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表紙

リアル桃太郎(パイロット版)
『リアル桃太郎(パイロット版)』

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 昔々あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。
 お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。
 お婆さんが川で洗濯をしていると、大きな桃がドンブラコ、ドンブラコと流れてきて、それを持ち帰ると中から赤ん坊が出てきて桃太郎と名付けられ鬼退治に行くことはすでに分かりきったことなので、ここでは視点をお爺さんに向けてみたいと思います。
 お爺さんが山道を歩いていると、雑木林の中から突如男が現れ、行く手を塞いでしました。獣の毛皮を被ったとても汚らしい男で、野山に溶け込むために泥を塗りたくったその顔からは、一切の人間らしい感情を読み取ることは出来ません。
「爺さん、持ちもの全部置いてってもらおうか」
 低く唸るような声がそう言いました。男は山賊でした。
 気が付いたときには、お爺さんの周囲はどこから現れたとも知れぬ山賊の仲間たちに包囲されています。
 道を塞いだ山賊の頭領を含め、その数は六人。
 錆びた太刀と薄汚れた甲冑で武装した彼らは、合戦を落ち延び、帰る場所を失った侍たちでした。
 もはや彼らの魂には武士(もののふ)としての誇りはありません。お爺さんは自分を包囲する山賊の一人が「ぐへへ」と厭らしく嗤うのを見て、山賊たちが己の命をつなぐために弱者を蹂躙し、あまつさえそれに楽しみを見出す畜生道に堕ちた咎人だということを悟りました。
 お爺さんが目を閉じたのは、山賊たちの犠牲となった、幾人とも知れぬ罪なき人々への黙祷を捧げるためです。
 その人たちにも、親や兄弟はいたでしょう。もしかすると、子供や孫もいたかもしれません。それを思うと、お爺さんは胸の奥がずきずきと痛むのを抑えられませんでした。
「じじい、さっさと言う通りにしやがれ! 耄碌(もうろく)してんのか?」
 お爺さんの両目がカッと見開かれたのは、いきりたった山賊の一人がそう言った瞬間でした。
 犠牲者たちを悼む想いとともに、お爺さんの胸中には相反するもう一つの感情がありました。

 それは喜びです。

 お爺さんの浅黒い肌は、日に焼けたものではありません。
 また、太く濃い眉、丸く大きな目、厚く大きな唇といった特長的な顔立ちは、大和民族のそれとは明らかな差異が見られます。 
 彼の者の生まれは日のもとの国に非ず。海を隔てた異国の地。 
 後の世において東南アジアと呼ばれるその一帯は、中国-印度間の交易路として栄える一方で、様々な民族・宗教を持った王国が興り、争い、滅びていったという流血の歴史が刻まれた土地でもあります。かつてお爺さんはその血に栄えたある王国に忠誠を誓った一人の戦士でした。
 しかしながら、若き日に抱いていた使命の炎はもはやその胸の中にはありません。
 お爺さんの故郷が滅んだのは、敵国の策略と、自らの保身に走った一部の臣下たちの裏切りによるものだったのです。王が暗殺されたその夜、お爺さんの瞳に映ったものは炎上する故郷の街の緋色でした。示し合わせた敵国の兵士たちによる夜襲を受けたのです。全ては敵の策略通り、完全に後手を踏む形となったお爺さんとわずかに残った仲間たちは、命からがら逃げだすことしかできませんでした。
 彼らは大陸を行くあてもなく彷徨い、余所者として拒絶され、やがては海を渡ることになります。その旅の途中で疲労困憊した仲間たちは一人、また一人と倒れていき、日本に流れ着いたときにはお爺さん以外の生き残りは残っていませんでした。
 そして全てを失ったお爺さんはやがてお婆さんと出会い、この地に根を下ろすことになったのです。
 お爺さんがお婆さんに対してそれらの過去について語ったことは一度もありません。
彼にとっては、全てはどうすることもできない過去の出来事なのです。今さら記憶の蓋を開けたとして、それが何になるのか。年老いたお爺さんに残されているものは、深い悲しみと諦観だけなのです。また、お婆さんも夫が心に傷を負っていることを察し、その領域に踏み込むことはしませんでした。
 ただ、お爺さんには一つだけ捨てられないものがありました。
 故郷を失ってからも、お婆さんの目の届かないところで、お爺さんはそれを磨き続けていました。数十年間、一日も休むことなくです。それは王国を守るための戦いの術でした。故郷の言葉でプンチャクと呼ばれるそれは、やがて呼び名を変え、その高い実戦性から世界中の兵士たちに学ばれることとなります。

 シラット。

 それがその武術の名前でした。
 お爺さんは自分の顔が自然とほころぶのを自覚しましたが、傍から見るとそれは獣が牙を剥く様にも似ていました。お爺さんはもう実戦で使う機会はないものだと己に言い聞かせながら、その技を腐らせぬよう、ずっと磨いてきたのです。それを遠く離れた故郷と自分とをつなぐ、唯一のたづきとしてきたのです。故郷の空の色を忘れても、思い出の中にある死んだ戦友たちの顔立ちが霞んでも、その技だけは忘れることはありませんでした。
 言うなれば、二度と鞘から抜かれるはずのなかったカランビット・ナイフ。
 その刃を抜く機会が、ついに訪れたのです。
 お爺さんは全身の血が熱く滾るのを、確かに感じました。同時に、その思考は生涯で最も冴え渡っています。どうすれば山賊たちを倒せるかはすでに分かっていました。
 背中につけた背負子《しょいこ》にはここまで来る道中で集めた薪木がいくらかありました。密度の高い欅《けやき》の枝は、囲炉裏にくべたときの火保ちがいいということの他に、堅牢であるという長所を持っています。
 つまり、武器としての強度は十二分。
 縄で緩く縛られた薪の束を両手で引き抜くと、お爺さんはそれらを周囲の山賊の目線の高さを狙ってばら撒きました。
 同時にその場で周囲を見渡すようにぐるっと回転したお爺さんは、その一瞬で賊たちの中でも最も反応が悪い者を見極め、その方向に大きく踏み込み、一本だけばら撒かずに握っていた枝の先端をその男の片目に突き刺します。

「うぎゃぁあ」

 目を刺された男が痛みにうめいたときには、お爺さんはすでに錆びた太刀を握る相手の腕を掴んでいました。腕を捻り上げ太刀の動きを制限する同時に、お爺さんの右肘の一撃は相手の顎を砕いています。
 お爺さんの攻撃はそれだけでは終わりません。
 バランスを崩した勢いを利用して相手を引き寄せ、その頭髪を掴んだお爺さんは、もう片方の手で奪った太刀を逆手に持ち、錆びた刃を男の首筋に押し当て、そのまま思い切り横に引きました。もはや手入れされることすらなくなったその刃は、無精な持ち主の薄く乾燥した皮膚を容易く裂きます。
 外道の血は、確かな赤色をしていました。
 切れ味の悪い錆びた刃は中腹あたりで首の肉に引っかかって止まりますが、それもまた計算の内。
 舟の檜を漕ぐように柄を両手で握ると、お爺さんは右脚を軸に再びその場で回転し、その勢いによって男の首筋に食い込んだ太刀を外しました。
 反動で引っこ抜けた――否、遠心力で投げられた男の体は、首から血を噴き出しながら宙を舞い、その先にいた二人目の山賊を覆いかぶさるように押し倒します。
 同時に、お爺さんは太刀の先端の重りが取れたことで生じた加速を利用して後方へと飛び、対角線上にいた三人目の山賊を斬っていました。
 狙いは頭部。
 太刀の刃はこめかみ辺りから入り、額の真ん中まで達したところで衝撃に耐え切れずに折れてしまいます。
 そのまま地面を蹴ってさらに勢いを加速させ回転するお爺さんは、片手で落ちた薪を一本掴むと同時に、自分からもっとも離れたところにいる四人目の山賊にむかって折れて小振りになった太刀を投げつけ、次の瞬間にはもっとも近くにいた五人目の山賊の耳の穴に薪の先端を突き刺していました。
 鼓膜が破れた痛みで相手が叫ぶより前に、お爺さんは突き刺さった薪を取っ手代わりにして首を引き寄せ、相手の頚椎を捻じり壊して完全な止めを刺しています。
 直後、背後では鉄が肉に刺さる鈍い音がしました。それは先ほど投げた太刀が四人目の山賊の顔に刺さった音です。叫び声をあげなかったことで、相手が即死したことを理解したお爺さんは、その方向に目を向けることはしません。
 なぜなら、残された山賊の頭領がお爺さんに斬りかかって来たからです。
 お爺さんは首を捻った五人目の死体を盾代わりにして横なぎに降られた山賊の頭領の太刀を止めると、一足飛びで相手の懐に飛び込みました。
 密着距離はシラットの間合い。すなわち肘による打撃を活かすための間合いです。
 肘は人体の中でも鋭角的な構造を持ち、体幹の筋力を利用した威力の高い打撃を打つことも容易な部位なのです。シラットを含める東南アジア武術においては、多人数を想定し、壊れやすい拳よりも頑丈な肘を多用するという特徴が見られました。そして、シラットの組技の技術体系は、その間合いでの打撃・組みの複合的な崩しや、防御からのカウンター的な派生技として成り立っています。つまり、こちらの一撃目が決まるか、あるいは相手の一撃目を防御したのなら、その時点で相手を制圧しきるコンビネーションへと繋ぐ技法がこの武術には備わっているということです。それがシラット、ひいては東南アジア武術全般がその高い実戦性を評価され、世界各国の軍隊や警察関係者に使われている一因と言えるでしょう。
 ところで、お爺さんが山賊の頭領を一番最後に倒すと決めたのには理由がありました。
 最初に山賊たちに取り囲まれたとき、お爺さんはその立ち振る舞いを見て、個々の実力におおよその見当をつけていたのです。単純な戦闘力で言えば達人クラスであるお爺さんと山賊一人一人との間には大きな開きがありますが、多人数に包囲された状況となれば話は別でした。数の不利をひっくり返すには、奇襲をかけ弱い相手から順番に倒していく以外にはありません。それも一人にかけている時間は一瞬しかなく、どこかで手こずれば多人数との戦いにもつれこみ形勢は不利になります。お爺さんは山賊の頭領が最も手強い相手だと判断し、残りの下っ端を先に排除することにしました。一人目の山賊の死体を投げつけただけの二人目の山賊には有効なダメージを与えることはできていませんが、鎧を纏った死体をどけて起き上がるのにはいくらか時間がかかります。その間に山賊の頭領を倒してしまえばいいので、一体一の状況が連続するだけで、お爺さんの優位は動かないはずでした。
 お爺さんのミスは、山賊の頭領の実力を見誤ったことでした。
 間合いをつめたその瞬間、頭領の右手の二指が狙ったのはお爺さんの左眼球。
 とっさに首をそらしたおかげで、眉のあたりを切っただけで済みましたが、その攻撃は意識を上半身に集中させるための囮でした。

 本命は蹴りです。

 樫の木のように厳つく地面を踏みしめていた頭領の太い左足が、お爺さんの胴を抉るように蹴り抜いています。尋常ならざる一撃でした。もしお爺さんが後ろに飛ぶのが一瞬送れていたなら、その蹴りは背骨を逆向きに剃らせ、二度と戻らなくしていたでしょう。
 頭領の蹴りに吹き飛ばされたお爺さんは、後転して勢いを殺してから、肩膝をついた体勢で再び頭領のほうへと向き直ります。

「――ほう、まだ動くか。存外に丈夫な年寄りだ」

 低く唸るような声が、そう言いました。獣のようでもあり、しかしその無機質な響きからは一切の感情が感じられません。戦いへの猛りも、仲間を殺されたことに対する怒りすら。
 そこにあるのは如何に相手を斬るかという、冷徹なる理合のみ。
 しかし、お爺さんには頭領の口元がわずかに引きつっているのが見えていまいした。命の奪い合いに喜びを見出した者のみが持つという、修羅の相。あるいは月の表面に浮かんだ紋様を兎の餅つきと見立てるような、見る者の心象を投影したただの錯覚に過ぎなかったのかもしれません。問題は、お爺さんを戦慄させるにはその僅かな表情の変化で十二分だったということです。
 両者の間には、七歩の距離が開いていました。
 胴体への蹴りの一撃は、お爺さんに深刻なダメージを与えています。蹴られた右脇に残る痛みは、お爺さんの呼吸を乱れさせ、全身からは汗が噴き出すのが止まりません。何より問題だったのは、肺に喰い込むような形で折れた肋骨でした。
 下手に動けば、尖った骨は完全に肺に刺さりお爺さんは助からないでしょう。体幹の捻りを動作の基点として多用するシラットにおいては、致命的な傷でした。
 対する山賊の頭領は、すぐさま追撃はせず、仲間の死体から抜いた太刀を構え、お爺さんの様子をじっと伺っていました。
 頭領は蹴りの感触からお爺さんが自ら後ろに飛んで威力を軽減していたことを分かっており、痛みに耐えるお爺さんの様子が自分を近づけさせるための罠であることを警戒していたのです。加えて、彼の狙いは初めから持久戦でした。並々ならぬ使い手とはいえ相手は老人であり、体力でいえばこちらに分があるのは当然の話。さらに仲間の死体の体当たりを喰らっただけの二人目の山賊が起き上がるのを待てば、状況は二対一になります。頭領は確実な止めを刺すのはそれからだと考えていました。
 しかし同時に、頭領は一対一でお爺さんと戦うための備えを怠ってはいませんでした。
 布石を置いたのは、初手の目潰しです。あれは蹴りを入れるための囮であると同時に、お爺さんの片目の視力を奪うためのものでした。狙ったのは眼球そのものではなく、そのわずかに上、眉と瞼の間でした。研いだ爪先で切りつけた傷口からにじみ出る血は、顔をつたって時間差でお爺さんの片目を塞ぎます。お爺さんが血をぬぐおうとすれば、頭領はその隙を突いてこちらから勝負をかける腹を決めていました。敵を見据える頭領の双眸には、己の勝利がはっきりと写っていました。その勝ち筋は一通りだけではないのです。
 一つの勝機に固執せず、あらゆる局面に対応し勝ちを拾う自在の剣。
 それこそが頭領の納めた流派、兵法タイ捨(たいしゃ)流の信条でした。
 タイ捨流は、戦国時代に新陰流(しんかげりゅう)から分派し起こった流派の一つです。『タイ』という字は『体』と書けば体を、『待』と書けば待つことを、『対』と書けば相手を対峙することを捨てる=捉われないという意味となり、剣術でありながら『刀を持ったままの状態』からの蹴り・目突き・投げなどの技を巧みに取り入れた実戦流派として知られています。武器を持ちながら体術を併用するその技は、奇しくも後に『タイ』の呼び名を持つことになる東南アジアの某(なにがし)の王国と、そこに伝わる伝統武器術をお爺さんに思い起こさせました。クラビー・クラボーンと呼ばれるそれは、かつてお爺さんの故郷を滅ぼした敵国の兵士たちが用いたものでもあったのです。
 極限の痛みと緊張の中、お爺さんの脳裏には靄がかかったように思い出すことのできなかった故郷の空の色が鮮明に浮かんでいました。
 だたし、その色は蒼ではありません。
 炎上する死地の紅。
 お爺さんが無意識のうちに記憶の奥底に封印していた、滅び行く故国の末期(まつご)の光景でした。お爺さんは、己の中で再び沸き立つその血潮が、故郷の土が焼けるその熱さを確かに覚えていることを感じました。
 痛みに歯を食いしばり、痙攣しかけたお爺さんの表情筋は、再び笑みを作ります。それは先ほどのシラットの技を使う機会を得たことによる歓喜の表情とはまったく異なるものでした。
 しばしの静寂が二人の間合いを満たしました。
 それは枝から落ちた枯葉が地に達する程度の短い暇でしたが、極限まで研ぎ澄まされた戦士たちの集中力には、半刻、いや一刻以上にも感じられる時間です。
 共に戦うべき理由を失い、それでもなお戦う術を捨てられなかった手負いの獣同士。まったく別種の笑みを浮かべた二人の死合いは、すでに最終局面。
 出逢い、闘い、そして斬る。
 ――いざ、尋常に。
 眉下の傷口から垂れた血がお爺さんの左眼に入ったとき、先に動いたのは頭領でした。
 タイ捨の剣士に油断なし。
 アバラが肺に喰い込むという重傷を負わせ、片目を血で塞いだ上で、先手を取るという圧倒的有利な状況で、山賊の頭領は相手を確実に殺るための計略を怠たることはありませんでした。
 死角となった相手の左半身側へと大きく踏み込んだ瞬間、頭領は太刀を左手に持ち替えていました。
 同時に、右手は腰に差した脇差へと伸びていました。
 タイ捨流の二刀の技法は、開祖・丸目蔵人(まるめくらんど)が、一門から薩摩藩の御留流(おとめりゅう)の座を奪った一撃必殺の古流剣・示現流を打倒するために編み出した『太刀投げ』の奥義が原型だと言われています。
 その極意は、一刀が相手の隙を生み、残る一刀がそれを斬ること。
 お爺さんが死角からの攻撃を避けようと距離をとるならば、頭領は脇差を脚に投げつけ機動力を奪い、その隙に死角に回り込んで追撃を加えます。逆にお爺さんが決死の覚悟でこちらの間合いに飛び込み太刀の柄より内側に入って攻撃を避けようとすれば、まず小回りの利く脇差で刺し、間髪入れずに胴を蹴って再び距離をとり、ひるんだところに止めの一振りを加えます。 
 その錆びた得物とは裏腹に、研ぎ澄まされたタイ捨の剣術につけいる隙は皆無。
 ただし、相手の無い隙を『生み出す』ために策を講じていたのは頭領だけではありません。
 肩膝をつき、迫り来る頭領に向かってやや斜め向きで相対するお爺さんの体。敵から見て死角となった右腕には、五人目の山賊の耳穴に突き刺した薪が握られたままでした。
 薪の先端は死んだ山賊の内耳で折れて引っ掛かり、お爺さんの手に残った長さはおよそ五寸ばかり。頭領の持つ脇差の柄にも満たない長さではありましたが、お爺さんには十分でした。
 折れたアバラ骨をかばい、腕の振りのみで投げつけたその薪の狙いは、しかし正確無比です。
 相手の次の一手は、確実な死角からの最短距離の攻撃。
 それが分かっているならば、たとえ姿が見えずともその踏み込みの位置を予測することは十分に可能。空を切って飛ぶ薪の軌道は、頭領の双眸をしっかりと捉えました。
 頭領は首を左にそらして、それを紙一重で回避します。

 お爺さんの狙いは、その紙一重。

 完璧なタイミングで投げた薪の陽動により、頭領の踏み込みが僅かに鈍ることでした。
 生み出した猶予は、ほんの寸秒。その一瞬で、お爺さんの首の回転は死角へと飛んだ頭領の動きに追い着き、残った右目がその半身を捉えます。そして、お爺さんの本命の策は薪を投げた右の手の中にまだ残されていました。
 そこに握られていたのは、五人目の山賊の鼓膜を貫いたとき、薪を伝って付着したわずかな血液です。
 まだかろうじて固まっていない赤黒い血を、お爺さんの指先が弾き出しました。
 お爺さんは薪を投げ、あえてそれを避けさせることで頭領の動きを支配していたのです。放たれた飛沫の射線上に自ら首を傾けたことに頭領が気付いたときには、すでに回避は不可能でした。
 血飛沫が飛ぶ先にあるのは、頭領の右目。
 すんでのところで閉じられた瞼がその眼球を守りました。
 同時に、お爺さんは相手の死角へ飛んでいます。
 その踏み込みの速さは、言うなれば雲耀(うんよう)。頭領にとっては、想像の埒外にあった動きです。
 胴を捻らず両手両脚で地面を打ち、体重移動によって倒れこむように前方へと飛び込む身体操作は、シラットではなく日本の古武術の身体操作法に近いものでした。
 『ナンバ』と呼ばれるその歩法は、江戸期以前の日本において、ごく日常的な所作として市井の人々に使われてたものです。
 難儀な場と書いてそう読ませる『ナンバ』には、字の通り絶対絶命の剣ヶ峰を越えるための力を発揮する、近代以降の西洋式運動力学においては失われた古《いにしえ》の理《ことわり》が秘められていました。そして、それはお爺さんの意図した動きではありません。流れ着いたこの島国で、よそ者であることを隠すために見よう見まねで身に着け、何十年も培ってきた、その積み重ねの生んだ偶然の産物だったのです。
 ここに来てお爺さんに活路を与えたのは、異郷の地を生まれ故郷と錯覚させるような、長い長い年月そのものでした。
 片目を閉じたことにより遠近感を僅かに読み違えた頭領の左太刀は、低空を行くお爺さんの頭上を掠めます。
 起死回生の一歩が踏み込んだのは、太刀の柄より内側。
 すなわち完全なるシラットの領域。
 そのとき、お爺さんはすでに命を捨てる覚悟を決めていました。狙うのは右の肘打ちによる一撃必殺です。
 初めに山道を塞いだ時点で、お爺さんは頭領が腰に刺した脇差の存在に気がついており、それが抜かれることを予期していました。
 二刀を持つ相手を組み技で制するには両腕を拘束するか、あるいは両腕の稼動範囲外にある限られた死角に周りこむ必要があり、一刀の相手に比べ格段に難易度が上がります。加えて頭領には足技があり、反撃は必至。アバラを折り万全でない今のお爺さんの状態では、相手を組み伏せてから止めを刺すというシラットの基本的戦法は仇となり、頭領に付け入る隙を与えることになります。
 だからこそお爺さんは組みによる攻防を捨て、痛みを無視して放つ全力の一撃に全てを賭けました。その攻撃によって折れたアバラは完全に肺に突き刺さり致命傷を負うことになりますが、すぐに死ぬわけではありません。二人目の山賊が仲間の死体の下から脱出する前に頭領を倒せば、後は動けない相手の首を太刀で刎ねるか、頭を石で潰すか、やりようはいくらでもあります。
 自分の命と引き換えにこれから山賊たちの犠牲となるであろう人々を救えるというのなら、それは戦士としての本望だとお爺さんは思いました。
 唯一の心残りは、やはり家で自分の帰りを待ち続けるであろうお婆さんのことです。
 その一撃を放とうとする弾指(だんし)の一時(ひととき)、お爺さんは心の中でお婆さんにただ一言だけ謝りました。
 お婆さんが自分の選択を責めないことは分かっていましたが、お爺さんは謝らずにはいられなかったのです。あるいは、それは現世への未練を断ち切るための行為だったのかもしれません。
 全てを捨てる死の覚悟。
 それに勝るものがあるとするなら、生への執着。
 もしくは畜生に身を堕してなお、その手に握り続けた剣の道への執着。
 頭領はまだ、終わってはいませんでした。
 『ナンバ』には重心移動を利用するが故に急な停止や方向転換を不得手とするという弱点があります。
 頭領がそれを知るのは、古流に通ずるタイ捨の剣士ならば至極当然のことでした。頭領の身体に染み付いた練磨と研鑽は、反射的にその弱点を突いています。
 振るった左太刀は、お爺さんの行く先を定めるための一手。 
 その一振りと、遅れた脇差との間に生じた隙を埋めるのは、相手の顔目掛けて右足が蹴り飛ばした土埃でした。もちろん狙いはお爺さんの右目を潰すことです。生きる執念が生み出した、悪足掻きとも取れる小細工は、その実功を奏していました。
 標的を見失ったお爺さんの渾身の一打は、無情にも空を切っていました。
 同時に折れたアバラが肺を突き破ります。激痛よりも問題なのは、完全に食い込んだ骨のせいで身体の捻りを戻せないことでした。『腕を引いて反対の腕で二撃目を放つこと』は不可能です。
 つまり、お爺さんの選択はただ一つ。
 腕を引かずに振りぬいて、一回転する勢いを利用した左肘による打撃。
 空振りした右を生かす、第二の矢。お爺さんが放った一見して我武者羅な二撃目の軌道は、再び頭領の頭を捉えています。
 頭領はその攻撃を予測していました。 
 同時に、この刹那の攻防に決着がつくときが近いことをも悟ります。
 お爺さんの攻撃に対し、選んだのは回避ではなく迎撃。もし二撃目を避けたとしても、お爺さんはさらに回転を続け右肘を使った三撃目を放つでしょう。
 間一髪で一撃目を避けた上さらに二撃目を避けるとなれば、崩れた体勢を立て直す暇はなく、続く三撃目に対して無防備になります。加えて、背を向ける一撃目と二撃目の間隔に比べ、腕の稼動範囲の広い正面を向く二撃目と三撃目の間隔はわずかに短くなり、頭領にとっては分の悪い勝負でした。
 二撃目をあえて避けさせること、否、死中の気迫を込めた二撃目によって相手を避けざるを得なくさせ、三打目の命数をつなぐことこそが、お爺さんとった不借身命の策でした。
 もちろん、両目の見えないお爺さんならば空振りする可能性も十分ありましたが、神仏に背を向けた修羅の剣士が今さら己の命運を天に預けることはありません。
 用いるのは脇差による刺突。
 頭領が今まで太刀を横に振ることしかしなかったのは、線の攻撃を印象付け点の一撃を活かすための伏線だったのです。それがこの土壇場で活きました。回避は不可能。
 その狙いは、回転し背を向けた瞬間の左腹でした。
 回転の中心部となる体幹部への攻撃で勢いを殺せば、続く左太刀の追撃がお爺さんに引導を渡します。
 全てを捨てたお爺さんの疾さに追いつく頭領の動きは、古流の足運び『ナンバ』。
 低く沈みこむような動きは、お爺さんの左肘を掻い潜り、脇差の一閃が胴を貫きます。その攻撃は、つっかえ棒の役目を果しお爺さんの回転の勢いを削いでいました。
 頭領は己の勝利を確信しました。

 ――肘打ちのため畳まれていたお爺さんの左腕が一瞬にして伸び、頭領の首に手をかけたのはそれと同時です。

 その腕の動きは、刺さった脇差の角度から頭部の位置を特定されぬよう身を屈めていた頭領の首筋を正確に捉えています。 
 死に物狂いまぐれ当たりではありません。
 お爺さんには見えていたのです。
 見開かれていたのは、砂埃の目潰しを喰らった右眼ではなく、自身の血で塞がれたはずの左眼。

 その血を洗い流したのは、お爺さんの眼から溢れ出す涙でした。

 忘れていた故郷の風景を鮮明に思い出したお爺さんは、戦いの最中であるにも係わらず、戦士として鍛えてきたはずの心の隅にほんの一欠けら残っていた人としての弱さゆえに、それを止めることができませんでした。
 同時にお爺さん戦士としての部分は、その涙を左眼が見えぬというブラフとして強かに利用したのです。
 状況を理解するよりも前に、頭領は突き刺した脇差をさらに深く押し込もうとしました。動きの基点となる胴に刺さったその刃が刺さっている限り、お爺さんの攻撃は制限されます。たとえ首を掴まれたとしても、そこからの攻撃を一瞬でも遅らすことができれば左太刀の追撃のほうが勝るはずでした。  
 お爺さんの策は、さらにもう一つ。
 胴蹴りを喰らい片膝をついてしゃがんでいたとき、薪を隠し持った右腕は、頭領の死角の中で左足に履いた草鞋の紐を解いていました。草鞋の下に履いた足袋は、緒を通すため親指と人差し指の間に割れ目がついた構造をしています。つまり、草鞋を脱いだ足ならば指の間にものを挟んで掴むことができます。
 老人離れした股関節の柔軟性により蹴り上げられたその足先には、地面に落ちていた薪が一本。
 踵側から突き出た枝先が鎧の隙間を狙って突き刺すのは、脇差を持つ左腕の柔らかな腋窩(えきか)でした。神経が集中し動脈の通るその部位は、人体急所の一つです。もちろん、木の枝では急所を突いたとしても致命傷を与えるには及びません。しかし、隙を生み出すにはそれで十二分でした。
 思わぬ痛みによって頭領の身体が一瞬だけ硬直したと同時に、お爺さんは傷口を広げるようにして己の背に刺さった刃から無理やりに逃れていました。
 左腕で引き寄せた頭領の頭に、お爺さんの右肘がめり込んだのはその直後。
 頭領の左太刀は密着した間合いに入ったお爺さんを捉えることはできず空を切ります。胴の捻りもなく、回転の勢いも死んだ今、お爺さんの右肘には必殺の威力はありません。
 しかし、勝負はついていました。
 頭と胴体をつなぐ首という部位は、人間にとって最も大きな生理学的な弱点となります。シラットを含める東南アジアの武術は、その弱点を突くことで相手をコントロールする、あるいは破壊することに長けていました。
 首根っこを掴んだ左腕と、打ち込んだ右肘の二点によって、お爺さんは相手の頭をがっちりとホールドしています。
 頸椎に対する、稼動域を超える横方向への回転。
 頭領がその攻撃に対して抵抗する猶予は一切存在しませんでした。バランスを崩した二人はもつれるように地面に倒れこみます。一方はその衝撃で全身に走った激痛に呻き、ダメージの総量では遥かに少ないはずのもう一方はすでに二度と痛みを感じることはなくなっていました。
 生き残った者こそが、真の勝者である。
 それが戦場での真理であるとするならば、この勝負を制したものは己ではない。
 生涯最強と言っても差し支えない恐るべき強敵の屍の横で顔を上げたとき、お爺さんはその事実を理解しました。

 視線の先にいたは、仁王立ちでこちらを睨む一人の男。

 それは仲間の死体の下から這い出してきた最後の生き残りの山賊でした。お爺さんは間に合わなかったのです。
 想定以上のダメージを食らったお爺さんの身体には、もはや抵抗をする力は残っていませんでした。立ち上がる気配のないお爺さんに対して、山賊は警戒を緩めずゆっくりと近づいて来ます。その眼に映るのは、憎しみの炎。ともに人の道を外れ、命を預け合った無二の戦友たちを殺した者への殺意でした。
「糞爺が、よくも、皆を……」
 底知れぬ怒りに身を焼かれながらも、最後の山賊は冷静な判断を下していました。八相に構えた太刀が狙うのは、お爺さんの首筋。憎しみを晴らすため痛めつけようとはせず、確実に息の根を止めるための一撃でした。それを選ばせたのは、畜生たちの生への渇望だったのかもしれません。お爺さんは己の最後を悟りました。 
 満足はしていました。六人いた山賊を一人に減らすことができたのです。これから犠牲になる人々の数は減らせたでしょう。故郷を守れなかった敗残兵にしては上出来だとお爺さんは思いました。
 そして、やはり最後に想うのは、今頃は川原で着物の洗濯をしているはずのお婆さんのことでした。長年連れ添った二人でしたが、その間に子供は生まれませんでした。ただ一人残されるお婆さんを支える者はいないのです。
 薄れ行く意識の中で、お爺さんはひたすらお婆さんのことだけを案じていました。
 山賊が太刀を振り被ります。その瞬間、お爺さんの眼はその刃の錆に至るまで鮮明に捉えていました。

 しかし、死に際の集中力を得たその眼にも捉えられぬものが一つ。

 それは爺さんの背後にあった雑木林より躍り出た、巨大なる影。
 およそ人とも思えぬ異様な雰囲気を纏ったその姿は、山中の奥深くに住むと言われる人語を操る妖怪狒々か、あるいは黄泉の国よりお爺さんを迎えに来た亡霊か。 
 否。
 その影には実体があります。
 鋭い金属音と共に、山賊の攻撃は防がれていました。太刀を受け止めた短刀の名はマキリ。遠く北方、アイヌの民が用いる蝦夷刀です。
そしてその使い手の生まれ故郷は、それよりもさらに北。
 後にロシアと呼ばれる永久凍土の大地から来た旅の武芸者は、太刀の防御と同時に相手の胸元に左拳を打ち込んでいます。
 鎧越しの裸拳による一撃。
 通常ならほとんどダメージを与えることなどできないはずのその打撃は、最後の山賊を瞬時に絶命させていました。 
 心臓震盪と呼ばれる現象が存在します。
 収縮した心臓が再び元の大きさに戻ろうとする特定の瞬間に衝撃が加わえられることで、心室内の内圧が高まり、心筋の痙攣などの致死的な不整脈が起こる現象のことです。
 武芸者の打撃は30~15ミリマイクロ秒(1マイクロミリ秒=1/1000秒)の一瞬を見切り、その現象を故意に発生させる『技』として成立していました。
 しかし真に恐るべきは、彼がその技を誰かから学んだのではなく、積み重ねた経験を生まれ持った天性によって自ら編み出したという点にあります。こと切れた山賊の身体が地面に倒れたとき、お爺さんは自らの命を救った人物が尋常ならざる使い手であることを悟りました。
「危ないところだった」
 お爺さんのほうへ振り返った武芸者は、金髪と西洋人特有の整った目鼻立ちに似つかわしくない、流暢な日本語でそう話ました。また、顔立ちはその実力に反して不自然なほどに若く、一目で十代だと分かるほどです。ただし初めて彼と出会った者にとって、恐らく最も『目を引く』であろう特長は別にありました。
 彼の両目は焦点が合っておらず、白濁していました。   
 天賦の武才を持つ全盲の若き異国人。
 その頬は、牙を剥くような嗤いで歪んでいます。
「ご老体、死ぬには惜しい」
  そう言って差し伸べられた手を見たとき、お爺さんは背筋に怖気(おぞけ)が走りました。それは本能の働きです。
 異様に盛り上がった拳ダコ。
 長く太い、それぞれが別個の生物であるかのような指々。
 なにより、手全体にべっとりと纏わりつく得も言われぬ禍々しい雰囲気。
 そのどれもが、本来なら生物学的に人の手が持ちえるはずのない、凶器としての機能を示しています。あたかも刃物を目先に突き付けられたような、脊髄反射的な恐怖を抱いてしまうのも無理もありません。
 同時に、お爺さんの胸中には全く別の感情が沸き上がっていました。それはすぐさま異様なる確信へと変わります。

 故郷を失い、海を渡り、この地に流れ着いた我が身の意味は、この男と死合うため。

 武芸者の手を握りしめたお爺さんの手には、およそ死にかけの老人とは思えない、異様なる怪力が込められていました。己が天命を確信し得た者の生命の発露とも言える力です。常人の手であれば骨を砕き、肉ごと引き千切っていたでしょう。
 お爺さんの頭には、もはやお婆さんのことすら欠片もありません。
 そこにあるのは、異様なる情念の累積によって磨き続けられた一振りのカランビットナイフ――純粋なる凶器でしかないのです。
 怒りも、憎しみも、義信すらもない。この局面に至り、お爺さんは己が能力を証明することのみを行動原理とする修羅として覚醒を果たしていました。そして、やはりその貌は牙を剥く獣のように歪んでいます。
 武芸者はその様子に目を細めると同時に、手から伝わる怪力を確かめました。
 お爺さんの直観は常軌を逸していましたが、しかし的中していました。武芸者の目的は相手を治療し、全力となった相手を屠り去ること。元より、彼の人生は浮き草のごとき無頼の旅路。老体と重傷から見て、今回は駄目元の期待半分といったところでしたが、その認識はすぐさま改められます。
 固く結ばれた、共に殺奪のために武芸を極めし両者の手には、この邂逅への歓喜と互いへの抑えきれぬ殺意が込められていました。
 しかしながら、彼ら自身が多くのことを与り知らぬこともまた事実。
 例えば、その修羅がやがてこの地に流れ着いた異国人の集団の長となり、鬼と呼ばれ時の朝廷と敵対することを。
 例えば、この死闘を生き延びたお爺さんの元に、桃に宿りし鬼滅の赤子が遣わされることを。
 例えば、その桃太郎がミオスタチン関連筋肥大という特異体質――常人の数十倍の速度で筋肉が成長するという神の肉体と、一切の他者への共感と良心が欠落した反社会性パーソナリティ障害、通称サイコパスと呼ばれる悪魔の心を兼ね備えることを。
 そして何より、鬼を討伐し新たな魔王として君臨した桃太郎に引導を渡すのが、育て親である己自身であることなど、そのときの彼らに想像できるはずもありません。
 血の因果によって繋がれた彼らの数奇な物語は、数百年の時を経た太平の時代、童に向けた御伽噺として歪んだ形で伝えられることになります。時とは移ろいゆくものであり、古今東西の逸話には忘却された陰の部分が存在するのが世の常。その皮肉さこそが、無常の浮世を端的に説明する好例だと言えるのかもしれません。
 生きることとは、かくも不条理。
 しかしながら、我々が確かに此の世に生を受けた、唯一無二の実存であるということもまた事実。
 無から宇宙が生まれたとするならば、人生の意味も答えも後付けの錯覚に過ぎません。なればこそ、我々はその錯覚を貫き通すべきなのです。
 我、思う故に。 
 そうして定義した己自身が、果たしてどれほど確かなものなのかは分かりません。
 しかし、今この瞬間、それを肯定することはできるでしょう。
 信じた己の道のため、闘うことはできるでしょう。 
 お爺さんのように。山賊たちのように。鬼たちのように。
 あるいは桃太郎のように。
 その先に、勧善懲悪の大団円があるという保証はありません。
 しかしまずは、無限の不条理と無限の可能性を等しく持って生まれた己の境遇を、私たちひとりひとりが祝福すべきではないでしょか。
 話の続きは、その後で。 

 ああ。







 めでたし、めでたし。
 
   

(未完)

       

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Neetsha