一枚絵文章化企画2017
「サバンナシティ・ブルース」作:うんこ 0322 10:22
ホシはカモシカ区に逃走中。
ARF《エア・レイ・フェース》を通して宙に映し出されたその指示に、真っ先に反応したのはディーノだった。ディーノがシャチ型のジョック――奴はアンジェラと呼んでいる――を引っ提げて急降下していくのを見て、おれもすぐさまエコノミカ――周りは白海豚(しろぶた)と呼んでいる――を屋上間近で急停止、そして熱暴走しかけていたエンジンにかけられているアシストプロセスを一斉にRUNし、半ば外れかけているフットペダルを踏み込んで、青白い尾を引きながらビルを滑り落ちていくディーノの後に続いた。無理な軌道に対し、愚痴を吐き出すように機体を揺らすエコノミカは無視する。一々こいつの挙動に構っていては永遠にここから動き出せない。
ニューサバンナシティのパイプと機械に埋もれた灰色な光景が、おれの目を走馬灯のように走り抜けていく。遠くに見える円筒状のトランスポーター、コンセントが纏わりついたエネルギーポッド、マンションを覆う無数の電線とパイプ、外を覗くかわいい猫女。今度猫の風俗行こうかな。
そうやってぼんやりしているうちに、気がつけばぶつかってしまいそうなほど近くにある貯電用のポッドの隙間を通り抜けた。深層意識で眠りこけていた疾駆反応が飛び起き、電撃を流されたように跳ね上がった手がハンドルを強く握り締める。景色が溶け、流線形にすべてが変わっていくのは加速神経に切り替わった証拠だった。過分泌されたエンドルフィンとアドレナリンが混ざり合い、ぶち、と何かが切れた音が聞こえさえした。
やばい。
この歳で死にたくはなかった。エコノミカ主導に繋がりかけたルートを無理やり指揮権下に奪い返し、オーバーヒートに片足突っ込んだ加速神経に中和剤を過量注入した。赤子のようにぐずり続けている神経はそれで安定を取り戻し、流線形の景色は形を整え、いつもの風景がおれの目に戻ってきた。思わず安堵のため息をつく。これで何度目か数え切れない暴走だ。白海豚型が、コクピットと書いて棺桶と呼ばれるのもそれほど間違ってはいないらしい。
背筋が震えた。
こんな場所を通過するようマッピングした憶えはないし、された憶えもない。そもそもこんな危ない箇所を通るジョッキーは頭がおかしいとおれは思っている。だからこれはエコノミカの仕業なのだろう。
くそったれな挙動を示したエコノミカのパトランプを睨みつける。どうやらさっきのことをまだ根に持っているようだ。おれに嫌がらせするのがそんなに嬉しいのか、“POLICE”の青い文字が刻印された胴体を揺らし、隙あればおまえを振り落とすぞと言わんばかりに降下速度を上げた。ディーノの背中が近くなる。おれは胴体を強く蹴ることで不満を表し、手製の拳銃をポケットから取り出した。エイブルからもらったものだ。えらく使い勝手が良いのがなんとなく気に喰わない。
『レオン』
ディーノからの通信だった。旧式のマイクだからか、所々にノイズが混じって聞こえる。
「なんだよ」
『ふざけた真似はやめろ。訓練生みたいに、何でもかんでも加速すりゃいいってもんじゃねえんだぞ』
「……わかってる」
『わかってんなら今すぐ加速をやめておれの後ろにつけ。規定通りのコースを走れ。おまえに奴の、エイブルの走りはできない』
エイブル。
無言でディーノのバックにつきながら、おれはエイブルのことを思い出していた。おれたち第六八期生の中で、最も優秀だった警察官。泳ぐ棺桶とまで言われたエコノミカと意思疎通を成功させ、唯一乗りこなした男。キチガイよりもキチガイな思考と走りを見せた奴は、おれを庇って死んだ。一ヶ月前のことだった。
誰もおれのせいだ、とは言わなかった。くそ真面目なディーノは何一つその話題に触れなかったし、運が悪かったのだと優しいマックスは言っていた。エイブルの二番手にずっと収まっていたブラッカムに至っては、すっトロい動きだった奴が悪いんでしょ、と断言していた。しかしおれは知っている。彼女とエイブルが付き合っていて、夜な夜な誰も戻ることのないエイブルの部屋で泣きはらしていることを。奴と友達だったマックスが密かにおれを恨んでいることを。ディーノも多分、そうなんじゃないかと思う。
むずがるエコノミカを押さえつけ、おれはスロットルを緩
爆音。
誰かが横から突っ込んできたのだと気づくのに随分かかった。パイプを吹き飛ばし、黒煙と共に飛び出してきた奴らはきっと、逃走中のホシを援護するために送り込まれた刺客か何かに違いない。揃いも揃って黒いヘルメットをつけた奴らは、獅子型ジョックの口内に常備されている電磁滑空砲を起動させた。迸る青い光が次第に収縮されていく。狙われているのはおれだった。
逃れようもない死の予感が全身を震わせ、だが同時に安堵する気持ちもあった。これでもう終わるのだと。
誰からも恨まれて、それでも生きていけるほどおれは強くはなかった。そういうのを知らんふりして通りすぎるという、誰もが当たり前にやっていることがおれにはどうしてもできなかった。そうして忘れることもできず、死ぬまでおれはエイブルのことを引きずり続けるに違いない。
いつか死ぬぞ、とディーノに言われたことがある。そのつもりはないのに、いつの間にかおれの走りがエイブルになっているらしい。それはエコノミカに組み込まれたプログラムのせいではなく、おれの目にあのエイブルの走りがこびりついているからなのだろう。今考えてもゾッとする。神が宿ったとしか思えないぐらいあり得ない軌道を描き、その軌道を使って奴がしたことは、おれを庇って死ぬことだった。
あれ以来、おれの頭には、奴の言葉がずっと響き続けている。
おまえにこれができるか?
見せつけられている気分だった。
反吐が出た。
だがもうそんな日々はおしまいだ。おれは光線に吹き飛ばされ、この世にチリすら残すことなく消えるのだろう。そして二階級特進し故郷のみんなはちょっとした話土産を得て、マックスとブラッカムは気分がすっきりし、ディーノは相も変わらずアンジェラを駆る日々が続き、おれはおれを蝕み続ける呪いからようやっと解放され、ようするに何もかもがうまくいくわけだ。 大体ここまでおれが生き残ってきたのが間違いだったのだろう。あの時死ぬべきだったのはおれの方であり、その間違いが正されるのが、今この時というわけだ。
そう、納得しようとして。
声が、聞こえた。
エイブルの声だった。
――おまえにそれができるのか?
放たれた時にはもう遅かった。
再びオーバーヒートした神経を、今度は止めなかった。
光より速く見える光線はおれの真上を過ぎていき、まさか避けられる筈はないと高を括っていた連中の顔が驚いた、ように見えた。ヘルメットをしてるからよくわからない。だがざまあみろ。
「レオン!」
マイクを使わず、すぐ隣を疾走するディーノが叫んだ。瓦礫と光線を避けながら話すという器用なマネがどうしてもできず、おれは聞き役に徹する。
「ここはおれに任せろ! おまえはホシを追え!」
いいのかよ、と思う。
いいだろう、と思う。
それは頭の中で響き続けている、エイブルの声に対する答えでもあった。
ハンドルを握り締める。針が振り切れ、エコノミカの赤眼が克明に輝く。加速神経が極まった印だ。外部へのS2接続は途切れ、最終手段の緊急停止は役立たずになった。犯人を捕まえるか死ぬまで、おれはずっとこのままだ。
それでいい。
お望み通り、死ぬまで引きずり続けてやる。
誰から恨まれても構わない。
おまえという鎖を引きずって、おれはこの世を駆け抜ける。
だから精々あの世から見とけ。
おれの走りを。
おれだけの。
その後、おれの検挙率はちょっとだけ上がった。