Neetel Inside ニートノベル
表紙

生命力
心臓

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 古畑が湖南の眼力を受け入れるようになったのは、彼女があらゆる物の裏も表も見通してしまう事実をこの眼で見たからだ。彼女の二つの目を通して覗いてしまえば、たちまち天地万物、平面となるのだ。
 そして、湖南を構成するもう一つの大きな要素。それは変人であることだ。
 古畑がそんな彼女を受け入れることができたのは、眼力のおかげではない。
 変人の中に潜めた、無垢な人間性をこの眼で見たからである。



 古畑は肩をすくめた。
 颯爽と歩く大家が突如立ち止まる様子を見て、不吉な予感に襲われたからだ。
 何にも縛られない彼が足を止めるという事は、相当な何かがある。
 俺のような凡人からすると、大変な面倒事が待ち受けているという事だ。
「犬飼じゃないか」
 大家に犬飼と呼ばれた男は、歩行者信号の真下、電柱に寄りかかっている。
「ああ。大家、か」
 犬飼は含みのある言い方で答える。
 古畑は彼が只者でないとすぐに理解した。それは異質な雰囲気、オーラだとかそんな超常的な物ではない。
 犬飼の身なりは、不健康そうな痩身と、大家とさほど変わらない、170㎝ほどの背丈。そして、目の周囲に巻きつけられ、目隠しとなっている鉢巻だ。
 その白い鉢巻には、「心眼」と筆書きされている。
 この容貌を見て、只者ではないと感じた事は間違っていないはずだ。古畑は自分に言い聞かせる。
「お前も挨拶をするんだな」大家が言う。
 古畑は犬飼の前まで歩み寄り、「古畑です」と会釈する。
 すると犬飼は一瞬首を傾げた後、直ぐに微笑み「よろしく」と言った。
「相変わらず、調子は良さそうだな」
 古畑が次の言葉を出す前に、大家が話始める。
「ああ」
「今日は、買い物か?」
「そうだ。そっちは?」
「ちょうど、湖南の家へ向かう途中だったんだ」
「そうか」
 二人は、いま一つ盛り上がりに欠ける様子で、大家は古畑の方を見る。
「そうそう。犬飼は、湖南の弟子の一人だ」
「弟子。なのか」
 古畑は呟き、改めて心眼と書かれた目隠しを見る。
 噂で聞いていた、湖南の弟子。本当に存在するとは。
 そういえば、と古畑は思い出す。湖南の周りにはもう一人変わった目を持つ者がいるという事を。
 
 湖南と似た目。いわゆる眼力。彼がそれを持つ可能性はある。
 だが、それをどう確かめるのか。
 やはり直接聞いてみるのが一番だろう。しかし。
 そもそも、俺は湖南の能力を否定している立場だから尋ねにくい。
 何より、それが間違いだった場合の気まずさはどうだろう。想像するだけでおぞましい。
 とりあえず、この場で訊ねるのは難しい、古畑がそう判断した時、一人の男が傍を駆け抜けていく。
 大家は鬱陶しそうに目で追った。
「古畑君。君は走るのが得意だろう」
「え?」
「今の人を追いかけてくれ。早く」
 古畑は状況が飲み込めないまま、大家に背中を押され、走り始める。
 それと同時に「誰か」と叫び声が響く。
 古畑がその声に振り返る前、「ひったくりだ。そのまま走れ」と大家が叫んだ。
 急な展開である。
 古畑は無我夢中で追いかけ、あっという間に追いつく。そして男にありったけに体重を乗せた体当たりをして、引ったくり犯共々自転車の密集する駐輪場へ倒れ込む。
「強盗です。手を貸して」
 古畑が叫ぶとたまたま居合わせた通行人は積極的に加勢に入る。
 遅れて、大家がやってきた。
 ひったくり犯は必死にもがいてみせるが勇敢な通行人達には成すすべなく、脱力した様子を見せる。
「お手柄じゃないか。この短期間で再び事件を解決するなんて」
 大家が言う。
 確かに。妙な偶然だと古畑は思った。
 いつの間にか、人が集まっていて現場をスマホで撮影している者もいる。
そしてひったくり犯は駆け付けた警官に抑えられ御用となった。
 一件落着し、交差点へ戻った時、犬飼の姿は無かった。
 大家の携帯電話が鳴る。
「犬飼だ」そういって大家は応答する。「杖を忘れた?忘れっぽいのも相変わらずだな」
 そんな言葉が漏れる。杖とは何だ?杖で、魔法でも使うのか?
 奇抜な風貌に反して、紳士然とした立ち振る舞い。そして、ひったくり犯を誰より早く見ぬいた事。やはり、湖南と同じ眼力とかいうのを持っているのだろうか。
 勿論、眼力など信じていないのだが。古畑は悩み続ける。
 古畑にとって、とにかく犬飼の第一印象は大変強烈であった。
 やはり、彼も湖南や大家と同じ変人の類なのだろう。

 普通の人間と出会いたい。古畑の中でそんな願望が生まれた。


     


 ビルの一室。
 扉を開けると、極めて小柄な人物が飛び出してきた。
「火急でやんす」
「どうした狸」大家が言葉を返す。
 この男が話に聞いていた狸と呼ばれる湖南の弟子か。
 狸は、丸い目をくりくりさせ鼻息を荒げている。
「どうしたんですか」
「御師匠が居なくなってしまったんです」
「ほんとか?」大家が言う。
「師匠がたまに起こす癇癪です。師匠は何かに興味を持つと、堪らず飛び出していってしまうんです。そして、気持ちが満たされるまで帰ってこないんです」
「面倒な話だ」古畑は呟く。そして、少し大家に似ているなと思った。
「丸一週間帰ってこないこともあって、始末が悪いんです」
「それはひどい、連絡は?」
「当然とれません。師匠はこんな時、決まって携帯の電源を切りますからね」
「じゃあ、何ですぐにでも探しに行かないんだ?」
「あっしの軽い頭じゃ、師匠の行先には見当が付きません」
 狸は汗ばんだ坊主頭をかきむしる。
「狸らしく鼻を利かせないか」大家が言う。
「本物の狸は嗅覚が良いのか?」
「いいです」
 そうなのか。
「ともかく、あっしは成す術なし。しかし、お二人がここへ来るのは分かっていたので、ご享受を頂戴したく待機していた次第でやんす」
「なるほどね。最近だと、何を探しに行った?」
「そうですね。最近ですと、貴重な骨董品だとか、行列のできるスイーツ、行方不明になった少年などですね」
「見境なしだな」
「何日も帰ってこない時は、仏の御石の鉢とか、蓬莱の玉の枝だとかを探しに出かけていたそうで」
「竹取物語じゃないか。湖南はかぐや姫と婚約する気か?」大家が言う。
 何の話だろうか、古畑は二人の話に置いていかれている。
「物語の中ですら存在しない物ですからね。当然見つかるはずもなく、その時は手持ちの銭も尽きたとき、あきらめて帰ってきました」
「残りの宝を探しに出かけてなければいいが。他に何か手掛かりはないのか?」
「骨董品探しの時は、なんでも鑑定団を毎週録画してましたし、スイーツ探しの時はSNSにはまってましたね」
「それなりに前兆があるという訳か」
「最近は、どうでしょうか」
 古畑は、思い当たる物があった。
「焼酎。じゃないですか?」
 彼女は先日も、居酒屋で焼酎について講釈を垂れ流していた。
「確かに。近頃よく嗜んでいましたね」狸は頭を掻く。
「詳しい行先は分かるか?」
「そうですね」
 狸は考え込む。
「そういえば、近頃、師匠が繁華街の隅にある酒屋に出入りしている情報を犬飼から聞いていました」
「そんな肝心な情報があったなら、先に犬飼へ相談すればよかったじゃないですか?」
 古畑が質問すると、狸は口を尖らせる。
「兄弟弟子って言うのは、複雑なんだよ」大家は古畑に耳打ちした。
どんなジレンマにあるのか知れないが、「なるほど」と古畑は呟く。
「よし、決まりだな」と大家が手を叩く。「じゃあ、頼んだぞ」そして古畑の肩を押す。
「どういうつもりだ?」古畑は目を細める。
 狸は目をくりくりさせている。
「もともと、湖南と話すために来たんだ。それに合わせて時間も空けてきたんだが。探しに行く時間は無い。という訳で後は頼んだぞ」
「はあ」
「仲間の為だろう」
 大家はらしくない綺麗事を言った。



 湖南が何故、『米満酒店』に興味を持ったのか。古畑達はそれを考えるべきであっただろう。彼女がありふれた酒店に興味を持つわけない事など直ぐに分かるはずだ。
 
 古畑達は米満酒店の門をくぐり、職員へ用件を告げると裏手の倉庫へ案内された。
 倉庫の扉を抜けた先には、湖南と数名のスーツ姿の男たちが立っている。
「おや、下僕諸君じゃあないか。何の用かな」湖南は流し目で古畑達を見る。
 狸が口を開く。「師匠が突然居なくなるから、迎えに来たんですよ。古畑さんのおかげでここが分かったんです。そんなに睨まないであげてください」
「それは感心。と言いたいところだが、大家と犬飼の入れ知恵では無いのかな?」
「…その通りです」狸は声を吃らせてる。
「ふうん」
「湖南、そんな言い方は無いだろう。俺達とも会う約束していただろう。迷惑をかけすぎだ」
「私は大家に用があったんだがなあ」
 古畑は返す言葉を失う。
「すみません」俺の心中を察してか狸が謝る。
「とにかく!」湖南が叫ぶ。
「今日は記念すべき日。これまで通い詰めた日々が、長期に渡る悲願がついに成就する時が来たのだ!」
 湖南は演劇でも始めるかのように、高らかに宣言した。
「そう、虹霧島なのだ!」
 古畑と狸は呆気に取られている。

「某酒造が製造する本格焼酎。白霧島、黒霧島、特殊な芋を用いた季節限定品の赤霧島。冬虫夏草を使用した金霧島」
「冬虫夏草ってなんだ?」
「虫は好きですか?」
「どちらかというと嫌いだ」
「なら、知らない方が良いですね」
「これらの名品を、秘密裏に絶妙のバランスでドリップした非公式の創作焼酎、虹霧島が販売されているんだ」
 普通に違法じゃないか。と古畑は思った。
「アベンジャーズやエクスペンダブルスにも勝る黄金の布陣だ、早く虹色に染まる霧島の山を登りたいものだ」湖南は大袈裟に胸を抱える。
 古畑は、そうか。と言う他なかった。

「とにかく。さっさと買って帰る。それで満足だろ?」
「古畑、何故そんなに偉そうなんだ?」
 湖南に言われたくはない。
「だが、そう一筋縄ではいかない。ルールがあるんだ」
「ルール?」古畑がそう言った時、奥から一人の男が現れる。
 肥満体質の男。
 いかにも成金然とした出で立ちのその男は口を開く。
「湖南様、本日もご利用ありがとうございます。先日、名誉会員となりました貴方が、早速権利を行使するとのことでワタクシも参上いたしました」
「誰だ?あの男は」
「お初にお目にかかる方もいますので、自己紹介させていただきます。ワタクシ、米満酒店の経営者である米満金満でございます。どうぞよろしく」
 いかにもな男だ、と古畑は思った。
「さて本題に戻ります。湖南様が行使されました、米満酒店の名品を購入できる権利。いや正確には名品を購入する為の勝負に挑戦する権利ですね。そして、その勝負を発表させていただきます」
 成金男、米満は部下に合図を送る。
 そして手際よく運ばれてきたものは、折り畳み式の長机とその上に陶でできた回すコマの様な何かと、急須の様な器だった。
「鹿児島名物。”黒じょか”と”そらきゅう”です」
 米満はコマのような何かを手にする。
「くろじょか?そらきゅう?」古畑がたどたどしく疑問符を出すと、米満が説明を始める
「鹿児島に昔から伝わる珍しい一品です。黒じょかは、焼酎を水で割り、そのまま火にかけ、焼酎のお湯割りを嗜む為の道具です。そらきゅうは、更に一風変わった物で、盃として使用されます。盃の底面は平らではなく鋭利になっていて、テーブルの上で自立する事が出来ない。更に、底部辺りに穴が開いていて、指で押さえなければ、中身がこぼれてしまう。つまり、注がれた焼酎を飲み干すまで盃を手放す事は許されない」
「本当に、変わっているな」
「まさに鹿児島の焼酎に対する想いが具現化した盃といえます」
「あれ、ほしいな。あとで発注しておくんだぞ」湖南が言うと、「了解です」狸が頷く。
「そしてこれらを用いた飲み比べの勝負をさせていただきます。では、まず虹霧島を用意いたしましょう」
 米満が言うと、取り巻き達が拍手で場の雰囲気を盛り上げる。
「湖南。がんばってくれ」古畑が湖南の背中を押すと、湖南は「何を言ってる。せっかく来たんだから。手伝ってくれたまえ」と言い、古畑の肩に手を置く。
「何を」
「無論、飲み比べに参加してほしい。古畑は九州男児だから、期待している」
「そんな馬鹿な、確かに九州男児ではあるし、酒も弱くはないが」なぜ、そんなことをしなければならないのか。古畑は思う。
「期待しているぞ。私はもう賭けてしまったんだから」
「何を賭けたんだ」
「この身だ」湖南は言って、胸に手を当てる。「負けたら身売りされるんだよ」
 何を言ってるのだろうか。
 妙齢の女性が恥ずかしげもなく、何をしているのか。古畑は項垂れる。
 確か、先日の飲み会の時も、湖南は豪く酔っ払っていた。
 彼女は酒に弱い酒好きなのだ。
 仮に俺が挑戦して負けたとして、平成末期となった社会で本当に身売りされる訳もない。
 なら、引き受ける位、別にいいのだろう。古畑は軽い気持ちで決意した。
「分かったよ、参加する」
 古畑が宣言すると、湖南はらしくもない純真無垢な眼差しを見せた。
 この眼差しは、苦手だった。

 米満の取り巻きによって運ばれてきたアルミのテーブルの上には、トランプが背を向けて散らばっている。
「この勝負、注がれた焼酎を只々飲んでいくわけではない。トランプの神経衰弱は知っていますね?裏返したトランプの同じ数字を揃えていくゲームだが」米満は話を区切り、一枚のトランプを手に取る。
「今回は神経衰弱で揃えたトランプの数字に合わせた数を飲む。このカードの様に、2なら2杯。そらきゅう一杯の容量は50ml弱だから大した量ではない。だがキングなら13杯。これは結構しんどいでしょう」
「なるほど」狸は呟く。
「一つ確認だが、酒を飲む人間と、捲るトランプを選ぶ人間は別でも構わないか?」湖南は訊ねる。
「構いませんよ」米満は頷く。
 古畑は彼の気前の良さに些か、不信感を抱いた。
「分かった。じゃあ、私がめくる。飲むのは、古畑だ」
 やはりそうなるか、と古畑は思った。
「では、私達から始めてもいいか?」湖南は再び訊ねる。
 めくったトランプは。
 赤と黒、キングのペアが。
 会場がざわつき始める。
「じゃあ、13杯飲んでもらおう」湖南は途端に仕切り始める。
 まさか、と古畑は思う。
 米満は自分で飲むらしい、不服なのか、ぶつぶつ言いながら飲んでいく。
 飲み干した後の米満は目に見えて顔が赤くなっている。
「ペアを揃えたから、まだ続けていいんだよな?」
「ああ、勿論だ」米満は声が掠れている。
 湖南がトランプの群れを指で辿る。
 彼女が引いた3枚目のトランプは、またしてもキングのカードだった。
 会場のざわめきが大きくなる。
 やはり。
 4枚目のトランプは、キングであった。
 2組目のキングのペアが揃った。
 これが、眼力なのか、古畑は完全に眼力を認めてしまう。
「驚きだよ」米満が周囲の騒ぎをかき分けて呟く。
「大した偶然だ」湖南は仰々しく腕を広げる。
「御師匠」狸が言う。
「わかっている」
 米満は黙々とそらきゅうを空にしていく。
 13杯すべて飲み干すと、すっかり顔を赤くして、「続けよう」と言った。
 湖南が続いて引いたカードはハートの2とダイヤの3。
 狸は湖南にペアを続けすぎないように忠告したのだろう。
 そして、ミスの振りで捲ったカードも2と3。リスクの低いヒントしか与えないという訳である。徹底したものだと、古畑は感心した。
 
 続いて米満が捲ったトランプはスペードの4とハートの7。再び湖南の順番が周ってくる。
 湖南は、クラブの4を引き当て、「また当ててしまった」と呟く。
 そして、米満が見つけたスペードの4を丁寧にめくる。
 なんとも巧妙である。古畑は感心した。
 米満は4杯をゆっくり飲み干した、開始間もないが、大した量を飲んでいる。既に限界かと思われたが、まだ余裕を見せている。
 今回の湖南は控えめで、不揃いのカードを捲り、米満に順番が回る。


「流石に卑怯じゃないか?」
「ようやく私の力を認めたか。仮に卑怯だとしても、あちらも同じようだぞ」
「なんだそれは」
「黒じょかと言ったか。あの中身、おかしいぞ」湖南が言う。
 古畑達が話をしている間に米満が捲ったカードはスペードの3であった。そして湖南のヒントを元にダイヤの3を捲り、3のペアを作った。
 古畑は、これは仕方ないと思いつつも落胆し、覚悟を決める。
 そして、そらきゅうに注がれた焼酎を一気に飲み干した。
 一瞬で顔が熱くなる。思いの外、濃い割り具合だった。
 古畑は残りの2杯をゆっくりと飲み干す。
「大丈夫か?」
「米満はこんなものを既に何杯も飲んでるのか、もう限界じゃないのか?」
「そうでもないんだ」
 湖南は黒じょかを指さす。
「ウチの古畑が飲んでいるものと、そちらが飲んでいるもの、別物じゃあないか。まるで、不利だ。どうやら黒じょかの中身が違うようだな」
「なんだって」米満の顔が強張る。
「ナンダもパンダもない。要するにそちらの黒じょかの中身の原液が薄く、こちらの中身は原液が濃いのだ」
 そんなことまで、と古畑は驚く。
「証拠ならあるぞ、注がれた焼酎の匂いが違う。匂いの濃淡が明らかだ。否定するなら、まず飲ませてみろ。できないならそれでもいいが、これから先は私達の目の前で、黒じょかの用意をしてもらう」
 湖南が声を張り上げると、米満はぶつぶつと不正を認め、了承した。
 米満の取り巻き達は直ちに、黒じょかの中身を作り直している。
「匂いじゃなくて、透視したんだよな?そんなことも分かるのか」
「当然だ。あの虹霧島の中身まで見える」
 そう言って虹霧島の箱を見た後、湖南は急に熱が冷めた表情を見せる。
「どうした?」
「なんでもない」
 米満のミスで湖南の順番となるが、湖南はスぺードの6とダイヤのJを捲った。
 こちらの不正を悟られない様、今回もわざとミスをしたのだろうと古畑は思った。
 再び米満側はダイヤの6を捲る、すかさず湖南が引いた6を捲りペアをそろえた。
 古畑は口をすぼめて息を漏らす。
 先程の3倍となると、気が重い。
 なるべく考えないようにし、アルコールを感じる間もないよう、一気に6杯を飲み干した。
 しかし、一分も立たないうちに、視界がゆがむ。これはあまり長続きしそうにない。
「湖南。あまり長くは続けられそうにない」古畑は耳打ちする。
 しかし、湖南は小さく頷くばかりだった。
 湖南が捲ったのはハートの9。
 これはチャンスだ、他の9は米満が一度引いたはず。場所は確か。
 しかし、古畑が思い出す前に湖南はトランプを捲る。
 スペードの7だった。
 どうしたんだ?古畑は戸惑う。
 湖南は目を伏せたまま、古畑に告げる。
「トランプの絵柄が透視できなくなった」
 何故、急にそうなる。
「あの、箱の中身を透視したんだ。艶めかしい瓶のフォルムと虹色のラベル。しかし、その中身はただの水だった。興が冷めたんだ」
 なんだそれは。古畑は溜息をつく。
 湖南が話しているうちに、米満は知り得た情報から9を揃える。
「最初からぼったくり。気づかない私が馬鹿だった。前にも話したが、ドキドキしない時に透視は出来ないんだ」
 彼女らしくもない、卑屈な発言が続く。
「つまり、もう飲まなくていいんだ」
 しかし、古畑は彼女の言葉を飲み込むつもりはなかった。
「9杯なら、まあなんとかなる。と思う。どうだろう」
 古畑は既にしどろもどろで、自信も無かったが、覚悟は決まっていた。
 汚くにやつく米満はそらきゅうにお湯割りを注がせる。
 古畑はそれをさっさと飲み干していく。
「なにやってるんだ。だから、飲まなくていいんだよ」
 古畑は頭の痛みをこらえながら「湖南を身売りさせるわけにはいかないからな」と言った。
 その言葉で湖南は、冷めきって凍りついた心臓が解けるような感覚に包まれる。
「大丈夫だよ古畑。身売りなんて、されっこない」
「こんな大掛かりな詐欺をおこなう奴らだ。何をされても不思議じゃない」
「だとしても身売りなんて」
「少しでも可能性があるなら、俺は辞めるわけにはいかない。それに湖南が賭けて、俺が乗ったんだ。最後まで責任は負ってやる」
 古畑の覚悟をみた湖南は目を丸くする。そして、全身がゆっくりと熱を帯びていく。
 9杯全てを飲み終えた時、古畑は湖南の肩を叩く。
「後は頼む」限界。だが、ダウンする訳にはいかない。
 続いて米満はスペードの10とダイヤの8を引く。
 湖南の順番となり、彼女が引いたカードは、Q。そして2枚目。Q。
「ここで、Qですか」初めて米満が声を漏らす。
「先に、もう一度、引かせてもらう」
 湖南が言って、捲ったカードはハートの10。「これは」とわざとらしく漏らし、先に出ていたスペードの10を捲る。
「どうだ、飲めるのか?勿論、さっきまでのようなイカサマは無しで頼むよ」
 会場のどよめきは最高潮になる。
 湖南は、古畑の頬に顔を近づける。彼が皮膚で呼吸を感じるほどの際まで。
「古畑。正直、格好良かった。ドキドキしたよ」
 彼女の顔を見つめ返す。
 心拍数が上がるのはこちらの方だと、古畑は思った。
「大変です。あの男が居なくなってやす」狸が声を挙げる。
 言葉の通り、米満の姿は無くなっていた。
 その代わりに残った取り巻き達が頭を下げていた。
 古畑達への降参の合図だった。



 秋の日はつるべ落とし。暗くなった帰り道を古畑達三人は肩を並べて歩く。
「結局、何も得られなかったでやんす」
 虹霧島が贋物である事は承知していたから、取り巻き達の変な言い訳を聞く前に、湖南はさっさと退散する事にした。しっかりと諸々の費用は返済してもらうようだが。
「そうでもないさ。新しい弟子を見つけることが出来た」
 は?だとか、へ?だとか、古畑と狸は似たような反応をする。
「古畑、お前は惚れ惚れするほどの情熱を持っている。弟子になる権利をやろう」
「なんだそれは」
「最高の忠誠心を持つ狸、最高の能力を持つ犬飼。そこに最高の情熱を持つお前が加われば、ようやく及第点の布陣だな」
 そして、湖南はガハハと大袈裟に笑い出す。
「言っておきますが、断る事はできません。というより、師匠に答えは必要ないのです」狸が言う。
「どういうことだ」
「承諾するでもなく、拒否するでもなく、自然と弟子入りしてしまうんです。私も師匠に勧誘された時は困惑しましたが、自然と師匠に酔心し、自然と定義的に、そして精神的にも弟子入りしてしまいました」
 古畑は、そんな馬鹿なと一瞬思ったが、彼女の呼吸を思い出して、実は分かるかもしれないと飲み込んだ。

       

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Neetsha