Neetel Inside ニートノベル
表紙

あなたは炎、切札は不燃
息抜き短編~『あつまれ!クソどもの海』~

見開き   最大化      



 誰も店名を覚えないものだから、そのジャンクフード屋は「食事処 名ばかり」と真っ赤なペンキで殴り書きして営業を続けていた。その店に入り浸っていた亡者どもは、幽霊らしく物陰にこそこそと隠れながら「ほんとに忘れただけなのに」とか「好きな子はいじめたくなるのが男ってもんだろ」とか「キレ方が怖い」などと不平不満をぶつくさ零していた。とはいえウェイトレス兼アルバイター兼店長代理のカザネちゃんにとっては我慢の限界、どいつもこいつも文句しか言わないとお怒りのご様子であった。そして怒っているうちならまだいいが、泣き出したらたまったもんじゃないというのが、今回の一件のお話である。






 屈辱で赤らんでいた頬をぷるぷるさせながらカザネちゃんが俯いているところに、店先のオープンテーブル(といっても、ここは現世と幽世の洋上を彷徨う蒸気船の中なのだったが)にたむろしている五、六人が、カザネちゃんになにやら絡んでいた。
 周囲の注目を集めているのはなんといっても、紺色のキャスケット帽をあみだにかぶった、茶髪の少女である。白地に『あい・あむ・あたまE』と墨字で描かれた気の毒なパーカーを着ていたが、いまやべっとりとそこにはトマトケチャップになにやら肉汁を含ませたソースが浴びせかけられていた。後ろに控えている黒スーツの男――ボディガードだろうか――が頭痛をこらえているような顔をしている。

「まったくどーゆー教育をしてンのさこの店はァ!」とキャスケット帽の少女――みんな本名を知らないものだから、キャス子と呼んでいる――が店の書き殴られた看板を指差した。周囲のネオンが電圧不足で瞬いている。
「お客のお洋服をこんなにしてくれちゃってェ! どォー責任取ってくれンのさァ!」
「……お嬢」

 後ろの黒スーツが悲しそうに耳打ちする。

「品格が……」
「うるっさい蟻塚! あたしゃあねぇみんなの気持ちを代弁してあげてンのよォ!」

 慣れない大声で裏返るわ掠れるわたまに咳き込むわ、キャス子もキャス子で散々だったが、なおもカザネちゃんへのクレームは続く。

「この店のハンバーガーはね、いつもいつも食べりゃあソースが溢れて服汚すわけ! あたしそれが我慢できないわけ! ゲームに集中できないわけ! ねぇちょっと聞いてンのあんた! あたしら客だよォ!? 高い炎貨(おかね)払ってさ、遊んでるわけさー!」
「も、申し訳……うぐぐ……あ、ありま……」

 カザネちゃんは、このかなり頭の悪そうな相手に謝罪する屈辱に感情のモーターが焼きつきかけていた。涙目でお辞儀をしようとするが腰がそこからギクンギクンと固まって先へ進まない。

「わ、わたし……一生懸命……ハンバーガーを……作ってきたんですけどっ……うっ……ひっく……」
「泣けばいいのかー! 責任者出せー! うがー!」

 キャス子はテーブルでバタバタしながら目をバッテンにして大騒ぎする。周囲の悪霊(バラストグール)たちは「とうとう脳がやられたか」とか「ラジオがポシャってから心を病んじゃったんだよ」とか本人の耳に届いたら怒髪天モノのセリフが囁かれている。

「そうだよ!」とキャス子の上家(かみちゃ)に座っていた白髪に金目の女も加勢する。キザな借金取りのような純白のスーツに赤いシャツを着ていたが、いまやジャケットの胸元、本来ならよだれかけが必要だったであろう位置にやはりソースがべっとりついている。

「いつ食べてもいつ食べても溢れる! 噛んだだけで溢れるもん! こんなのおかしいよ! こんな世界、わたしが変えてやる!!」
「そ、それはミギュオン様が目を瞑ったままお食べになるからです!」

 カザネちゃんは悲鳴のように叫ぶ。つややかな黒髪が腰まで届くウェイトレス姿は憤りに震えている。

「だって、味に集中しないとジャン!」
「それで溢しちゃうのはわたしのせいじゃないですよ!」
「いやだー! なんとかしてよー! 溢れないハンバーガーの開発を要求する! うがー!」

 ここにいたり、キャス子に加えてミギュオンまでジタバタし始めた。幼稚園状態である。新米保母さんのようにカザネちゃんはどっと疲れた顔で涙を拭う。なぜ、なんで、どーしてこんなことに。珍しい四人組が店先でポーカーしたいというから快く招いただけなのに。失敗した。こんなことなら立会人を用意しておくべきだった。キャス子さんの世話役(らしい)蟻塚さんはむっつり黙っているばかりだし、ほかの二人は……

「おい」

 と、ここに来て真嶋慶が口を開いた。剣呑な表情、もちろんソースで汚れた赤シャツの胸元(奇遇だが、それはミギュオンのシャツのメンズバージョンだった)。カザネちゃんをギロリと睨むその視線は百戦錬磨、あの狭山新二――“幽霊領主”ザルザロスを討伐した戦歴を証明する一瞥だった。

「ひっ……な、なんですか真嶋さん。アフターのお誘いならお断りします!」
「そうですよ慶様! こんなウェイトレス風情に色目を! 寂しいならわたしが添い寝してあげるとあれほど!」
「うるせぇエンプティ!」とキャス子の下家(しもちゃ)にいる慶は、そばに控えるスレイブドールを一喝した。怒鳴られた奴隷人形は最近耳が遠くなったので「わたし断固としてご主人さまの風紀の乱れは赦しません!」とさらにまくしたてる。慶は熱でもあるように右手の甲で額を押さえた。その手にはカードが握られている。

「こんなバカ騒ぎに誤魔化されねぇぞ、キャス子、ミギュオン」
「ほええ~?」キャス子は寄り目をして舌を出している。
「クソブス」
「……いまなんつッたコラッ! ああ!? このチンピラがァ……おぉゴラいい度胸だ蟻塚やっちゃえ! ぶっちゃえ! 漆黒の海の底に叩きこんでやるがいい!」
「嫌です」
「蟻塚っ!?」

 キャス子がしもべに逆らわれているのを左腕で押し退けて、慶がため息まじりに言う。

「おい、カザネ。確かにここのハンバーガーはヒデェ。おまえ出来合いのものを出すことはできんのか?」
「なんてこと言うんです真嶋さん!」電撃を浴びたようにカザネちゃんが飛び上がる。
「わたし、丹精込めて“握”ってるんですよ!?」

 しーん……

 静寂が蒸気船に舞い降りた。ぷおん、と汽笛がどこかで鳴る。

「……通りでバンズに指の跡がついてるわけだ」と慶。虚しそうにソースで汚れた胸元をつまむ。
「あれ幽霊の仕業だと思ったよー」とミギュオン。追加で頼んだソフトクリームをぺろり。
「あたしの要求もあながち間違ってないなー」とキャス子。帽子を脱いで指先でくるりと回し、またかぶる。
「…………」とまだハンバーガーを食べている、もうひとりのポーカープレイヤー。さっきまで保護者らしき女性がそばにいたが、いまはいないため、それもありゲームは中断している。つぶらな瞳が少年のようだが、慶よりも年上に見える。彼はハンバーガーが美味しければなんでもいいようだ。胸元にはやっぱりソースがべっとり。

 カザネちゃんがおろおろそわそわと両手をばたつかせる。

「な、なんですかみなさん。人を頭おかしいやつみたいに。頭おかしいのはキャス子さんです! バカです! さっきから騒いで! めっ!」
「バカって言うなぁ! 泣いたらどーする! セキニンとれんのか!」ウェイトレスを泣かせた女が騒ぐ。
「あーもーやめやめ! しらけちゃったポーカーはこれでおしまいねハイこれ精算じゃああたしはこれで帰るからぶべべべべべべ」

 帰り支度を始めたキャス子に慶が食べかけのソフトクリームを鼻先に突っ込んだ。

「わ、わたしのアイス――――――――ッ!!!!!!!」ミギュオンが泣く。
「なにすんのよこのアホーっ!!!!!!!」キャス子も泣く。
「まだ勝負は終わってねぇ。その座席から一歩も動くな!」

 慶が怒鳴り、机をバンと叩く。だがあんまりみんな聞いていない。それにまたムカムカしながら、

「おい! カザネ! いいか、おまえに頼みがある」
「は、はい、なんでしょう」
「ここに五枚のカードがある。もうほかの手札は全部開いてる。あとは俺の手札だけだ。ソースで汚れちまってるが、な、わかるよな? 読めるよな? それだけクチに出してハッキリ言って欲しいんだそうすりゃあ……」
「きったね! ばっち! 食べ物がついたカードを女の子に出すなんてどういう了見なのさ真嶋慶!」
「おめぇ――――――がぶちまけたんだろ俺の手によォ!!!!!!!!」慶からキャス子への怒りは心頭である。
「おめぇ――――――がよォ――――――――!!!!!!!!」
「過――――ぎたことをいち――――いち――――うるさいオトコだなァ――――――――!!!!!!!!!」
「カザネ! 俺の手を見ろ! 違う、カードを見ろカードを! ほら言ってくれ、スペードのエース、スペードのキング……」
「あ――――――そんな汚れたカードは読めないなァ! そうだよねカザネちゃん! 読めないカードは勝負ナシ! ほらアンタ以外の三人はそれでいいって!」
「そこの兄さんは言ってねぇぞ何も! 勝手なことほざくな! 諦めろってんだよこの船じゃあなァイカサマはできねぇんだよ!」
「イカサマじゃないイカサマじゃない! ヌスットタケダケシーにもほどがある! あたしはァ読めないカードは無効だって言ってるだけ~」
「読めるだろハッキリと!! 絵柄しかソースついてねぇんだから!!!!! こんなクソな理由で俺のハンドをオロしてたまるか!!!!!!!!!」
「あーあーあーあー聞こえない聞こえない聞こえ」

 ガンガンガンガンガン!

 なにかの金属音がして、ピタリとその場にいる全員の動きが止まった。その中で、音の主だけが、ぬっと暗闇から姿を表した。銀色のイブニングドレスと装身具を身にまとい、雪の城の女王のような風格をまとった、彼女は――

「り、リザイングルナ様」
「よしよし」

 リザナは飛びついてきたカザネちゃんを受け止めて妹のように抱き締める。

「どうしたの、カザネ。涙なんて流して」
「ひっ、ひっ、ひどいんです」

 慶は顔を伏せながらも――こんなところで船の主と会うとは思っていなかったが――勝利を確信した。
 いいぞカザネ。これまでの顛末、それはどう考えてもキャス子の横暴、暴虐、粗暴の限りというもの。罵詈雑言もだいたいはこの女が出処だ。それをあらいざらいぶちまけてもらい、あとは正式にこの船の“幽霊領主”にこのロイヤルストレートフラッシュを認定してもらうだけ。それで卓上の炎貨(ポット)はすべて自分のものだ。喰らえキャス、そうそういつまでもおまえの好き勝手には……
 カザネはリザナの胸で泣きながら、





「ま、真嶋さんが、うちのハンバーガーはクソだ、って……」





 言ってない。
 言ってない。
 言ってないし、最後しか合ってない。
 リザナの持つマシンガン――なんでそんなものがいきなり?――の銃口が慶にゆっくりと向く。慶は両手を挙げ、

「ま、待て。話を」
「人が上で寝ているときに――!」

 タタタタタタタンッ!
 穴ぼこになった慶はどうっともんどり打ってテーブルの下に消えた。エンプティが「うわーっ! 慶様が蜂の巣に! ティッシュ、誰かティッシュをーっ!」とティッシュを詰め込み始めたが小さく慶が「いたい、いたい」とつぶやくのが聞こえるばかりであった。
 リザナがマシンガンをおろし、銃口から砲煙がたなびいた。カザネちゃんはぶっ倒れた慶に駆け寄って、

「べーっ! ですっ!」

 とあっかんべぇをした。驚くべきことにすべての悪行が慶のせいになっている。これも前世での素行の悪さゆえだろうか……








 残った卓から、無口な男が立ち上がった。
「レナさんを探しにいくんだ」とだけ言い残してふらふらと歩み去っていく。
 ミギュオンはバイバイ~と手を振り、キャス子は乱れていたテーブルのポットの山を整え直した。
 そして、ミギュオンの対面に座り直して帽子を上げる。

「じゃ、続きやる?」














 卓の上の真紅の炎貨の山の一枚を、ピン、とミギュオンが指で弾き滑らせる。


 微笑んで、





「いいね」

























 『稲妻の嘘 外伝~あつまれ! クソどもの海!~』 END

       

表紙

顎男 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha