Neetel Inside 文芸新都
表紙

熱いトタン屋根の上
「すごく…第八話です」

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「サードォ!!」

 スクイズ警戒体勢をとっていたサードの足元を襲った痛烈な打球が、ホーム方向へと跳
ね返った。本塁突入に備えてホームベース上を固めていたキャッチャーが慌てて、おむす
びころりんよろしく転がった打球のフォローに回った。

「うわっ!とと!」

 転がるように手から滑り込んで帰塁したサードランナーを牽制して、ファーストに眼を
移す頃には、バッターランナーは両腕を広げてファーストベースを駆け抜けていた。

「おお……」

 サード、ピッチャーの両人の顔が曇る。カバーに入ったホームベース上で、わざわざ拾
ったマスクをキャッチャーに渡せないまま、立ち尽くしている。

「サード!今のはむしろビッグプレーだ、抜けてりゃ二点だった。ピッチはビビらないで
でガンガン投げて来い!!」

 ひったくるようにマスクとヘルメットを受け取ったキャッチャーが、明るい声で選手達
を激励した。

「あー!惜しい!」

 アスレチックス応援団の悔しそうな嘆きだった。打球の勢いを考えれば試合を決定付け
る一撃になってもおかしくなかったのだ。
 ヒーローになれと言われ打席に送り出されたショウタも、タイム中コーチャーズボック
スで、終始一塁ランナーコーチと並んで不安気にベンチを窺っていた。
 バッター四番。ここで彼に望む事はひとつだろう。

「堂々としたモノだな」

 チームにとっての四番の役割を理解しているのだろう、打席横のモッさんの素振りに気
合が感じられる。脱帽して主審に挨拶、打席内に足を踏み入れてからの動きに、固いもの
は感じられず、足元を均す動作も悠然としていた。

「キメるべきところでやれるのが四番……だな」

 右手で、投手方向へと半月を描くようにバットを向け、モッさんは一塁キャンバス上の
ショウタを一瞥してから

「オオッ!!」

 声を張り上げた。
 初球、高目にボール。それまでカウントを整える為に意図的に投げていたスポットより
もボール二つ分以上高い、それまでは感心する程に冴えていた制球力に若干の揺れが見え
てきていた。
 カウント0―2、前進守備体勢を敷く野手陣にとっても緊張の極みだろう。ボールの見
られ方が確信めいたモノだというのに、どんどんとバッティングカウントになっていた。
 三球目、アウトコース。ベルトの高さ。コースは際どいが失投といえた。腰をしっかり
と残してスイングされたバットがボールを捉えた。

「サードォ!」

 打球が鋭く三遊間へと跳んだ。スピードはあったが、それは十分サードの守備範囲だっ
た。父母応援団の一部から溜息が漏れた。が、その次の瞬間、その場にいた多くの者が己
の目を疑った。

「ランナーノースライ!!」

 サードランナーコーチの狼狽の混じった声がグラウンドに響く。モッさんの打球を追っ
たサードが捕球のあと一歩というトコロで、派手に体勢を崩してすっ転び、打球はレフト
の前に転々と転がった。
 アスレチックスベンチの選手、コーチ達、そして応援団が一気に沸いた。生還したラン
ナーがベンチ前で揉みくちゃにされていた。
 一塁キャンバス上では、外したバッティンググローブを握り締めた左手をセカンドラン
ナーへと突きつけているモッさんがいた。


     

                  *


「……こんなトコロで脚がもつれた?」

 ワロースのサードのフィールディングの良さは、これまでのイニングを見ての通りだっ
た。それだけに、目の前で起きた事に対して目を疑っている奴等が多い。

「いや……多分」

 健太郎の説明は必要なかった。地面に転がったサードは、膝を突いたまま起き上がれず
にいた。インプレー中の出来事にキャッチャーがすぐさまタイムを要求した。

「あの時の……」
「だね。軟球とはいえクリーンヒットして爪先に直撃、多分爪が割れてるよ」

 キャッチャーとショートの選手に肩を任せ、引きずられるようにベンチへと下がる。間
もなくサードには、ベンチから忙しそうに飛び出した選手が守備についた。

「モッさんは……これを分かってて逆方向に?」
「引っ張っても良い場面だけにね。完全に右肩がレフト向いてたし」

 だとするなら、驚異の観察力だ。ランナー満塁になった直後の状況でなら、攻め手はピ
ッチャーの観察をしてしまいがちだが、彼はめざとくサードの歩き方に気付いたというの
か。この後、五番打者から右打者が続く。それを考えていたとすれば尚更だ。

「あとは……俺の私見だけど」健太郎が断りを入れてから「あの三塁の子を気遣って引導
を渡したのかもな。黙ったまま延長が続けばもっとヒドイ事になっていたかもしれないし」

 どうあれ、ワンアウト満塁。不測の事態に浮き足立つワロースと、四番が仕事をして意
識のベクトルがポジティブな方向へと揃っているアスレチックス、土壇場で両チームの立
場が派手に別れた。

「しかし……こうまで底の厚い攻撃が出来るなら今までで、もっとやりようがあったんじゃ
なかったのかな?」

 相手チームも使っていた、特殊素材のバット……例えばビヨンドマックスをアスレチッ
クスが試合の最初から使っていれば。

「コンポジット素材のバット使用に関しては……異議を唱える選手が少年野球にも少なく
ないって聞くからな。道具に頼っても意味が無いってのはどっかの金満プロ球団に聞かせ
てやりたい限りだな」

 健太郎が嘲笑気味にそう言った。無論、日本のジャイアンツや、アメリカのヤンキース
の事を指しているのだろう。


     

                    *


「よっしゃぁ!一点差!守りきるぞ!」
『オォッ!!』

 キャッチャーの呼び掛けに、各守備位置についた選手達が応じた。
 延長九回ウラを迎えて、アスレチックスのアドバンテージは一点。モッさんに続いた五
番打者がレフトへと犠牲フライを上げたが、絶妙な中継プレイによってリードを広られず
九回のオモテを終えた。
 マウンドに登ったのは当然、エース・モッさん。ベンチ内のテンションも最高潮に上が
りきっていて、グラウンド内の選手達にとっては何よりも心強いだろう。
 対するワロースのベンチは、どことなく張り詰めたモノが切れたような雰囲気を感じる
事が出来た。当然打席に向かう選手の背中を押そうと懸命にチームメイト皆が声を掛けて
いるが、その応援には力が感じられなかった。

「ピッチ楽にね!セカン、ショートは余裕持って!ひとつずつでいいから!」

 右打席に入る直前、サードランナーを窺ったバッターの表情には、悲しいかな隠しきれ
ない動揺の色が見受けられた。
 モッさんの右足が高くリフトされた。ファーストランナーがお決まりのようにスタート
するが、セカンド・ショートのリアクションは薄いものだった。バッターは見逃すべき初
球、ナーバスに入れ込みすぎていたのか、バッターがフルスイングで反応してしまった。

ボゴッ

 鈍いミート音。内角のボール球をドン詰まった。

「サード!!」

 キャッチャーのマスクが弾かれるように舞った。
 打球はサード正面のボテボテのゴロ、サードが前進して捕球体勢に入った。ランナー二
人がその様子を窺っている。サードランナーは野手の様子に合わせて、ハーフウェイで重
心をサードベース寄りに構えていた。

「おっと……」

 状況的には少し具合の良くない当たりだったかもしれない。ボテボテの当たりだっただ
けに、サードランナーにじっくりと機を窺う余裕が出来てしまった。下手にバッターラン
ナーを仕留めようと送球してしまえばサードランナーホームイン、バックホームなんてし
ようものならフィルダースチョイスを喰らってしまう。

「よしっ!ファーストォォ!」

 まじかよ、と思わずツッコミを入れたくなる、キャッチャーの迷いが無く威勢の良い指
示。サードもサードで、ランナーを一瞥してからファースト方向へとステップし、右腕を
振り切ってしまった。

「ランナーゴォ!!」

 ランナーコーチの怒号に近い進塁指示。サードランナーもハーフウェイから迷わずにホ
ームへと突っ込んだ。

「馬鹿……」

 頭を抱えてしまった。
 ワロースのベンチの連中は、さぞほくそ笑んでいるだろう。労せず一球で同点だ。復活
の糸口を見つけてしまったら怖いチームである。
 顔を手で覆ったのは一瞬。再びグラウンドに目を移した時には、サードランナーが三本
間で挟殺プレイに襲われていた。

「えっ?」


     

                   *


「おぉーっ!!」

 健太郎がいたく喜んでいる。無邪気な顔で若手芸人ばりの拍手までしている。

「偽投かよ……あの送球がブラフなんて」

 小学生とは思えない演技力だ。

「ワロースくらいの強豪チームなら偽投を想定した走塁も練習していただろうに」
「サヨナラ勝ちフラグに集中を乱したな」

 ともあれ、二死二、三塁、ピンチである事には変わらない。

「さて……ここからが本番だ。ここでスコアに“K”が付いたら格好良過ぎだね」

 俺が鼻の穴を膨らませてそう言うと、健太郎が顔を近付けてきて耳打ちしてきた

「ところであの外野陣を見てくれ、あいつをどう思う?」
「すごく……前進守備です……」

 二死とは言え、二人目のランナーが一打で帰ってしまう状況なのだから当然なのだが。

「それがどうした?」
「あ、いや……気付かないんなら後で話すよ、ふふん」

 鼻で笑うような、嫌な含み笑いで話を締められたが気にする余裕はなく、次のプレイが
始まっていた。セットポジションでゆったりと静止するモッさん、たっぷりと時間をかけ
て右足を高々とリフトアップした。

「おい……」

 投球と投球の間はたっぷりと取っている。しかし、球がストライクゾーンに入らない。
0―2、あと一人というところで、強心臓の持ち主のモッさんも固くなったのか。

「豊、見て置け。面白い事になるから」

 再び、耳打ちされた。面白い事?
 モッさんが、三度セットポジションの状態で長めの静止を取っていた。そして、彼、い
や彼等の取った次の行動は、再びこの試合を見ている者達の予想の斜め上をいった。
 モッさんは軸足を素早くプレート上から外すと、くるりと半回転してサードへと牽制球
を投げた。そこを守る選手は今現在ベースの付近に身を置いていないにも関わらず。サー
ドランナーのリアクションが、相手ピッチャーの唐突なミスに俄かに踊っている事を教え
てくれた。ぐっと重心がホームベース寄りにかかる。

「……ッ!!ランナーバック!!」

 サードランナーの心が躍っていたのが賑やかなサンバだとすれば、突然の出来事に驚き
その対応に追われたサードコーチャーの心境は、踊りに喩えればてんてこ舞いと言ったと
ころか。
 前進守備を敷いていたレフトの選手が、飛び込むようにサードベース上へと駆け込み、
モッさんの牽制球を捕った。再びのトリックプレーが、二度目の挟殺プレイを生んだ。


     

                   *


 塁審の右手が高々と上がり、その正面にはうな垂れるサードランナーと、高々とハイタ
ッチをするアスレチックスの選手達がいた。

「あの前進って……」
「あわせて言えば、あの長々と取った間とボール二つってのは、相手の油断を誘って注目
を投手一人に集中させ、レフトの極端な前進と背後からの忍び寄りを気付かせないように
する為のモノだよ」

 集合した両チームの選手達を眺めながら、健太郎が説明してくれた。

「制球の乱れもブラフ?」
「トンだ役者だよ」

 器の差がモロに延長のスコアに出たと言える結果だ。最終回はワロースがバッテリーの
掌で踊らされていたという事になる。

「でも……これだけの駆け引きが出来るなら延長に持ち込まれる事も無かっただろjk」
「そりゃぁお前……」今度は先程とはえらく違い本気で鼻で笑い「こんな鬼ルールの延長
にまで持ち込んじゃまともに野球やれやしないんだから……だからこそだよ」そう答えた。

 野球の実力とは関係無い要素が大きく関係してくる試合になってくるのがこの延長戦特
別ルールだ。それだけにある意味、高校野球以上にシビアな世界になる。ここまでもつれ
こんだら、勝つのに方法は選んでいられないという事か。

「だからと言って……延長も頑なにビヨンド使わずにやってきたんだから、最後の曲芸も
十分に誇って良い筈だよ」
「……まぁな」

 俺の総評に、健太郎が賛同した。
 ベンチ前では、お互いのチームが対戦相手の健闘を円陣になって、称えていた。その輪
を尻目に、桜井は俺達が固まっているベンチ裏応援席へと歩み寄って、応援団一人一人と
握手を交わし、感謝の言葉を述べていた。
 自分より干支二回り分は年上の、大人一人一人の言葉に感激した様子の表情を返し、遂
に桜井が……その応援団の列最後尾に着けていた俺達と対面した。

「………!?」
「どうぅも~ナイスゲームでした~」

 なんだか嫌味臭い言い方でアスレチックを称えた健太郎。今日の一連の行動が勧誘行為
であるならば、全部裏目に出そうな気がして、胃が痛くなってきた。
 突然表情が強張った桜井を見て、それまで歓喜に溢れていたベンチ裏の空気が、じわり
と変わった気がした。

「……ふぅ」

 差し出された健太郎の手を握り、桜井が浅く溜息を吐いた。

「部活云々の話なら別のトコロでしてやるよ……とりあえずは」

 強張った表情を変えず

「応援、ありがとう。多分だけど、うちのエースが気合入ったのはお前の……お陰だと思う」
 桜井が言った台詞はとても意外だった。


       

表紙

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Neetsha