Neetel Inside 文芸新都
表紙

中3のラスト
まとめて読む

見開き   最大化      


俺は今高校生だ、夢を追いかけている



数学の授業はほとんど寝てるか絵を描いてるし
ほかの授業だって明らかに良い成績とは言えない
国・数・社・理・英・保体・技家・美・音
これだけあれば一つくらい得意な教科があるハズと思うだろうが
僕には全く無い、いや?もしかするとあるかもしれない

僕の家内での生活は他の生徒とはあまり違う
勉強ばかりする様な人間にはわかりもしない世界
多少扱える人間も居るかもしれないが、僕以上に完璧にPCを扱える奴は居ないだろう
僕は携帯を持っていない、妹は持っている
友達は十分居るが、メールなんてPCで済むような内容しか送る事もない
そう、僕はPCが使える

幼稚園の頃から父親がIT系企業に就職してたせいか自宅にPCがあった
本当に昔の頃の話なのでかなり曖昧なんだが
父親の目を盗んではPCをやり、日が経つつれにタイピングや知識は増えていった

僕が一番初めに父親から教えてもらったのは、スタート→アクセサリ→ゲーム→ソリティア
こういった本当にオマケのような物で人生は変わってしまうから怖い

僕はその『PC』がとても好きだった、ブラウン缶に写る映像
そして数々のアプリケーション、ネットワークと言う広すぎる世界
全部僕には大切なコミュニケーション道具
そして何よりゲーム好きな僕には最高の遊び道具だった

僕が小学生に成り始めた頃だろうか
ついにインターネットに手を出した
その頃は父親がゲーム好きでスーパーファミコンが家にあったので
星のカービィなどと検索をして
面白そうなゲームを見つける、今考えると別に面白い訳でもなかったかもしれないが

カービィアドベンチャー

僕はその『カービィ』と言う名詞と『アドベンチャー』と言う
まさに小学生のガキの心を動かすような台紙に思わずクリックしてしまった
ただのCGIゲームだ、本当にくだらない
でも僕にはそれが素敵でたまらなかった
カービィと言うゲームの中のキャラクターを使用でき
そのLvをモンスターを倒し地道に上げると言う単純すぎるゲーム
職業も戦士、武道家、羊使い、勇者などまさにドラクエ臭い物でもあった
キングスライムやレアなモンスターを倒すと経験値がすごいなど
幼い僕には本当に心を躍らせる以外の何者でも無かった

しばらくしてそのページが開かなくなっていた
幼い僕は疑問に思いつつ更新などを押して再度勝負を試みる
しかしいくらやってもページが表示される事はない

閉鎖だ
別に人が居ないからと言う訳でもない
ただ管理が面倒だから閉鎖したんだろう
しかしゲーム大好きPC大好きの俺には素敵なところだった
未練は確かにあるがいくらやっても無駄だと確信した僕は
新しくゲームを探す
しかしよくよく探してみると○○アドベンチャーなどと言ったゲームは大量にあった

そしてまた久しぶりにゲームをする事にした、バカな奴だ
ここで勉強でもしてればもう少しまともな人間になったかもしれない

その頃はセガサターンと言う今となってはエロゲなどが多いセガの名機として知られている
通称サターンだ、父親はクリスマスに『ナイツ』と言うゲームを買ってきた
冬季限定版の『クリスマスナイツ』と言うオマケゲームもついてきた
そして『ソニックジャム』『ぷよぷよSUN』など色々買ってきた
僕は二人兄妹だ、パッケージの賑やかさから僕は『ソニック』を始めた
あまりのどっぷりハマリ具合にゲームの時間に制限を付けられたり
色々あったけど、これも良い思い出だろう
妹とぷよぷよで勝負やり過ぎて物凄い『ぷよらー』になっていたり・・

小2の終わりあたりの頃だろうか、父親が盲腸にかかったなどと聞き
仕事もあるが万一の事があったら大変だろうと言う母親からの意見で
父と母の実家がある県に行く事になった
慣れ親しんだ地を離れるのは結構寂しい事だけど
ガキらしい後悔もあるから
思ったよりアッサリ納得出来た、あばよ!

小3でこちらの学校へ転入する事になった
友達をつくり、好きなゲームの絵などを描いて
すぐに打ち解けることができた、恋もした、でもかなわぬ恋だと思い恋なんてしないようにした
『女子なんかよりゲームのほうがおもしろいぜ!』
ガキの初恋なんてこんなもんだ、小さい頃からずっとずっと大好きで結婚・・
なんて事は極稀なんだろうな否定はしない

僕も段々成長していった、段々、父親が次第に家に居ない時が多くなっている気がする
大丈夫かな?等思いつつ
あんな日が来るなんて、その頃の僕には予想も出来なかった・・
しばらくPCにも触れていない、僕は微妙な勉強と一日2時間のゲーム
そして時々遊ぶ友達との日常、そんな物を適当に楽しんでいた

そして僕も小4になった頃の秋
学校帰りの家、テーブルに置手紙がある
『お父さんと病院に行って来ます』
よくわからないが父親が病院通いなのは知っている
しかし後で母親だけが帰ってきて僕達にこう告げる
『お父さん、癌だって・・・・』
妹が癌だって大丈夫だよね?などと不気味な笑みを浮かべ言っている
『なあに父ちゃんさ、相当な事じゃぁ死なない』
休日にはキャッチボールをやりに大きな公園にいったり
パチスロ、ゴルフ、元気に遊んでいる、そんな『親父』が病気程度でぶっ倒れるわけがねぇ

でも実際倒れたんだ

まぁ大丈夫さ、だって俺の『親父様』だもん

僕はそんな父親に期待しつつ、ついに5年生になった
算数の授業もだんだんわからなくなっていた
全然僕は『学力の方』では成長していない
そして父親は新しいPCを買ってきた
今の『俺』にとってはそれは『遺品』であって
電源が付く限り使い続けたいほど思い入れになっている

そうして『父親』が末期癌である事を僕は知る
もう長くは無い、もって11月らしい
母親の涙交じりの声が聞こえる、僕も悲しかったさ
でも父親はまだ生きている、最後まで生き抜く『おめでたい男』なハズ
成績が悪いとゲンコツをくれる、ケンカをしてしまうとゲンコツをくれる
上手い絵を描くと褒めてくれる、キャッチボールをしてくれる
そんな父親だ
父親はやれる、生き残る

勉強とPCと友人、そして父親と僕
その熱い関係がだんだん終わりを迎えようとしている

『俺将来医者になって絶対病気にならない薬つくる!』


夏休み、好奇心で何故か木刀を作る『俺』正直バカである
無駄に拘り剣先をするどくする、実にバカである
やすりで削り、かんなで削り、まさにバカ
だがその頃の俺にはこんな事考える理由も無い
ただ面倒な『夏休みの工作』を終わらせる為だった
その後の夏休みの工作展示会で俺が妙な注目を浴びたのは言うまでもない

9月の終わり頃、俺の初めての体験
爺さんが死んでしまった
82歳で昨日までピンピン生きてた爺さんが
急にベットに倒れるとき、打ち所が悪くて死んでしまったらしい
なんという爺だ、急すぎて本当にビックリした

でもなんかその時の爺さんはいつもと雰囲気が違った
「わしがどうにかなったら後は頼むぞ『貴史』」
そういえば俺の名前は「たかし」であって
実は爺さんが付けた名前である
貴品で上品な、歴史に残るような人物になってほしい
そんな意味が込められてるって前爺さんに教えてもらったな

それに爺さんは俺の絵を見て将来すごい奴になるって言った二人の中の一人だ

惜しい人を亡くしてしまった、だが爺さん
俺は今、本当にその夢に向かって歩き続けているかもしれない

そしてついに11月
親父はピンピンである様に見えるが
次第に癌は脳にも転移して行き、ついには12月を迎える
外は寒い、雪が積もっている
そして『親父』は実家へ帰ってきた
もう親父が残り少ない人生を実家で過ごすのは一瞬で悟る事が出来た

5年生の俺の中でさえ
人は死ぬのは当然、いつかは必ず来る
だからもう覚悟は出来ている

小さい頃遊園地で肩車をしてくれたとーちゃん
ゲームを買ってきてくれた父さん
確かな人生を教えてくれた父親
尊敬出来る人間、親父

最後のクリスマス、楽しく迎える事が出来た
七面鳥の照り焼きも美味しい、皆笑顔だ、とても普通の家庭の風景
『正月』に死ぬなんてとんでもなく、めでたい親父
まだ少しだけ信じていたサンタに願いをするなら、親父の癌を治してくれ
でもサンタなんか居ない、今年のプレゼントはなんと人生ゲームだった
親父も一緒にテレビのバラエティ番組を見ながら人生ゲームで遊んだ
結局親父が総資産も一番多く、すばらしい結果だった

12月29日夜、ついに親父の容態が急変した
血を吐いて救急車を呼ぶ
病院に運ばれ、大量の管、点滴、スポーツ飲料のような匂い
病院の生々しい空気、俺はこの感じが非常に大嫌いだ

親父はまだギリギリ意識はある
言いたい事を俺はどんどん言い、悔いを残さないようにする
最後に親父は仕事用のノートパソコンのキーボードを片手で撃ち
画面に最後の力でも使ったかの様にこう書いた
『やりたいことをやれ』
最後まで親父は俺にはっきり何かをしろとは言わなかった
つまり最終的な答えは自分で見つけろ、そうゆう事だ
やがて親父は生命維持装置らしき物を付けられ
非常に醜い状態にある、だが意識はある、確かにまだ生きている
もう喋る事は出来ない、目はずっと開けている
まばたきはするが絶対に閉じたまま何秒も待たない

大晦日の夜、ついに新年のカウントダウンが始まった
親父は生き抜いた、去年を、そして今年を少しだけ生きる
ほんの12時間と21分

俺は泣きじゃくった、だが俺は生きている
でも親父を生き返らせることも出来ない
何気ない日常にももう親父は居ない、でも

心の中にはずっと居る

親父の遺品、PCと『夢を追いかける心』
これをどう使うかは俺次第

だんだん考え方がなげやりになるのがわかってきた
人が死ぬのもいくら望んでも回避は出来なかった

でも俺はまだやる事がある、夢がある、でっけええ夢が!
セ○クスもしたい・・(^o^)

そして2月には俺はもう元気になり普通の学校生活を取り戻す
やがて4月、ついに俺は6年生を迎える事になった

親父の遺品、デクストップPCと親父の仕事用ノートPC
そしてウィルスバスター、音楽作成ソフト、フォトショップ、ペンタブ

ハードディスクの容量を見て俺はデクストップ、妹がノートになった
妹は別にPCには大して興味は無く携帯電話で十二分らしい

ちなみにこのPC、親父がもし死んでも寂しくならない様にする為に上手い事用意したらしい
流石我が親父、後々の事もしっかり考えているな・・

気が付くとPCをほぼ完璧に使いこなしてる自分がここにいた
勉強もそこそこ出来る、でも『女子』にはすっかり興味が無い
女子に興味が無いと言うより『幼女』に興味を持ってしまった、すまない変態で

PCをしているとだんだん俗に言うオタクになってしまう自分が居る

駄目だ・・でもこの絵すげぇいい・・

やっぱり俺はこんな絵が描きたい・・!!!

PCソフトのラインナップを見るともしかすると
俺の隠れた『特性』を見切っていたのかもしれない

しばらくして俺もついに中学生になってしまった
小学校よりいちいち規則が厳しく
ノイローゼにでもなりそうだった
しかし全てがクソだった訳ではない

美術の先生との出会い、なんともカーネルサンダースのような顔をしているお方
彼は決して怒る事も無く、変に奇声を上げる事も無い
俺の『特性』を明るみに出してくれた恩師である
うるさく怒る教師達とは別に
俺とまともに話せる先生としては唯一の存在だった

とある授業中、木彫りの時に俺は別にうまいわけではなかった
しかしその下書き原画は非常によかったらしく
見せた瞬間

「おぉー!これを君がやるのか!期待してるぞ」

俺には期待に沿える力はなかった
だが、別の時間で人をデッサンすると言う授業
俺の絵をずば抜けて評価する奴、これがこの先生だ

勉強もまともに出来ない俺には最後の手段が絵だった
そして俺が幼い頃からの俺の日課と言うより
ほぼクセだったラクガキ、それも大好きだ
いままで使って来た紙は軽く一万なんて超えてるだろう
好きなゲームキャラを描いた絵
授業に没頭している生徒を勝手に描いた絵

夢を諦めない親父の心

そして俺はついに受験生になってしまった、早すぎる2年間だ
思い出すと本当に大して何もしていない
いや、何かしようとは思ったんだが最後の一歩を踏み出す事ができなかった
後悔、無駄、そんな言葉が俺を止めていたのだ

修学旅行、片思いなのか両思いなのかよくわからない女子の話
誰が処女かそうじゃないか、誰と誰が付き合っているかいないか
思春期特有のそんな話、親しい友人と話す夜
こんな経験も貴重なんだろうな

そして俺は、ほぼ日課になっているPCを始める
お絵かき掲示板などの存在
これも俺にはとてつもなく大きい存在だった
色んな人の絵が見れる、そして大量のイマジネーションが創られる
その中から自分のオリジナルを作り出し
実際に絵にする、簡単ではない
でも描いてると楽しい、自分探しの旅みたいなもんなのだ

インターネットはデカい

そしてついに受験生の学力の根を固める長連休 夏休みが来てしまった
皆必死に勉強をしている、もちろん俺もだ
むしろ俺のほうが絶対に他の人より勉強しなくてはいけない
それを俺がどう過ごそうが俺にもう迷いは無い
入りたい高校は決まった、私立の学校の美術科だ

後は入る為に学力を高めるだけなんだ

絵はもう出来る、完璧だ
ナルシストなんて言われても構わないさ
そう思う事で自信につながると俺は思ってる

試験以外の事には自信はある

ついに夏休みも終わり秋が来て
冬が来て俺の人生を分ける春が来た

後は試験の結果を待つだけだ

夢を諦めない心、最後に親父が伝えてくれた事

『俺はやりたい事をやってやるぜ・・』

       

表紙

先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha