Neetel Inside ニートノベル
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自分を左殺しと思い込んでいるプロ野球選手
第十二打席「マネーゲームの蚊帳の外」

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 二〇一八年日本シリーズは、敵地二連敗の嫌なムードを吹き飛ばす洗川の逆転サヨナラツーランホームランで様相一変。
 まるで憑き物が落ちたかのように、安芸島アイロンズの各選手達は躍動し始めた。元々自力で勝るアイロンズが本来の力を伸び伸びと発揮し始めたら、相手の幕張シーガルズには為す術もないようだった。勢いに乗っている相手は確かに怖いが、一度その勢いを止めさえすれば、存外脆いものなのだ。
 そうした意味で、このシリーズの最高殊勲選手は、誰がどう見ても洗川であった。洗川自身、第三戦のサヨナラホームランで吹っ切れたか、その後は打ちまくり、アイロンズの日本シリーズ連覇に貢献するとともに、自身初となる日本シリーズMVPを獲得したのだった。
 俺達は、再びプロ野球の光に包まれた。日本一のチーム、それも二年続けて。今、日本プロ野球を引っ張っているのがアイロンズであることを否定できる人はどこにもいないはずだ。
 自身としては、日本シリーズで去年ほどの鮮烈な働きは出来なかった。しかし、それでもシーズン百試合近くに出場し、後半は二番ライトに固定され、規定未達ではあるものの高打率をマーク。ポストシーズンでも全試合にスタメン出場を果たし、安定してチャンスメイクすることができた。派手さはないかもしれないが、去年とはまた違う達成感を感じた一年となった。


 だが、この世界に"永遠"はない。


 オフシーズン。
 日本シリーズMVP、リーグ最優秀選手、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、最多安打、最高出塁率……そんな数々の個人タイトルを獲得した洗川が、それを置き土産としてポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ移籍の意向を正式に表明したのは、十一月半ばのことだった。
 アイロンズとしては、まだ今年二十三歳と若く、まだまだチームの大黒柱として働いてくれる見込みの大きい洗川を懸命に説得するも、昨年の洗川との契約更改時、『将来的にメジャーリーグ等国内外でのプレーを希望する際には、それを妨げない』と文言を追加していたため、洗川の希望が変わらない限り、流出は不可避の状況であった(契約の部分は俺も新聞記事で知った)。アイロンズとしては、まだ先の話と高を括って文言を追加したのかもしれないが、本当のところは球団と洗川サイドにしか分からない。
 世論は、近年メジャーでの日本人野手の活躍が少ない飢餓感や、選手本人の希望が尊重されるべきという雰囲気もあり、洗川メジャー移籍への流れが日々形成されていったような感じがしていた。
 また、洗川本人が言っていたとおり、今年の活躍ぶりでは、推定二億円とされている年俸を少なくとも一億五千万円程度は上げざるを得ないということで、今後も同じような成績を残し続けると、年俸のバランスが崩れてくる懸念もあったようだ。元々、アイロンズにはそこまでの高年俸選手は少なかった。洗川の年俸が上がりきったところで、仮に不調に陥って、他の選手が成績を伸ばした場合、『洗川があの体たらくであれだけ貰ってるんだから、俺ももっと上げろ。出せるだろう?』と不満が渦巻くことも想定していたのだろうか。これは勝手な想像だが。とにかく、人件費をなるべく抑えるのがアイロンズフロントの命題といった部分は間違いなくあると思う。
 事実としては、洗川のポスティングシステム申請はそう時が過ぎることなく決まった。
 メジャーリーグの各球団は、全世界にスカウトの網を張っている。投手を中心に、メジャーでも数々の活躍選手を輩出してきた日本プロ野球は、アメリカ国外でも最も熱心にチェックされる地域の一つとされている。
 これはメジャーに限った話ではないが、どこだって二十代前半で大きな怪我もなく、その年齢でプロリーグのタイトルを複数獲得している選手など喉から手が出るほど欲しいに決まっている。洗川の評価は『メジャーでは年間ホームランは十本程度。しかし出塁率は高く足も速く、ゴールデングラブを獲るほどの守備力もある、安定した活躍の見込める若手外野手。その上、年齢的にはルーキーだ』といったもの。
 入札は過熱の一途を辿った。メジャー日本人野手の昨今の不振もあり、ポスティング入札額は上限の二千万ドルには達しないのではないか、という見方が当初の大勢を占めていたが、やはりメジャーリーグではルーキーイヤーのような年齢がセールスポイントとなったのだろう。メジャー全球団の半分ほどが参加し、上限額を提示しなければ交渉のテーブルにもつけない、というバブル状態であった。
 結果として、洗川は満額の譲渡金でメジャーリーグへの移籍が決定し、アイロンズに多額の益をもたらすこととなった。
 これで洗川は正式にアイロンズの選手ではなくなった。ここ数年不動だったセンターのポジションがぽっかりと空いてしまい、来年は洗川の控えに甘んじていた選手や、二軍で日々己を磨いてきた選手たちによるセンターポジションの争奪戦が始まることになるだろう。
 もしも、争奪戦すら成り立たないようなお寒い状況になるとしたら、それはチームの危機を意味する。


 プロ球団の戦力変化とはドラスティックに起きるもので、同じく不動の四番を張っていた外国人選手のヘンダーソンとの残留交渉が決裂した。
 ヘンダーソンも、当初はメジャーリーグ復帰を示唆するような発言を繰り返していたのだが、昨今の不振からの立ち直りを目指す水道橋ギガントスが、ヘンダーソンに対し、とてもウチには出せないようなとてつもない額の複数年契約を提示。それは、これほどの提示を断る選手がいたら顔を見てみたい、というくらいのとんでもないもので、ヘンダーソンはあっさり発言を翻し、ギガントスと契約。
 アイロンズ周辺には、日本一連覇が成った華やかなオフとは思えないくらい、来年への不安ばかりが広がっていた。チームの三番と四番が同時に消えるというのは、それほどの異常事態なのだ。
 だが、俺は同時に、この状況はチャンスだとも思っていた。
 洗川やヘンダーソンのようなずば抜けた選手がいる中では、俺は所詮脇役にしかなれない。だが、ここで存在感を示せば、上手くすれば三番打者として固定されるかもしれないのだ。そうすれば、選手としてのネームバリューはこれまでと比較にならないほど上昇する。年俸の上がり方も良くなるはずだ。
 もちろん、それは全て結果を残せばの話。来シーズンは俺にも長打を求められることになるのは明白だったので、オフはバットの振り込みよりも筋力トレーニングに時間を割いた。
 そして、二〇一九年を迎えた。
 今までは数字の目標を立てたことはなかったが、今年は立ててみようと思い立った。これも、真の中心選手になり、チームの日本一三連覇に大きく貢献するための誓いだ。
『打率 三割三分 本塁打 二〇本 打点 八〇 出塁率 三割八分 全試合先発出場』
 正直、大き過ぎる目標だった。特にホームランのところ。俺のホームラン数だが、一軍デビューの一昨年は〇本。日本シリーズでは打ったが、あれは通算成績には残らない。そして去年は四本。
 つまり、打率を去年以上に上げつつ、本塁打を五倍打ち、打点も稼ぎ、四球も選び、怪我や不調なくシーズン通して働き続けなければならない。
 自信はない。全く。
 ないが、しかし、しかし……これがもし達成できれば、いや、達成はできないまでも、なるべくこの成績に近付けられれば、俺の打順は自然とクリーンナップへ上がっているはずだ。
 去年の今頃も、今年は勝負! と意気込んでいたが、今年はそれに輪を掛けて勝負の年だ。
 のるかそるか。今年、プロ野球選手としての俺の方向性がほぼ決まるに違いない。
 一流に足を踏み入れるか、一流半に留まるのか。
 期待と不安の入り混じるシーズンが、俺の中では早くも幕を開けていた。


 二〇一九年シーズン、野球解説者の多くは、アイロンズを優勝とは予想しなかった。
 覇権奪回を目指すギガントスの超大型補強が主な話題で、多くの解説者はギガントスの五年ぶりの優勝を期待していた。順位予想など、予想の皮を被った期待の順番としか思えないが、確かにギガントスのなり振り構わぬ補強は脅威ではあった。
 アイロンズはそれどころではない。洗川マネーは軒並み施設改修に回り、戦力補強はほとんど例年どおりであった。新外国人の補強はあったものの、御多分に洩れず、活躍するかは蓋を開けてみないと分からない。
 アイロンズは、育成を是とする球団である。裏を返せば、補強には不慣れだ。FA選手の獲得も、ほとんど行ったことがない。ギガントスやプラムズのような金満チームと競っても結果が見えているからだ。
 この状況で、肩の力を抜け、と言われてもムリだ。
 シーズン開幕からしばらくして、アイロンズを囲む空気が確実に変化しているのを感じていた。
『あれ? 今年のアイロンズ、弱くね?』
 俺は昨年と同じく二番ライトで開幕したが、今年はチャンスメイクだけでなく、大きい打撃も意識している。それが、思いっ切り裏目に出た。
 打率  二割四分八厘
 本塁打 三本
 打点  十二
 出塁率 二割九分四厘
 思いっ切り裏目に出た。
『…お前の穴を埋めるには、俺もホームランを打たなきゃダメか』
『あー、それですね! いやっ、やめた方がいいですよ! ザキさんそういうタイプじゃないです! 多分大きいの意識し始めたらバッティングが崩れてヒット打てなくなるタイプ!』
 やはり洗川は天才だった。プレーだけではなく、観る目も一流。四月後半の現状、洗川の指摘は預言者レベルで的中していた。
 新外国人は大外れで三振献上マシーンと化し、アッサリと見切られ二軍落ち。
 去年の日本一、アイロンズは、リーグ四位で四月を終えた。正直、四位でも相当頑張っている方だ。これはひとえに、投手陣の懸命の働きに尽きる。昨年のように大量点は取れない中で、最少失点に抑えることで最低限の白星は拾っている。だが、シーズン序盤からこんな調子では、勝負の後半戦に投手陣が壊滅しかねない。
 どうにかしなければ--アイロンズ内には、そんな空気が充満していた。
 俺が。俺が。俺が。俺が。
 俺がやる--。
 みんな、そう思ってはいるのだ。チームが苦しい時こそ、自分がやらなければならない、と。
 しかし悲しいかな、プロ野球は、本当に実力の世界だ。
 海の向こうのメジャーリーグでは、洗川が開幕メジャー入りを果たし、開幕戦から満塁ホームランを放つなど、アメリカでも通用する能力を思う存分発揮し始めていた。
 プロ野球は、本当に、実力の世界だ。これほどまでに、自分の無力を思い知らされることが、この世にあるのだろうか。

       

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