静寂。
沈黙。
膠着。
実際は僅か数秒なのだろうが、いつまでも終わることのない途方もない時間が凝縮され
圧倒的な密度をもって流れているかのようだ。いや、むしろ止まっていると言った方が
正しいのだろうか。何故こうなってしまったのか。まぁ、主に僕のせいなんですけどね。
ハハハ。
ハハハじゃねーよ!ボケ!
今すべきことは失言によって張りつめてしまったこの緊張状態を
どうにかしなければいけない。そう、僕は何を思ったのか好きでも何でもない
下品極まりないバンド名を口走った上、下心全開で彼女の同意と共感を得ようとしたのだ。
動機は良いとして、問題なのはバンド名だ。よりにもよってアナルカントはあんまりだ。
これはもう完全にセクハラ発言として認定され、ドン引きされても仕方がない。
今度こそ本当に終わった。四つん這いになり天を仰ぎ、許しを乞おうかとさえ思った
その瞬間。
彼女は突如として目を輝かせ、急に身を乗り出してきた。
下手したらキスしてしまいそうになるくらい顔面近くにまでグイっと近寄ってくる。
ちょ…近い!近い!(あ、良い匂い)近いって…どうもありがとうございます!!!
油断すれば吸い込まれそうなつぶらな瞳がまさに目の前に自分の顔さえ
映ってしまうくらいの距離に存在している。もう死んでもいい。
「えー!?君もそうなの!?」
「…へぇ?」
予想外の反応に、呆気に取られていると彼女は弾けんばかりの笑顔を浮かべ、
嬉しさを大爆発させているではないか。一体どういうことだ。
「私、今まで生きてきてアナルカント好きな人に会ったの初めて!」
「あ…そ、そそそうだね!僕も初めてだよ!」
彼女の口から満面の笑顔で放送禁止用語を何の恥じらいもなく発しているのを除けば
傍から見れば和気あいあいとした音楽好きによるやりとりに映っているかもしれない。
だが悲しいかな、それはアナルカントによって生まれた邂逅。
「アナルカントはね、史上最低にして最高のバンドなの。アルバムタイトルの
(怨みはパワー、憎しみはやる気)なんて酷い邦題、他にないでしょ?」
「あ~、分かる分かる。アレ超名盤だよね(知らない)」
ドン引きされるどころか、どうやら彼女の中にあるスイッチを押してしまったようだ。
僕はバレないよう必死な思いで適当に話を合わせることにした。
「メンバーチェンジの激しいバンドでね。ヴォーカルのセス・パットナム以外は
いつも違うけど、やってる事は大体同じなんだけどね」
「うんうん(あとでウィキペディア見よう)」
それからしばらく、彼女は熱っぽく語る語る。その無邪気な姿は屋上の美しさとは違い、
可愛らしくて後半部分は只々見惚れていた。
だが次に発した彼女の発言にはいくら何でも驚きを隠しきれなかった。
「…この後、時間ある?実はね、私、学校に秘密でライブハウスで働いてるんだ」
「え?ライブハウスで!」
「そう、これから行くんだけど、良かったら一緒に行かない?」
まさかのお誘いに舞い上がりそうになりそうなのを堪えつつ、
これから巻き込まれる騒々しい想い出は今も大事に刻まれている。
いつまでもいつまでも。