Neetel Inside 文芸新都
表紙

一枚絵文章化企画2017
「たこ」作:一階堂洋 0321 23:57

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 私達は美術館に行く。彼女は、いつもどおりの服装をしている。襟のよれたTシャツに、褪せたジョン・ブルの黒いジーンズを履いている。
 私はそれにいらついてしまう。
 どうして? 私は、彼女を見ながら自問する。
 答えはない。

 彼女は言う。
「大学から近くてよかったよ、ほんと」
 私は尋ねる。もう十月だよ、一枚で寒くないの。
 彼女は続ける。
「人もあんまいないしさ、ゆっくり見られるね」
 私は黙りこむ。
 彼女は、私のきっかり二歩先を歩いている。
 
 小さな美術館の周りは、森の匂いがする。彼女のセブンスターの臭いが紛れていることに気がつく。私はいらついてしまう。

 私達は料金を払って、春画を見る。


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 春画に関する記事掲載をめぐり、「週刊文春」の新谷学編集長が3カ月間休養することが8日、わかった。朝日新聞の取材に対し、文芸春秋は、週刊文春10月8日号(1日発売)に掲載されたグラビア記事をめぐり、「編集上の配慮を欠いた点があり、休養させる対応を取った」と説明している。

(『週刊文春編集長、3カ月休養 春画掲載で「配慮欠いた」』
ハフィントン・ポスト http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/08/bunshun_n_8266770.html)


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 私達は一つの絵の前で立ち止まる。たこが女の下半身に吸い付いている絵だ。海苔を切ったような、たこの目を見る。断片としてしかわからない、背景のカタカナを見る。
 彼女は笑う。
「これ、この前に何があったんだよ」
 間。
 私は言う。
「与えられたものに対して、人は、その前後を想像せずにはいられない」
「どの哲学者が言ってたの?」
 私は答えない。彼女はにやっと笑って、私のハンドバックをくいっと引く。

 私達は次の絵に進む。


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 二百枚に満たない春画を見終わって、私達はコーヒー屋に入る。店内をざわめきが満たしている。
 彼女は聞く。
「何欲しい?」
「ブレンド、ホット」
「席取っててよ」
 必然的に、彼女が代金を払う。
 彼女は、ブレンドコーヒーと、エスプレッソを二杯、持ってくる。すでに、一杯は空になっている。白いテーブルにトレイを置く。
 出しかけた財布を、私は、ハンドバッグに押し込む。おまたせ、ここの席にしたんだ。うん、景色がいいから。
 私達は曖昧にほほえむ。


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クラーク氏が好んで使う春画の定義は「性的に露骨なアート」。重点は「アート」という語にあり、「性的に露骨でありながらこれほど高い芸術性を備えている作品は、西洋では最近になるまでなかった」と話す。

(『春画はポルノにあらず 大英博物館の春画展に見る日本美術の魅力』
nippon.com http://www.nippon.com/ja/views/b02304/)


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 彼女はゆっくりとコーヒーを飲む。鳥にみたいに。私は手をテーブルで組んでいる。窓の外で枯れ葉が落ちる。
 私達は話をする。
 春画について。生クリームについて。大塚駅について。春画について。枯れ葉について。オトシブミという虫について。春画について。

 沈黙。
 私は切り出す。
「私達は――私達自身も含めて――誰にも弱みを見せないようにしているけれど、それは恋人の定義と、本質的な部分で矛盾している」
 彼女は私を見つめる。にやっと笑う。そうすれば、止まらない電車のどこかのポイントが切り替わり、正常な軌道に乗れるみたいに。
 正常な。
 間。
 私はどこかで待っている。どの哲学者が言ったのか、彼女が聞いてくるのを待っている。

 そうはならない。


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 彼女はしばらく考える。そしてつぶやく。
「私が女だから?」
 沈黙。
 私は、ハンドバッグから、一万円を出す。テーブルの上にそっと置く。彼女の顔を見る。彼女は顔をそらす。

 彼女の好きな、レイモンド・カーヴァーの小説を引用する。私達が二人とも知っている、数少ない作家の一人だったと、私は思い出す。
恥を知れシェイム・オン・ユ―
 そのまま、彼女の瞳を見つめ続ける。
恥をシェイム

 そして、私は歩き去る。

 彼女は追いかけてこない。私は彼女がどうなるか考えている。


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 私は電車に乗って帰る。手を洗ってうがいをする。青い方の歯ブラシを捨てる。適当に野菜を炒めて食べる。私は少し驚く。
 展覧会のチケットを、私は、コルクボードにピン留めする。
 それをしばらく見つめる。

 スマートフォンには、二件の不在着信と、一通のメールが届いている。私は電話を折り返さず、メールを読むこともしない。

 ベッドに入る前、ドアの鍵を閉めていないことに気がつく。いつも、彼女のほうが遅く帰って来ていたことを思い出す。
 私は鍵を閉めにいかない。


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 私がベッドに入ってから少し経って、部屋のチャイムが鳴る。部屋の電気は全て消えている。あらゆるものの輪郭が溶けている。
 もう一回、チャイムが鳴る。
 私は目を閉じる。

 今日見た春画を思い出す。
 あのたこのことを、思い浮かべる。
 八本の足を持つたこが、部屋のチャイムを鳴らしている場面を思い描く。
 たこが、鍵のかかっていないドアのノブを回し、私の部屋に張り込んでくるところを想像する。それが私の体を捉えるところを想像する。誰かが私の写真を撮る。それがあの美術館に飾られる。あの絵の代わりに。
 その時、私は、どうなっているだろう?

 部屋のドアのノブが回る、ささやかな音がする。私は目を閉じている。ドアが閉じる。そして、鍵が掛けられる。
 何かが、部屋の中を、ゆっくりと歩いてくる。
 それがわたしの側にいる。
 私は目を閉じている。

       

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