Neetel Inside ニートノベル
表紙

かわりもの
寂しい人と変わり者

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 錆びついた窓が軋み音を立てて、小刻みに揺れる。その度に入る隙間風が身に染みていく。
 当直室の暖房は故障していて、炬燵もない。頼れるのはカビ臭い布団だけだ。
 テレビだけは一丁前に用意されているが、どの放送局も残り数時間になった本年を振り返りつつ、新年に期待を込めるような煌びやかな番組ばかりで、見るに堪えず電源を落としてある。
 なんで大晦日のこんな時間に、まるで独房の様な寂れた部屋で働かなければならないのか。当直室の畳の上で膝を組み、そんな事を考えた。
 暗い事ばかり考えていてはいけないと、窓の外へ視線を移して華やかな街の遠景を眺める。しかし、疲れで醜くく変わった自分の顔が窓に映り、どうしてもそちらに目がいって再び嫌な気分になる。
 窓の外を眺めるのも駄目だと思い、ゆっくりと出入り口の方へ目を向けると、また、俺の顔があった。
 ああ、やはり疲れている。当直室の中にもう一人の俺が居る。様に見える。
 それにしても、もう一人の俺はそこまで疲れていない様だ。窓に映る俺の顔と比べて、目は見開き、肌艶も良く、何となく引き締まっている顔貌だった。

 いや待て、待て。疲れているとか、いないとかそんな話ではない。
 間違いじゃない。
 夢や幻ではなく。もう一人の俺は、いま確実に目の前に立っているのだ。

 ここで初めて「うわあ」と情けない声が漏れる。
 どうなっているのだ?
 何か状況に変化が生まれるのではないかと、とりあえず立ち上がってみるが、相手に何の動きもなく、ただ立ち尽くしているだけだった。
 なんだ。これは。親が隠していた、双子とか何かだろうか。
 混乱して、そんないい加減な事しか思い浮かばない。
「上着」ふいに言葉が出た。そう、俺が羽織っていた古惚けたコートを、もう一人の俺が羽織っているのだ。
「ああ、これ」
 もう一人の俺は襟を摘んでいった。はじめて声を出したそいつは、声色まで俺と同じだった。
「返すね」続けてそう言うと彼は上着を脱いだ。
 その瞬間、もう一人の俺は制服に身を包んだ女子高生に変わっていた。
 当の俺は、目の前が真っ暗になった。

     


 身体が揺れている。外力によって揺らされているのだ。目を開けると、「起きて」と声がして、その言葉に従って大人しく上体を起こす。
 俺の横には先程の女子高生が居て、また俺のコートを羽織っている。
 どうやら卒倒したらしい。時計を確認すると、ほんの数分しか時間は経っていないようだ。
女子高生は特徴と言えるほどではない、よくあるセミロングの髪をいじっている。先程の出来事は何だったのか、どう訊ねるべきだろうか。
 そうだ。まずは用件から尋ねるのが良い。そもそもここは、複合商業施設の片隅にある当直室。いわば施設の利用者にとっては案内所みたいなものだ。参拝の為にこの付近を訪れたが、迷子になり偶然ここを訪れ、道を尋ねてきたという事ではないだろうか。細かい違いはあれ、大体、そんな所だろう。
「お嬢さん、道に迷ったの?」
「うん」
 やはりそうか。ここにいるのは、ごく普通の女子高生だけだ。先程の現象は、俺の蓄積された疲労とストレスによって生み出された、幻覚だったのだ。
 それが分かると薄幸そうな顔をして、俺の丈の合わないコートを着込んだ女子高生の姿が可愛らしく思えてきて、不思議と心も柔らかくなってくる。
「人生に迷ったの」
 俺は項垂れる。彼女の一言で、すぐに心は固まってしまった。
 勘弁してくれ、危うくそんな言葉が零れそうになる。だが、彼女の倍近く生きている俺が、どうしてそんな言葉を掛けられようか。
 いや、年の暮れに寂しく当直業務に励む、慎ましい中年男性にはそれ位の所業、許されるかもしれない。
「どういうことだい?」
「私はどこからきたのかな」
「俺が聞きたいよ」
 俺をからかっているのか?
 だが彼女の真剣な眼差しから、そんな様子を窺うことは一切できない。それに、女子高生が一人、単なる悪戯心を持って、正体の分からない中年男性の元を訪れるようなリスクを冒すこともないだろう。
「何も分からない。分かることは一つだけ」
「それは?」とにかく、彼女の言葉に耳を傾けることにした。
「私が他人の服を着ると、その服を着用した事のある人物に変身する事ができる。そんな能力を私は持っている。それだけは分かる」
 駄目だ。
「分からん」
「そうだよね。その能力の細かい説明もしないとね」
「違う。細かい説明とか以前の問題だ。そんな話を信じられる訳ないだろう」
 何が変身だ。能力だ。三十路を過ぎ、常識で凝り固まった頭がそんな言葉を軽く受け入れる事が出来る訳がない。
「じゃあ、見れば分かる」
 そう言った途端、特別な挙動を見せることなく、彼女の身体はミシミシと音を立て、少しずつ膨張し、いつしか俺の姿に変わっていった。
 激しい眩暈に襲われる。
 俺がおかしいのか、彼女がおかしいのか。何が正しいのか分からない。
「わかった?」
 目の前のそいつは、再び女子高生の姿に戻っていた。
「貴方が着ていた服を着ているから、貴方の姿に変身することが出来る。顔だけじゃなく、肉体、骨格まで」
「うわあ」またしても情けない声が漏れた。
 得体の知れない何かを目の当たりにしている時、人間は恐怖してしまうのだ。

 疑問は尽きないが、一先ずは今の状況を、彼女の話を認めるしかない様だ。
「何で俺のコートを着てるんだ?」
「寒いから」
「そうか」
 これから、どうしたものか。
 自分の能力以外、何も知らないという少女を、どうすればいいのか。まだ、当直明けまで長い。とにかく無難にやり過ごして、引継ぎを待つべきなのか。いや、普通に警察の元へ届けるべきか。
 その時。
 大きな音を立て、勢いよく出入り口の引き戸が開いた。
 今度は何だ。
 突然の出来事だったが、耐性が出来たのか、取り乱すことはなかった。
 出入り口に立っていたのは、二十歳前後の男二人と女の三人組だ。
「おいおい何だよ、先客がいるじゃねえかよ」背の高い方の男が言った。
「あ、かわいい。女子高生じゃないの?」アウトドア系の服装をした女が続けて言う。
 もう一人の太った男はじっとこちらを睨んでいる。
「お前たち、何の用だ。ここは案内所だ。用があるなら、まず名前を名乗れ」
 軽い調子で話す若者たちに対し、ここで下手に出るのはいけないと思い、強めの口調で食らいつく。
「何だよおじさん。感じ悪いじゃん。まあいいわ。名前ぐらい教えてやるよ。俺はケンイチ。趣味はDJ」
 趣味は聞いてないんだが。
「私は、アキコ。基本的には山ガールだよね。ほら、このパタゴニアのフリース。雪なしタグだよ、レアでしょ!」
 パタゴニアの雪なしタグは古着屋に行けば大概置いてあるから、特別レアモノでは無い。
「俺はユウスケ。夏はBBQ。冬は鍋パだ」
 ああ、そう。
 しかし、何というか。手あたり次第って感じである。
「それで、何の用だ」
「明日は新年だろ。俺達、福袋を買うどころか初詣に必要なお賽銭すら持ってない、一文無しなのよ。だから、お金を貰えないかなあって思ってさ。ここなら沢山あるだろ」
「いくら欲しいんだ?」
 そう尋ねると、ユウスケと名乗った男が掌を開き5の数字を示した。
「5円?」
 賽銭箱に入れるのか?そんな訳はないだろう。
「おっさん、冗談言うなよな。50万だよ、50万」
「冗談にしとくべきなのはそっちの方だぞ。若いからってやんちゃばかりするもんじゃない。さもないと、俺みたいに、大晦日に寂しく当直をする羽目になる」
「おじさん。自分で言って悲しくならないの?」山ガールが気遣うように言った。
 正直悲しい。
「つまり。おっさんも俺達みたいなはみ出し者かよ」
「別に俺は、はみ出し者じゃない。そこそこの大学も出てるし」
「なんだよそれ、馬鹿にしてるのかよ」
 些細な言葉が逆鱗に触れたのか、ケンイチと名乗る男は声を荒げる。
 それにつられるように、ユウスケの方は「なめるなよ」と言い、壁を思い切り殴った。
 険悪な雰囲気、一触即発である。これは、少しまずいかもしれない。
「さっさと金なり、物なり用意しろよ」
 話し合いで解決しそうにも思えないし、情けない話だが暴力では勝ち目もなさそうだ。とりあえず、ズボンのポケットを手でさぐり全館共通のマスターキーの所在を確認する。
「鍵だ」
「いいぜ、じゃあ。早く案内しなよ。余計な事はするな。緊急連絡のボタンとか、あるんだろ」
 軽口を叩いている割には抜け目のない奴だ。
「その女子高生もつれていくからな」
 それは、好都合だった。

     


 テナントが並ぶ屋外の廊下を進んでいく。
「おい、確認していいか」
 後ろの三人の気に触れない様、小さな声で話す。
「なに」
「服を着用した事がある人に変身することが出来るって言ったよな」
「うん」
「もし、一度でも服を着ていれば、誰にでも変身できるのか?」
「少し違う。その服を着て、服に対して何らかの想いがある人にしか変身できない。例えば、店に並んでいる服で、試着程度しかされていない服ならば、私が着ても、誰かに変身することは出来ない」
「そうか」
 頓狂な話だが、少しずつ順応している自分がいた。
「ちなみに、貴方が貸してくれているこのコート。貴方以外に、もう一人、別の女性に変身できるみたい」
 女性、あいつの顔が浮かぶ。だが今は考えている場合じゃない。
「他に、変身できない場合とかは無いのか?」
「基本的には、対象の現在の姿に変身するから。生きている人にしか変身することは出来ない」
「そうか」
 ならば、問題ない。
「おいおい。さっきから、何こそこそ話してるんだよ」
「いいだろ、おしゃべりくらい。それよりほら、着いたぞ」
 俺は目標の店舗の前で言った。
「なんだよここ、中古屋じゃないかよ」
「この店は古今東西あらゆる物が揃っている。高価な物だって多い。とにかく、この複合施設では一番儲けになるぞ。もしかして、金庫とか、ATMの鍵を当直の俺が持ってると思ったのか」
「それもそうか」
 マスターキーで施錠を解き、店舗正面の自動ドアを開ける。
「ねえねえ、古着あるかな。ノースフェイスのマウンテンパーカー」
 はしゃぐ山ガールを無視して、ケンイチとユウスケは店内へ踏み込む。
 二人は薄暗い店内をスマホのライトで照らし、商品を物色している。
「おー、ホントに良い値がついてる物あるじゃん」
「来てみるもんだな」
「おいおい、あんまり不用意に触るなよ」
「あ?なんだよ今更」
「いいものがあるからついてこい」
 物が敷き詰められ狭い店内を懐中電灯で照らし店内を進む。
「そういえば、名前を聞いてなかったな」女子高生に尋ねる。
「分からないの」
「そうか」
 そして目的のショーケースに辿り着き、鍵を開け商品を取り出す。
「すげえ、このボロいジャケットが何でこんなに高いんだよ」
 ケンイチが興奮し声を上げる。
 彼を無視して名前も知らない女子高生にジャケットを渡す。
 彼女は頷き、それを羽織った。
「あ?何やってんだよ」
「この人だね」
 彼女の脳内にどのようなビジョンが浮かび、思考を巡らせどのようにして判断に至ったのか知る由もないが、すぐに理解したようだ。
 ミシミシと音を立て、膨張する肉体。よく見ると、服装もゆっくりと変化していく。
 あっという間に、変身を終え、現した姿は190㎝に迫る体躯。最強の愛国戦士、ミルコクロコップだった。
 以前、K1の試合へ出場する為、来日した時に置いて行った本人愛用のジャケットが回り回って、この店へ置いてあるらしい。
 そして、事態は一気に激変する。
「な、な」と声にならぬ声を漏らし、一目散に走って逃げるケンイチ。
一方、膝から崩れ落ち、呆然とするアキコ。
 ただ立ち尽くしているユウスケは少しずつ後ずさりを始める。
 酷い有様だが、無理もない。
「言い忘れてたけど、変身するだけで、記憶とか経験とかは全く得られないの」
「大丈夫だ。ただ、拳を振るうだけ、当てる必要はない。勿論、男の方にな」
「うん」
 最早、勝負はあった。だが、もう少し、痛い目に遭わせたやるべきだと思う。
 ミルコクロコップの姿をした女子高生は「おらあ」と気合を入れて、拳を振るった、まっすぐ伸びていく拳は、ユウスケの丸い顔の直前で止まった。
 するとユウスケは「あ、あ」と呻き声をあげた後、「札幌、仙台、新潟、さいたま、千葉、川崎、横浜」と政令指定都市の名前を列挙し始めた。
 ごく普通の女子高生が突如ミルコクロコップに変化し、更に殴りかかってくるという恐怖と混乱が彼を変えたのだろう。
 そして彼は政令指定都市を唱えたままゆっくりと去っていった。

     


 山ガールと女子高生を連れて、店内奥の休憩室へ入ると、三人ともパイプ椅子に腰掛ける。
「残るは山ガール。お前だけだが、俺達は女に手を挙げたりしない。これに懲りたらあいつ等と絡むのは辞めるんだな」
「勝手な事言わないでよ。あいつ等は確かに碌でもないけど。私にとっては家族みたいなものなの」
「どういうことだ」
「あんたに話しても仕方ないんだけどね、私は昔から両親が居なくて、家族と言えるのは唯一の兄だけだった。お兄ちゃんは登山が大好きで、そこに山があれば登る、格言みたいな人でさ。登山欲がエスカレートした結果、海外の山にまで挑戦するようになって。そして去年、マッターホルンへ挑んでいる最中、行方不明になった」
 突然の重苦しい話に、虚を突かれた気持ちになる。少しは段取りを考えてほしい。
「あいつ等、ああ見えても優しい奴らでさ。今は家族みたいなものなんだよ」
「そうだったのか」
「なんでこんな話してるんだろうね。あんたが私のお兄ちゃんに似てるからかな」
「はあ?」
 再び虚を突かれる。後々、面倒くさくなってきそうな言葉を聞いてしまった。
「そういえばさ。さっきのあれ、何だったの?女子高生の姿が大きい外国人に変わった奴」
「ああ、あれか」
 誤魔化すのは難しいと思うし、誤魔化す必要があるのかも分からない。話をしてもいいのか、一応本人に確認すると、話しても構わないという反応を示した為、女子高生の変身能力について俺が知っている情報を山ガールに伝えた。
「ええ、すごいじゃん」
 馬鹿にされることも覚悟していたが、あっさり受け入れられた。若者は吸収が良くて羨ましい。
「じゃあさ。私のパタゴニアのフリース着てみてよ。これ、お兄ちゃんのお下がりなんだよ」山ガールは、そう言ってフリースを脱ぎ、女子高生に渡した。
「おい、いいのか」
 行方不明の兄が着ていた服を、女子高生に着てもらう。それは、兄の安否を確認するための手段だと思い至ったのだろう。
 だがそれには、相当な覚悟がいるんじゃないだろうか。
 女子高生は黙ってフリースを受け取り、すぐに着込んだ。
「どんな事でも、予想つくぐらい考えてきたからさ。遠慮しないでよ」
 そう言いながらも、山ガールの表情が強張っていく事に気づいてしまった。
 女の強がりというのは、やはり悲しいものだ。
 間もなくして女子高生は表情を変えることなく、首を横に振った。残酷な報せである。
 山ガールはフリースを受け取ると、それを抱きしめて座り込んだ。
「お兄ちゃん」
 彼女は最後にそう言って、肩を震わせながら子供みたいに泣き叫んだ。

       

表紙

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Neetsha