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月がきれい
4.「恋する小惑星の百合小説書いてええの」19/08/08

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恋する小惑星の百合小説書いてええの

     

 神話が生まれる遥か昔、地球上の五つの大陸は、大きなひとつの大陸だったといいます。
 そしていつの日か、地球から人々が消え去り、おとぎ話のなくなった世界で、大陸はまた一つになってしまうそうです。


 「関東を出たわよ」
 ハンドルを握る美景がそう言ったので、イノは助手席から顔を外に向けた。
 「トンネルの出口にゴツゴツして特徴的な……、安山岩でできた山ありますね」
 「八風山って言うらしいわ」
 「桜先輩、詳しいですね」
 「そりゃトンネルの入り口に書いてあったから」
 イノは呆れてむくれてしまったが、
 「ただ、この近くにある荒船山なんかメサでできてるでしょ?余裕があれば行きたかったわ」
 美景の言葉にぱっと明るくなって口調を弾ませる。
 「ですよねですよね! あそこに見える浅間山なんて今も活火山で、写真以外では初めて見ましたよ〜!」
 「これから通る新潟の焼山もそうね」
 道路脇には高く積もった雪、時折思い出したように降り出す雪が、車の中の音さえかき消してしまうようにも思える。
 林檎の絵が大写しにされた道路用地図を眺めるイノはまるで絵本を読む小学生のようにも見えて、目端にそんな姿がどこか頼りなく写り、御景はぷっと笑った。
 「どうしたんですか、先輩」
 「いや、いきなり連れ出してしまって、あんたのことを気にしてただけどさ、なんか、いいやってなった」
 「なんですかそれ〜〜、私だって地学研メンバーですよ」
 そう。部員の人数減で天文部とニコイチにされてしまった地学部の――、お互いのことを猪瀬のイノ・桜井の桜と、名前の一文字から拝借して呼び習わした間柄だ。去年の新入生歓迎会で差し出がましくあだ名をつけようと言ったみらのことを思い出して、また笑う。
 「そうね。やっぱりこういうのは私達で行かないとね。天文部には任せられないわ」
 二人の乗った軽自動車は湯の丸のサービスエリアへ滑り込んだ。
 「いやあ免許を取っておいて本当によかった。これから大学で忙しくなるしね」
 信州名物のおにかけ蕎麦を食べながら急にイノが涙をすすった。
 「そうなんですよね、これが最後なんですよね」
 「そんな今際の別れじゃないんだから」
 「私、先輩みたいにしっかりできませんよ。みんなを取りまとめるのだって精一杯で。どうしたら先輩みたいに我関せずでいられるのかなって……」
 「あのねえ……、褒めてるのか貶してるのか……。部から離れたけど色々聞こえてくるわ。モンローが受験に失敗したこととか、あおの引っ越しのことで苦しんでるんでしょ。あんた、気にしすぎ。人間が他人を
変えられることなんてほとんど無いんだから……。そんなことより目標のあるあんたたちを正直羨んだわ。宇宙飛行士の夢、小惑星探し、地学オリンピック……。なんとなくで過ごしたことをわたしはなんか、恥じた」
 美景は向かい合った席から手を伸ばしてイノのおでこに手を当てる。
 「だから泣くなって」
 人前人前とイノが小声で呟くのでイノはカーッとなって目を伏せながら蕎麦を啜った。


 道路上に現れたトキの絵の看板を見てイノが声を上げる。
 「先輩、日本海って見たことありますか?」
 「うーんあるようなないような、そもそも新潟に来るのがはじめて」
 北陸自動車道へと分岐するジャンクションを西の方へ進めると、イノの心臓が高鳴り、強く手を握った。
 「三つ先の糸魚川ICで降りてください」
 「分かった」


 イノが、知り合いの女の子が差し出した翡翠を見たのがことの始まりだった。
 翡翠いえば糸魚川だろうか。「海で拾ったの?」というと、「ううん、山だよ。川のきれいなところ」と言う。「山?それはきっと採取が禁止されている場所で拾ったのでは……」
 そこでイノは美景に相談した。「私なら見ないふりをするかな」と言われて、逆にイノの意思が固まった。
「この石を返してあげたいんです」
 あれはエゴだったのだろうか。警察でもないのに女の子の両親に聞き取りをして、結果的に子供のたなごころの翡翠を取り上げて。女の子はきっと私が地学部の地質班だということを覚えていたから見せてくれたに違いない。このことを見過ごしたら、私は純粋に地学を楽しめなくなる……といっても、それはどこまで行っても個人的な心境的変化だ。
 否定的なことを言いながらも車を借りてきてくれた桜先輩は感謝してもしつくせない……イノがそう思っていると、美景は料金所で係員から手渡された領収書を見て顔を青くしながら「わ、割り勘でどうかしら」と切なげに聞いてきた。
 昼頃にイノの自宅を出発してフォッサマグナミュージアムに着く頃には冬の空は暮れようとしていた。閉館の時間が近い。事前に石の鑑定してほしいことを伝えておいたが果たして……、車に踏まれてアイスバーンになった駐車場の雪を踏みながら建物へと向かっていると、一人の初老の男性が入り口に立っていた。
 「お待ちしておりました。寒かったでしょう」
 神妙にルーペで鑑定されている間、二人は用意して貰ったコーヒーで温まった。
 「肉眼で同定した限りですが、たしかに海で採れた翡翠ではないようですね。ひとまず預かりましょう。また分かり次第連絡しますので」
 ほっと胸を撫で下ろすイノに、学芸員の男性は「遠路遥々来て頂いたのに館内を見て回れないのは残念ですが」と声をかけ、美景が「またいずれ来ます」と返した。
 「終わってみればあっさりでしたね」
 車に戻り、助手席でイノが頬を搔く。
 「なに言ってんの。やりのこしたことがあるでしょ」と言われ、頭に疑問符を浮かべた。
 天険・親不知。鉄道、一般道、高速道路が段々になり、山から剥き出され、複雑に交差していく、自然というものに抗い続ける厳しさを見つめながら、道路照明の人工的な明るさにイノは美しさを感じていた。
 境川を越えると富山県に入った。
 「フォッサマグナを越えて、地質学的には西日本に入ったってことですよね」
 「気象庁は東日本と区分してるようだけど……、着いたわ」
 宮崎・境海岸、車のライトに照らされた看板にそう書かれている。
 「かけらの一つでも持って帰ってあげないとかわいそうでしょ」
 「先輩のそういうところ好きです」
 白い息を吐きながら松の防風林の中を歩いていく。
 三月とはいえ春の訪れの遅い北陸の海は異様に黒々とうねりを上げて、その海の上をかわすものの無い二人に冷たい風を執拗に押し付けてくる。
 「さ、寒いわね。十分だけ探してなかったら車に戻るわよ」
 二人は身凍えしながらヘッドライトを地面に当てる。
 高校に入ってからずっとやってきた単調なことを繰り返し、繰り返し、やるだけ。
 「ヒスイ海岸って名前だからすぐ見つかると思ったんだけど、それに似たきつね石や石英ばかりだわ」
 「なんでみんな離れ離れになっちゃうんでしょうね。元々地球は大きな岩石の塊だったはずなのに」
 石探しに夢中になるあまり、トランスや哲学めいたことをイノが言い始めたなと美景は思った。
 「さあ……、でも、天と地でいがみ合っていた私達をあの時、『会報を作りませんか』と鶴の一声
で繋ぎ合わせていたのは現にあんたで、あれがなければ永遠に、まるで宇宙船から切り離されたみたいにお互いのことに干渉し合うことなんてなかったかもね」
 「桜しぇんぱい……」
 「地学より地理って感じのあんたがこうして石にも興味を持ってくれたし私は……あ、あった」
 小指大ほどのヒスイだったがたしかに緑色に輝いていた。
 「へへーん、私の勝ち。小さいものと交換になっちゃったけどないよりはマシよね」
 美景が夜空にかざして仰ぎ見る。つられてイノも「オリオン座がありますね」と言う。
 「あれを頼りにしていけばお家に帰れるんでしょうか」
 「あんた天文部のあいつらに染まっちゃって……。そんなことよりさっき通り過ぎた糸魚川の温泉に泊まるわよ。あー、温泉ならモンローを呼べば喜んだでしょうね」
 イノはくすりと笑った。

       

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