夕暮れを狙って、僕らは屋上で待ち合わせる。
逢魔が時、昼と夜が入れ替わるこの時間は、この世のすべてが隠り世とつながる。さっきまで柵の上で、カラスがカアカアと鳴いていた。そういえばカラスは魔女の使い魔だ。もしかしたら誰かに呼ばれるのを待っていたのかもしれない。もしくは見張っているのかもしれない。
ふと目が合った。カラスとではない。僕の隣に立っている少女と、だ。でも、少女はそれに気づかない。
「今日、久しぶりにマコトに会ったよ。元気そうだった」
少女――――そう、カホという名前の彼女は、僕と目を合わせないまま楽しそうに報告する。彼女がこうして人間の姿を保っていられるのも今だけで、世界が夜に覆われたら小さな茶トラ猫になってしまう。相手が猫では言葉も通じない。彼女の本当の声を聞けるのは、太陽が朱に染まっている間だけだ。
山際で、西日が揺らぐ。
じきに、夕暮れさえもなくなってしまうだろう。あの魔女はそんなことを言っていた。この世が魔女の支配下に落ちたのは長らく前のことで、染み出した水が這うように、ずぶずぶと、魔女の力は世界を蝕んでいって、いつしか僕らは「魔女に支配されいるのは当たり前」と思い込まされていた。人々は気づきもしない。意識しなければ、傷口の痛みなど感じないように。
でも、僕は気づいてしまった。だからダメだった。使い魔として生きていくのもそんなに悪くないのだと、僕は肝心なことに気づけていなかった。
その点カホは賢かった。魔女の存在に気づいてもそれを受け容れ、順応し、魔女にまつわる力を得た。遠くの木にとまったカラスが、カホに視線を向けている。カホが猫だから警戒しているのか、それとも使役されて警戒しているのか、僕にはわからない。わかったところで、できることは何もない。僕はこうして座っていることしかできないけれど、それでもカホは毎日、僕のところに来てくれる。
「いつか、そう。いつか本当に、魔女の力を手に入れられたら――――」
カホは虚空を見つめたまま、つぶやく。
その目は、見えないはずの僕を、おぼろげに見つめていた。
「――――そうしたらまた、たくさん、お話ししようね」
夕陽が消える。
赤い月がのっそりと恨めしい姿を見せるとともに、カホの姿はみるみる小さな猫へと戻っていった。みゃあ、と鳴き声が聞こえる。屋上の柵に腰かけている僕のそばで、カホが僕をしっかりと見つめて、鳴いている。この姿の時だけは、僕のことが見えているのだ。
「やあ、カホ。いつも話ができなくて、ゴメンね」
みゃあみゃあ。カホはそうやって鳴くだけだ。
猫には霊感があると聞く。だから僕の言葉も今なら届けられるのだけど、それに呼応することはかなわない。霊感があると言っても、猫は猫、霊は霊なのだ。そして、人間のカホに霊感はない。カホはそこに目をつけている。
「そうか、マコトに会ったんだ。元気にしてるかなあ」
夕暮れ時は、カホが話せるけど、僕が話せなくて。
それ以外は、僕が話せるけれど、カホが話せない。
すれ違うジレンマに、いつか僕らが、答えを出せる時は来るのだろうか。
カホがすり寄る。喉をなでると、ゴロゴロと鳴いた。その温かさを感じることは叶わない。それでも構わない。諦めることは多いけれど、諦められないことだってたくさんある。諦めなければ、光が射すことだってあるかもしれない。僕は、その可能性に賭けてみたい。
だからあがき続ける。
夕暮れが終わる、その時まで。