アイツのことは俺が一番分かってる。なんて言う資格は、俺には無い。
なにせ、気持ちどころか何をしているか、どんな人間と親交を深めているかすら分かっていなかったからこそ、今の状況があるのだから。
あの時――シュウとナツキが並んで歩いているのを見たとき、俺が冷静でいられたのは、ナツキの気持ちを確信していたからとか、そんな理由じゃない。
今までユキやシュウの前で口にしてきた数々の空論。それがひっくり返るほど、確かな実感。そして、諦めにも似た感傷。
考えてみれば、しごく当たり前のことだ。
ナツキはシュウを、嫌ってなんかいない。それどころか、好きですらあるだろうということ。
今まで四人で過ごしてきて、それは分かっているつもりだった。ナツキが嫌いなやつと、わざわざ付き合うようなマネをするはずなんてないことも。
でも俺は心のどこかで、いつもナツキが見せている笑顔は、俺が一緒にいるからこそのものだと思っていた。
……いや、そうであって欲しいと、そんな訳がないと知りつつも思い込もうとしていたのだ。
シュウと二人きりでいたナツキは笑っていた。本当に楽しそうにしていた。少なくとも俺には、いつも自分の前で見せている笑顔と区別なんて付かなかった。
その笑顔を作れるのは、俺だけじゃない。
彼女を幸せにできるのも、きっと俺だけじゃない。
それが分かったら、なんだか身体の力が一気に抜けたような気がした。だからあの時も、本当に追いかける気力なんて無かったのだ。
だからといって引き下がる気もなければ、シュウに譲ってやる気なんてさらさらない。それとこれとは話が別だ。そんな風に考えられるなら、最初からこの話は始まりもしていない。
ただ、それをはっきりと理解したというだけの話。
自分が特別かもしれないという自惚れなんて、ナツキに彼氏ができたと聞いたときに棄てたつもりだったのに。今の今まで、俺にはそういう部分があったのだ。
シュウを責める資格なんて、俺には全く無い。
シュウは恋人という『関係』にしがみついていた。俺だって同じだ。幼馴染という『関係』に頼りすぎて、自分から行動することを怠っていた。
その間違いを正したい。そして、取り逃した大事なものを手に入れたい。もう誰にも渡さない、絶対に手放さないように。
本当に今は、ただそれだけだ。
●
「今の映画、どうだった?」
まるで自分は見ていないものの感想を聞くような調子で、清春くんは映画館を出るなり聞いてきた。
私は一応素直に答える。
「消去法で決めたにしては、そこそこ面白かったと思うけど?」
私たちが見た映画は、SFとサスペンスを足して二で割ったような内容だった。感動する人情ものや恋愛映画なんて、この二人で見るわけがないし、アクションやコメディは私の趣味じゃない。
「そっか。楽しめたんならよかったよ」
「清春くんはどう思ったの?」
儀礼的に聞き返す私に、清春くんは苦笑いを浮かべて気まずそうに言う。
「うーん、ごめん。正直、ちゃんと見てなかった」
私は別に驚かなかった。別に楽しみにしてきた映画、という訳でもないし、さっきのこともある。
「ちょっと考え事してて……あ、でも、あのCGのシーンはすげーって思ったよ。ホラ、最後の方で主人公以外がめちゃくちゃに崩壊して、次の瞬間パッと元に戻るトコとか」
そう言いながら、清春くんはまたふらっと歩き出そうとする。
考え事……それは十中八九ナツキちゃんたちのことだろう。さっき二人を見かけたとき、清春くんが妙に落ち着き払っていたこと。私はそれに、むしろ不安を感じていた。
このまま、今日。私は行動して大丈夫なのだろうか。
今の清春くんは、本当に何を考えているのか分からない。
仲良く歩いている二人を目の当たりにして、それはあまりにも不自然に見える。
「待って。これからどこへ行くの?」
私が呼び止めると、清春くんは黙って振り向いた。その表情からは、やはり何も読み取れない。
「歩きながら決めるよ」
案の定、清春くんはそう答える。
私たちが映画館に来たのは、ただの偶然だった。都合がよかったのだ。そこそこ長く時間が潰せるし、喫茶店のように面と向かって座らなくてもいい。
二人で街をぶらついてもすることなんてほとんどないし、それに今、下手な場所でナツキちゃんたちと鉢合わせてしまったら、それこそ取り返しの付かないことになる。
今だってそんな理由で行き先を選んだというのに、その次に行く場所なんて考えているはずが無い。
私はため息を吐いた。時間が無いわけではないが、もうキッパリさせてしまいたい。
「……そろそろ、ちゃんと聞かせてくれない? 私を呼んだ理由」
詰問するような口調で、私は言った。
怒っているわけではないし、焦っているわけでもない。今質問した理由だって、本当は今朝からなんとなく察しも付いていた。
ただ、朝からずっと踏ん切りがついていない。のらりくらりと明言を避けている清春くんに、私ははたしてナツキちゃんを任せてしまっていいのだろうか。
それを確かめるためにも、強気な言葉で言い放つ。
「まだ、心の準備もできてない?」
それを聞くと、清春くんはまたばつが悪そうに苦笑いしながら、
「ああ……いや、そうかもな」と、ゆっくりと溢した。
「本当に、大したことじゃないんだ。ただ、俺の方からあんな風に『協定』をぶち壊しておいて、何を虫のいい話をするんだと自分でも思ってたから。本当は自分だけのの力でやらなきゃいけないんじゃないか。その方法が別にあるんじゃないかってずっと考えてた。だから切り出せなかったんだ、自分が余りにもみっともなくて」
そう言って顔を上げた清春くんは、最後に屋上で会ったときと同じ、何かの覚悟を決めたような目をしていた。
「ナツキに、告白をする」
一分前とは別人のようなはっきりとした言葉に、気圧されそうになる。
きっとこれだ。
これがそうなのだと、胸に何かがすとんと落ちた。
私やシュウくんに無くて、ナツキちゃんと清春くんにはあるもの。
「そのために、一つ頼みがあるんだ」
「ちょっと待って」
清春くんの言葉を止める。もう、これを言ってしまうことに不安は無かった。
「その前に、こっちの話を聞いたらびっくりすると思う」
きっとうまくいく。それが全部じゃなくても。
「私が、どうしてここに来たのか」
●
自分の目を疑った。
きっと後にも先にも、今ほど願うことはないだろう。目の前にある光景が、幻覚か俺の妄想であって欲しいと。
つい今の話。ほんの数分前まで、俺は最高の気分だったはずだ。
ただ二人で並んで歩いていただけ。それでも会話は弾んでいたし、ナツキも楽しそうに笑っていた。
だからナツキが、「ちょっと休みたいから、すぐそこの公園に行こう」と言いだしたときだって、俺は何の疑いも持たずに彼女の後に着いて行ったのだ。
少し大きめの市民公園。ビニールシートを広げて団欒している家族連れや、フリスビーで遊んでいるカップルなどを通り過ぎ、俺はナツキに促されるままに歩いた。
その暖かな空気を、彼女も自分と同じ気持ちで感じていると信じきっていた。
それがどうして、こうなってしまったのか。
その先にいたのは、おそらく待ち伏せていたのだろう見慣れた二人。
ユキ。そしてハル――清春聡志。
「なんでだよっ!」
思わず俺は、ナツキに向かって叫んでいた。
ユキにでも清春にでもなく、ナツキに向けて叫んでいた。
訳が分からなかった。こんなことが起こった理由も、これから何が起こるのかってことも、想像すらしたくなかった。
でも、俺をここまで連れてきた張本人――この状況に驚きもしないナツキが、俺が一番して欲しくないことをした。それも、分かっていながら。
それが許せなくて、俺は声を張り上げていた。
「……ごめんね」
ナツキはそれだけ言うと、足を止めた俺を置いてユキの隣まで行ってしまう。
ユキと清春は少し離れた場所に立っていた。そのまま清春の所へ飛びついていくんじゃないかと気が気じゃなかった俺は、それでちょっとだけ冷静になれた。
「二人には、突然こんなことをして悪いと思ってる」
そう口を開いたのはユキだった。
「特にシュウくんには、嘘吐いて呼び出すなんて最低なことをしたと思う。私なら、後でどんな罰でも受けるから」
「ちょっとユキ、やめてよ!」
焦ってユキの言葉を止めるナツキは、ユキをかばうように間に立つ。
「違うからね。今回のことはあたしがユキにお願いしたの。だから、罰とか受けるならあたしが何でも――」
「どうでもいいよ」
自分の口から出たはずの声は、酷く冷たかった。
「え?」
「罰とか……そんな気ないから。だからさっさと訳を説明して欲しい。なんでこんなことをしたのか」
自分はこういうとき、もっと熱くなって、ムキになって、取り乱すタイプじゃなかっただろうか、と思う。
でもきっと、気付いてしまったからだ。ナツキは真剣に考えて用意したつもりであろうこの舞台が、俺にとっては酷い茶番だってことに。
それが分かっているのかいないのか、清春の奴は俺が来てから一言も口を利いていない。
いや、さっきのユキの言葉からすれば、この状況が何なのか分かっていないのは俺一人だけなのか。
「ごめん。でもこうやって四人いるところじゃないと、こんがらがっちゃった今の関係をどうにもできないと思ったから」
「……どうにかする必要があると、ナツキは思ったんだ?」
最悪だった。胸の真ん中は、不快な何かでぐちゃぐちゃだ。
今までのこと。三ヶ月間、少しずつでも積み上げていたと思ったものが、全部独りよがりの勘違いだと言われている気分だった。
「……あたし、シュウくんのこと好きだよ」
何をいまさら。そうは言っても、今から俺を裏切るんだ。
「分かってるよ」
「今日だって凄く楽しかったし、今まで優しくしてもらったことに、凄く感謝してる」
「……そう」
聞いていられない。そんな、今までの『まとめ』みたいなセリフを、認められない。
「このままシュウくんといても、きっとあたしは楽しく生きられるんだと思う。でも、それだといつか後悔する時が来る。いつも何か足りないような気がして、どこかに何か忘れてきたようなもやもやを感じながら過ごさなきゃいけない気がする」
でも俺は、ナツキの言葉を受け入れざるを得ないのだ。
「だから……ごめんね」
それはずっと聞きそびれていた、俺がずっと知りたかったはずの、あの時の問いへの答えだから。
●
全ての段取りが終わった今、誰も彼を止めることは無かった。
ゆっくりと彼は彼女に近づき、彼女もまた、彼を真正面から見据える。
彼女の傍に寄り添っていた彼女は彼女から離れ、呆然と二人を見つめる彼の傍らへと近づいていった。
彼の表情は硬かった。彼はこの場でずっと、話さなかったのではなくて話せなかったのだ。あまりにも緊張して、どんな言葉で自分の気持ちを伝えたらいいのか、ずっとそれだけを考えていたから。
でもそんなこと、いくら考えても仕方ない。
結局口から出てきたのは、最もシンプルで、ずっと伝えたかったこと。伝えそびれていたこと。
「俺、ナツキのことが好きだよ」