議論
二.起訴
――小林辰三。
身長174センチ体重68キロ。細身の筋肉質に坊主頭。“野球少年とはかくあれ”を体現したような男。性格は活発で正義漢。頭はあまり良くないが、周囲に自然と人が集まるクラスの人気者。入学直後のクラス委員決めでは、野球部仲間に茶化されるように学級代表に推薦され、そのまま着任。
――知念美穂。
身長142センチ体重34キロ。陰気で孤立しがちなクラスの日陰者。文学部所属。生まれつき身体が弱いらしく、卑屈で嫌味な性格だった、とは小学校時代の同級生の弁。学級代表決めではまったく立候補者がおらず、学級担任に半ば強制されるように推薦され、着任。
「あなた、中島香苗を庇うのね」
屈強な男と、虚弱な女。知念美穂が身を翻して後ろを振り返ると、二人は目線をぶつけ合った。
「庇うとか庇わないとか、そういうレベルの話じゃねえだろ。いいから、アイツに投票するの、やめろよ」
小林辰三にそう詰め寄られると、知念美穂は少し考えるような素振りをして、今度は小林辰三だけにではなく、七人の選考委員皆に対して言葉を向けた。
「どうなんだろう……。これは、煽りとかじゃなくて、純粋な疑問。仮に、中島さんがこの会議でイジメられっ子に選任されて、学年中からイジメられるようになったとして」華奢といえばあまりにも華奢。病弱なほどにか細い彼女が、ぼそぼそと言葉を紡いでゆく。そして、戸惑う七人に対してこう問うた。「果たして彼女は、“悲しい”って思うのかな?」
それはきっと、青天の霹靂のような衝撃だったのだろう。小林辰三の顔が青ざめてゆくのが、教壇から眺めている私にも把握できた。
「本郷立会人にこの会議のことを聞かされたとき、私はまっさきに思ったよ。なんて残酷な制度なのだろう。だけど、私たちの学年には中島さんがいる。素晴らしい生贄がいるじゃないか。なにも理解できない中島さんが“イジメられっ子”の大役を引き受ける。誰一人として不幸にならない、この制度に対する“最適解”だよ」
小林辰三は食い下がった。
「お前、真面目に言ってんのかよ……」おぞましいものを見るような、恐怖の表情で知念美穂を見下ろした。「正気か? 気は確かかよ? だから、そういうレベルの話じゃねえっつってんだろうがよ。みんなでよってたかって中島をイジメるなんて、そんなん『ナシ』に決まってるじゃねえか……。だいいち中島は、お前が思ってるほどなにも理解できてねえわけじゃねえぞ。楽しいことがあれば笑うし、悲しいことがありゃあ泣くんだよ。あんまりふざけたこと言ってっと、ぶっ飛ばすぞ」
言葉とは裏腹に、それは今にも消え入りそうなか細い声だった。
それを受けて、また知念。ふーん、とわざとらしく鼻をつまむと、矢継ぎ早に言葉を綴った。
「じゃあ小林くんも、もしもこの学年にゼロの生徒がいればそいつは生贄にされても仕方ないって、それは認めるんだね?」
ゼロ? と、小林辰三は少しでも時間を稼ぐかのように知念美穂の言葉を反芻した。
「うん、ゼロ。たとえば私たち健常者の“物事を理解する力”を100だとするとさ。もしそれがゼロの生徒がいれば、そいつを生贄にすることについては小林くんも認めたよね? 今」
いや、認めていない。
知念美穂は実に巧みだった。己のペースで会話を操縦しながら、相手の言葉尻を捕らえ、過剰に拡大解釈し、そこを責めた。わざと分かりにくい言い回しを選択しながら、相手に“自分の発言を理解させる”ことのみに傾注させようとするのも天晴である。
「“100”か“ゼロ”かを天秤にかけるのがアリならさ。“100”か“30”かを比べて、“30”の生徒に泣いてもらうのだってアリなはずだよ。小林くんは、きちんとイメージできてる? たとえば、百五十二人の候補者をすべてランクづけして、一位から百五十二位までを並べてみようよ。百五十二位は、他の追随を許さない圧倒的大差で中島さんなはず。なのに、小林くんの自分勝手な正義感で中島さんを救ったりしたら、代わりに裁かれる“百五十一位の生徒”は私たち“100”の人間から選ばれるんだよ? そこのところ、きちんと理解できてるわけ?」
「いや、ちょっと待てよ」と、ここで口を挟んだのは本条次郎。「それは詭弁だぞ知念。まず今の仮定の中で、なにをもってランクづけをしたのかがまったく不明だ。仮に『これまでに、より悪行を犯した者』というランクだとすれば、中島は百五十二位にはならないだろうし、中島の病気を槍玉に挙げた『能力の低さ』というランクだとすれば、そもそも能力の低さとイジメとの相関性が俺には疑問だ。イジメられっ子になるのは往々にして、性格が悪いとか、容姿が悪いとか、そういう要素の強い者だろう。そんなガバガバの理論で大人しく論破されてくれるのは、学校中探したって小林くらいなもんだぞ」
「本条、てめえ……!」
本条次郎の憎まれ口にはすかさずツッコミを入れながらも、小林辰三の顔にはいつもの明るい表情が戻っていた。
身長174センチ体重68キロ。細身の筋肉質に坊主頭。“野球少年とはかくあれ”を体現したような男。性格は活発で正義漢。頭はあまり良くないが、周囲に自然と人が集まるクラスの人気者。入学直後のクラス委員決めでは、野球部仲間に茶化されるように学級代表に推薦され、そのまま着任。
――知念美穂。
身長142センチ体重34キロ。陰気で孤立しがちなクラスの日陰者。文学部所属。生まれつき身体が弱いらしく、卑屈で嫌味な性格だった、とは小学校時代の同級生の弁。学級代表決めではまったく立候補者がおらず、学級担任に半ば強制されるように推薦され、着任。
「あなた、中島香苗を庇うのね」
屈強な男と、虚弱な女。知念美穂が身を翻して後ろを振り返ると、二人は目線をぶつけ合った。
「庇うとか庇わないとか、そういうレベルの話じゃねえだろ。いいから、アイツに投票するの、やめろよ」
小林辰三にそう詰め寄られると、知念美穂は少し考えるような素振りをして、今度は小林辰三だけにではなく、七人の選考委員皆に対して言葉を向けた。
「どうなんだろう……。これは、煽りとかじゃなくて、純粋な疑問。仮に、中島さんがこの会議でイジメられっ子に選任されて、学年中からイジメられるようになったとして」華奢といえばあまりにも華奢。病弱なほどにか細い彼女が、ぼそぼそと言葉を紡いでゆく。そして、戸惑う七人に対してこう問うた。「果たして彼女は、“悲しい”って思うのかな?」
それはきっと、青天の霹靂のような衝撃だったのだろう。小林辰三の顔が青ざめてゆくのが、教壇から眺めている私にも把握できた。
「本郷立会人にこの会議のことを聞かされたとき、私はまっさきに思ったよ。なんて残酷な制度なのだろう。だけど、私たちの学年には中島さんがいる。素晴らしい生贄がいるじゃないか。なにも理解できない中島さんが“イジメられっ子”の大役を引き受ける。誰一人として不幸にならない、この制度に対する“最適解”だよ」
小林辰三は食い下がった。
「お前、真面目に言ってんのかよ……」おぞましいものを見るような、恐怖の表情で知念美穂を見下ろした。「正気か? 気は確かかよ? だから、そういうレベルの話じゃねえっつってんだろうがよ。みんなでよってたかって中島をイジメるなんて、そんなん『ナシ』に決まってるじゃねえか……。だいいち中島は、お前が思ってるほどなにも理解できてねえわけじゃねえぞ。楽しいことがあれば笑うし、悲しいことがありゃあ泣くんだよ。あんまりふざけたこと言ってっと、ぶっ飛ばすぞ」
言葉とは裏腹に、それは今にも消え入りそうなか細い声だった。
それを受けて、また知念。ふーん、とわざとらしく鼻をつまむと、矢継ぎ早に言葉を綴った。
「じゃあ小林くんも、もしもこの学年にゼロの生徒がいればそいつは生贄にされても仕方ないって、それは認めるんだね?」
ゼロ? と、小林辰三は少しでも時間を稼ぐかのように知念美穂の言葉を反芻した。
「うん、ゼロ。たとえば私たち健常者の“物事を理解する力”を100だとするとさ。もしそれがゼロの生徒がいれば、そいつを生贄にすることについては小林くんも認めたよね? 今」
いや、認めていない。
知念美穂は実に巧みだった。己のペースで会話を操縦しながら、相手の言葉尻を捕らえ、過剰に拡大解釈し、そこを責めた。わざと分かりにくい言い回しを選択しながら、相手に“自分の発言を理解させる”ことのみに傾注させようとするのも天晴である。
「“100”か“ゼロ”かを天秤にかけるのがアリならさ。“100”か“30”かを比べて、“30”の生徒に泣いてもらうのだってアリなはずだよ。小林くんは、きちんとイメージできてる? たとえば、百五十二人の候補者をすべてランクづけして、一位から百五十二位までを並べてみようよ。百五十二位は、他の追随を許さない圧倒的大差で中島さんなはず。なのに、小林くんの自分勝手な正義感で中島さんを救ったりしたら、代わりに裁かれる“百五十一位の生徒”は私たち“100”の人間から選ばれるんだよ? そこのところ、きちんと理解できてるわけ?」
「いや、ちょっと待てよ」と、ここで口を挟んだのは本条次郎。「それは詭弁だぞ知念。まず今の仮定の中で、なにをもってランクづけをしたのかがまったく不明だ。仮に『これまでに、より悪行を犯した者』というランクだとすれば、中島は百五十二位にはならないだろうし、中島の病気を槍玉に挙げた『能力の低さ』というランクだとすれば、そもそも能力の低さとイジメとの相関性が俺には疑問だ。イジメられっ子になるのは往々にして、性格が悪いとか、容姿が悪いとか、そういう要素の強い者だろう。そんなガバガバの理論で大人しく論破されてくれるのは、学校中探したって小林くらいなもんだぞ」
「本条、てめえ……!」
本条次郎の憎まれ口にはすかさずツッコミを入れながらも、小林辰三の顔にはいつもの明るい表情が戻っていた。
本条次郎と小林辰三。クラスの、いや学年の中心的人物とも言うべき二人が、知念美穂の思惑を非難する。二対一の構図となった彼らの様子を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。
先ほど私は選考委員たちの議論を引き出すために会議の引き延ばしを画策したが、“イジメられっ子不適格者の選任を回避する”のもまた、立会人が果たすべき重要な使命と言える。イジメられっ子不適格者――、具体的には、公正委員会が認定した“イジメられっ子適正”がEランクの者を指す。それはたとえば菊池昌磨のような、女性人気も高いサッカー部期待のルーキー。それはたとえば福島栄一のような、筋骨隆々で他人の評価などどこ吹く風の柔道部員。彼らをイジメられっ子の大役に就かせた際、どんな弊害が生じるかと言えば列挙にいとまがない。男女を問わず求心力のある菊池昌磨であれば、彼を擁護する者が大勢現れるであろうし、福島栄一であればイジメっ子側が返り討ちにされる画が容易に想像できる。――そして、中島香苗。通常学級と擁護学級とを半々の頻度で行き来する知的障碍者。もしも彼女が選任されれば、小林辰三のような己に酔った正義漢たちが弊害となるであろうことは論を俟たない。むろん、仮に彼らが選任されたならば、その場合は公正委員会が弊害をひとつひとつ取り除き、彼らを立派なイジメられっ子に仕立て上げるであろう。その点が揺らぐことは決してない。だがどうせならば、始めから適正の高い者をイジメられっ子にするのが話が早いに決まっている。選考委員の決定は絶対。立会人の過干渉は厳禁。だが、公正委員会にとって都合のいい者が選任されるよう、適切に会議の流れを誘導せよ。まったく、立会人とは実に使い勝手のよい存在である。
「だいたいよ、なぁんか矛盾してるんだよなぁ~」また一人、小林辰三に加勢する者が現れた。一年一組学級代表、喜村恵一。「『誰一人不幸にならない方がいい』と謳う和睦の精神と、『知的障碍者ならどうせ理解できないからなにをしてもいい』と切り捨てる冷酷さは両立しねえよなぁ~、普通。お前さん、なにか隠しているんじゃないのかい?」
喜村恵一が、そのわざとらしく嫌味たらしい口調で知念美穂を糾弾する。三対、一。これで知念美穂の主張は完全に棄却されるであろう。私がそう見切りをつけた頃、知念美穂がまたぼそぼそと口を開いた。
「……たしかに。私たち、学級代表の八人がイジメられっ子に選ばれることはないのだから、わざわざ中島さんに投票して悪者になることもないんだけど」
知念美穂の言葉を聞いて、「そうなの!?」とばかりに身体を震わせた者が二名いるのを私は見逃さなかった。一年四組学級代表、四日市修平と犬飼美子 。
「そうなのか?」
恐る恐るそう訊いた四日市修平に、私は黙って首を縦に振った。
法第九条
法第八条に規定する選考会議における候補者は、その年度の六月一日時点で敬愛中学校第一学年に籍のある者すべてとする。ただし、選考委員の資格を持つ者はこの限りではない。
考えてみれば当然の措置である。選考委員たちがいちいち“自分に投票されたらどうしよう”とビクビクしていたのでは、忌憚のない議論など交わされようはずもない。まさに、これまで黙り込んでいた四日市修平と犬飼美子のように。
「まさか、ここまで察しの悪い者がいるとはな。第一学年の生徒数は、百五十二人ではなく百六十人であろうが」
いや、知らんし、と犬飼美子は呟いた。
「うるさい!」と知念美穂に恫喝され、四日市修平と犬飼美子は再びその鳴りを潜めた。
「……本条次郎、小林辰三。お前らのような人間には理解ができないのかもね」
謂れのない非難を受け、二人は微かにその眉を顰 めた。
「さっき、本条に否定されたランク付けの件。じゃあ、たとえば“気持ち悪さ”のランキングだとしようよ。それなら百五十二位は中島さんだし、ちゃんとイジメられる理由にもなるでしょう?」
もはや、小林辰三はなにも言わなかった。ただただ、哀れむような目で知念美穂を見下ろしていた。
「そして。そのランキングの“百五十一位”は、私たちのような人間だよ」
――その発言で、教室内の空気が再び一変するのを私は感じた。想像もしていなかった角度からの、不意の一言。
「お前らが普段、日陰者だと笑い飛ばしてる文学部の連中だよ……本条、小林!」紅く充血するほど怒りに燃えた瞳が二人を睨 めつける。「そりゃあ、選考委員やってる私はいいさ。だけどね、私たちのような人間にも一応友達はいるんだよ。お前らから見ればゴミみたいな存在なのかもしれないけど、一応、大事な仲間なんだよ」
――空気が。立場が、逆転してゆく。
「お前らの偽善で“私たち”がイジメられっ子に繰り下がるなんて、到底我慢できねぇんだよ!! ……本条、小林!!」
先ほど私は選考委員たちの議論を引き出すために会議の引き延ばしを画策したが、“イジメられっ子不適格者の選任を回避する”のもまた、立会人が果たすべき重要な使命と言える。イジメられっ子不適格者――、具体的には、公正委員会が認定した“イジメられっ子適正”がEランクの者を指す。それはたとえば菊池昌磨のような、女性人気も高いサッカー部期待のルーキー。それはたとえば福島栄一のような、筋骨隆々で他人の評価などどこ吹く風の柔道部員。彼らをイジメられっ子の大役に就かせた際、どんな弊害が生じるかと言えば列挙にいとまがない。男女を問わず求心力のある菊池昌磨であれば、彼を擁護する者が大勢現れるであろうし、福島栄一であればイジメっ子側が返り討ちにされる画が容易に想像できる。――そして、中島香苗。通常学級と擁護学級とを半々の頻度で行き来する知的障碍者。もしも彼女が選任されれば、小林辰三のような己に酔った正義漢たちが弊害となるであろうことは論を俟たない。むろん、仮に彼らが選任されたならば、その場合は公正委員会が弊害をひとつひとつ取り除き、彼らを立派なイジメられっ子に仕立て上げるであろう。その点が揺らぐことは決してない。だがどうせならば、始めから適正の高い者をイジメられっ子にするのが話が早いに決まっている。選考委員の決定は絶対。立会人の過干渉は厳禁。だが、公正委員会にとって都合のいい者が選任されるよう、適切に会議の流れを誘導せよ。まったく、立会人とは実に使い勝手のよい存在である。
「だいたいよ、なぁんか矛盾してるんだよなぁ~」また一人、小林辰三に加勢する者が現れた。一年一組学級代表、喜村恵一。「『誰一人不幸にならない方がいい』と謳う和睦の精神と、『知的障碍者ならどうせ理解できないからなにをしてもいい』と切り捨てる冷酷さは両立しねえよなぁ~、普通。お前さん、なにか隠しているんじゃないのかい?」
喜村恵一が、そのわざとらしく嫌味たらしい口調で知念美穂を糾弾する。三対、一。これで知念美穂の主張は完全に棄却されるであろう。私がそう見切りをつけた頃、知念美穂がまたぼそぼそと口を開いた。
「……たしかに。私たち、学級代表の八人がイジメられっ子に選ばれることはないのだから、わざわざ中島さんに投票して悪者になることもないんだけど」
知念美穂の言葉を聞いて、「そうなの!?」とばかりに身体を震わせた者が二名いるのを私は見逃さなかった。一年四組学級代表、四日市修平と犬飼
「そうなのか?」
恐る恐るそう訊いた四日市修平に、私は黙って首を縦に振った。
法第九条
法第八条に規定する選考会議における候補者は、その年度の六月一日時点で敬愛中学校第一学年に籍のある者すべてとする。ただし、選考委員の資格を持つ者はこの限りではない。
考えてみれば当然の措置である。選考委員たちがいちいち“自分に投票されたらどうしよう”とビクビクしていたのでは、忌憚のない議論など交わされようはずもない。まさに、これまで黙り込んでいた四日市修平と犬飼美子のように。
「まさか、ここまで察しの悪い者がいるとはな。第一学年の生徒数は、百五十二人ではなく百六十人であろうが」
いや、知らんし、と犬飼美子は呟いた。
「うるさい!」と知念美穂に恫喝され、四日市修平と犬飼美子は再びその鳴りを潜めた。
「……本条次郎、小林辰三。お前らのような人間には理解ができないのかもね」
謂れのない非難を受け、二人は微かにその眉を
「さっき、本条に否定されたランク付けの件。じゃあ、たとえば“気持ち悪さ”のランキングだとしようよ。それなら百五十二位は中島さんだし、ちゃんとイジメられる理由にもなるでしょう?」
もはや、小林辰三はなにも言わなかった。ただただ、哀れむような目で知念美穂を見下ろしていた。
「そして。そのランキングの“百五十一位”は、私たちのような人間だよ」
――その発言で、教室内の空気が再び一変するのを私は感じた。想像もしていなかった角度からの、不意の一言。
「お前らが普段、日陰者だと笑い飛ばしてる文学部の連中だよ……本条、小林!」紅く充血するほど怒りに燃えた瞳が二人を
――空気が。立場が、逆転してゆく。
「お前らの偽善で“私たち”がイジメられっ子に繰り下がるなんて、到底我慢できねぇんだよ!! ……本条、小林!!」
地味で、大人しい女。知念美穂については、近しい者でさえその程度の認識しか持ち得なかったはずだ。鉄仮面の下に潜ませていた激情に、誰もが息を呑む。
「うっざいなぁ」
そんな息も詰まるような静寂の中で、犬飼美子が気だるそうに口を開いた。知念美穂が血走った瞳で犬飼美子を振り返る。
――犬飼美子。
身長164センチ体重43キロ。中学一年にしてはやたらに大人びている女。すらりと細い手足に切れ長の瞳で、どこぞのモデルかのような容姿をしている。入学早々に高校生との不純異性交遊で問題となり、学級担任と交わした更生への要件として、一年四組学級代表に着任。しかし、お世辞にも学級代表向きの性格とは言えない。
「ならよ、代替案を挙げてみせろよ。みんなでよってたかって中島をイジメるって、そんなことにはならんって分かるだろ、常識的に考えて。大事なお友だちなんだろ? いいトコいっぱい、知ってんだろ? 他にもっとイジメられっ子に相応しい人間がいるって、私たちに説いてみせろよ。これは、そういう会議だろ」
犬飼美子。こう見えて彼女は、選考会議とはなんたるかをいち早く理解しているようだ。そして、この制度のことも。選考委員が投票先から除外されていることに気が付かなかったのはどうかと思うが、“素質”は上々か。
「まあ、私はヒネくれてるからよ。お前のお涙頂戴を見せさせられて、一層、“大野裕子 ”をイジメられっ子にしてみたくなったよ」
そう言うと犬飼美子は、ヒラヒラと投票用紙を知念美穂に見せつけた。
第四回投票結果
中島 香苗 一票
福島 栄一 一票
大野 裕子 二票
菊池 昌磨 一票
川辺 光 一票
三浦 壮太 一票
富田 里奈 一票
初めて、稲田正太郎以外の人間が単独最多得票者となった。紛れもない、大野裕子に二票が積まれた投票結果を見て、知念美穂が裂けるほどに唇を噛む。そんな様子を、どうやら本条次郎は良しとは思っていないようだった。なにかを憂うように、知念美穂と犬飼美子の間を視線が行き来する。
「なあ」本条次郎は痺れを切らしたように立ち上がると、皆に向けて語りかけた。「こんな決め方でいいのか? みんなちゃんと、“誰が一番相応しいか”ということを考えて投票してるのか? ――特に、犬飼」
犬飼美子は無言で視線を本条次郎に向けた。
「腹立ち紛れに投票したって仕方ないだろう。お前が本心で、誰よりも大野が相応しいと考えて投票したならそれでいいさ。だが、さっきのは違うだろ。本郷立会人も言っていたように、俺ら選考委員はイジメられっ子に選任される可能性を免除されている。その意図は“忌憚のない議論を交わせるように”なんだろう? 知念本人に投票できないからって、発言を批判してその友達に投票するってんじゃ、結局同じことじゃないか」
先ほど知念美穂に名指しで批判されたから、というわけでもないのだろうが。まるで罪滅ぼしでもするかのように、本条次郎が知念美穂の擁護に回る。それを受けて、犬飼美子はまた憎まれ口でも叩こうとしたのであろう。眉をしかめて口を開こうとした寸でのところで、本条次郎がさらに言葉を継いだ。
「だが。犬飼が本心から大野に投票したのか、それとも知念憎しで投票したのか。本当のところなんて結局は誰にも分かりやしない。だから、どうだろう。“停戦協定”を結ばないか?」
停戦協定? と、思わず声に出して反芻しそうになるのを私は寸でのところで堪えた。
「なんだよ、そりゃ」
「だからさ。たとえば、選考委員の友だちには投票できないルールを作るとか――」と本条次郎が提案すれば、一年二組学級代表、鵜飼登美子が「それ、いいかも」と同意した。しかして喜村恵一が「おいおい、俺は学年全員が友だちなんだけど? どうすればいいの?」と茶々を入れれば、一年三組学級代表、美浦千代は真面目に「たとえば、一人につき指名可能な人数を決めるとか」と折衷案を挙げた。さすれば犬飼美子が「学年全員は大げさとしてもよ。仮に指名人数が三人までとかなら、五十人友だちがいる奴と、たった三人ぽっち守れば気が済む奴とじゃ、公平とは言えないよなぁ。な、知念?」と憎まれ口を利くのもある種当然のことであった。
そして私はそんな彼らの様子を見ながら、口角が上がるのを必死に堪えようとしていた。溢れんばかりの笑みが押し寄せてくる。
――飛ぶ、飛ぶ。回る、回る。駆ける、駆ける。
意見が飛び交う。議論が回る。自由奔放な発想が駆け巡る。
見よ。始めは会議に参加することすら拒否していた連中が、今や自らルールを起案するほどまでになった。美しいまでの、見事な“洗脳”。まだまだこれくらいでは終わらない。腹の底に隠した黒い感情をすべて吐き出すまで一人も逃がさない――。
「うっざいなぁ」
そんな息も詰まるような静寂の中で、犬飼美子が気だるそうに口を開いた。知念美穂が血走った瞳で犬飼美子を振り返る。
――犬飼美子。
身長164センチ体重43キロ。中学一年にしてはやたらに大人びている女。すらりと細い手足に切れ長の瞳で、どこぞのモデルかのような容姿をしている。入学早々に高校生との不純異性交遊で問題となり、学級担任と交わした更生への要件として、一年四組学級代表に着任。しかし、お世辞にも学級代表向きの性格とは言えない。
「ならよ、代替案を挙げてみせろよ。みんなでよってたかって中島をイジメるって、そんなことにはならんって分かるだろ、常識的に考えて。大事なお友だちなんだろ? いいトコいっぱい、知ってんだろ? 他にもっとイジメられっ子に相応しい人間がいるって、私たちに説いてみせろよ。これは、そういう会議だろ」
犬飼美子。こう見えて彼女は、選考会議とはなんたるかをいち早く理解しているようだ。そして、この制度のことも。選考委員が投票先から除外されていることに気が付かなかったのはどうかと思うが、“素質”は上々か。
「まあ、私はヒネくれてるからよ。お前のお涙頂戴を見せさせられて、一層、“
そう言うと犬飼美子は、ヒラヒラと投票用紙を知念美穂に見せつけた。
第四回投票結果
中島 香苗 一票
福島 栄一 一票
大野 裕子 二票
菊池 昌磨 一票
川辺 光 一票
三浦 壮太 一票
富田 里奈 一票
初めて、稲田正太郎以外の人間が単独最多得票者となった。紛れもない、大野裕子に二票が積まれた投票結果を見て、知念美穂が裂けるほどに唇を噛む。そんな様子を、どうやら本条次郎は良しとは思っていないようだった。なにかを憂うように、知念美穂と犬飼美子の間を視線が行き来する。
「なあ」本条次郎は痺れを切らしたように立ち上がると、皆に向けて語りかけた。「こんな決め方でいいのか? みんなちゃんと、“誰が一番相応しいか”ということを考えて投票してるのか? ――特に、犬飼」
犬飼美子は無言で視線を本条次郎に向けた。
「腹立ち紛れに投票したって仕方ないだろう。お前が本心で、誰よりも大野が相応しいと考えて投票したならそれでいいさ。だが、さっきのは違うだろ。本郷立会人も言っていたように、俺ら選考委員はイジメられっ子に選任される可能性を免除されている。その意図は“忌憚のない議論を交わせるように”なんだろう? 知念本人に投票できないからって、発言を批判してその友達に投票するってんじゃ、結局同じことじゃないか」
先ほど知念美穂に名指しで批判されたから、というわけでもないのだろうが。まるで罪滅ぼしでもするかのように、本条次郎が知念美穂の擁護に回る。それを受けて、犬飼美子はまた憎まれ口でも叩こうとしたのであろう。眉をしかめて口を開こうとした寸でのところで、本条次郎がさらに言葉を継いだ。
「だが。犬飼が本心から大野に投票したのか、それとも知念憎しで投票したのか。本当のところなんて結局は誰にも分かりやしない。だから、どうだろう。“停戦協定”を結ばないか?」
停戦協定? と、思わず声に出して反芻しそうになるのを私は寸でのところで堪えた。
「なんだよ、そりゃ」
「だからさ。たとえば、選考委員の友だちには投票できないルールを作るとか――」と本条次郎が提案すれば、一年二組学級代表、鵜飼登美子が「それ、いいかも」と同意した。しかして喜村恵一が「おいおい、俺は学年全員が友だちなんだけど? どうすればいいの?」と茶々を入れれば、一年三組学級代表、美浦千代は真面目に「たとえば、一人につき指名可能な人数を決めるとか」と折衷案を挙げた。さすれば犬飼美子が「学年全員は大げさとしてもよ。仮に指名人数が三人までとかなら、五十人友だちがいる奴と、たった三人ぽっち守れば気が済む奴とじゃ、公平とは言えないよなぁ。な、知念?」と憎まれ口を利くのもある種当然のことであった。
そして私はそんな彼らの様子を見ながら、口角が上がるのを必死に堪えようとしていた。溢れんばかりの笑みが押し寄せてくる。
――飛ぶ、飛ぶ。回る、回る。駆ける、駆ける。
意見が飛び交う。議論が回る。自由奔放な発想が駆け巡る。
見よ。始めは会議に参加することすら拒否していた連中が、今や自らルールを起案するほどまでになった。美しいまでの、見事な“洗脳”。まだまだこれくらいでは終わらない。腹の底に隠した黒い感情をすべて吐き出すまで一人も逃がさない――。
「立会人」本条次郎が私を呼んだ。「今話していたような“停戦協定”を結ぶことは会議のルール上可能なのか?」
その問いに対し、私は一拍置いてまずは「可能だ」と答えた。「だが、それはあくまでも口頭の約束に過ぎないということは理解しておけ。仮に八人で“大野裕子には投票しない”という停戦協定を結んだとしても、誰かがそれを無視して大野裕子に投票してしまえばそれは有効票となる。なぜなら、選考委員に特定の生徒を投票候補から除外する権限はないからだ」
すると本条次郎はなにやら考え込むような素振りを見せて、今度はなにかを諦めたような清々しさでこちらを向き直った。
「……負けたよ。お望み通り、話に乗ってやろうじゃないか。真面目に“議論”をしてやろうじゃないか」
糸で無理やり口角を釣り上げたかのような、悔恨の微笑みを添えて。
「だが、その前に。本格的に会議をやるなら、今のこの座り方は実に不合理だ」批判の槍玉に挙がったのは、八人が黒板を向いて縦二列横四列に並ぶ現在の配席についてだった。「立会人。この制度の説明を聞き終えて、もうあなたにはそれほど用もないはずだ。会議の相手は選考委員の七人なのに、あなたの顔ばかりを見ていても仕方がない」
悔しまぎれの捨て台詞を残して、彼らは机を円形に並び替え始めた。
その最中、八人の間にあったのはたとえようもない気まずさであった。誰も目を合わせようとしない。声をかけようとしない。それはかえって熟年夫婦のような以心伝心の心得で、誰もコミュニケーションを取らないながらも、彼らはテキパキと机の再配置を進めた。
「……時間もだいぶ経つが、この教室は大丈夫なのか?」
その気まずさから逃げるように、本条次郎が机を運びながら再び私に問い掛けた。朝九時に始まった選考会議だが、既に二時間半が経過していた。
「それは、セキュリティの心配か?」
「ああ。勝手に教室を使って、教師が入ってきたらどう言い訳をするつもりだ? お面をつけた奇妙な連中もいることだし」
「“勝手に教室を使っている”というのがまず誤解だな。ここは“弁論部”の活動教室だ。部活動にまったく興味のない、飾りだけの顧問の許可をもらっているから、教室の使用については問題ない。もしお面の意義を訊かれれば、“不特定多数の衆目”を想定しているとでも言うさ」
「なるほど。だがそれだと、弁論部の部員はどうなる? この会議はてっきり、関係者以外誰にも知られないよう、秘密裡に行われているのかと思っていたが。弁論部の部員がここにやって来ることはないのか?」
「この会議の関係者は敬愛中学校の全生徒……であることは置いておくとして、それこそまったく無問題だ。なぜなら我が校の弁論部には、公正委員しか入部できないからな」
「……なるほどね」
この制度が己の想像を超える規模で運営されていることに、少しは想像が至ったであろうか。本条次郎は苦笑を浮かべて、作業に戻った。
「ヨォ」その傍らで、犬飼美子が知念美穂に声をかける。「聞かせてくれよな。“オトモダチ”のいいトコ、たくさん」
知念美穂は犬飼美子を睨みつけるだけで、なにも言い返さなかった。知念美穂は今、一体どんな心境で机を運んでいるのであろうか。友だちを必ず守ってみせるというヒロイズムか。はたまた、友人を人質に取られた悲劇のヒロインか。いずれにしても、知念美穂の友人である大野裕子の“処遇”は、犬飼美子と知念美穂の議論の結果如何に依るであろう。
机の再配置が終了した。
円形に座り直した八人の選考委員が、改めて会議の舵を切る。
「じゃあ、気を取り直して――」本条次郎が七人に問う。「今一度、俺は考えてみたい。“イジメられるのに適してる生徒”って、どんな奴だろう?」
その問いに対し、私は一拍置いてまずは「可能だ」と答えた。「だが、それはあくまでも口頭の約束に過ぎないということは理解しておけ。仮に八人で“大野裕子には投票しない”という停戦協定を結んだとしても、誰かがそれを無視して大野裕子に投票してしまえばそれは有効票となる。なぜなら、選考委員に特定の生徒を投票候補から除外する権限はないからだ」
すると本条次郎はなにやら考え込むような素振りを見せて、今度はなにかを諦めたような清々しさでこちらを向き直った。
「……負けたよ。お望み通り、話に乗ってやろうじゃないか。真面目に“議論”をしてやろうじゃないか」
糸で無理やり口角を釣り上げたかのような、悔恨の微笑みを添えて。
「だが、その前に。本格的に会議をやるなら、今のこの座り方は実に不合理だ」批判の槍玉に挙がったのは、八人が黒板を向いて縦二列横四列に並ぶ現在の配席についてだった。「立会人。この制度の説明を聞き終えて、もうあなたにはそれほど用もないはずだ。会議の相手は選考委員の七人なのに、あなたの顔ばかりを見ていても仕方がない」
悔しまぎれの捨て台詞を残して、彼らは机を円形に並び替え始めた。
その最中、八人の間にあったのはたとえようもない気まずさであった。誰も目を合わせようとしない。声をかけようとしない。それはかえって熟年夫婦のような以心伝心の心得で、誰もコミュニケーションを取らないながらも、彼らはテキパキと机の再配置を進めた。
「……時間もだいぶ経つが、この教室は大丈夫なのか?」
その気まずさから逃げるように、本条次郎が机を運びながら再び私に問い掛けた。朝九時に始まった選考会議だが、既に二時間半が経過していた。
「それは、セキュリティの心配か?」
「ああ。勝手に教室を使って、教師が入ってきたらどう言い訳をするつもりだ? お面をつけた奇妙な連中もいることだし」
「“勝手に教室を使っている”というのがまず誤解だな。ここは“弁論部”の活動教室だ。部活動にまったく興味のない、飾りだけの顧問の許可をもらっているから、教室の使用については問題ない。もしお面の意義を訊かれれば、“不特定多数の衆目”を想定しているとでも言うさ」
「なるほど。だがそれだと、弁論部の部員はどうなる? この会議はてっきり、関係者以外誰にも知られないよう、秘密裡に行われているのかと思っていたが。弁論部の部員がここにやって来ることはないのか?」
「この会議の関係者は敬愛中学校の全生徒……であることは置いておくとして、それこそまったく無問題だ。なぜなら我が校の弁論部には、公正委員しか入部できないからな」
「……なるほどね」
この制度が己の想像を超える規模で運営されていることに、少しは想像が至ったであろうか。本条次郎は苦笑を浮かべて、作業に戻った。
「ヨォ」その傍らで、犬飼美子が知念美穂に声をかける。「聞かせてくれよな。“オトモダチ”のいいトコ、たくさん」
知念美穂は犬飼美子を睨みつけるだけで、なにも言い返さなかった。知念美穂は今、一体どんな心境で机を運んでいるのであろうか。友だちを必ず守ってみせるというヒロイズムか。はたまた、友人を人質に取られた悲劇のヒロインか。いずれにしても、知念美穂の友人である大野裕子の“処遇”は、犬飼美子と知念美穂の議論の結果如何に依るであろう。
机の再配置が終了した。
円形に座り直した八人の選考委員が、改めて会議の舵を切る。
「じゃあ、気を取り直して――」本条次郎が七人に問う。「今一度、俺は考えてみたい。“イジメられるのに適してる生徒”って、どんな奴だろう?」
本条次郎のその問いに、円を成す選考委員たちから思い思いの回答が募った。
最初はぽつ、ぽつと降り始めの雨のように。やがて、熱を灯した火花のように。
「復讐心がない奴」「力のない奴」「ブス」「死なない」「分かりやすい欠点を持っている人」「男」「人望がない」「コミュニケーション能力が低い」
次から次へ、意見が羅列されてゆく。人の考え方は十人十色。八人の選考委員がいれば八通りの、“イジメられっ子適性”の考え方がある。
「喜村が言った“復讐心がない”ってのは重要だなあ。イジメのストレスを溜め込んだ結果、ブチ切れて大量殺人するような奴はここでいう“イジメられっ子”に向いているとは言えないんだろうな」
四日市修平は、早くも“運営側”の思考回路を持っているように見えた。ドライでクールな一匹狼。自分も投票候補になりうる、と誤解していた内は己に火の粉が飛ぶのを嫌い発言を控えていたが、認識を改めてからはむしろ積極的に発言している。発言の方向性は“制度の成立”。投票候補に特別な興味を示す様子は見受けられない。その余裕綽々な様はまるで、“制度の円滑な施行”というゴールに向かってゲーム感覚で選考委員という立場を楽しんでいるようにも見える。
「だけど、それってどうやって判断するんだよ?」と言葉を挟んだのは小林辰三。「地味で大人しそうに見える奴だって、学年中からイジメられたらどうなるかなんて分かったもんじゃねーだろうがよ。アキバとかで無差別殺人やるようなブチ切れた奴って、むしろ普段は大人しいイメージあるぜ。“復讐心がない”って、誰がどうやって判断すんだ?」
「過去の実績」
一年二組学級代表、鵜飼登美子がぽつりと呟いた。
「今、小林が言ったように、胸に秘めた“復讐心”の完全な判別は誰にも不可能だけど、その“濃度”は過去の実績からアプローチしていくことができるように思う。――つまり、小学校時代にイジメられていた経験がある生徒は、その時どうリアクションしたかという実績次第で、復讐に走るタイプか否か、おおよそ判断することができるのでは、と」
なるほどね、と喜村恵一が合いの手を入れた。
「ありゃりゃ」犬養美子が間の抜けた声を上げた。「また、大野さんにとっての逆風が吹いたね。だって、彼女は小学生時代、六年間みっちりイジメられてた筋金入りのイジメられっ子だもの。ね? 知念ちゃん?」
犬養美子が知念美穂を見て、いやらしく口角を吊り上げる。
「いや……、そりゃ彼女は人殺しはしてないけれど、小学校時代は途切れ途切れに不登校気味になってたことがあって……。もし、中学校で本格的に不登校になっちゃったとしたら、この制度的には、まずいのでは?」
助けを求めるように、知念美穂がこちらを向く。
たしかに、イジメられっ子が不登校になってしまうことは好ましいことではない。だがそれはすべての者が平等に背負うリスクでもある。“こいつはどれだけイジメられても決して不登校になることはない”と断言できる生徒など、それこそ我々には思慮の及ばぬ領域の話だ。
「知念が言うように、たしかにイジメられっ子に不登校になられては我々としては具合が悪い。だがそれは誰についても言えること。今、知念がした話は、大野裕子候補生の選任を妨げるものではない」
法第十六条(イジメられっ子の辞任)
法第八条に規定する選考会議において選任されたイジメられっ子は、その後いかなる事情があってもその任を降りてはならない。ただし、転校、その他一身上の都合により敬愛中学校に継続して登校することが困難であると認められた場合は、後継の者がその任を継ぐものとする。
最初はぽつ、ぽつと降り始めの雨のように。やがて、熱を灯した火花のように。
「復讐心がない奴」「力のない奴」「ブス」「死なない」「分かりやすい欠点を持っている人」「男」「人望がない」「コミュニケーション能力が低い」
次から次へ、意見が羅列されてゆく。人の考え方は十人十色。八人の選考委員がいれば八通りの、“イジメられっ子適性”の考え方がある。
「喜村が言った“復讐心がない”ってのは重要だなあ。イジメのストレスを溜め込んだ結果、ブチ切れて大量殺人するような奴はここでいう“イジメられっ子”に向いているとは言えないんだろうな」
四日市修平は、早くも“運営側”の思考回路を持っているように見えた。ドライでクールな一匹狼。自分も投票候補になりうる、と誤解していた内は己に火の粉が飛ぶのを嫌い発言を控えていたが、認識を改めてからはむしろ積極的に発言している。発言の方向性は“制度の成立”。投票候補に特別な興味を示す様子は見受けられない。その余裕綽々な様はまるで、“制度の円滑な施行”というゴールに向かってゲーム感覚で選考委員という立場を楽しんでいるようにも見える。
「だけど、それってどうやって判断するんだよ?」と言葉を挟んだのは小林辰三。「地味で大人しそうに見える奴だって、学年中からイジメられたらどうなるかなんて分かったもんじゃねーだろうがよ。アキバとかで無差別殺人やるようなブチ切れた奴って、むしろ普段は大人しいイメージあるぜ。“復讐心がない”って、誰がどうやって判断すんだ?」
「過去の実績」
一年二組学級代表、鵜飼登美子がぽつりと呟いた。
「今、小林が言ったように、胸に秘めた“復讐心”の完全な判別は誰にも不可能だけど、その“濃度”は過去の実績からアプローチしていくことができるように思う。――つまり、小学校時代にイジメられていた経験がある生徒は、その時どうリアクションしたかという実績次第で、復讐に走るタイプか否か、おおよそ判断することができるのでは、と」
なるほどね、と喜村恵一が合いの手を入れた。
「ありゃりゃ」犬養美子が間の抜けた声を上げた。「また、大野さんにとっての逆風が吹いたね。だって、彼女は小学生時代、六年間みっちりイジメられてた筋金入りのイジメられっ子だもの。ね? 知念ちゃん?」
犬養美子が知念美穂を見て、いやらしく口角を吊り上げる。
「いや……、そりゃ彼女は人殺しはしてないけれど、小学校時代は途切れ途切れに不登校気味になってたことがあって……。もし、中学校で本格的に不登校になっちゃったとしたら、この制度的には、まずいのでは?」
助けを求めるように、知念美穂がこちらを向く。
たしかに、イジメられっ子が不登校になってしまうことは好ましいことではない。だがそれはすべての者が平等に背負うリスクでもある。“こいつはどれだけイジメられても決して不登校になることはない”と断言できる生徒など、それこそ我々には思慮の及ばぬ領域の話だ。
「知念が言うように、たしかにイジメられっ子に不登校になられては我々としては具合が悪い。だがそれは誰についても言えること。今、知念がした話は、大野裕子候補生の選任を妨げるものではない」
法第十六条(イジメられっ子の辞任)
法第八条に規定する選考会議において選任されたイジメられっ子は、その後いかなる事情があってもその任を降りてはならない。ただし、転校、その他一身上の都合により敬愛中学校に継続して登校することが困難であると認められた場合は、後継の者がその任を継ぐものとする。