駅で電車がオーバーランした。
乗車位置の調整で少し後ろに下がって停止、ドアが開き、ぼくは乗り込んだ。
吊革に手をぶらさげて思うのは、いま電車で向かっている大学の講義のこと、ではなく格闘ゲームのこと。
最近ハマっているのだが、どうやったらいい感じに空中コンボを決められるのだろうか。
やはり使いやすいキャラを使わなければ・・・と思ったところで、
ガタン
と電車が少し傾いたと思ったら、ぼくは頭にものすごい衝撃を受けて、即死した。
死んでからわかったのだが、どうやらあのときぼくの頭は電車の壁にものすごい力で滅茶苦茶に押し付けられて、頭蓋骨が潰れるわ首の骨は折れるわで、それはそれは無残な死に方をしたらしい。
電車は脱線して線路沿いのマンションに激突し、それでぼくは死んだらしかった。
「というのがぼくがここに来たいきさつです」
とぼくは目の前の二人に話した。ここは病院のエントランスのような部屋で、ぼくら3人は白い椅子に座って向かい合ってトークしている。このエントランスにはぼくら3人きりだ。他の部屋につながるドアのような部分がなく、一面にだけ窓が開いていて、そこから緑が生い茂る庭が見えるが、窓は開かないのでながめるだけである。
「いやぁそれは大変だったね」
と背広をきたおじさんが言った。いまこのエントランスには、通学のための服を着たぼくと、サラリーマン風のおじさんと、やはり大学生のような女の子の三人がいる。
「それで、気がついたらここに居たわけだ」
おじさんは言う
「そうですね」とぼくがぼんやりと答えると、女の子が口を開いた。
「キミがここにきたいきさつはわかったわ。今度はおじさんがここに来たいきさつを教えてよ」
というわけでおじさんがいきさつを話し始めた。
その朝も私は勤務する会社に行くために地下鉄に乗った。
昨日は久々に飲みすぎて、軽く二日酔いだった。トシもトシだし自重しなきゃなぁと思った。
電車は通勤客で混み合っていた。
なんだか指先が気になって、そういえばそろそろ爪を切らなきゃなと思ったとき、急に気分が悪くなった。
どうも二日酔いとは違う気分の悪さで、まずいな、会社に病院に行くと連絡を・・・思ったあと気を失って、その あと電車で倒れ込み死んだようだった。
死んでからわかったのだが、どうやらあの電車の中で毒ガスをまいたやつがいて、私はそれで死んだらしかった。
「いやぁ、ほんとに気がついたら死んでたよ。悪いやつもいるもんだね」
どういう表情なのかよくわからない諦めたような哀しいような表情でおじさんは言った。
「おじさんも電車で死んだんですね。仲間ですね」
ぼくはアホみたいなことを言った。
女の子はげっそりしながら
「なんか電車乗りたくなくなってきたんですけど・・・」と言った。
それでぼくは「あの、あなたはどうして?」と女の子に聞いた。
「わたしは・・・」
と大学生くらいの女の子は話し始めた。
私は大学の合宿に参加するため、深夜バスに乗った。最近の深夜バスってものすごく安いのだ。感動してしまう。
夜行なのでわたしたちサークルメンバーはバスの中で寝ている。私はもっと友達と話したかったけど、みんな寝ている中で騒いだら怒られてしまう。
なんだか運転が荒くて少し起きてしまって、でもバスなんてこんなもんかなと思っていた。
寝れなかったので、好きな歌手について考えていた。あのアルバムは最高だったけど、最近出たアルバムはあんまりハマりきれなかった。大人になるってこういうことなのかな。
とか考えていたら眠気がきたので、目をこすろうとしたら、バスが思い切り揺れて、衝撃が来て死んだ。
「わたしはどうやら死んだらしいことまでは分かるんだけど、どうして死んだのかは分からないの。たぶんバス事故だと思うんだけど、どちらかバス事故で私くらいの人が死んだ事件って知ってる?」
ぼくは知らなかった。サラリーマン風のおじさんも知らないようだった。
「たぶん、一番最近起きた事件らしいね」
ぼくは言った。
「ぼくもぼくが死んだ事件を他の人から聞いて知ったから」
「どうやって?ここに他の人が居たの?」
女の子が訊いた。
「うん。ちょっと前まで居た。たぶん・・・3時間くらい前かな?」
「その人はどこに行ったの?」
「さぁ?」
それでサラリーマンさんが
「私はここに来る前は和室のような部屋で、他の人と会っていた。それで私も自分が毒ガスで死んだとわかったんだ。そこで2~3時間くらい話したりしていて、気がついたらここに飛ばされていたんだ。どうやらここはそういう場所らしいね」
「そういう場所って?」女の子は訊いた。
「えっと、つまり・・・」
サラリーマンも答えに窮したようだった。
5分くらいみんな黙っていた。何を言ったらいいかわからなかった。
「それにしても」女の子が口火を切った。
「わたしたちいきなり死んじゃったんですね」
「そんないきなりステーキみたいな」ぼくは空気が読めなかった。
「たしかにいきなりだね。まったく、年金の払い損だよ。あ、でも民間の死亡保険は降りたかな」サラリーマンも空気を読むのが得意ではなさそうだった。
「でも、生まれたのもいきなりだったんじゃないですか。ものごころついた瞬間を覚えてます?」
「ものごころついた瞬間か・・・たぶん5歳くらいかな・・・うーんわからないけれど」
「いきなり生まれたなら、いきなり死ぬことだってありますよね」
「できれば妻や子供に看取られながら病気で死にたかったけどね」
「まぁ普通はそうですね」
「ぼくらは不幸ですね。かわいそうって言うんですよ、こんな人生の幕引きは」
「いきなりはつらいね。きっと妻も辛かったろう。いまもつらいのだろうか。かわいそうに」
「お母さん・・・」
どうやら不幸なのは本人だけではないようだった。
また沈黙が生まれた。
「ぼくらは・・・」
生まれて幸せだったでしょうか?と訊こうとしたら、女の子は消えていた。白い椅子だけが残っていた。
「別れもいきなりだね」サラリーマンが言った。
「一体・・・一体なにものがぼくらをここに読んだのでしょうか?」
ぼくはたまらなくなった。
「なにものが不幸な僕らをここに呼び寄せたのですか?なぜ死んでまでこんなつらいめに遭うのですか?なぜぼくらはぼくらの死をここで直視しなければならないのですか?これは死んだ人間が必ず通る通過儀礼なのですか?」
「・・・さぁね」同じく死んでしまったサラリーマンに詰問しても仕方がないことだったが、ぼくは言わずにはいられなかった。
「ただ、彼女のいったようなことなのかもしれないですよ。
つまり、私たちの生命や意識はいつの間にか生まれていた。この場所も同じことなんです。いつの間にかこの部屋に現れて、いつの間にか消えていく。そういう場所に、神様が私達を放り込んだんでしょう」
「神様か」
「そうですよ。そんな言葉を使わざるを得ないでしょう。こんな残酷な運命にはね」
「ぼくらは」
「ぼくらは生まれて幸せだったでしょうか?こんな残酷な運命に巻き込まれて」
サラリーマンのおじさんは消えていた。
ぼくはいつこの部屋から消えるのだろう。
ぼくは生まれてきて幸せだったのだろうか。ぼくは何のために生まれてきたのだ。
ぼくは女の子が座っていた白い椅子を持ち上げて思い切り窓にぶつけた。
窓はびくともしなかった。
ぼくはサラリーマンが座っていた椅子を蹴り飛ばした。
自分の座っていた椅子も蹴り飛ばした。
ぼくは床を両手で思い切り何度も叩いて叩いて叩いた。
ぼくの怒りとやるせなさは床を通じて虚無に溶けていった。
叩いた相手が人間だったら、きっとこの怒りが何かを変えたのかもしれなかった。
でもぼくの相手は運命とか神様とか巨大な宇宙とも言えるなにかだった。
ぼくの怒りは、運命とか神様とか宇宙とも言える、巨大ななにかに溶かされて消えていった。
ぼくは1人残された部屋に座り込み両手をあわせた。神様に祈った。みんなが幸せに暮らせるように祈った。
ただ、この祈りも巨大な運命に溶かされて消えていくのかもしれなかった。
それでもぼくは祈らざるをえなかった。
人間が、人間の歴史が重ねてきた膨大な不幸な死体のひとつひとつに心が、やさしい気持ちが、篭っていたことを思った。
そして、その部屋には誰もいなくなった。