◆ボルトリックの迷宮 B?F 7日目
翌朝──。
キャンプはそのまま遺棄し、テントとか食器とかは勿体無いけどココに残し、必要と思われる最低限のものを厳選してガモに引き渡す。
「おはよう」
「……ああ」
パーティーメンバー達も武装を終えてテントから顔を出しはじめる。
次にガモの所に荷物を渡しに来たのは、ケーゴだった。
最終戦を前に、少なからず緊張の面持ちをしているが、昨日の宴会気分を引きずってる様子はない。
気持ちの切り替えが上手くなっているのを感じさせた。
「ケーゴ、おはよう」
「俺、今日はやるよ。なんかそんな気がするんだ」
寝癖を付けたフォーゲンもやってくる。
「フォーゲン、おはよう」
「フッ……今日は我が愛刀、備前不知火・虎徹菊一文字和泉守兼定の調子も良いようだ……」
珍しく空気を読んで気を使っているのだろう。
「おーっす……じゃあ行こうぜ」
「おはよう、ガザミ」
大あくびをしながらガザミがやってくる。ガモに渡す荷物は無いらしい。
昨日はどうだった?と聞こうかと思ったけどやめておく。
あら?ちょっとおっぱい大きくなってない?とも聞こうかと思ったけど、それもやめておく。
そして最後は「離乳モード」のホワイト・ハットだ。
「おはよう」
『……娘よ。覚悟は良いな?』
「もちろん」
最終演説などは不要だろう。いつものように出発し、いつものように帰るのだ。
「パルス・ゴアまでの道は、ホワイト・ハットが活動エネルギーの流れを遡って見つけてくれます。行くよ!」
パーティーは泥の洞窟に踏み込む。あの忌まわしい壁の前を通過する際には、モブナルドが悲鳴を上げてガモに縋り付いていた。
『……こっちだ』
ホワイト・ハットが美味いこと敵を避けるルートを指揮してくれている。探知の魔法の力なのだろう。
ガザミおっぱいの力で頑張れ!ホワイト・ハット!
未だ魔物の総攻撃はない。
しかし、周囲を観察すれば、そこかしこに防御機構があることが分かる。
食虫植物のような、生物的な罠を思わせるそれは、迂闊に触れれば一発アウトの命取りだ。
一度痛い目にあったモブナルドが余計な事をしないので、可能な限り刺激しないように、そして速やかに通過する事が出来ている。
いいペースだ。
「ここ何か変だ、踏まないほうが良い」
ケーゴは知的欲求や好奇心、感受性などがパーティで一番高く、天性の感覚もあるのか、怪しげなものを見抜いて声を出してくれる。
緊張感に汗を滲ませているが、その目にする全てと、幼い頃から想い憧れてきた冒険の物語の中にいる自分に、心を踊らせているような、子供の顔もしていた。
やがて迷宮は紫色の発光に包まれ始める。
いつのまにか、周囲に生えている構造物が様変わりしていた。
植物様、生物様だったそれらは、男性器や、女性器、乳房といった性的なものに露骨に似せた構造物となっていく。
この迷宮入に意思があるのなら、何を考えているのか。
それが何なのかは分からないが、ケーゴたちを飲み込んだ肉壁といい、性的な何かへの執着が感じられた。
思えば……。
最初のローパーも特殊な触手持ちだった。
木馬の試練などは、モロに性的なものだった。
カーパーは……性的な要素はなかったが、特殊な上位種だった。
亀男達は本当に最悪なスケベ共だった。
やはり大きく「ソッチ」に寄ってる気がする。
そして、パーティーを取り巻く淫靡な空気。
いくら私でも、ダンジョン攻略中に毎晩みたいにオナニーした事なんて、ない。
いくら酔ってたとしても、自ら皆に肌を見せるなんてしない。
男性メンバーがおかしいのも、私の魅力と納得したいところだが、この迷宮のせいではないだろうか?
そして、此処彼処にある、この壁の性器様の構造物達だ。
奥に進むにつれて、数が増えていく。
女性が前を通れば、男性器が蠢き、勃起し、濃い白濁を吹き付けるように飛ばしてくる。
心なしか、壁につかまった時のケーゴの、馬並みに腫れ上がったアレに凄く似ていた。
そう思うと、撒き散らす粘液の香りすらも、似ている気がしてくる。
そしてこっちのはモブナルドのだ。勃起すると力なく垂れ下がる感じもソックリだ。
男性が通れば、女性器や乳房が蠢き、甘い液体を流して誘うのだ。
ケーゴが赤い顔をしてそれを見ているので、手を引いて邪魔をする。
「ほら!壁の変なのなんて見ないでいいから!」
「え?あ、うん。いや、ねーちゃんの……」
「フッ……似ているな……」
「うん……ねーちゃんのに似てるなーって……」
「はいぃ!?」
壁のそれを見る。
とは言っても、自分のそれなんて客観的に見たことは殆ど無いし、他人のそれも見たことはない。
皆同じようなものでしょ!と通過を促すが、言われてみれば男性のソレだって、直近で目にした、ケーゴとモブナルドのそれを思い浮かべ比べても個人差は一目瞭然だ。
「ガザミ。これ、ケーゴのちんちんに似てない……?」
思わず触りそうになり、手を引っ込め、やり返すみたいになるが聞いてみる。
「これが?ケーゴのはもっと全然ガキんちょだろぉ?」
そうか。ガザミはケーゴのあの状態を見ていないのだ。
火照ってきた顔を扇ぎつつ考える。
……似せてるとしたら……何のために……?
そもそも私のソレをいつ写し取ったというのか?
木馬の時……?
ケーゴくん達のは分かる。壁が取り込んで、存分にしゃぶったのだから、形を理解し記憶し擬態させることも出来るだろう。
あれ?じゃあガザミのが無いのはおかしい。
見渡しても、女性器は1パターン、男性器は2パターンしかない。
私のとガザミのがよく似てる可能性もあるか……。
考えがまとまらぬ間に、ハギス全体の脈動が大きくなり、ズン!ズン!と下腹に響くようになる。
一処(ひとところ)に導くような肉壁のトンネルとなり、鼓動に合わせて壁を走る脈管に光が走り、私達を追い越して前方に流れていく。
活動エネルギーの流れが見えているのだ。
つまり、パルス・ゴアが近いのだ。
『間もなく……パルス・ゴアだ……』
パーティー全員の緊張が高まっていく。
武器を握る手に、力を籠める。
「さあ、皆、気合いれて!」
「狙いは魔胆石ってヤツだ。ドジすんじゃねーぞ」
「フッ……見せてもらおうか。脈動迷宮の力というヤツを」
「ここで終わってたまるかよ!」
「フンっ。万が一にも失敗などありえん」
「お家に帰りたいぃいぃぃい!お家に帰してぇええぇええ!!!」
そして私達は、この迷宮の真実を知ることになる。
◆????
濃霧立ち込める湖畔。
水面下に根を張る抽水性の水上樹の幹に、腰かけた男性がいる。
その男は狼のような耳と尾をもち、その髪は、本来二つのものが一つに接合したかのように、中央から黒髪と白髪に隔てられていた。
涼やかな顔をしているが、その瞳の奥には別のものがあるのだろう。
「ハギスの芽を使ったのか…?」
男の後ろ、木の向こうには、大柄な人影が傅いている。
それは馬の顔を持つ、亜人であった。
「はっ。来るべき決戦に備えて、魔胆石を収穫せねばと思いました」
馬男が漂わせる忠誠に、樹上の男は目を細める。
「時が来るまでは、あまり表立った行動を起こすなよ……」
「使ったのはほんの小さな芽でございます。業の深い人間共が作り出した街の側に撒いておきました」
脈動迷宮ハギス・アンドゥイエットは、人の欲望に反応し、惹かれ、波長が合えばそこに根を張って育つ。
破壊衝動に反応して根を張れば、興奮作用のある魔素を漂わせ、高揚させ、一睡もさせず、追い込み、争いに駆り立て、仲間同士の殺し合いに導くような、血と殺戮を好むダンジョンとなる事もある。
踏み入れた者を一人も逃がさない血塗られた迷宮となれば、戦いと名誉を求めた得物が殺到するだろう。
欲が欲を呼び、ハギスに得物が絶えることはない。
得物の血と肉と骨、体液と脳髄、その肉体の全てを糧として尚飽き足らず、喜び、怒り、哀しみ、悦楽、欲求、あらゆる精神エネルギーすらをも貪り、魔力として吸い上げる。
それをパルス・ゴアにて結晶化させ、魔胆石を生み出す。
「早速、冒険者とか言う小虫共がかかってございます。淫乱と、愚者と、子供と、臆病者と、小心者です。幾らかにもならぬ命でしょうが、僅かでも我らの野望の力になるのだと思えば、奴等には勿体無い栄誉と言えましょう」
口に出してみればなんと間抜けな冒険者達だろうか。クツクツと笑う馬男の報告に耳を傾けた樹上の男は、遠くを見つめた後、表情も姿勢も変えずに、独り言のように呟いた。
「侮るな。この冒険者共は、手強いかもしれぬぞ……」
馬男はまさかの表情を浮かべたが、直ぐに顔を引き締め、一礼を返した。
「……貴方様が読み間違えるはずもない。わかりました。私自らが出向いて参りましょう」
怪しげな魔具を用いて背後に「歪み」を出現させると、周囲の霧を巻き込んで、その中へと姿を消した。
その歪みは世界の理によって是正され、湖畔には樹上の男と、霧と静寂のみが残された。
◆ボルトリックの迷宮 B?F 7日目
私達7人は、遠大な空間を進んでいた。
天井も、左右の壁も奥の壁も視認できない。
床と壁と天井を橋渡ししてるような架橋状の筋様組織が不規則に張り巡らされている。
最深層中枢が近いと悟った後、ここに踏み込む前に、私はホワイト・ハットを呼び寄せて、この迷宮が皆を狂わせ性の悦楽へと堕落させようとしている可能性を伝え、対策としてそれぞれに抗催淫の護りを付与させていた。
迷宮の鼓動音は、一定のズムを刻み続ける。
周囲には青や、赤や、紫や、桃色の淡光が浮かんでは消えゆく。その光がすぐ傍で瞬いているのか、遥か向こうからのものなのか、距離感を見失いそうになる。
それを見ていると、頭がぼーっとしてくるような、トランス状態に入りかけた。
甘く香る精油を連想させる空気が漂い、足元にはひんやりとした、白く奇麗な霧がゆっくりと流れている。
踏み込むと、足首まで埋まり、霧はふわりと優しく周囲に湧きあがる。
まるで煙の海の上を歩いて渡っているようだ。
魔法の守りが無ければ、どうなっていただろうか?
これらは超強力な催淫効果をもって、私達を侵食していただろう。
パーティー全員がここに蹲り、体の火照りを沈めようと、自ら慰め、互いを求めて接合を繰り返し、果てる事のない絡みを繰り広げる事となっていたかもしれない。
その先にあるのは死だ。
頬を叩いて気合を入れ直す。
「慎重に、できれば私の導線を正確になぞって歩いて」
皆に指示を出して、立ち止まった。
返事が無い。
いつの間にか一人になっていた!?そんな想像をして振り返る。
皆はちゃんとそこにいた、ややぼんやりとした表情だ。
ホワイト・ハット(離乳)ですら、その足元が怪しい。
休憩をはさむべきか……いえ、こんな迷宮、ほんの僅かでも長居をすべきではない。
「しっかり!派手な襲撃が無いのは何故だと思う?」
一人一人の顔を見る。
「もう攻撃されているからか……」
気だるげなケーゴが答えた。
その通りだ。もう攻撃に曝されている。
この迷宮の空気が、景色が、目に見える全て、肌に感じる全てが敵なのだ。
パルス・ゴアを守る防御機構なのだ。
その証拠に、緊張感が揺らぎ、戦う意思が霧散してきている。
モブナルドは、ガモに手を引かれながらなんとか歩いているものの、定期的にその膝がガクン、ガクンと折れていた。
眠りに落ちようとしている。
人は痛みに強いという。
その反面、眠りを伴うような快楽には弱い。
モブナルド個人に関して言えば、ありとあらゆる痛みや快楽、誘惑に弱いだろう。
フリオよりも弱いんじゃないだろうか。
兎も角、これは恐るべき攻撃だ。
戦う意思、生きる意志を奪う。
多数の魔物に取り囲まれるよりも恐ろしい。
皆を鼓舞しながら、先に進む。
皆の足取りは鈍い。
眼の光も弱い。
傭兵経験の長い私は、緊張感を保ちながらの行軍には慣れていたし、リーダーとしての責任感もあった。
これらの要素によって、覇気を保てているのだろうか?
それとも、迷宮が私を誘うために、あえて攻撃を控えているのか?
いや、ちがう。
やっぱり私だから耐えているのだ。
考えられるのは呼吸の質の違い。
凍てつく寒さの、空気の薄い高地に生まれ育った私の呼吸は、浅く遅い。
ガザミやケーゴなどは、緊張すれば深く早い呼吸をする。
達人のフォーゲンやアサシンのガモは、ゆっくりと深く呼吸をする。
身体の小さなホワイト・ハットや虚弱なモブナルドが早くから辛そうだった事からも、吸気に混じった何かが身体に影響している、と考えるのが正しいだろう。
「湿らせた布で、口元を守りなさい!」
そして、前方に強い光が見えた。
ケーゴの魔法剣の輝きとよく似ているので、それが魔胆石だと確信した。
皆の反応が鈍い中、ケーゴだけは私の隣にまで駆け上がってくる。
「これが……!」
「ケーゴ、下がって」
そこには、直径にして2メートルほどの球状の肉塊があった。
脈管と繊維組織によって、この場に吊り下げられ、根を張り、八方に固定されている。
光のパルスが、ゴアの中心の魔胆石へと集い。輝き。鼓動していた。
「直径30メートルなんじゃなかったのか?」
『伝承知識だからな。誇張されていたのかもしれぬ』
「ガザミ。ホワイト・ハット。やっぱりコレは心臓じゃない」
私は彼らの会話に割って入った。
『で、あるか……そのようだ。これは心臓ではない。迷宮各地から吸い上げたエネルギーから魔胆石を錬成する為の器官のようだ。とすれば、この大きさは幼若なハギスである事の証か……』
「それじゃあ、これを止めても迷宮は止まらないのか!」
『案ずるな少年。魔胆石の力があれば、空間の歪みを正して地上に帰る事が出来る』
では、迷宮を動かすエネルギーを管理する器官は?
「やってみる」
ホワイト・ハットが私の腕に守護の魔法をかける。
その中央のくぼみに見える、魔素の結晶へと手を伸ばす。
何か罠や仕掛けがあったとして、それを見破る方法もない。
それならば、実際に掴み取るしかない。
「何かあったら、次はガザミがリーダーって事で、宜しくね」
有無は言わせない。
コアの中には血潮を思わせる熱い気が渦巻き、それ自体が赤色を纏っていた。
その流れに浸され、成長する魔宝珠に向けて、ゆっくり手を差し込んでいく。
大丈夫、掴めそうだ。
指がかかるとパルス・ゴアの抵抗が始まる。
魔素の流れが激しくなり、腕に牙をむく。
猛烈な圧が腕を締め付け、押しつぶそうとしてくる。
腕を焦がし、溶かそうとする。
ガントレットが歪み、骨が軋んだ。
守護の魔法が無ければ、肩から上が消し飛んでいたかもしれない。
「くっ……!!!」
私がこれを掴みさえすれば、帰れる!
「ねーちゃん!あぶない!!」
ケーゴが叫んだ。
「驚いたぞ!!」
次なる声は頭上から。
咄嗟に見上げた視界には、巨躯を駆る馬型の亜人。その腕が振り下ろすポール・アックスが映った。
戦士にあるまじき悲鳴が口から洩れ、耳をつんざく金属音と共に、目の前に裂光が走る。
私と上空から振り下ろされた斧の間には、ホワイト・ハットが貼ったであろう堅牢な防御の被膜があった。
「我が一撃を防くか!」
『……その娘(の母乳)を失うつもりはないのでな』
奇襲を失敗した馬男は、そのまま後方に跳躍し、間合いを広げて着地する。
「ニコラウス様のおっしゃった通りだ。お前達のような野良犬共が、魔胆石までたどり着いていようとは!驚いた!本当に驚いたぞ!!」
「馬男。テメェがこのフザケタ迷宮の主(ぬし)だな?それともそのニコラウスって奴が黒幕か?」
拳を鳴らしながらガザミが問う。
「如何にも。だが、この迷宮を形作ったのは我らではない。ここまでたどり着いた褒美に見せてやろう。ハギスの姿を」
馬男の隣に魔力が集い、存在感を持ち、具現化を始める。
主の言葉に従う、意思のある魔素。
迷宮全体に満ち、これを動かしていた魔素。つまり、それは脳であり心臓であると言っていい。
ずっと見えていたのだ、脈動迷宮の心臓は。
邪念は、人の姿を真似ようとしていた。
悪臭が鼻腔に届く。
この匂いは──。
「ボルトリック……っ!!」
ガザミが唸る。
迷宮の魂は、あの商人の姿となってニタリと笑った。