Neetel Inside 文芸新都
表紙

金色のくびき
第一話(裏)

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 私はよく夢を見る。
 夢はいつも赤い炎と黒煙によって彩られている。
 燃えているのは見慣れた風景で、私が十八年過ごし、黄金アルトゥンの都とうたわれ、険しいタンル山脈に守られ、およそ五百年に渡り山脈以西の広大な版図を維持してきたベルゴード王国の都・シェレフ。絨毯や香辛料の交易で栄えてきた石造りの都。
 その都が、今や多くの建物が打ち壊され、財産の略奪にあい、焼かれていた。 
 誰に? 決まっている。襲っているのは馬に乗った浅黒い顔の男たち。曲刀を振りかざし、意味の分からない言葉で大声で喚いている。異民族、草原の民だ。
 宮殿では、侍女たちが絶望に引きつった顔で部屋の隅に集まって震えている。
 その中に私がいた。侍女たちと同じように、顔を引きつらせて。
 何てことだろう。情けない。
 剣を取れ。文字も知らぬ蛮族など叩っ斬れ!
 それでも栄えあるベルゴードの第三王女か!
 だが夢の中の私はただ泣いているだけだった。
 炎はいよいよ王宮にもおよぼうとしていた。
 血塗られた曲刀を肩にかけ、草原の男たちが押し入ってくる。
 いよいよおしまいだ。
 私は名も知らぬ野卑た男に犯されようとしている。
 ベルゴード王国の命運もここに……。



「……はぁ」
 最早溜息しか出ない。
 窓から爽やかな朝の光が部屋に差し込んでいるが、最低な気分で目覚める。
 この悪夢を見始めたのはいつの頃からだろう? 確か最初に見たのは十四か十五だったか。
 まさか関係は無いと思うが月のものが始まってからかもしれない。
 平和なベルゴード王国に戦が忍び寄る気配など無い。
 ベルゴード西方には友好国であるラーハイド帝国があり、東方はタンル山脈によって守られている。北方は殆ど人の住まない化外の地であり、南方はやはり友好国である聖ルナ王国。ラーハイドと聖ルナは仲が悪いものの、緩衝国となっているベルゴードとの交易によって両国は経済的に結びついている。本気で戦争をしようなどという気配は無い。つまり、どこからもベルゴードが脅かされることは無い。
 ただ、夢に出てくる襲撃者たちは、ラーハイド帝国軍でも聖ルナ王国軍でもなく、東方のタンル山脈の向こう側で跋扈している蛮族、草原の民だった。しかしそれも考えにくいことだ。草原の民と一口に言っても何十もの部族に分かれ、日々争っている。もし草原の民が強力な王の元に統一され、ベルゴードに牙を剥くというならまだしも……。今の分裂して小さな勢力しかない草原の民にそのような力は無い。
 ベルゴードにも、私にも恐れる理由は無いはずだが……。
 ならばなぜあのような夢を見る?
 草原の民など、たまに交易で町中に出てくるのを見かけることはあるが、別に危害を加えられたことも、間近で話したことも無いというのに……。
 ───まぁ、考えたところで仕方がない。
 部屋の片隅に置いてある弓と矢筒を、私は笑みを浮かべて見る。
 着替えたら狩りの時間だ。
 草原の民に襲われる悪夢を振り払うため、私は弓の腕を鍛えることが日課になっていた。



「それで、ディーナ。ぜんたいお前はどうするつもりだ」
「どうって……」
 王宮の廊下で。
 そう質した時の父の顔つきは、辛気臭いというか、苦り切った感じだった。
 せっかくの麗らかな陽気が台無しだ。
 今日は大きなうずらを五羽も仕留めてきた。束にして紐で吊るし、意気揚々と王宮へ凱旋すると、侍女たちに「お嬢様は今日も元気ねぇ」と何だかそれが悪いことのような嫌味っぽい言い方をされたりして、気持ちは良くなかった。でも王宮のみんなは鶉肉のシチュー好きだし、料理長のところへ持っていこうと向かっていたら、父が見咎めてきた。私は鶉の束を高々と掲げて見せる。
「これを料理長のところへ持っていくところよ」
「何だそれは」
「何って……鶉よ。お父様も鶉肉のシチューは好きでしょ?」
「このごく潰しめが!」
 言っている意味が分からなかった。
 狩りで獲物をとってきているのだからごく潰しじゃないのに。
 それに、そんなに怒鳴らなくったって…。
「十八になろうという良い年の娘が、良人おっとも持たず、狩り遊びか? 良いご身分だな」
「ええ? 遊びだなんて……狩りで獲物を取ってきたんだから、ちゃんと稼いでいるでしょう」
「馬鹿者! 姫君のやることかそれが! お前が狩りで取ってきた獲物など銀貨一枚にもならない。お前が着ている服やお前の部屋の調度品など、どれ一つ取ったとしてもお前の狩りの稼ぎなどでは得られないような高価な代物なのだぞ。これを遊びと言わず何と言う?」
 そう質した時の父の顔つきは嫌みな感じだった。
 ───体面や、金の勘定ばかり考えて。
 話が長くなりそうなので、私は父を無視して足早に立ち去ろうとした。
 が、次の父の言葉によって足を止める。
「頼むから、もう少し女らしく、姫君らしくしてくれ…! もうじき婚礼だというのに!」
「婚礼?」
 初耳である。私は驚いて振り返った。
「ようやく話を聞く気になったか」
 にやりと父が笑っている。
「もうお前に姫らしくしろとは言わん。だが最低限、ベルゴード王族としての務めは果たしてもらうぞ。月が替われば、お前はラーハイド帝国で四人しかおらん聖騎士も務めるベルンハルト公爵の元へ嫁ぐのだ。彼は実に堅実で将来性もある立派な男だぞ。両国の絆は更に深まることだろう! いやぁ、目出度い。はっはっはっはっ!───おい!」
 父は指をパチンと鳴らすと、侍女たちがうやうやしく肖像画が入った大きな額縁を抱えてきた。そこに描かれているのがベルンハルト公爵らしい。聖騎士というから絵本に出てくるような白馬の王子様を思い浮かべたのだが、熊みたいにごついおっさんだった。



「肖像画って、普通は実物より良く描かれるわよね……。それであれって……あれって……」
 自室に戻った私は、枕に顔を埋めてじたばたとのたうち回った。
 吐き気がしそうだ。
 はっきり言おう。タイプじゃない。
 筋骨隆々で逞しい殿方が好きという女性も多いかもしれない。か弱い私を守ってくれそう!とか思うのかもしれない。
 でも私はまっぴらごめんだ。
 そもそも私は弓の腕には自信があるし、男に守ってもらわなくたって自分の身ぐらいは守れる。
 むしろ強さに自信がある男など、女に対して偉そうな態度を取る男根主義者ばかりだ。
 また父のように平和主義者だとしても、弓や剣の腕を磨くことなく、誇りを持つこともなく、金もうけばかり考えて酒食に耽り、でっぷりと太っていたりするのもごめんだ。
 だから夫なんていらない。もしどうしても嫁がねばならないのなら、私の思い通りにできる夫が良い。余りに弱々しい夫では逆に私が恥ずかしい思いをするかもしれないし、そこそこ強い方が良いが、強さを鼻にかける男ではだめだ。あとは見た目も太っていたり禿げていてもだめだ。だから若い男じゃないとな。いっそ私より年下の方が良い。あと筋肉質なのはちょっと嫌だな。しなやかな体つきというか余り毛深くなくて、細いけど少し筋肉がついている程度が良いんじゃないかな。うん、できれば上品な顔立ちをしている方が良いだろう。濃いというか鷲鼻っぽい堀の深い顔立ちは嫌いだ。どちらかといえば余り主張してこない感じの薄味の顔の方が良いな。夜の生活を考えると、肌は白すぎると血管が浮いてくるのも気持ち悪い。少し浅黒い肌の方が好みだな。ああ、それに……。
 何と言っても、弓が好きな人が良いな。
 私も弓が好きだし、一緒に狩りを楽しめる人が良い。



「姫様! どこへ行かれるのですか!?」
「今日は婚礼の衣装合わせが!」
 姦しい侍女たちの声を振り切り、私は馬に乗って町の外へ駆け出した。
 ああ、むしゃくしゃする。
 ラーハイド帝国へ嫁入りに行く日は刻一刻と迫っている。
 さすがに王族としてこれを断ることはできないだろう。
 ───あんな熊みたいなおっさんと……。
 ベルンハルト公爵が見かけによらず温和で立派な人物というのは父からくどくどと聞かされてはいる。ただ私はラーハイド語は少ししか分からないし、異国の地で言葉も通じず、好きでもないおっさんに弄ばれながら、ベルゴードより遥かに気候の厳しいラーハイドで過ごさねばならないのかと思うとうんざりしていた。
 ───このまま馬に乗ってどこか遠くへ逃げてしまいたい。
 私が王族でなければそうしていただろう。
 私は気持ちを落ち着かせるため、いつもとは違う狩場へ向かっていた。
 シェレフの都から少し東へ離れ、タンル山脈の麓に広がる草原地帯。
 我々ベルゴードは半農半牧の民族だ。石の都に住む者たちは主に交易や都市商業活動で稼いでいるから農業や遊牧もやっていないが、都の郊外や田舎町に住む平民たちは農業や遊牧も営んでいる。
 私が馬を駆けさせているこのあたりは、ベルゴードの遊牧民が羊や馬や駱駝ラクダなどの家畜を追っている。また鹿や兎や様々な鳥類の狩猟も行われている。
「ふぅ……」
 溜息は出るが、調子が出ない。
 マモットという一枚歯を持つ鼠のような獣を見かけたが矢が当たらない。
 いつもならもう少しはやれるのだが、やはり婚礼のことが頭をよぎってしまっていた。
「ちっ!」
 また矢を外して、私はいらだちを抑えきれなかった。
 それが、いけなかったのかもしれない…。
 いつの間にか獲物を追い過ぎて、私はタンル山脈に近づきすぎていた。
 このあたりのベルゴードの遊牧民も余りそちらへ近づきすぎないようにしているが、それはたまに山脈の向こう側にいる東方の草原の民らが、山脈を越えて狩りや略奪に訪れるからだった。
 馬が嘶いた。
 私の馬の足元へ、私のものではない矢が突き立っていた。
 誰が放ったのかは明白だった。
 山の麓の鬱蒼と茂る木々の間から、十数名もの馬に乗った草原の民がこちらに近づいてくるのが視界に入ったから。



     




 私を捕らえたのはやはり草原の民であった。
 夢に出てきたような野卑た顔つきの荒くれども。
「───美人。俺、妻」
「───石。鋼、聞く」
 驚いたことに、草原の民の言葉など初めて聞くはずなのに、夢の中で何度も繰り返し聞いていたせいか、僅かながら意味が分かるのだった。あくまで単語ぐらいしか分からないのだが。
 どうやらこいつらは私を奴隷として自分たちの住処へ連れていくつもりのようだった。
 家畜のように鉄のくびきが私の首に巻き付けられ、鎖で両手両足を縛られる。
 屈辱だった。ベルゴードの第三王女ともあろう者が…。
 私は縛られたまま馬に載せられ、草原の民たちはタンル山脈を越えて東へと向かう。
 草原の民の勢力については大まかにしか分からないが…。
 ベルゴードにもたらされる情報によれば、草原の民の中でも台頭してきている強力な部族で、フォーグル族というのがいるらしい。既に十以上の氏族を束ね、草原の勢力図を着々と塗り替えている。ボルドゥという族長の名前は、ベルゴードにも聞こえていた。
 彼らの会話の中に、頻繁にボルドゥという単語が出てくる。
 だから私を攫ったこいつらは、フォーグル族なのかもしれない。
 となれば、いくさ慣れした戦士なのだろう。
 隙を見て逃げ出すのは難しいかもしれない…。
 が、何を恐れることがあろう。
 私は栄えあるベルゴードの第三王女だ。
 何者にも屈することはない。
 いざとなれば舌を噛み切って死んでやる覚悟だ。
 私を犯そうとするならば、そいつの男根を噛みちぎってやろう。
 殺すならば殺すがいい。
 どうせ生きていても、ラーハイド貴族の慰み者となるか、草原の蛮族の慰み者となるかの違いだ。



「よう、蛇!」
 私を捕らえた草原の民の男が、見下したような目で別の男を呼んでいる。
 彼らの住処へ向かう途中に、狩りをしていたらしき草原の男と遭遇したのだった。
 ベルゴード人を見るのは初めてなのか、私の見た目に驚いているようだが…。
 私の方も思わず彼に見とれてしまっていた。
 余りに私の好みだったから。
 この石とか呼ばれている男は全然タイプじゃないし男根主義者のようだが、蛇と呼ばれた少年はそうじゃないことを祈ろう。少なくとも体つきや顔立ちは満点だ。弓を持ってぼけっと突っ立っているが、中々の美少年である。しゅっとした体つきも細いがちゃんと筋肉が乗っている。しかも私でも狩るのが難しいマモットを四匹も狩っているではないか。弓も上手いというのか。素晴らしい。
「ベルゴードの貴族の女、俺の後妻に」
 石が偉そうな口ぶりで喋っている。
 ……何だと?
 この石男の妻にされてしまうというのか。
 それはごめんだな。
 蛇の方なら願ったりなのだが…。



 日も沈み、満天の星空の下でかがり火が焚かれている。
 草原の男たちは酒盛りをしながら笑い声を響かせていた。
 その光景は、少しだけ夢の中で見たような略奪の惨禍を思い起こさせたが、夢の時ほど血生臭いものではなかった。略奪にあったのが私だけだったからかもしれないが、草原の民の日常という雰囲気が感じられ、戦時のような禍々しさや凶暴な顔つきをした者たちは見受けられなかったからかもしれない。
 私は彼らが住居としている天幕ゲルへと連れていかれる。
 その集落の中央にあって一際大きなゲルの中、上座に座る威厳ある顔つきの男がいた。鋼のような逞しい肉体に、左目に凄惨な刀傷。鍛え抜かれた戦士の風格。一目で分かった。こいつがボルドゥだ。
 私の後に、次々とフォーグル族の者たちが入ってくる。
 広いといっても一つのゲルに何十人も入れば息苦しくも感じる。
 どいつもこいつも鋼や石のように厳めしい男たちばかりだ。むさ苦しい。
 そこに、紅顔の美少年、先程の蛇くんも来たではないか。
 彼らは会議を始めたが、何やら揉めている様子だ。細かいニュアンスは良く分からないが…。
 これだから野蛮人はいかん。すぐに内輪もめを始めるのだから。おかげでベルゴードは安泰なのだが、これをまとめあげようとしているボルドゥだけは脅威かもしれないな。
 それから、石と蛇が言い争いをしていた。
 状況は良く分からないが、顔つきを見ると私の可愛い蛇くんが言い負かされそうになっているのかな?
 これはいかんな、加勢してあげよう。
「おい、石頭! うんこ臭い口で喚くな!」
 どうせベルゴード語など分からんだろうと思って適当に罵声を浴びせてやった。
 きょとんとした目で私を見る石と蛇。やはり意味は分かっていない。
 ただ、一部の者が失笑していた。険しい顔つきをしていたボルドゥも少し笑みを浮かべている。
 しまったな、ボルドゥも含め、ベルゴード語が分かる者もいるようだ。
 私は子供じみたことをしたことを少し恥じた。
「───名前は?」
 ボルドゥの声に、私は我に返る。
 そうだった。どうやらこれは私の処遇が決まるらしい会議のようなのだ。
 私は首を振る。言葉の意味が分からなかったのではない。本名を言うか迷った。
 もしベルゴードの第三王女と知られればどうなってしまうのか…。
 考えられるのは、ベルゴードに莫大な身代金が要求されるか、もしくは私を人質にしてベルゴードに何らかの危害が加えられるかもしれない。
 ……まぁ、あの守銭奴の父が、莫大な身代金を払うとは思えないし、人質とされて何かを要求されても見捨ててしまう可能性の方が高い。
「ぼくはベルゴードの言葉が分かるよ!」
 通訳が必要と思われたのか、あの蛇よりももっと幼い少年が現れる。ホルホイという名前らしい。チョローとかアモンとか……どうでもいいがこいつら酷い名前ばかりだな。
「名前はディーナ」
 ベルゴードの第三王女とばれても構うものか。私は本名を名乗る。
「ベルゴードの貴族の娘だ。払うかどうかは分からないが、親が身代金を払う用意はあるぞ」
 ただ、王女とは言わず、貴族とだけ名乗る。着ている服装が平民にしては高価なものだし、貴族であることまでは偽れないだろう。
 通訳の虫少年を介してそれが伝えられる。
「ふむ…」
 ボルドゥはちょっと口角を上げるだけだった。
 どちらだ…? 私の正体を知っているか知っていないか、微妙な表情だ。
「ディーナはアモンに与える」
 意味は分かった。
 だが、ボルドゥの言葉が随分衝撃的だったらしく、ゲルの中が静まり返った。
「何をそんなに驚いているんだ?」
 彼らの掟か禁忌かに触れるような言葉だったのだろうか?
 ただならぬ雰囲気だ。
 それから石が激昂して喚いていたが、ちょっと失礼なことを言われた気がした。こいつに嫁げと言われていたら舌を噛み切っていたところだな。蛇の方で良かった。
 と、蛇の方を見たがやはり戸惑っているようだ。
「ディーナさん。あなたはあのアモンという人の奥さんになるんだよ」
「そうらしいな」
 通訳の虫少年に説明されるが、説明されるまでもなく何となく分かっていたよ。
 どうやら石、蛇、虫のこの三人はいずれもボルドゥの息子たちらしい。
 ということは草原貴族、フォーグルの王族ということになる。
 いずれにしろ、草原の民の中でも、訳の分からぬ身分の低い男の妻となる事態は避けられたという訳だ。
 中でも、あの蛇くんなら悪くはないな……。
 ラーハイドのマッチョ貴族よりは全然良いではないか。
 ふふふ、これから面白いことになりそうだ。
 ───私はおかしいのかな?
 奴隷のように攫われてきたというのに、何だかこの状況が楽しいぞ。


     



 アモンに連れられ、彼のゲルへと向かった。
 アモンは頭をがりがりと面倒臭そうに掻いている。
 その様子に「父に言われたからしょうがなく」感がとても出ていた。私も少し前は同じ悩みを抱えていたから良く分かるぞ。
 しかし、この私が妻になるというのに不服だというのか。失礼なやつだ。
「……座れ」
 ゲルの中で、フェルトを敷き詰めた床に直接アモンはあぐらをかいて座った。
 座れだって? 椅子もない地べたにか?
 ベルゴードではみんな椅子に座っているのだが…床に座る文化なのか?
 いや、待てよ。そういえば確かボルドゥだけは椅子に座っていたな。
 ということは椅子でさえ高価な代物であり、アモンは持っていないだけということか。
 私が固まっていると、アモンが立ち上がったり座ったりの動作を繰り返す。
 言葉の意味が分かっていないと思われたらしい。
 私は苦笑して床に座った。
 ベルゴードの第三王女ともあろう者が、フェルト越しだが地べたに座ることになるとはな。
「ほう…? このフェルトの座り心地、悪くないではないか」
 と褒めてやるが、アモンは首を振っている。
 私の方はフォーグル族の言葉が多少分かるが、彼はまったくベルゴードの言葉が分からないようだ。
 これから共に暮らすというのにこれは不便なことだ。
 あのホルホイに通訳を毎回頼む訳にもいかないだろうし……早めにアモンにベルゴードの言葉を覚えてもらうしかないな。
 座っているアモンと向かい合わせになり、私はじっと彼を見つめた。
 見れば見るほど私好みの顔をしている。浅黒い肌に、整った顔立ちに、細いが引き締まった体つき。黒い髪の毛や瞳はとてもエキゾチックだし、フォーグル族の他の男どもがむさ苦しく厳めしいだけのような印象だったが、このアモンは涼やかというか爽やかというか。うん、白馬の王子様ではないが葦毛の王子様と言えなくもない。
「よろしくな、私の王子様」
 笑みを浮かべてそう話すが、やはりアモンは言葉の意味が分からず首を捻っている。
 ただ、私が笑みを浮かべて楽し気にしているので、ニュアンスは伝わっただろう。
 それから私たちは、互いの名前を呼びあったり、干し肉を食べたり、楽しい時間を過ごした。干し肉の味は塩辛いだけだが案外悪くはない。私もそこまで食べ物にこだわりがあるわけではないし、狩りでとってきた獲物を自分で料理することだってあった。妻となったのだから料理ももっと覚えないとな。そう考えるとちょっとわくわくしてくるのだった。ベルゴードの王女として周りにちやほやされるだけの生活より、自分で考えて生きていくことの方が、よっぽど自由で人間らしいじゃないか。
 ああ、ただ手足を縛る鎖がまだ外れていない。
 これは奴隷みたいだし邪魔だ。
 早く外して欲しいのものだ…。
 その後、アモンは弓と矢の手入れをしていた。
 私たちベルゴードの遊牧民が使う弓矢よりも少し短い。恐らく馬に乗ったまま射撃するのに適しているのだろう。射程も短そうだが使いまわしは良さそうだ。私も弓が好きなのでまじまじと見させてもらったが、アモンは触らせてはくれなかった。そもそも捕虜の身だし、まだ信用されていないのだろう。
 ゲルの中央にある薪ストーブがぱちぱちと薪を燃やす音だけが響いていた。この薪ストーブというのも初めて見るもので目新しい。草原の夜はかなり冷えるようで、薪ストーブの暖は非常にありがたかった。
 いつの間にか、私はこっくりこっくりと舟をこいでいた。
「寝るか?」
 アモンがそういった。
 ゲルの中には寝台があるが、一つだけだ。
 男女が一緒に寝るということは、つまりそういうことか…。
「いいだろう。私を失望させるなよ」
 私は、アモンに覆いかぶさり、彼に口づけをした。


       

表紙

後藤健二 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha