わたし、百六十四センチ。
山乃木さん、百四十六センチ。
成績は、圧倒的に山乃木さんが上。
どうしてなんだろう。
「--さて! 挨拶も済んだところで、始めていきましょうか。お二人は同じ二年目のジョッキーだけど、年齢は山乃木騎手の方が二つ上なんですよね? 名古屋のジョッキーになるまでの経緯を訊いてみたいです」
椅子に座って落ち着いたところで、ユリ子さんが対談を回し始めた。そうか、山乃木さんの方が年上なんだ。地方競馬の騎手学校が何年制なのかも、よく知らない。中央競馬の騎手学校へ入学する前のわたしは、地方競馬のことをほとんど知らなかった。
「…私は高卒なので、競馬教養センターの同期の多くは年下でした。中学を出てすぐに入学する人が多いですから。高校ではバレーボールに打ち込みましたが、セッターは狭き門であるため、さらに上のステージで続けていくには限界を感じていました。そこで、自身の小柄な体格を生かせる騎手という仕事を意識し始めました」
「ということは、教養センターに入るまで、馬に関わることはほとんどなかった?」
「一度も乗ったことはありませんでした。不安はありましたが、その時は、とにかく飛び込んでみようと。粘り強く一から教えて下さったので、学校には感謝しています」
わたしは耳を疑った。全く乗馬経験なしで学校に入る人がいるとは思わなかった。元々、競馬学校入学希望者は、競馬関係者の子供が多い。そうした人達は、多かれ少なかれ馬に触れ合い、騎乗した経験があるもの。わたしは一般の家の子供だったけど、それでも乗馬スクールには所属していた。
未経験だった人よりヘタなのか、わたしは……
「それにしても、高校バレーでセッターを務めるというのはすごいんじゃないですか? 山乃木騎手の身長で、レギュラーだったんでしょう?」
ユリ子さんは、どうやらバレーボールの知識もあるようだ。
「周りはもちろん、みんな私より大きいし、他の高校のセッターやリベロを見渡しても、私より小さな選手はいませんでしたね。ただただ、食らいついていったということです」
「そのエピソードに、今に繋がる身体能力の高さが感じられますね。高校卒業後に競馬教養センターに入学し、二年間ゼロから競馬を学んだにも関わらず、一年目から五十四勝。身体能力と気持ちの強さの賜物ですね!」
知れば知るほど、敵わないな、と思う。山乃木さんという人は、やはり相当能力があるようで、ここにいるのも申し訳ないと、山乃木さんのあまり整っていないおかっぱのような髪型を見ながら思ったりした。
大した成績でもないのに、バッチリ整えてきた自分が、空気読めてないみたいだなあ。
…これが意気消沈ってヤツ?
「で、川添騎手!」
山乃木さんよりはるか下の実力なのに、世間ではわたしの方が有名。ただ、『中央競馬唯一の女騎手』ってだけで。
それだけが、今のわたしの存在価値。
恥ずかしいなぁ。ここにいるのが。ほんと。
「川添騎手は、中央競馬騎手課程を終えて昨年デビューしましたが、注目度の高い中央で十六年振りに女性ジョッキーとしてやっていく中での苦労はありましたか?……彩華ちゃん?」
「…あぁ、はい。ええと、そうですね……やはり、周囲のレベルの高さと、競馬の難しさに思い悩みましたね。その一方で、中央競馬では久し振りの女性ジョッキーということで、たくさんのメディアの方に取り上げて頂いて、騎手としての至らなさとのギャップが苦しく感じることもありましたね……二年目の目標は『楽しく乗ること』としたんですけど、それは、一年目に感じた苦しさを払拭したいと思ったからなんです」
「正直、部外者の立場から見ていても、騎乗馬が思うように集まらなかったり、レースでの自分の表現の仕方に戸惑っていることは感じられました。そんな一年を過ごして、二年目に競馬を楽しみたい、楽しめるような自分になりたい、というのは、とても合点がいくなと。山乃木騎手はいかがですか? 競馬への取り組み方というのは」
言ってしまったことは仕方ないけど、かなり本音を出してしまった。普段はこんなにネガティブなこと言ってないんだけど……
山乃木さんは、元々細い目をさらに細めて、元々固い表情をさらに強張らせていた。
「…土日は名古屋の競馬開催が基本的にないので、厩舎の馬の世話や稽古の時間以外は自由時間です。そのため、空いた時間で中央競馬も観ています。川添騎手のレースもいくつか拝見したことがありました。レースを観た感想としては、見栄えのする騎手だな、と」
山乃木さんの言葉を聞いて、意表を突かれた思いがした。私のことを知っているだけではなく、レースも観ていてくれたなんて! そして今、ちょっと褒めてもらえた?
「今日お会いして実感しましたが、やはり長身でスタイルも良く、騎乗フォームも美しい。馬の追い方も綺麗で、基礎が出来ているジョッキーであると。素直にそう思うので、何故ご本人がここまで自信なさげなのか、不思議ではあります。もちろん、中央では長期間女性騎手不在で、名古屋には私より先輩でたくさん勝利している先輩女性騎手がいる、といった環境の違いはあるのだと思いますが。それでも、もっと自信を持って良いのではないかと、僭越ながら言いたくなってしまいました」
なんというか、ぐうの音も出ない。
わたしの自信のなさを完全に見透かされていたのが、本当に情けなく、恥ずかしい。
ただ、ただ。山乃木さんは、それをバカにしているわけじゃない。もっと自信を持って良い、って。わたしを、励ましてくれている。
「…競馬への取り組み方、というところに話を戻せば、私は騎乗するレース全てで、どうすれば勝てるのか? 突き詰めて考えるようにしています。私は身体も小さく、騎乗フォームも汚く、追い方も下手糞です。日々練習に励んでいますが、まだまだ未熟です。それでも、騎手の責務として、より良い結果を残し続けることが、長く騎手を続けていく上で最も重要なことだと認識しています。関係者に信頼され、馬券を買ってくださっているファンの皆様に信用される、そんな騎手になるためには、ひと鞍ひと鞍をその時の全力で積み重ねていく以外にはないと。もちろん、どうしようもなく馬の力が足りない場合もあります。そんな時でも、粘り強く、往生際悪く、一つでも上の着順を目指す、そんなレースを毎回できるように取り組んでいきたい。そんなところです」
「…熱いですね。山乃木さんは、熱い。さっき、わたしに『羨ましい』と仰って下さいましたね? その言葉、そのまんまお返ししたいです」
山乃木さん。
わたしは、あなたのことが、とても、とても、羨ましい。あなたは勝負師です。
憧れます。
「…この対談は、今年から始まる中央と地方の若手騎手シリーズ戦があるから組まれたもの、と認識しているんですが、間違っていませんか? 星野さん」
「…ええ、そうよ。NJCSは、中央と地方の若手騎手が入り交じって行われるシリーズ戦。川添騎手と山乃木騎手が決勝シリーズに進出してぶつかるようなことがあれば、きっと競馬界は大盛り上がりになる。それを見越しての企画であることは、事実です。競馬情報サイトとして、ファンの喜ぶコンテンツを用意するのは、当然のことだと思っていますから」
ユリ子さんの表情が、普段わたしに接する時とは違って、引き締まっていた。いや、わたしが思う『普段のユリ子さん』が、実はそうではなかったのかもしれない、と思う。この人は、ただの明るいお姉さんじゃない。プロのライターで、競馬情報サイトの運営側の人なんだ。明るいだけで済むわけがない。
「有難うございます。正直なことを言えば、今日の調子のまま川添騎手と戦うことになったとすれば、私は絶対に負けないつもりで乗れます。無論、実際の勝ち負けは分かりませんが。ただ、上回られているのが体格と技術だけなら、逆転する術はあると考えています」
山乃木さんは、わたしの目を真っ直ぐに見据える。まるで射抜くように。
わたしは、蛇に睨まれたカエル。目を逸らす事ができない。
なんて怖い目。鋭く、殺気に満ちた目。
NJCSでは、こういう人を相手にしなくてはいけないのか。背筋が凍る思いがした。
…でも。
わたしだって、プロのジョッキーなんだ。負けて良いわけがない。プロの仕事は、勝つこと。山乃木さんが思い出させてくれた。負け癖が染み付いたわたしを、震わせてくれた。
「…相手は山乃木さんだけではないですけど、わたしだって、誰にも負けたくない。山乃木さんに今日会えて、本当に良かったです。これからのわたしも、観ていてください。私も、あなたのことを観ています。お互い、頑張りましょう!」
わたしは、心から山乃木さんと握手を交わしたかった。心を遠慮なくハンマーで叩いてくれた彼女に、感謝の気持ちしかなかった。
表情を崩さず、山乃木さんも手を差し出してくれた。山乃木さんの手は、とても小さかった。
「…一緒にレースするのを楽しみにしています。川添彩華さん」
これからだ。