいかねえからな」
『へ、そうこなくっちゃなぁ』
手短に場所を教えられ、通話を切って向かう。思ったより近場だった。これなら今日中には片を付けられる。
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「くっそ……」
マーリン一派を無事殲滅し、帰りの道中。悪態を吐きながら俺はふらふらと夜道を歩いていた。
結果として勝負には負けた。武力実力云々の話ではない。あの神父、純粋に殺しの要領が良過ぎる。一番殺害数の少なかった俺は何故かそのあと居酒屋で全員分を奢らされる羽目になり、素寒貧となった空っぽの財布をポケットの奥に押し込め深い溜息を漏らす。
「あの野郎共、初めっからこれが狙いだったな…」
他人にたからずとも充分蓄えはあるくせに、どこまでも浅ましくがめついヤツらだ。次はもっと効率的に悪魔を滅ぼす手段を考えておかねばなるまいて。
二人に合わせていたら少し飲み過ぎてしまったようだ。ふらつく頭を片手で押さえ人通りの皆無となった深夜の大通り。
「お前が石動堅悟だな?」
その先に何かが見えた。友好的な雰囲気にはとても見えず、その全身は人の姿から徐々に異形と化していく。
準悪魔だ。
「悪く思うなよ、受けた仕事は絶対だ。お前は俺がころ」
「邪魔だよ雑魚」
一歩で足りる活歩、豪腕を片手で弾き上げ、空いた胴体に澄ます六大開・頂肘。一呼吸の間に絶命を終え、威力を受け切れず千切れ掛けた胴ごと悪魔の死体は建築途中の工事現場へと突っ込んでいった。
「…だから。俺を仕留めたいんなら前の装甲三柱クラスを揃えて来いっての…」
相変わらずこの身はあちらこちらで戦後に生み出された組織によって狙われ続けている。一体どこが出したのか不明だが懸賞金まで掛けられている始末だし、『最強』の称号を欲しいままに挑んでくる馬鹿もわりと後を絶たない。
酔っぱらった俺に掠り傷すら与えられないようでは不足もいいところだ。アレを雇った組織はよほど頭が緩いと見える。近い内に探り出して人員ごと粉微塵に打ち砕く必要があるな。
せっかくの酔いも仕事のことを考え始める内に醒めてきて、俺は軽く顔を上げる。
するとそこには夜空は無く、視界いっぱいに広がる鉄骨の束。どうやら先の一撃で建築現場の資材が揺れ落ちてきたらしい。
「あーあー…」
再度の溜息、右手に意識を集中させ聖剣の顕現を実行する間際に感じた背後からの気配が放った一撃が、鎌鼬の如く鉄骨を何分割にも斬り裂いて吹き飛ばした。
新手…ではない。俺は今の攻撃を知っている。というか知っているどころの話ではない、俺自身の扱う能力なのだから見間違えるわけもなく。
「ふふん、危なかったね堅悟くん!そしてナイスファインプレー私!」
「考えなしに振るうなっつってんだろ、なんでこんな時間にうろついてんだ佐奈」
これぞ魔術師が遺して行った悩みの種、その(俺的に)最大の存在。
つかつかと早足で歩み寄り、小柄な女の眼前に立つ。俺の威圧的な威勢にも動じることなく、むしろ張り合うように無駄にでかい胸を反らせて御守佐奈がどや顔で見上げてきやがった。
「堅悟くんを探しに!あとより面白い記事を求めて夜道を散策中でしたっ」
「この街の裏側をよぉく知っていながらのその行動は自殺志願と受け取ってもいいのかオイこらオイ」
「痛い痛いやめて痛い!」
童顔の額に怒濤のデコピン連打を食らわせながら、涙目で頭を両腕でガードする佐奈はそれでも反抗意思を失わない潤んだ瞳を向けて、
「でも大丈夫だって!今は私だって自分の身くらいは自分で守れるんだからー!」
むくれた表情で言う佐奈の言い分はあながち間違ってもいない。だからこそタチが悪いのだが。
強引な契約によって佐奈から引き出した、俺と同質の能力『絶対切断』。自身の魔術を兼ね合わせて操っていたマーリンの力は、ヤツが死んだ今となってどういうわけか佐奈へと継承されていた。
すなわちはあらゆる全てを切断する飛ぶ斬撃。契約関係を結ばされていたパスを通って死後に佐奈の側へ流れて行ったというのが有力な説らしいがそれも確証のある話ではなく、だが確実に佐奈は非正規英雄としての確立を成していた。
ここまでがマーリンの思惑だったのだとしたら、まったく完敗である。両手を上げて降参して土下座でもなんでもするからこの小娘に与えた力を即刻剥ぎ取ってほしい。
おかげで馬鹿と無鉄砲さに磨きが掛かってしまったではないか。
「わざわざ危険な状況に飛び込むような真似をするなってことだ。また俺が助けに行かにゃならなくなるだろ」
「ちゃんと助けてくれるって断言してくれるあたり、ほんと堅悟くんってば好きだなぁー」
しまった。失言だったか。
にへらと笑う気持ち悪い顔から目を逸らし、さっさと帰路を行く。
「あー待ってよー。今日は翼さんがすき焼き作ってくれてるんだよ、温め直して一緒に食べよ?」
「お前も当たり前のツラで館に居座るのやめてくれねぇかなあ…」
俺の現自宅であるクイン嬢の洋館の一室を勝手に乗っ取って同居しているこの身勝手女、飯の用意と掃除を自発的にやってなかったらとっとと追い出していたものを、翼ちゃん共々助かっている面もある為中々強く言えないのがもどかしい。
「まあまあ。飲み直してさ、楽しく語らうとしようよ堅悟くんさん。なんなら愚痴にだっていくらでも付き合っちゃうよ?最近ずぅっと大変だもんね」
「愚痴聞いてたら楽しくねえだろ」
どうせ酒なんか飲んだらすぐ寝る癖に。そう続けようとして横に並んだ佐奈を見やれば、そこには妙にうきうきとした様子でこちらを見て来る瞳とかち合った。
「えー楽しいよ」
小首を傾げて佐奈が言う。
「ずっと傍にいて、ずっと君のやってることを見て、これからもずっとそうしたい。愚痴だって聞いてあげたいし弱音も受け止めたい。そうやって、堅悟くんが少しでも気が軽くなるんなら、それは私にとってすごく有意義なことだし、楽しいことだよ」
打算的な思考が僅かにも含まれていない純粋な言葉だと、それがどうしてか俺には分かってしまう。この女はそういうヤツなんだと、疑いなくそう感じられてしまう。
まったく俺とは相反する女だ。だからこそ惹かれてしまうのか。思えばここまでこの女に振り回されっぱなしなのも、惚れた弱みというやつなのかもしれない。
だけどそういうのは表には出さない、絶対に。こいつが調子に乗るから。
「ふざけたこと言ってないでさっさと帰るぞ。こっちは今日も疲れてるんだ」
「へいよ旦那!帰ったら肩もみして進ぜよう!」
こんな軽口を交わし合いながら隣り合う関係の方が、今はまだ良い。佐奈との関係に進展を求めるのはまだまだ先でいいんだ。少なくとも、魔術師案件が一段落つくまでは。
一時平和を取り戻したこの時間を、俺はそうして生きて行く。またいつか荒れ狂う時が来るとしても、『第三次』が起きることがあったとしても。
俺が万全でいる内は全てを止めて見せる。英雄と悪魔の力を使って、英雄と悪魔の手を借りて。
朝と夜の境目を飛んで、藍色の空を支配する蝙蝠の抑止はまだ、しばらく続く。
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