骸が落ちる音がした。
前時代の頂点を極めた生物共の亡骸だ。奴らの骨は我々とよく似通っている。しかしその身体は脆弱で、もろく、卑小。赤の砂塵に奴らは耐えられない。地球という名だったこの星を貪り続けた、人類という名の連中は、ついぞ砂塵を消し去る術を編み出せられなかった。一方、巻き上がる砂に含まれる物質は我らを肥えさせる。天空に浮かぶ焔から降り注ぐ有害な光を散らしてくれる。我々にとって砂塵は盾で、恩恵だ。
我々は体を動かさない。しかし人類共は過半数が蠢く肉の塊であった。赤い、独特のニオイの液体が全身を駆け巡り、表面に空いた穴からエネルギー源を摂取する――それは動物と呼称された生物群と似通った特徴だ。不便ではなかろうか。何故動く必要がある? 栄養素なぞこのように、空中からいくらでも取り出せる。生存できれば良い。この、赤く染まった世界を眺めてさえいれば良い。何故人類どもは動く身体に成った? 何故過剰に栄養を摂取した? 生殖活動に何故価値を見出した? 未だに分からない。
人類を含めた動物共よりは、植物という連中の方がまだ、我々に近かった。しかし彼らは空の光を欲しがった。清らかな、と人類が形容する、混ざりモノではない中性の液体を摂取したがった。死骸が発酵した土に根という器官を伸ばしたがった。だから我々と共存できず、ごくわずかなモノしか生き残っていない。我々は少し残念に思う。空が青かった時代、おどろおどろしくも周囲に調和していた彼らの色彩はともかく、その理屈は非常に我々と似通っていたからだ。
しかし、人類共も少しは見所がある。こんなにも良い構築物を遺したからだ。ビルと言うらしい未知の岩で構成された囲いの中に、私はたまたま生える事が出来た。
本来の我々は地中奥深く、最深で燃えたぎる溶岩の層と地表の間の層、砂塵が舞い遊ぶ永久の暗闇の中でただ立ち尽くすだけの存在だった。日々ずっと仲間へ問いかけ、生存を確かめた。そうすると不思議と安心できた。どんなに遠くの仲間とも我々は話せた。時に黒で覆われ、砂塵もあまり吹かない場所にひとり寂しく生えている仲間もおり、その辛さを皆で共有し、慰めたこともある。
我々の身体は砂塵で成長する。砂塵がつもりつもって肌となり、骨となる。砂塵は人類が爆発的に増えた時代から急に多くなった。その日々が長く続き、やがて地表のプレートがずれた隙間から、唐突に地表へ突き出た仲間が発生した。
人類共は、それはそれは混乱した。いつしか奴らは我々を巨像と呼んだ。人類の言葉を戯れに解す時間はあったものの、地表へ出た仲間達は、生まれて初めて浴びる光に蝕まれ、地中へ戻れぬ絶望と共に哀れにも崩れ去ってしまった。私は光を遮断するこの構築物の中に生えたから――それも人類が捨てたモノだったから、長く発見されることもなく、足下で我らが懐かしき地下世界に吹く砂塵を摂れたので助かった。
最も。憐憫の情を手向けるべき弱い生物共のおかげで、我々が成長しきり、地表に出現しても支障の無い世界が出来たのはせめてもの救いだろうか。運悪く世界の半分を満たす液体の中へ生えてしまったモノは崩れても液体が亡骸を固め隙間を埋めたのだが、人類共がはびこる地表へ生えたモノ達が崩れ去った後は、そのまま身体は砂となり、下へ流れ落ち、地表の地面はぽっかりと穴が空いた。その穴からなくなった仲間の体を存分に含んだ砂塵が噴き出したのだ。人類は死んでいった。砂塵を浴びた肉がただれ、骨が溶け、イタイと何かを呼びながら。
奴らは必死で穴を塞ごうとした。しかし我々はいくらでも生えてくる。恐ろしい光を浴び、崩れ、穴を増やす。これは我々が意図して企んだものだとこちらを憎悪した人類がいた。冗談じゃない。何故我々が、光に灼かれる死刑台(もし人類共が我々の立場なら、きっとあの忌々しい青さに満ちた死の世界をそう言うだろう)に自ら上がらねばならぬのだ。視線を背けたくなる青の世界に、息も詰まる砂塵の混ざらない空気を、何故吸わねばならぬ。生きながら朽ちていく我々の様を、奴らは恐怖する一方で、侮蔑の眼差しを浴びせかける。報いだと罵る。もう終わりだと諦める。穴へ地表の光を投射しようとした連中もいたが、そもそも全く届かなかったから意味がなかった。
やがて世界は赤に満ちる。その頃になると、人類の一部に我々を崇拝する動きがあった。アポカリプス、終焉の始まり、終末思想。人類を特徴付けた秩序などボロボロに四散していた。――それでも、かつての世界の秩序を維持しようとした連中もいたから、人類の思想は千差万別なのだろう。同種内の思想の違いなど無駄だというのに。
我々にすり寄ったモノ共は意味の分からない供物を捧げ、何事かを唱え、木の亡骸を組んだ粗末な構築物に同士を固定し、殺し、噴き出た赤い液体(あるいはべとつくナニカ)を我らに塗った。何事かを祈る声があまりにも小さいから聞き取れず意図が読み取れなかったが、塗られたもの自体は、まあ悪くはない代物だった。それは我々を生かす砂塵とどこか似たニオイがしたからだ。
仲間が生え伸びていき、砂塵は増し、人類は弱る。動物も弱っていく。植物はいの一番に死んだ。そして、屍が積み重なる。我々は動かず、じっと赤に染まった世界を眺める。
ここはだいぶ故郷に似てきた。ただ違うのは、人類の屍が折り重なる光景だけだ。――これは、良いものだ。見ていてワクワクする。私を囲うビルという構築物の仲間が砕けた残骸も、かつて供物を固定した木々の亡骸も、砂塵を大量に溶かし込んだ、どろりとした粘液が流れる川も素晴らしい。
明日も、明後日も、1ヶ月、1年先、否、全ての未来。先住民の影だけ残る静かな世界は、我らが潰えるその日まで、ずっと暖かな砂塵を吹き上げ続けるのだろう。
私は息をつく。栄養を取りきった砂の絞りかすがキラキラと風に流れ去っていく。きっと仲間達も同じような赤い光景を見ている。
ああ、こんなにも、世界は美しい。