インドマン
第一皿目 底辺ユーチューバーが変身アクターになった結果wwwwwwwww
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――T県仲田市向陽町にある合同宿舎。その一角の部屋で平日の真昼間からパソコンに向かって語りかける男の姿があった。
男は頭にはめたヘッドホンのマイク位置を手直し、パソコン内に流れる映像に音声を付けるべく編集ソフトを慣れた手つきで動かしてゆく。停止ボタンを解除して動画が進み始めると彼は咳払いをしてその口を開き、映像にひとつずつ注釈をつけていく。
「えー、この様にですね、背骨に見立てた丸めたボール紙の先の方から小さいサイズのバッグ・クロージャーを取り付けていきますぅ…バッグ・クロージャーはこの動画で何度も紹介させてもらってますけど、パンとか留めるやつです。ハイ。
これを尻尾の方から等間隔で取り付ける事で恐竜本来のダイナミックさというか、なんというか迫力が再現、されているんじゃないか、と思いますぅ~...あ、ちょっと家の者が帰ってきたんで今日はこの辺で終わりにします。
ちょっとキリが悪いけどごめんね~。えー、『パンとか留めるヤツでトリケラトプスの標本をつくってみた』part16でした。ではまたねぇ~~......」
動画ソフトの停止ボタンを押すと男は勝ち誇った表情で映りこみ防止のオーバーグラスのフレームを手の腹で押し上げた。一息つくと彼はすぐに動画サイトのトップページを開き、今編集したその動画を勢いそのまま即座にアップした。
サイトの最新更新欄に彼の動画のサムネが浮かび上がる。彼は自分の仕事に満足したように左手で頭のヘッドホンを引き剥がし、右手でオーバーグラスを外してキメ顔を作った。
俺の名は日比野 英造(25)。自慢の手先の器用さで模型工作によって人生逆転を狙うYouTuberだ。どん。頭の後ろスクールバッグがのしかかる重みを感じて俺は振り返る。
「ちょっと、今日中にレポート書かなきゃいけないからやめてくれる?YouTuberごっこ」
感情を一切纏わない冷たい口調でキツい言葉を浴びせてきた少女は俺の妹の日比野 六実。地元の高校に通う女子高生でもう17だというのに頭の真ん中できっちり髪をふたつに分けたツインテールを揺らして俺の後ろからパソコンを睨んでいる。
俺は大学を中退した時に自前のMacBookをソフ○ップさんに売ってしまったので動画編集の全てをこの家の共有PCで行っている。家庭内ヒエラルキー最下位である俺は「もう終わったよ」と小声で呟き、そそくさとその場を立ち上がり居間から自分の部屋に戻ろうと歩き出した。
「ちょっと」妹が俺の背中に言葉をぶつけるようにして呼び止めた。都会の大学を辞めて実家で再び暮らすようになってから妹の六実は俺の事を昔のように『おにいちゃん』だとか『英にぃ』と呼ぶことは一切無くなった。
単純に六実が高校生まで成長したという事もあるが、大いなる家族の期待を裏切ってごく潰しの身に凋落した俺に対する落胆や失望といったマイナスの感情が俺に向けられる彼女の光の無い瞳からありありと感じることが出来た。
「帰りにお母さんからメモ貰って来たから晩御飯買ってきて。どうせ暇でしょ?こんな時くらいにしか役に立たないんだから」
俺が振り返ると六実はガラステーブルに千円札と家と学校の間にある母親の職場で受け取ってきたメモをたん、と叩き付けるようにして置いた。こんな事、今時メールやラインでやりとりすれば簡単に済む話なのだが、妹はどうにも俺とアドレスを交換したくないらしい。
さっきまで俺が使っていたノートパソコンのキーボードを念入りに除菌シートでふき取る妹の頭の分け目を眺めながらテーブルのそれを手に取ると俺は宿舎の玄関を抜けて近所のスーパーに向かって歩き出した。
久しぶりに外に出た感覚で足元をふらつかせながら俺はメモに書かれた食材をカゴの中へ放り投げる。
牛肉に人参に玉葱にジャガイモ。レジを通る時に新人のオタク臭ぇ店員に「本日のディナーはカレーでござるかwwwwwwフォカヌポゥwwwwwwwww」みたいな感じでレジを打たれたがもしかしたらシチューかもしれねぇぞこの野郎って感じでソイツの口にTポイントカードを押し込んでセルフレジで会計を済ませた。
スーパーを出て、来た方向とは別のルートで合同宿舎を目指す。夕日が沈みかけている8階建ての宿舎を見て俺は綺麗だな、とくすんだ肺から息を吐く。家族四人で今住んでいる宿舎は役所で職務にあたる親父が借りている、いわゆる公務員住宅というやつで俺が大学辞めて路頭に迷ってしまったから家族に無理を言って住まわしてもらっている。
俺はお釣りで買った缶コーヒーを飲みながら小高い丘から自分が住んでいる街並みを見下ろした…人生逆転を賭けて始めたユーチューブの平均動画再生数は300を少し超えた程度。
一再生あたり0.05~0.3円のこの時代でうだつの上がらない人生をひっくり返すような神動画を上げるなんて事はほとんど不可能に近い。クソ、このままじゃ駄目だ。俺は握り締めた缶コーヒーがスチール製からアルミに変わっていた事を忘れていた為、吹き出したコーヒーで自前のカーゴパンツを汚した。
「ああ、もう!」駅前で貰ったポケットティッシュでそれを拭っていると目の前に粗大ゴミが積まれる様に並べられた廃品置き場が目に留まった。その手前に白い円の中に車輪が描かれたバックルが取り付いた派手なベルトが転がっていた。
「何だこのベルト…」俺が近づいてそれを眺めるとベルトは逆光を跳ね返し、俺を惹きつけるような妖しい輝きをバックルから放ったような気がした。「この模様、どこかで見たことがある」ベルトを手に取ると目の錯覚か、バックル柄の車輪がカチャリ、と動き出したような感覚があった。
――これが俺と忌まわしきベルトとの出会い。「なんかカッコいいなこのベルト。ここで装備していくかい?なんてなー」NOベルトで家を出て来たからブカブカだったズボンを留める理由も込みで俺はそのベルトを嬉々として巻いた。
それが人生を変える大事件に巻き込まれるなんてこの時は知る由もなかったのである…!
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廃品置き場で拾ったベルトを腰に巻きつけ悠々と家路を歩く俺。途中、散歩帰りの子供が俺を指差して母親に「ねぇ、ぼくあのライダーベルト欲しい」なんて言ってたが母親が即座に俺を汚物の扱いで子供から遠ざけたので俺は少し居た堪れない気分で商店街の細い路地を曲がった。
すると見慣れたツインテール頭が目に入る。妹の六実が制服を着た友達の女の子と楽しげに会話を楽しんでいる。レポートは書き終わったのだろうか。すると正面からガラの悪そうな2人組みの男が近づいて六実とその友達に声を掛けた。
「ねーねー。キミ達可愛いねー」
「良いお小遣い稼ぎあるんだけどやってみないー?」
陽に焼けた顔を近づけた男の顔を払うようにして「うざ」と六実が言うと「何?ナンパ?そういうのマジ迷惑なんすけど」と気の強そうな金髪の友達が蔑んだ表情で男達に言い返す。
「こんのクソガキャ…とりあえず連れてくぞ」男の一人がそう言うと六実たちの背後に周りんでクロロホルム的な液体が染み込んでいると思われる布をその口許に当て込んだ。
「ちょ、なにすんの!?……スピームニャムニャ」一瞬でオチたふたりを引き摺るようにしてヤクザ二人は路地の奥に停めてあった黒塗りの車の後部座席に六実とその友達を投げ込んだ。ふたりは車に乗り込むとすぐに重たいエンジンのキーを回した。
…おいおい。白昼堂々目の前で誘拐っすか。妹が攫われるとなれば日和主義の俺とて見逃す訳にはいかない。俺は走り出した車のナンバーを持っていたペンで食材の書かれたメモに書き込むとその行き先を足で追った。
幸い今の時間は帰りのラッシュアワーで車が信号で停まる度に追いつくことが出来た。運動不足の二段腹が揺れている。汗を拭いながら追いかけると車は港の倉庫の前でエンジンを切った。
車から降りた2人組みは車内から少女ふたりを担ぎ出し、力強くドアを閉じると遠隔で倉庫のシャッターを開けた。気付かれないように閉まり際を狙って俺は体を滑り込ませる。まるでスパイアクションだ。連続する非日常体験で心の臓がハードビートを波打っている。
俺は広い倉庫の物陰を飛び移るようにして中央で眠っているふたりを縛り上げる男達の動向を見守る。男の一人が携帯電話を取り出して誰かと会話を始めた。それを見て俺もしかる所に位置情報を知らせるべく発信をかけた。やっと目を覚ました六実が男を見上げて金切り声をあげた。
「ちょっと!あんた達どういう事!こんなやり方、まるで誘拐じゃない!」六実の声で彼女が意識を取り戻した事に気が付いたもう一人のヤクザ者が六実に顔を近づけて凄んだ。
「あー?うっせーな。その通り誘拐だよ」
「私たちをどうするつもり!?」六実の隣で縛られている友人も声を上げる。「さて、どうしようかな」余裕と悪意がミックスされた笑みを浮かべると六実たちを見下ろしてヤクザが言った。
「キミ達のような将来性のある女を風俗街に売り飛ばす。俺たちに旨い酒を飲ますために働いてもらうんだよ。お嬢ちゃんだってこんなクソ田舎から都会に出られてWin-Winだろ?」
「ふざけんな!誰がお前らのいう事なんて聞くもんか!!」「この状況でまだ強気か。いいねぇ。愉しみ甲斐がある」
男はそう言うと憎らしい笑みを浮かべた後、舌なめずりをしてベルトのバックルに指をかけた。「やべーぞ!レイプだ!!」最悪の展開に俺は思わずその場に登場。汗まみれの姿を現していた。
「あ?誰だおまえ」「…めんどくせーな。ツケられてたのかよ」
男二人が俺に近づいてくる…!「お、俺の妹に指一本でも挿れてみろ!ぶっこぉしてやりゅぅ!1!」威勢のいい声とは逆に足が震え、上と下の歯が恐怖でガチャガチャと揺れ動く。「てめぇが去ね」男の腕が大きく振られ、左頬に鉄拳がぶち当たる。痛ぇ。
脳が揺れて首がひん曲がりそうな衝撃で俺の身体が吹っ飛んでドラム缶に叩きつけられた。涙で視界が歪んで口の中に充満した血液が唇から床に零れ落ちる。ワンパンでこのダメージ…相手はなんかしらの格闘技経験がある。駄目だ。かてっこねぇ。男が近づいてきて首根っこを引っ張り上げられる。
「あ?なんだこのだせーベルト」男が反対側の手で俺のベルトのバックルをガチャガチャ擦った。「はっ、ヒーロー気取りかよ。笑わせるぜ」ヤクザのもう一人が腕組をして六実たちの前で高笑いを始めた。
「雑魚が。そういう態度が一番ムカつくんだよ!」男がもう一度腕を振り上げた瞬間、俺の脳裏に閃光のように様々な映像が焼きついた。走馬灯だと思っていたその景色は俺が訪れたことの無いタージ・マハルを映していた。
他にも、象や孔雀にマンゴー畑。なんだよコレ。知らない誰かの記憶が脳味噌に流れ込んで意識が犯される感覚。「うぉぉぉおおおおぉぉ!!!」体から皮膚が張り裂けそうな激痛で叫び声を上げていた。
「なんだ!?」「一体どうなってる!?」
真っ白な光りで包まれた俺から手を離したヤクザともうひとりが俺の姿を見ながらたじろいでいる。白煙が止むと俺は胸の前で両手をクラップ。そのまま左手を180℃下に向けるとゆっくりと下にスライド。その軌道からまばゆい光が零れ落ちた。
「我が名はインドマン!悠久の文明を持って悪を制す!乾いた心に熱きインドの火を灯せ!」
「インドマン…って、なに!?」
冷え切った場の空気を裂くように六実のツッコミが薄暗い倉庫に響いていった。
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突如廃倉庫に現れた正義の味方インドマン。彼のヒーローコスチュームはインドの国旗、3色旗を基にしたデザイン。イスラム教を現す緑色のズボンに平和と真理を意味する真っ白な上着の腰元にはアショカ王の記念塔になぞらえたチャクラ(法輪)がデザインさせたベルトがはめられている。
顔の肌を包み込むようなボディフォームの上に動画配信者らしく分厚いサングラス、トップにはサフラン(オレンジ)色のターバンが巻かれている。
たじろぐ悪党達の前でインドマンは見得を切るようにしてヨガのポーズを決めた。
「我が名はインドマン!多種多様の民族、言語、宗教を法輪によってひとつに束ねるペルシアからの使者である!」
「二回言ったし…」
「なんだこの野郎、ふざけてんのか?」
ざわめく六実たちの前でヤクザの一人が腰から引き抜いた黒い棒を俺の前にいる背の高いヤクザに投げ渡す。電源のスイッチを入れると周りの空気を振動させるように棒の先端から電流がほとばしった。
「我が名はインドマン!釈迦に代わって正義の炎で悪を討つ!全てはガンジス河の流れのままに…」
「インド、インドうるせぇよ!オラァ!」
走り出して背後に周ったヤクザが俺の後ろでエレキ棒を振り上げる。俺はガルーダのポーズを解除して男に向き直る。なんだろう、さっきと比べて相手の動きがスローに見える。俺は手刀で男が右腕に握った棒を叩き落すとシャツの首根っこを掴んでサングラス越しに顔を近づけてこう凄んでやった。
「ヒーローの前口上は最後まで聞くものだ」「なっ!?てめぇいつの間に俺の背後を…!?」
男を手放してやるとヤツは真っ先に中央の仲間が待っている場所まで駆けていった。「仲良いね。もしかしてそういうカンケイ?」俺があきれて両手を広げると倉庫入り口のシャッターが音を立ててゆっくりと開く。
「ガキを拉致ってもう40分。何を手間取っている?」
逆光をバックに2メートル近い大男が一歩一歩、地面を踏みしめるようにして倉庫の中へ歩いてきた。「鰐淵さん!」男の一人が声を上げて俺はそのワニブチと呼ばれた男によっ、と手を挙げる。ワニブチは俺に目もくれずに部下のふたりに冷たい声で叱責を始めた。
「時間をかけ過ぎだ三下共…ポリ公が俺たちの動きに勘付き始めてる。このガキさっさと神戸の支店に売り飛ばすぞ」
「我が名はインドマン!」
「もういいよ…」
「何だアイツは」ワニブチが俺をうざったそうに見下ろした。「あ、あの野郎が俺たちの邪魔をしやがるんでさぁ!」「アニキの怪力で締め上げちまってくだせぇ!」部下ふたりが俺を指差して上司であるワニブチを持ち上げた。
「こっちは急いでんだ。ヒーローごっこなら後にしな」「貴様が悪党のボスだな!とう!」
俺はその場を飛び上がり、空中で半捻りを加えて倉庫の中央に着地した。「すっげー跳躍!ヒーローみたい!」六実の友達が俺を見て感嘆の声を出すから俺は照れ隠しで頭を掻く。
「ふざけやがって…ぶっ潰してやる!」ワニブチはハイビスカスが描かれたシャツを脱ぎ捨てるとバルクアップされた大胸筋を見せびらかすようにポーズを取った後、俺に向かって一直線にショルダーチャージを仕掛けてきた。
「ふぐっ」正面から受け止めようと両手を出すが、流石に二歩、三歩その場を後退。ワニブチが頭の上で両手を組んでドラゴンボール尺伸ばしパンチを振り下ろすのを俺は余裕を持ってその場から離れて交わす。常人とは思えない凄まじいプレッシャーだ。
「どうした?向かってこないのか?」オレンジ色に染めた長い髪を振り乱すように首をコキコキと鳴らすワニブチ。俺は汗を拭うしぐさをしてコブラのポーズ。
「阿修羅王よ。俺に力を与えてくれ!」ベルトに手をかざすとチャクラの車輪がギュルルと高速で動き始めた。頭の中で歯車と針がカッチリかみ合う感覚。飛び込んできたワニブチの動きがさっきよりもスローに見える。イケる!俺はヤツの間合いに飛び込んで力の限り両手でパンチを打ち込んだ。
「インド、インドインドインド、インドインドインドインドインドインド、インドインドインドインドインドインドぉぉおお!!!」
「!?」「ラッシュコールださっ!」
人知を超えた衝撃をその身に浴びたワニブチがその場から吹き飛んで向かい側のシャッターに勢い良く衝突する。摩擦で煙立つグローブの手の平を握り締めて俺は悪党一派に言い放つ。
「金儲けの欲に染まり人身売買など言語道断!迷える悪の魂に熱きインドの火を灯せ!」
悪党の陰謀を打ち破りインドマン、正義の勝ち名乗り。その瞬間、正面のシャッターがものすごい勢いで破られて複数の靴音が俺たちを取り囲んだ。「警察だ!ここで110番報告の発信があったと連絡を受けた。確保しろ!」武装した警官たちがワニブチとその部下を取り押さえて、ロープで縛り上げられた六実とその友達を介抱した。警官の一人が俺の姿を見つけてへりくだった態度で声を掛けてきた。
「えっと、キミが通報した人だよね?」
「我が名はインドマン!」
「ははっ、そうなんだ。ちょっと署まで同行願えるかな」
強引に手を引かれてそれを振りほどくと横から違う警官に手錠を掛けられた。流石にこれはマズイ。俺は頭の中でベンガルトラの顎をイメージすると手錠の鎖がぱちんと割れた。
「今日はここまで!諸君、さらばだ!」「あっ」「待てお前!」
俺がマントを翻すようにその場から飛び上がると背中に柔らかい言葉が向けられた。その声の発信源は妹の六実によるものだった。
「ありがとね。お兄ちゃん」
妹の謝辞を受け倉庫のガラスを打ち破って港から駆け出す俺。インドマン。これが生まれ変わった俺のもうひとりの姿。うむ、お兄ちゃんか。やっぱり悪くは無い。俺は妹から受け取った言葉を口の中で噛み砕いて、潜入前に木陰に隠しておいたスーパーの食材が入ったビニール袋を握り締めると夕飯のカレーの支度をすべく家族の待つ宿舎に向かった。
――これが俺がインドマンに成り代わった最初の記録だ。これからも闘いの濁流が俺たちを飲み込んでいく(たぶん)。
第一皿目 底辺ユーチューバーが変身アクターになった結果wwwwwwwww
-完-
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