リアル藤井聡太VSメイウェザー
第一話『ファンタジー』
「逆に考えれば、このルールで勝つことができたなら、日本の格闘技界は間違いなく息を吹き返す、ということですよね?」
その言葉に、株式会社ドリームファクトリーワールドワイド代表取締役社長、榊原信行は思わず息を飲んだ。
場所は都内某所の料亭。
同社が運営する総合格闘技イベント『RIZIN FIGHTING FEDERATION』、並びにその前身となるドリームステージエンターテインメントが運営した『PRIDE』の時代を通して、榊原は『要人』への接待にはこの料亭を使うのがもっぱらだった。味は確かで、日本人、外国人問わず、接待の後も個人的な常連客となる選手は多かった。何百回と利用した、いきつけの店だ。
しかしその日の榊原は強烈な違和感を拭えずにいた。
それは今回の『要人』がこの場、というよりも格闘技イベントを主宰する自分が接待するのに似つかわしくない相手であるという類のもの――ではない。
むしろ、その逆。
馴染みすぎている。
榊原の持つ、長年にわたるプロモーターとしての直感が告げていた。『彼』の纏う雰囲気は、これまでの人生で幾度となく遭遇してきた『生物的強者』たちと同種もの。勝負の世界に生きているという点は共通だから、という有り体な説明ではとうてい納得できるものではない。ましてや青年のやや細身の体格は、言っては悪いが鍛えぬいたプロアスリートとは程遠い一般人のそれだ。榊原には己の直感の働きが理解できなかった。
(……いや、もっと理解できないのはこの状況自体か)
自嘲と共に、口元には薄く引きつるような笑みが浮かぶ。キャパシティを越えた異常事態を前に、ときに人は笑うしかなくなることがある。確かに『これ』は、それに値する状況だった。
だが、榊原は気づいていた。
自嘲だけではない。口元が引きつるのは。自然と笑ってしまうのは。何かを期待をしてしまうのは。
ふと見ると、己の手がかすかに震えていた。
(――俺は、抑えきれないのだ)
榊原の脳裏に20年以上前の記憶がよみがえる。
1997年、栄光の第一回大会『PRIDE.1』、メインイベントのヒクソン・グレイシーVS高田延彦。
その数か月前、当時プロレス界の絶対的エースとして名を馳せていた高田を口説き落とした場所が、他でもないこの店だった。
『やりましょう』
そう言って手を取った高田の力強さは、今でも鮮明に思い出せる。
同時に、試合終了ラスト1分、ヒクソンに成す術もなく腕を極められた高田の敗北も。
ブラジリアン柔術という容赦ないリアリズムが、プロレス最強という昭和のファンタジーに止めを差した悪夢の一戦。その波紋は、以後の日本、そして世界の格闘技界の潮流を決定づけた。
時代の転換期。不可逆の変化。
コロナ禍により従来の大規模イベントの在り方に見直しを迫られた今。『RIZIN』存続の瀬戸際に経たされた榊原が、当時を思い出すことが増えたのは、戻らぬ過去を懐かしんでいるのでも、齢を取ったからでもでもない。
時代の風を感じたからだ。
あのころと同じ、圧倒的な逆風を。
そして、なぜ彼が格闘技に携わる道を歩み続けているのか、イベント中止により7億という巨額の損失を出してなお今日まで心折れずに食い下がってこれたのか、その理由もまた当時に得たある実感のためだった。
闘う人の姿は美しい。
否、『逆境の中で』闘う人の姿は美しい。
傷つき、打ちのめされ、敗北し、それでも立ち上がり、何度でも挑み続ける。
人間とは、かくあらねば。
それが日本総合格闘技黎明期、『グレイシー』というという名の強大な『外圧』を最前線で観続けてきた榊原信行の信念であり、格闘技観だった。
そして今宵、その魂に一人の男が呼応した。
ただし彼は戦士ではない――棋士だ。
日本将棋連盟所属、藤井聡太七段、17歳。
15歳の四段昇格(プロ入り)を始めとした数々の最年少記録を持つと同時に、前人未踏の公式戦29連勝の記録を持つ、現代将棋界の麒麟児である。
およそ敗北という言葉が似つかわしくない――ように思える――この若き天才が未経験の格闘技のリングに上がる。運命のいたずらだとか、事実は小説より奇なりだとか、そういった慣用句が陳腐に思えるほどの空前絶後、前代未聞の大事件――その対戦相手がフロイド・メイウェザー・ジュニアでなければ、事態をその程度の言葉で表現できたかもしれない。
メイウェザーもまた、プロ50戦を無敗のまま5階級を制覇するという史上初の記録を持つ男だった。同時に、そのテクニックはボクシング史上最高とされる。
つまり、世界最強のボクサーに格闘技素人の十代の少年が挑むことになる。
ありえない。
誰もがそう言うだろう。榊原もそう思った。
だが、藤井聡太はやるつもりだった。それどころか『勝つことができたなら』という言葉すら使った。
信じられなかった。
彼がメイウェザーと闘うところを観たいと思っている自分自身が、榊原には信じられなかった。
「やりましょう」
いつかと同じ台詞。
藤井が榊原の手を取っていた。プロレスラーの太く大きな指とは違う。それは何万、何千回と将棋の駒を打ってきた棋士の指だった。榊原はそこにあのときの高田延彦と同じ、明確な挑戦の意思が込められていることを感じ取る。そのはずだ。『負けていい』という気持ちが一分でもある人間なら、その年齢でプロになどなれなかった。端から勝負を捨てるような根性ならば、厳しい将棋の世界で記録を打ち立てることなどできなかった。
彼は本気だ。
そのメンタリティには畏怖すら覚えた。
「――ありがとう」
やっとの想いで榊原は喉から言葉を絞り出した。藤井の手を強く握り返す。
だが、違和感はよりいっそう強くなっていた。コロナ禍、RIZIN、7億の損失、全ての現実が遠のき、夢の中に迷い込んだ気分だった。まるでファンタジーだ。ヒクソンの一本勝ちがフラッシュバック。悪夢の一戦。高田さん、これはあの続きなのか? ならば、この先にある不可逆の変化とは何だ? 思考に靄がかかったように答えは出ない。
藤井の両目が、まっすぐにこちらを見つめていることに榊原が気づいたのはそのときだった。
プロの棋士は、常人には理解できない盤面のはるか先を読むと言う。
この目には、どこまで先が見えているのだろう。
榊原には質問する勇気が持てなかった。
かくして奇跡の対戦カードの種は撒かれた。
2020年、コロナ禍で揺れた激動の一年を締めくくる大晦日。
5階級制覇のチャンプ、無敗のボクサー、フロイド・メイウェザー・ジュニア。
最年少にして史上最高の連勝記録を持つ天才棋士、藤井聡太。
RIZINのリング上、この二人の天才は『ボクシングルール』にて激突する。