Neetel Inside 文芸新都
表紙

一枚絵文章化企画2017
「日月すいっち」作:右手 0326 00:33

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「フゥ……だッる…………」

――土曜日。駅前広場。AM11:00。
 駅前のコンビニで、要領の悪い店員に苛立ちながら購入したウエストの安煙草に火をつけ、大学生・天野テル子(19)はひどく不機嫌そうに煙と溜め息をいっぺんに吐き出した。だいぶ穿き古したデニムのフロントポケットに手をやり、そろそろ買い換えた方が良さそうな型遅れのスマートフォンを取り出す。

「……やっぱアイツ寝てんな、こりゃ」

 SNSにアクセスし、今ひとつ解像度の高くない液晶スクリーンを眺めながら、天野は毒吐く。アイツ、とは、彼女とは長い付き合いになる文月コヨミという少女だ。そもそも、彼女は何も好き好んで、こんなところで煙草を吹かしているわけではない。文月コヨミに、話題の映画――天野自身はこれっぽっちも興味のない、お涙頂戴と安い奇跡に溢れた感動巨編――を見に行こうと誘われ、昔の馴染みで気安く了承してしまったのだ。そして肝心の当の文月コヨミ本人に、どうやら見事に約束をすっぽかされたらしい、というのが、天野テル子の置かれた現状であり、当たり前ながら、その機嫌が良かろうはずもなかった。

「コヨミのクソ野郎……アイツ自分の寝起きの悪さ分かってんのかよ……」

 後で覚えておけ、と呟きながら、天野はスマートフォンで現在の時刻をチェックする。ヤツ(文月)から昨夜送りつけられた情報によると、件の感動巨編を上映している映画館の最寄り駅までは、彼女の目の前にある築18年のコンクリート駅舎から鈍行で七駅であり、文月の手配したチケットが指す上映時間には、どう頑張っても間に合いそうになかった。

 天野テル子、とんだ時間の無駄である。自分の寝起きのよさを呪いながら、さっさと家に帰ろうと、踵を返した彼女は見た。

 中空に、ヒモが垂れ下がっている。それは、どう見ても白熱灯なり蛍光灯なり、あるいはLEDなりをON/OFFするための
スイッチにしか見えない外見であった。しかし、ここは屋外であり、ヒモの伸びる先は遥かなる蒼天である。だから、それがどこから垂れ下がっているのかは、天野には皆目見当もつかなかった。

 それだけではなかった。このヒモにはもう一つ、極めて大きな特徴があったのである。先端にクマのキーホルダーがぶら下がっていたのだ。クマ、と表現したが、あるいはコアラないしウォンバットなのかも知れない、デフォルメされたキャラクターのキーホルダーだ。

「……はァ? 何だこりゃ、あたしが買ったのはフツーのウエストだよなァ?」

 何らかのハーブ的なものによる幻覚を疑いながら、天野テル子はそのヒモを凝視する。ヒモ自体は、何の変哲もないデザインだ。屋外にさえなければ、彼女もその存在に何ら疑問を抱かないだろう。放っておこうとも考えた天野だったが、彼女はそのヒモの存在に、何故か強く惹きつけられていた。それは、まるで遠い昔、父に連れられて訪れた古いお社のように、不思議な憧憬を呼び起こすものだった。

「……なんだろ、これ……なんでアタシ、このヒモを引っ張りたいと思ってんだろ。

そろそろ夜が来るからかな。

――何言ってんだ、アタシ」

 当惑しながら、天野はフラフラとヒモに近づき、そしてそっと、そのヒモを引いた。



 パチン、という音がした。



 辺りは、真っ暗闇になった。

 天野は――天野は、自分の存在を確認するように、体を手でぺたぺたとさわり、そして、自分が文月コヨミであることを確認した。ウェーブのかかったブロンドの髪、スレンダーな身体、いつも眠たそうな奥二重の瞼、間違いない。間違いなく、彼女は文月コヨミになっていた。それを認識したとたん、彼女の意識はスッ、と、足元から抜け落ちるように消え失せた。

 それと同期するように、街灯が、ぽつりぽつりと点りはじめ、やがて街は華やかな光に包まれていった。赤、青、橙、あるいは白。光はまるで、星々のように夜の街を照らし出した。その中心に立って、文月コヨミはゆっくりと目を開ける。そうして、彼女はにっこりと微笑んだ。

「ふわぁあ……ううん、やっぱり引いちゃうよねえ、テルちゃんはさぁ……そもそも、私たちが一緒にどっか行くなんて無理なのに、ほいほい出かけちゃうとか、可愛いとは思うんだけど、たまには私の出番、お休みさせてくんないかなあ?」

 眠たげな声でそう言うと、天野だった文月は、キーホルダーにぶら下がったクマのようなキャラクターを見て、元々細いその目を更に、三日月のように細めた。

「でもさぁクマちゃん、あ、天熊人(アメノクマヒト)くんだっけ、テルちゃんって人遣い荒いと思わない? 私のところなら、もっとのんびり働けるんだけどなあ……ま、イヤなら無理にとは言わないけどォ」

 ぶつぶつ呟きながら、文月コヨミは歩き出す。宵闇に、頭上に月はなく、彼女の足元には淡い光が広がっている。彼女の頭上には、日本と、人間が概ねそう呼ぶ、細長い島が広がっていた。

「それにしてもアレだねぇ、人間? だっけ? も、結構頑張ってるみたいじゃん。おかげで高天原も随分便利になったもんだよ、ね、テルお姉ちゃん……あ、今話しても聞こえないか」

 おどけて歩きながら、文月は囁く。自分の内側に向かって、その鈴が鳴るような声を響かせる。

「お休みなさい、お姉ちゃん」
「明日の朝日の昇るまで、ね」

 ここは21世紀の高天原。そして彼女たちは、顔を合わせることのかなわぬ姉妹である。



 


       

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