評論感想界隈の考察をしようとしました
親愛なる人へ=Dear people
『親愛なる比家千有くんへ』
先ずは評論を書いてくれたことに深謝する。私が比家千有だ。
最初に言いたいのことは貴殿が大きな勘違いをしているということだ。もっともそれは
貴殿の勘は鋭さ故だろう。
『先ずもってこれは評価する価値のない駄文、一節だけ抜き出したかのような拙文を随筆
と言い張っているのかどうだか知らないが、こんなものを人様の目に触れさせようとは大
変おこがましい話だ。』
と書き出してくれたね?これには舌を巻いた。この「一節だけ抜け出したような」とあ
るが、ここが肝要、全てだ。
私の文章は読み手があって始めて成立する。読み手の感受性を担保に書かせて頂いてい
るのだよ比家千有くん、分かるかね?
なぜ、そこまで気付いておきながら貴殿は想像の翼に思索を委ねることをしなかった?
老いとは悲しいものだね、比家千有くん。
貴殿は氷ついた言葉そのものだ。凝り固まってしまっている。若い頃の君なら水面に浮
いた落ち葉を爪弾く軽やかさで『偽中国大戦で死んだ人』を弄ぶことが出来ただろう。
「筆を折るのは貴殿の方だ」と私は言わない。
貴殿のために『偽中国大戦で死んだ人』を漫画にした。とても分かりやすく描いてある。
是非読んでくれ給え。
そしてうららかな春の日差しの下に出て来給え。
我々の世界に重力はないぞ。
平成二十九年神無月二十四日 巣鴨プリズンにて
貴方の 比家千有
追伸:漫画の評論もお待ちしているよ
先ずは評論を書いてくれたことに深謝する。私が比家千有だ。
最初に言いたいのことは貴殿が大きな勘違いをしているということだ。もっともそれは
貴殿の勘は鋭さ故だろう。
『先ずもってこれは評価する価値のない駄文、一節だけ抜き出したかのような拙文を随筆
と言い張っているのかどうだか知らないが、こんなものを人様の目に触れさせようとは大
変おこがましい話だ。』
と書き出してくれたね?これには舌を巻いた。この「一節だけ抜け出したような」とあ
るが、ここが肝要、全てだ。
私の文章は読み手があって始めて成立する。読み手の感受性を担保に書かせて頂いてい
るのだよ比家千有くん、分かるかね?
なぜ、そこまで気付いておきながら貴殿は想像の翼に思索を委ねることをしなかった?
老いとは悲しいものだね、比家千有くん。
貴殿は氷ついた言葉そのものだ。凝り固まってしまっている。若い頃の君なら水面に浮
いた落ち葉を爪弾く軽やかさで『偽中国大戦で死んだ人』を弄ぶことが出来ただろう。
「筆を折るのは貴殿の方だ」と私は言わない。
貴殿のために『偽中国大戦で死んだ人』を漫画にした。とても分かりやすく描いてある。
是非読んでくれ給え。
そしてうららかな春の日差しの下に出て来給え。
我々の世界に重力はないぞ。
平成二十九年神無月二十四日 巣鴨プリズンにて
貴方の 比家千有
追伸:漫画の評論もお待ちしているよ
あとがき
お疲れ様です。
お察しの方もいるかと思いますが、これは「革命か反抗か」に着想を得たものです。お
分かりの方は今更ですがブラウザバックして頂きたい。そういう人に読まれるのが一番恥
ずかしいことです。
さて、火中のゴトケン先生とエリエリ先生ですが、これも「革命か反抗か」のカミュと
サルトルの関係性に似たものがあります。両先生は相対して評論や感想の応酬をしている
わけではありませんが、作品をありきに言葉を綴りコメント欄を狂乱させていますね。
カミュとサルトルの論戦も夢ある若者達を夥しい言葉で焚き付けて、自称弁士やフーテ
ン論客・詩人を生み出していきました。口論からの刃傷沙汰でも大層死んだそうです。自
分で意見を述べることがセンセーショナルなこととされた風潮が、多くの若人の未来を奪
ったのです。あまり関係のない話だったかも知れません。
両先生は新都社というコミュニティにおいて著名であります。発信力があるということ
であります。
両先生のコメント欄をもう一度よく見て頂きたい。
誹謗中傷のように感じられているかも知れませんが、その実、評論・感想はどうあるべ
きか、引いては作品への想いの在り方がどうあるべきかと問われているはずです。
これを引き起こすというのは物書きの冥利に尽きるところで、羨ましい話であります。
私は無理に一人称二人語りをしたせいで気が狂いそうになりました。それでも言いたい
ことは両先生が更新したら毎回読み、コメントをするようにしています。それは感想・評
論というジャンルが好きだからであります。意外とそういう人は多いがために今回のよう
な現象に至ったのではないかと拝察申し上げ、と、ここでハッと致しまして両先生のコメ
ント欄を見直しましたところ、確かに謂われない誹謗中傷も多く、気の毒に存じ上げまし
た。
ですが一読者としてこれからも楽しみにしております。
比家千有
お疲れ様です。
お察しの方もいるかと思いますが、これは「革命か反抗か」に着想を得たものです。お
分かりの方は今更ですがブラウザバックして頂きたい。そういう人に読まれるのが一番恥
ずかしいことです。
さて、火中のゴトケン先生とエリエリ先生ですが、これも「革命か反抗か」のカミュと
サルトルの関係性に似たものがあります。両先生は相対して評論や感想の応酬をしている
わけではありませんが、作品をありきに言葉を綴りコメント欄を狂乱させていますね。
カミュとサルトルの論戦も夢ある若者達を夥しい言葉で焚き付けて、自称弁士やフーテ
ン論客・詩人を生み出していきました。口論からの刃傷沙汰でも大層死んだそうです。自
分で意見を述べることがセンセーショナルなこととされた風潮が、多くの若人の未来を奪
ったのです。あまり関係のない話だったかも知れません。
両先生は新都社というコミュニティにおいて著名であります。発信力があるということ
であります。
両先生のコメント欄をもう一度よく見て頂きたい。
誹謗中傷のように感じられているかも知れませんが、その実、評論・感想はどうあるべ
きか、引いては作品への想いの在り方がどうあるべきかと問われているはずです。
これを引き起こすというのは物書きの冥利に尽きるところで、羨ましい話であります。
私は無理に一人称二人語りをしたせいで気が狂いそうになりました。それでも言いたい
ことは両先生が更新したら毎回読み、コメントをするようにしています。それは感想・評
論というジャンルが好きだからであります。意外とそういう人は多いがために今回のよう
な現象に至ったのではないかと拝察申し上げ、と、ここでハッと致しまして両先生のコメ
ント欄を見直しましたところ、確かに謂われない誹謗中傷も多く、気の毒に存じ上げまし
た。
ですが一読者としてこれからも楽しみにしております。
比家千有