Neetel Inside ニートノベル
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ディアスポラ ~ミシュガルドの歩き方~
第29章 エロマンガ沖海戦

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 四隻の蒸気船が縦一列に並び、最大船速でエロマンガ島沖を西に進む。三隻は木造船で、先頭の一隻だけが鉄張りの軍艦であった。海賊旗がはためくその軍艦のへさきに、丸太のような腕を組む偉丈夫が立っている。海賊の親玉ではない。鉄張り軍艦シルトロンの貸し主、傭兵王ゲオルク・フォン・フルンツベルグだ。
 東からの潮風に赤いコートをなびかせ、長刀を背負う男が近づいてくる。剣豪ではない。四隻の蒸気船の借主フォーゲンがゲオルクに礼を言う。
「傭兵王よ。あなたの義侠心に救われた。ありがとう」
「なあに、こちらとしてもタダ働きする気はない。傭兵にとって六百十五年も安定収入が見込めるのは魅力的だからな、がはは」
 ゲオルクは豪快に笑い飛ばし、話を流した。
 四隻の縦列がエロマンガ海峡に入ると、正面を横切る五十ばかり艦影が見える。マストの先に精霊樹の意匠の旗が見えた。アルフヘイムの帆船が海峡をふさぐように、南西から北東に長い縦列を作っている。
「アルフヘイムの艦隊! もう嗅ぎつけてきたのか」
「領海の出口で待ち伏せされたんだ。奴ら我々の介入を許すつもりはないらしい。蒸気船の速力なら迂回すれば追ってはこれまい。聖ジョウイ海峡に迂回すべきだ」
「あの数相手に勝てるわけがない。早く仲間たちを助けたかったが、あきらめて迂回しよう」
 ゲオルクとフォーゲンで話はまとまり、シルトロンを北東に回頭させる。
 旗艦にならって後続の船も次々と回頭するが、最後尾の木造船ツァルブリだけはそのまま西に直進した。
 ツァルブリにもゲオルクの部下の水夫、水兵が乗り込んでいる。命令違反するはずはない。
「もしや! 確かツァルブリにはあの女がカンパーニア銀行から出向していたな」
「どういう奴なんだ?」
「分からない。口げんかしただけだからな。猛将タイプには見えなかったが」
 しかし現にツァルブリは単艦でアルフヘイム艦隊に突っ込んでいた。中央突破して縦列の間をすり抜けるつもりである。
 見捨てるわけにもいかない。シルトロンは大きな円の航跡を残して再び回頭し、ツァルブリを追う。
 木造船のほうはろくに武装を積んでいない。ツァルブリは的になる。シルトロンが追い抜いて盾にならなくてはならない。シルトロンとツァルブリの速力はほとんど同じ。このままでは先行しているツァルブリには永遠に追いつけない。
 そこでゲオルクはバラストタンクから海水を放水させた。
 バラストとは簡単に言えば重りである。艦船というのは基本的には積荷が満載されている状態で安定するように設計されているものだ。そこで積荷のないときにはバラストタンクを海水で満たして安定させる。
 不安定な艦を操船できると部下たちの腕を信じて、ゲオルクはバラスト水を捨てさせた。
 ところが重りを捨てた分速いはずなのに、ツァルブリとシルトロンの差はいっこうに縮まらない。
「まさか! ツァルブリは戦列を外れたとき、すでにバラスト水を捨てていた!? なんという胆力」
 ツァルブリの前に水柱が上がる。アルフヘイム艦隊が艦砲射撃を一斉に浴びせ始めた。それでもツァルブリは止まらない。全速力で艦隊のど真ん中に突っ込んでいく。
 二つの艦隊は上から見ると、丁の字なりにぶつかる形になった。一の字がアルフヘイム艦隊であり、|の字がフォーゲンの艦隊である。
 南西から北東に縦隊をのばしているアルフヘイム艦隊の右わき腹に頭から突っ込む形になったツァルブリは、圧倒的に不利な状況にあった。
 口径の大きい主砲は戦列艦の前部にあるが一門か二門と少ない。最も多い副砲は横に付いている。
 つまりアルフヘイム艦隊の右舷側の副砲すべてがフォーゲン艦隊のほうを向いていた。先頭を走るツァルブリに砲火が集中するが、撃ち返せる大砲は一門もない。
 すぐ後を走るシルトロンはツァルブリの盾によって無傷。これではあべこべだ。
 シルトロンも応射するが、正面から突っ込んでいるため使えるのは主砲二門のみ。
 ツァルブリの蛮勇に引きづられて、今フォーゲン艦隊は滅亡の淵に立っている。
 フォーゲン艦隊に有利な点は最新最速の船であることと追い風が吹いていることだけだった。帆の無い蒸気船に追い風は関係ない。しかし、すべて帆船のアルフヘイム艦隊には死活問題であった。北東に向かうアルフヘイム艦隊からすれば、東風は向かい風になる。
 ゆるゆると進むアルフヘイム艦隊の砲火をくぐり抜け、とうとうツァルブリはアルフヘイム艦隊を通過して海峡を出た。
 船上構造物は軒並み破壊され、船は左に大きく傾いている。船底の左側から浸水しているのだろう。
 ツァルブリが満身創痍ながらも艦砲の射程距離を離脱したため、今度はシルトロンに砲火が集中することになった。
 ツァルブリが中央突破に成功し、二つの艦隊は上から見ると十の字なりに交わっている。その交点にシルトロンが到達すると、状況は激変した。
 シルトロンによってアルフヘイム艦隊は分断されている。前の艦隊は艦尾砲しか使えなくなり、後の艦隊は主砲しか使えない。シルトロンの左舷すべての副砲が前の艦隊のほうを向き、右舷すべての副砲が後の艦隊のほうを向いている。
 優劣が逆転し、ほとんど無傷で温存されていたシルトロンは両舷すべての砲を使って反撃を開始した。
「ありったけの砲弾をぶちかませ!」
 ゲオルクは命令しながら、まったく別のことを考えていた。戦場では何が起こるか分からない。戦にも定石というものがある。だが定石に捕らわれていれば、敵の意表を突くことは難しい。ツァルブリの突出はまるで素人の動きだったが、その素人のくそ度胸が戦場の趨勢を決したのだ。
 アルフヘイムの帆船のどてっ腹に風穴があく。今度はアルフヘイムの船が軒並み破壊される番となった。
「さあ、くそ度胸のお嬢さんを迎えにいかなくてはな」
 海のもくずとなったアルフヘイム艦隊を尻目に、ゲオルクはツァルブリの捜索を命じる。
 大破して速力の落ちていたツァルブリにはすぐに追いつくことができた。
 ツァルブリは外海に出てなおも航海を続けている。左に傾いたまま、曲芸のように。ゲオルクの部下たちの操船技術の賜物だろう。
 海戦の興奮が覚めやらぬのか、士気が異様に高い。
 シルトロンはテイジーたちの大声が聞こえるほど近くに接舷した。
「野郎ども! とっとと難民助けて、全員定時に帰るわよ」
「おうよ、姐さん!」
 後にエロマンガ沖海戦と呼ばれることとなるこの戦いは、フォーゲン艦隊の圧勝となった。アルフヘイム艦隊のうち小破が十三隻、中破六、大破九。残りの二十一隻はすべて撃沈された。フォーゲン側は旗艦シルトロンが小破。ツァルブリは大破ののち撃沈した。
 海軍の教本には必ずといって良いほど、エロマンガ沖海戦の戦い方、定時戦法が紹介されることになったという。

       

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