意志と表象としての世界
2019年3月
3月2日/錆色のウォッカ(あるいは、陶酔したノエシス/ノエマ)
なにかを喋ろうとしているけれど、声が出ない。
いくら息を吸い込んで、何かを吐いてみても、口からは何も奏でない。
途端に、これが夢なんだということを自覚する。
しばらくして冷静になると、自分一人で何を話そうとしていたんだろう、という疑念。
窓からはゆったりと吹き込む風。
外を眺めると東雲。茜色の空は徐々に薔薇色へ。
音楽が流れている。夜更けのような、夜明けのような、不思議な曲。
気分は紫色でどこかが茶色。ふわふわとした6月の月のような輪郭。
ふとした、ここはずっと遠い所なんだと言う感覚。
それもそうだ。これは夢なんだから、という自覚。
10年くらい起き続けて、100年くらい眠っていたという感じの、おかしな気持ち。
蜂蜜のようにとろとろとして、まとわりついている何か。
僕はあそこに、私はここに。
それから、そして。
なにかを喋ろうとしているけれど、声が出ない。
いくら息を吸い込んで、何かを吐いてみても、口からは何も奏でない。
途端に、これが夢なんだということを自覚する。
しばらくして冷静になると、自分一人で何を話そうとしていたんだろう、という疑念。
窓からはゆったりと吹き込む風。
外を眺めると東雲。茜色の空は徐々に薔薇色へ。
音楽が流れている。夜更けのような、夜明けのような、不思議な曲。
気分は紫色でどこかが茶色。ふわふわとした6月の月のような輪郭。
ふとした、ここはずっと遠い所なんだと言う感覚。
それもそうだ。これは夢なんだから、という自覚。
10年くらい起き続けて、100年くらい眠っていたという感じの、おかしな気持ち。
蜂蜜のようにとろとろとして、まとわりついている何か。
僕はあそこに、私はここに。
それから、そして。
3月10日/メーダ・プリマヴェージの肖像
かちりと立った足。白い背景と重なって、強固に根を張ったように。
こちらを見据えるきらりとした星屑。
幼いのに、確固とした意志をこちらに向ける少女。
その上半身はピンクの壁紙から浮かび上がるように、生命を感じさせる。
どうやら、美術館で絵を見ているらしい。
この絵は見たことがある。メーダ・プリマヴェージの肖像。
実際には見たことがないけれども、目の前にあるのが本物なら、私がいるのはメトロポリタン美術館。
私はこの絵にあまりいい印象を持っていなかった。
一見鮮やかだけれども、よく見ると仄暗い色彩。
クリムトの絵にありがちな、隠喩的ななにかがあるような。
ただ、目の前にあるのはピンクとグレイの色彩の絢爛。
こんなに美しいものだったなんて、という印象だけが頭の中に。
筆致が全てを浮き上がらせ、それぞれが意味として絡み合う。
かちりと立った足。白い背景と重なって、強固に根を張ったように。
こちらを見据えるきらりとした星屑。
幼いのに、確固とした意志をこちらに向ける少女。
その上半身はピンクの壁紙から浮かび上がるように、生命を感じさせる。
どうやら、美術館で絵を見ているらしい。
この絵は見たことがある。メーダ・プリマヴェージの肖像。
実際には見たことがないけれども、目の前にあるのが本物なら、私がいるのはメトロポリタン美術館。
私はこの絵にあまりいい印象を持っていなかった。
一見鮮やかだけれども、よく見ると仄暗い色彩。
クリムトの絵にありがちな、隠喩的ななにかがあるような。
ただ、目の前にあるのはピンクとグレイの色彩の絢爛。
こんなに美しいものだったなんて、という印象だけが頭の中に。
筆致が全てを浮き上がらせ、それぞれが意味として絡み合う。
3月29日/細切れの3印象
ギリシア彫刻のように美しい青年と連れ立って歩いている。
どうやら彼とは仲が良いらしく、どこかで食事をとる予定だ。
入り組んだ繁華街を歩き小路の隙間の、さらに階段を上がった場所にあるエスニック料理店へ。
中は異様に広く、中3階まであるらしい。ただ、生憎満席で入れない。
踵を返す前に店内を見やると、カウンターの端では曽祖父が一人食事をしていた。
大きな講義室で朧げな何かについて討論中。スクリーンには誰かの写真とグラフ。
所与としての現象への信憑性がどうとか、間主観性がどうとか、取り留めもないことを私は口走っている。
とりあえずはその場を乗り切り、ホテルのフロントのような場所でパフェを食べることに。
大きな川のふちに座り込んでいる。
ゆったりと流れるそれに指先を差しいれると生ぬるく、でも不快ではない。
立ち上がって、足首まで踏み入れる。
足元の流れの中では色々なものが通り過ぎている。
季節だとか、音楽だとか、何かの理由だとか、多分そういったものが。
それに安堵しながら、川の中心に向かって歩き出す。
ギリシア彫刻のように美しい青年と連れ立って歩いている。
どうやら彼とは仲が良いらしく、どこかで食事をとる予定だ。
入り組んだ繁華街を歩き小路の隙間の、さらに階段を上がった場所にあるエスニック料理店へ。
中は異様に広く、中3階まであるらしい。ただ、生憎満席で入れない。
踵を返す前に店内を見やると、カウンターの端では曽祖父が一人食事をしていた。
大きな講義室で朧げな何かについて討論中。スクリーンには誰かの写真とグラフ。
所与としての現象への信憑性がどうとか、間主観性がどうとか、取り留めもないことを私は口走っている。
とりあえずはその場を乗り切り、ホテルのフロントのような場所でパフェを食べることに。
大きな川のふちに座り込んでいる。
ゆったりと流れるそれに指先を差しいれると生ぬるく、でも不快ではない。
立ち上がって、足首まで踏み入れる。
足元の流れの中では色々なものが通り過ぎている。
季節だとか、音楽だとか、何かの理由だとか、多分そういったものが。
それに安堵しながら、川の中心に向かって歩き出す。