「あーくそ、あちぃな…」
ミシュガルド大陸の中心部、湿度の高い鬱蒼とした密林を、旅人用のマントを纏った青年が一人歩いていた。
彼の名はメゼツ。先の大戦において禁断魔術を受け生死不明とされていたが、その実、彼の力を悪用し国家転覆を目論む反逆者から身を隠していたのだ。
休戦協定から幾ばくかの時が経った今、いつでも戻れる身ではあるが、彼は祖国へは戻らず、一人の冒険者としてミシュガルドへと来ていた。愛する妹が禁断魔術により重傷を負ったと風の噂で聞き、未知の大陸ミシュガルドならば、回復させる術があると踏んだのだ。
長らく調査をしているうちにすっかり単身の気楽さ、解放感に染まってしまったのを、遊学の一環と己に言い聞かせているのはまた別の話である。
今回受けた任務は、戦時中のような多くの人命を左右する重苦しいものではない。奇妙なローパーの群生を見かけたということで、冒険者に調査依頼が出されていたものだ。
「フライングローパーじゃねぇだろうな…?」
周囲に誰もいないのを確認したあと、暑さに耐えかねてメゼツはフードを外す。後頭部を掻きながら、依頼内容と危険とされているフライングローパーの資料とを見比べながら先へ進んだ。肉食で獰猛、しかしよく見れば女を惑わすような能力は失われていると記されている。
「…ま、ローパーって聞きゃあ痴女でもねぇ限り避けるわな……」
そんな事を独りごちて先へ進むが、平和な時間に慣れ過ぎてしまった彼は、足元の妙なぬかるみに気づけなかった。
「うぉっ…!?」
足を取られ、慌てて体勢を立て直す。と、目の前の殺気には流石に気づいたようだ。
「キルキルキルキル……」
「…またお前らか。懲りねぇナ…お前らは俺には、どうあがいたって勝てねぇんだよ」
金属質な轢音を立て、おびただしい数の機械兵がメゼツの周りを取り囲む。
ミシュガルド開発のため投入された甲皇国の機械兵とは違い、禍々しく光る眼のような器官は明らかに彼を敵視していた。
メゼツはというと、その場から動くこともせず、わざとらしくため息をつくと、魔紋を施された左胸を顕にし、左手を彼らの前に掲げ
「『弑神<しいじん>』の名の下に、お前達…残らず壊し合え」
と告げた。
瞬間、機械兵たちはそれぞれに互いの方を向き、命令通り互いを破壊し始める。メゼツはそれに満足するでもなく、ただ淡々と機械兵たちの解体を見届けた。
彼は戦闘狂とも呼べるほど好戦的な性格であり、本来このような場面は喜んで機械兵らを相手に奮闘するのだが、この付近に祖国の駐屯所がありそこに妹がいるとの情報を得ていたため、無差別に開拓者に襲い掛かる機械兵の取りこぼしは避けたかったのだ。
施術によりメゼツに宿った魔紋「弑神」は「魔力の込められたあらゆる人工物を手足の如く操つり、その物の持つ本来の力を引き出す」という代物であり、恐るべきことに、筋力・戦闘能力・回復能力の著しい強化は、その副産物に過ぎない。
自身はこの魔紋の本来の力を卑怯と感じあまり快く思っていなかったが、今回のようにミシュガルドの人工物にも一定有効である事からしばしば使う事があり、戦時中もその力の凶悪さ故に、戦争末期からの参戦にも関わらず終焉を感じさせる「黄昏」という二つ名を欲しい儘にしていた。
魔紋の力に弱点らしい弱点はなく、敵軍はただ滅ぼされるか、自然を味方につけ雪崩を発生させたり、堰を切り濁流に飲ませたり、砦を爆破して生き埋めにしたりなどで撤退の時間を稼ぎ、致命的な損害を逃れるしかなかった。
…ここまでは、戦時中に彼の能力を調査する諜報員が点在する情報をかき集めようやく得た情報であり。
致命的な弱点ついては、ついに魔紋の研究者であり施術者であるパシフィカと、被施術者であるメゼツ本人にしか知られる事はなかった。
「流石に全部くたばったか?」
ひしゃげた最後の一体が動かなくなるのを見ると、ようやく左手を下ろし、再び歩き出そうとした。
が、足は再びぐにゃりとした妙なぬかるみに奪われ、危うく盛大に転びかけてしまう。
地面に手を付き足元を見ると、それが何なのかようやく理解した。いや、理解はしたが脳が目の前の光景を拒絶した。
薄紅色のスライムが、メゼツの足にまとわりついていたのだ。それも、ブーツやズボンの裾は跡形もなくなっており、裸足になっている。本能が警鐘をならし、その場を退くように訴えかけるが、動揺している間にもスライムはメゼツの体を飲み込んでいき、飲み込まれた部分から、纏っていた衣類が溶かされていく。
大戦時に得物としていた大剣は、今回は調査の依頼であったため置いてきてしまっていた。スライム相手には通用しそうもない短剣で素早く何度も切りつけるが、さして効果がなく挙句の果てに短剣を持った左腕がズボリと取り込まれてしまう。
腕章が溶けていくのを見て、咄嗟にマントと荷物を外し、スライムが届かないであろう茂みまで放り投げた。
このザマでは下手をすれば助かっても全裸に近い姿になると悟ったのだ。
「うっ……!?」
長い間取り込まれていた足に奇妙な感覚が走る。ついに体も溶かされ始めたかと焦るが、透き通ったスライムの中の足は幸い健在だった。
…その代わり、取り込まれた体の部分全てから、圧迫されるような、撫でまわされているような、くすぐられているような妙な心地よさに気づいてしまったが。
「気色わりぃ……!」
メゼツを取り込むスライム、ゲスライムには催淫作用があり、取り込んだものの衣類を食事として取り込んだ後は、その衣類の着用者の老廃物や体液を快楽と引き換えにじわじわと貪る。
最もスライムの中ではなぜか呼吸が出来るらしく命までは奪われない為、あえて自ら衣服を脱いでスライムを風呂代わりにする冒険者もいるほどで、さほど危険視はされていない。
そんな特殊なスライムであるとは知らず、メゼツは辛うじて自由な右手で機械兵の残骸をぶつけていたが、背後から不意に強烈な衝撃を食らい、前倒しにのめり込むような形でスライムに全身を取り込まれてしまった。
メゼツの纏っていた衣服は全て溶かされ、顔から火が出る程の羞恥感に襲われる。背後からも触手のようなものが伸びてきているのに気づき、驚いて振り返ると、そこには奇妙な姿のローパーがいた。
(ローパー…!?なんで…)
ローパーは本来女を襲い、凌辱の限りを尽くすモンスターだ。かば焼きにするとおいしいらしいが、正直言って食べる気にはならない。そんな話はさておき、男であるメゼツを襲うことはないはずなのだ。
ふと、従兄弟のカールが食の開拓のためにカナンという少女の育成記を元にローパーを養殖するというのを耳にし、養殖されたローパーはカールにいやになついていただとかいう話を思い出した。アレの野生の個体なのだとしたら。
嫌な予感は的中し、体のあちこちを触手がまさぐり始める。慌てて抵抗するものの、スライムから逃れようとするときほどの力は感じられない。…スライムの中だから動きが悪いというだけではない。焦りが頭を支配し、必死にあがけばあがくほど、己の力が喪われた事に気づかされてしまう。
メゼツは、曲がりなりにも丙家本流の血筋を引く男子だ。家督を継ぐにしろ継がないにしろ、可能な限りその血を残すべき存在である。故に、興奮のあまり強化の力で女を抱き殺す事のないよう、魔紋の力の殆どは彼自身の発情によって無効果されるよう作られていた。
暗殺者などから身を守る為に驚異的な回復能力は残るものの、この現状では羞恥と苦しみを長引かせるだけの足枷でしかなく、すでに一般人と変わらない程に落ちた腕力ではもがく事すら叶わない。
「発情させて無力化するなんて発想は、女騎士や女戦士にしか適用されない、愚かな人外共は気づかないから安心しなよ☆」と笑い飛ばしたパシフィカを呪った。
いっそのこと快楽に身を任せれば楽なのだろうが、モンスター相手にそれをすることは矜持が許さなかった。もしそんな姿を妹に見られでもしたら、死んだ方がマシである。
身を捩りなお暴れようとするメゼツの口に触手が侵入し、濃度の高い媚薬粘液が流し込まれる。強化兵であるため薬を盛られても効かないが、常人に効果がある量では効かないというだけで、体の内外から大量に媚薬を擦りこみ続けられてはたまらない。
体が信じられないほど熱くなり、神経が剥き出しになったような性感帯を容赦なく責め上げられ視界が滲む。口に入った触手は媚薬を流しながら呼吸を妨害し、メゼツの精神を淫欲で焼いていく。
(壊される…!!)
限界に達しようとしたその時、排水溝が詰まったような奇妙な音と共に、自由を奪っていた触手の力と、閉じ込めていたスライムの強度が弱まり、メゼツは外にずるりと転がるように出された。
獲物が弱ってきた事に気づいた捕食者同士が、互いを邪魔と判断したのだろうか。ゲスライムはローパーの触手を溶かし、ローパーはゲスライムを飲み込んでいった。
結果、ゲスライムは完全にローパーに飲み込まれ、触手を奪われタプタプの体になったローパーはメゼツを再び捕食するほどの力が残っておらず、すごすごと森の奥へと引き換えしていった。
取り残されたメゼツはというと、ローパーを追いかけて復讐してやるという気力は最早なく、重い体を引きずって茂みのマントと荷物を回収した。
「…くそ…、…熱い…」
日はとっぷりと暮れており、昼間の蒸れる暑さは嘘の様に心地よい気候となっていたが。
火照った体を冷まし清めるため、メゼツはおぼつかない足取りで泉の方へと向かったのだった。