リアル藤井聡太VSメイウェザー
第五話『神童VS神童:終盤』
『居飛車』と『振り飛車』。
それは将棋という大海で常にせめぎ合う2大潮流、睨み合う龍と虎。
将棋の誕生から現在にいたるまで、あらゆる指し手はこのどちらかの戦法を必ず使ってきたことになる。
『居飛車』とは、序盤において飛車を盤の右翼に据え置く戦法である。
大駒である飛車と角行の進路が交差しないため、攻めの幅が広いことが利点だ。
『振り飛車』とは、序盤において飛車を盤の左翼に展開する戦法である。
大駒である飛車と角行の進路が交差するため攻めに制限が生まれるが、自ら積極的に動くことで盤面の主導権を握ることのできる戦法とも言える。
認めたくない者もいるだろうが、現代将棋において『振り飛車』が雌伏を強いられた虎であることは、紛れもない事実だ。
前述の通り、大駒同士が互いの進路を邪魔する上に、飛車を初期位置から動かすことで相手より一手損をすることになる。プロ棋士の世界でも常に『居飛車党』が『振り飛車党』に対して数的な優位を保ってきたことからも、その攻め筋が茨の道であることの証明だろう。
さらに近年、『振り飛車』の不利を決定づける出来事があった。
将棋ソフトの発達である。
AIは『振り飛車』を『合理的でない』として評価しなかったのだ。それは理論上、神にもっとも近いとされる指し手からの最後通告に等しかった。
しかし、人間とは不合理なものだ。
いや、不合理こそが『真の人間らしさ』と言うべきか。
2020年現在、『振り飛車』を指し続けるプロ棋士はいまだ絶滅してはいない。それどころか、これまで『居飛車』しか指してこなかった棋士が『振り飛車』を取り入れる、という場面すらある。
それは『知能の遊戯』で機械に勝てなかった人間たちの、最後の抵抗なのかもしれない。
一方、『居飛車』側の『振り飛車対策』は、指し手人口の多さも相まって、その戦法をより先鋭化させていた。
その代表的な戦法の一つに、『居飛車穴熊』と呼ばれるものがある。
『囲い』と呼ばれる玉将を中心とした陣形の中でもっとも堅い守りを持つとされる『穴熊囲い』。
それは自玉を盤の端(初形での香車の位置)に置き、その周囲を隙間なく駒で埋めることで、けっして王手のかからぬ状態を作り出す、正に難攻不落の城である。組んでしまえば誰でも強固な守りを作り出せる手軽さから、かつては『穴熊ばかり使うものは強くなれない』とプロ棋士から忌避されることすらあった。
だが、時代が進み、盤面研究の高度化と共に『攻め筋の男らしさ』よりも『勝つための合理性』が重視されるようになった現代将棋において、その守りの固さはむしろ王道として扱われるようになった。
どれだけ蔑まれようと結果で周囲を黙らせる。そんな戦い方をする者は、何も棋界だけにいるとは限らない。
50戦無敗の5階級王者フロイド・メイウェザー・ジュニア。
彼の試合を映像で見たとき、藤井聡太の棋士としての本能は直感した。
――この戦い方は『居飛車穴熊』だ、と。
神童VS神童、第2ラウンド残り1分。
オーソドックス(右構え)の藤井は、左ガードをやや低めに保ち、その陰になるようボディを半身に構える。奥手のグラブは顎の手前にセット。
構えの名はフィリーシェル。
フィリーとはアメリカ西海岸に面する大都市フィラデルフィアの略称、シェルとは貝殻を指す。
あえて日本語訳をするなら『フィラデルフィア生まれの貝』と言ったところか。
強そうな名前とは言えないが、見栄えよりも実利を取るという点はまさにメイウェザーの生き方そのものだ。『王者の装甲』を自らの肉体で再現した藤井は、かつての直感が確信に変わるのを感じた。同時にメイウェザーの恐ろしさと、彼を模倣し那須川天心の前に立つという行為の重みを理解した。
天才棋士の全身から汗が噴き出る。
それは、かつてない危機に瀕した己の潜在意識が、新たな扉を開こうとしつつあることへの高揚の汗だった。
一方、キック界の『神童』もまた同じ波動をこの戦いに感じ取っていた。
かねてから各種メディアにてボクシング転向の意思を表明していた那須川天心だが、『本業』への悪影響を考え、本格的なボクシング練習は父・弘幸から最小限にセーブされていた。
しかし今、好敵手と巡り合ったことでその格闘センスは爆発し、ボクサーとしての『覚醒』を開始している。
超ハイテンポの攻防。
距離の出入りを繰り返しながら、角度を散らし連続ジャブやワン・ツーを放つ天心。
対する藤井は相手の動きに敏感に反応し、攻撃のたびバックステップやジャブの返しで安全距離を保つことに努めている。先ほどまでのアグレッシブな攻めから一転、慎重な試合運びはまさしくメイウェザーの生き写しだった。
だが『メイウェザーらしさ』というのなら、天心も負けてはいない。
打撃を放ちながらも『神童』は敵を仕留めようとはしていなかった。早いリズムの連打の中に複数のフェイントを織り交ぜ、獲物がどの動きに反応し、どの動きに反応できないかを観察しているのだ。
動き全てが罠であり、必殺の一打を入れるための布石。
なおかつ相手に攻撃を躊躇させる抑止力(ディフェンス)として機能する。
藤井が感じるプレッシャーは、かつて天心自身がRIZINのリング上で体験したものの再現だった。
((――これが『この人のメイウェザー』か――!!))
対峙する2人は互いの中に『倒すべき真の敵』の姿を見出す。
ただし、そこには戦術的な相性という点で明確な有利不利が存在している。
不利を選んだ本人――藤井聡太にもその自覚はあった。
フィリーシェルと居飛車穴熊は、それぞれの競技の中で強力な『堅守』のスタイルとして知られている。
だが、どんな戦法にも弱点は存在するものだ。
居飛車穴熊(というか穴熊囲い)最大の弱点は、組み上げるまでに手数がかかることだ。完成までに最短で15手。その間に必要な駒を守りながら、ときには相手の急戦(速攻)を防ぐ必要がある。振り飛車という『一手得』かつ『狙いを読みやすい』敵に相対しているからこそ、その『手堅さ』は強力な戦法として噛み合うのだ。
同じく、フィリーシェルにも『ある性質』を持ったボクサーに対しては噛み合わないという特徴がある。
それはサウスポー。
つまり、那須川天心は貝の守りの天敵に『成る』資格を保持していることになる。
(藤井聡太ーーまさか、これほどとは)
そう考えたのは、リングサイドにいた観戦者のひとりだった。
腕組みをしながらひたすら試合を注視する、メガネに髭面、頭頂部まで後退した頭髪、一見すればどこにでもいるような中年男。他の記者たちと違い、その手にはカメラやメモはなく全くの手ぶらだ。
『何をしに来たんだ』と言いたくなるが、彼の正体を知ればその言葉の意味合いは180度変わるだろう。
福田直樹、55歳。職業ボクシングフォトグラファー。
日本を含めた世界のボクシング業界において、恐らくもっとも名の知れたカメラマンが彼だ。
その経歴はまさに異色と言える。写真家としてのキャリアはおろか、仕事としてカメラを扱った経験すらないまま30代で渡米するも、わずか7年でボクシング専門紙の中で世界一の権威を持つとされる『リングス・マガジン』の専属カメラマンとしてスカウトされる。その後も数々の賞を受賞、活動拠点を日本に戻した今もなお彼を世界一と評価する声は多い。
他者と一線を画す福田の特異性は、撮影技術や反射神経ではなかった。
ボクシングという頭脳戦を理解する力。
俗にボクシングIQと呼ばれる福田のそれは、世界レベルの現役選手と比較しても何ら遜色はない。リング上の2人のボクサーがそれぞれ何を得意とし、考え、狙っているか。彼はそれらを理解し高度な試合予測を構築するのだ。
『パンチを予見する男』
3分12ラウンドにも及ぶ長丁場のタイトルマッチ、飛び交うパンチは3桁以上、その中で勝敗を左右するパンチが放たれるコンマ数秒をカメラで切り取る彼を人々はそう呼んだ。
その福田直樹が、藤井聡太VS那須川天心の公開スパーリングの場に居合わせたことは、単なる偶然だろうか?
否。
これは神が与えた必然である。
将棋とキックボクシングの神がそれぞれの『神童』を送り込んだのに対し、2者の争いを裁定する拳闘の神は極上の『観戦者』をその場に遣わせた――藤井聡太という異能の棋士が、神にもっとも近いボクサーのひとり、50戦無敗の絶対王者フロイド・メイウェザー・ジュニアと拳を交えるに相応しい相手かを見極めさせるために。
(素質だけなら間違いなく藤井聡太は世界を狙える逸材だろう。だが、現時点で天心相手にフィリーシェルを使うのは完全な悪手だ――彼があえてそうしているのでないのなら、の話だが)
渡米時代、年間400試合という膨大な撮影キャリアを積んだ福田の分析は的確だった。
フィリーシェル最大の武器は、ショルダーロールと呼ばれる前手の肩を利用したパリング(あるいはブロッキング)である。
ガードを維持しつつ相手の右ストレートを己のカウンターの制空権へと受け流す攻防一体の動作、貝殻に見立てた両腕を最大効率で活かしきる機能性は現代ボクシングが産んだ至高の芸術。
しかし、たからこそサウスポー(左構え)という多数派の右利きとは逆の『方向』と『バランス』を持つ敵にこの二枚貝は噛み合わない。
左ストレートはカウンターを取れない方向からの打撃に化け、右フックというガードの外からボディを狙う新たな驚異までもが発生する。サウスポーに対するフィリーシェルは、まさに『飛車落ち』で相手に挑むようなものだと言うことだ。
そして『ボクサー』藤井聡太にはその不利な盤面を一手で覆す明確な強みがあった。
(1ラウンドで見せた藤井のスイッチ――次にあれを使うときが勝負が決する瞬間だ)
眼鏡の奥の鋭い眼光を輝かせながら、福田が唸った。
ここにきて、藤井は序盤のハメド・スタイルの自由自在なスイッチ(オーソドックス・サウスポーの切り替え)を見せなくなっていた。観戦者の中には体力の消耗をその原因と考えている者もいたが、福田の考えは違う。
彼は狙っているのだ。
天心が『とどめの一撃』を放つその瞬間に構えをスイッチし、有効に機能するサウスポー同士のショルダーロールによるカウンターの一撃を。
一見『飛車落ち』に見えるこの盤面、実は藤井の飛車は駒台の上で静かに機会を伺っている。
そして天心の攻め筋もまた、相手の狙いを完璧に意識した動きだった。
(本業のボクサーでない者同士、しかも片方はビギナーの戦いが『これ』か――)
コロナ対策のため付けたマスクの下、福田はこらえきれずに笑みを浮かべた。
本来ならば、福田のようなガチのボクシングサイドの人間がこの場にいることはあり得ない(実際、福田以外の格闘技関系記者はMMAやキックボクシングが専門だった)。本業のボクサーでない者同士の対戦であること以上に、硬派なボクシング関係者の間には、2008年の『那須川天心VSメイウェザー』の件でRIZINに対する拒否感があった。
通常ならあり得ない体重差、ボクサーとしてのキャリアの違い、にもかかわらず『天心のKOもあり得るかも』などとボクシングに疎い大衆を騙し期待感を抱かせるような話題性先行のプロモーション。業界人からすれば、競技への冒涜以外の何でもない。
あの試合、RIZINとメイウェザーは客を呼ぶためボクシングをダシに使ったのだ。
怒りの声は多く聞いたが、当時、福田自身は沈黙を貫いた。
悔しさはあった。しかし、だからこそ文句を言うのではなく、ボクシングという競技の面白さをより多くの日本人に伝えるための努力をするべきだとも思った。少なくともボクシングカメラマンとして世界を極めた自分には、その義務がある。
あのときの決意はいまだ道半ば。
RIZINへのわだかまりも消えたわけではない。
しかし今、福田の目前で繰り広げられるスパーリングは―――。
第2ラウンド終了のタイマーが鳴る。
それぞれのコーナーに戻る藤井と天心。
一方は息絶え絶え、もう一方には余力があるのは前のラウンドと同様だった。
攻め気の消えた藤井の動きに、KOも時間の問題という見方をする観戦者も多くなっていた。だが、実際の戦況は紙一重を保つ膠着状態。純粋なボクシングとして試合展開を分析していたのは、その場で福田ひとりだけだ。
(私なら第1ラウンドは確実に天心、第2ラウンドはギリギリで藤井につけるが、ジャッジによって判定は割れるだろう。藤井が勝つにはKO勝利が必要だが、彼はまだ天心に対してそこまで『出来上がって』はいない)
居飛車穴熊と同じく、メイウェザーのフェリー・シェルは試合が進むにつれより堅くなる。相手の動きをインプットし、全ての攻めに対して適応できるようになるからだ。
つまり、メイウェザーというボクサーは試合の中で完成する。
ゆえに相手の動きへの適応が未完了な序盤こそが最大のウィークポイントとなるが、藤井の場合は『学習スピード』の点でまだ本家には及んでいなかった。
(覚えるべき相手の『パターン』が多さもあるが、現時点の藤井は悪い意味でメイウェザーのスタイルを再現しすぎているな。加えて、天心には『あの試合』のメイウェザーと同じようにフィジカル差を利用した安全策という選択肢が残されている。だが、『神童』はあえて確実ではないほう――本来のメイウェザー戦により近い状況で藤井を倒す道を選ぶだろう)
2008年の天心のとの試合のラスト1分、メイウェザーはガードを固め被弾を承知で強引に距離を詰め、一気に試合を終わらせた。
体格差があるからこそ可能な戦法だが、単なるゴリ押しというわけでもない。
それまでの遠い距離から顔を狙うジャブ・ストレートから、ボディ打ちとリーチ差のため相手の視界の外から来るロングフックで的確に意識を散らし1度ダウンを取る。
さらに天心が下がらずに打ち返してくると、ガードとガードが密着するほどの『ボクシングのインファイト』の距離(キックボクシングではローキックや首相撲になるので天心には不慣れな距離だ)に切り替え、ボディからのコンパクトなアッパーで2度目のダウン。最後は完全に崩れた『神童』にカウンターを合わせ、易々とTKOにて勝利を収めた。
ボクシングに不慣れなキックボクサーの弱点と己の体格・リーチ差を十二分に活かした、石橋を叩いて渡るがごとき『安全策』。
一切の恥も臆面も感じられない、勝利へのメンタリティ。そのブレの無さこそがメイウェザーの強さ。
那須川天心にそれはできない。
なぜなら、彼の中にあるチャンピオンの定義は『勝利することだけ』ではないからだ。自分自身だけでなく、皆から認められる『誰かの期待に応える男』。それを背負っている限り、どれだけテクニックを模倣しようと、彼がメイウェザーの領域に辿りつくことは不可能だろう。
だが、その一点の『弱さ』は、彼の纏う『強さ』を何より眩しく引き立たせる。
(2年を経て器が整った、ということか)
目を細めながら、福田は思った。
今日この場を訪れることになったきっかけは、渡米前、日本のボクシング誌の編集をしていた頃の友人との思わぬ再会だ。会ってゆっくり話す約束をしていたのが、先方に急な予定が入りキャンセルになった。
その予定というのがこの公開スパーリングの取材だった。旧友はボクシングからキック・MMA系の記者に転向していたのだ。
『どうせなら、一緒に来ないか? 今回のRIZINとのいざこざで天心のボクシング転向が早まる可能性も出てきたことだし』
普段なら、その提案に福田が重い腰を上げることはなかっただろう。
だが、時期が時期だ。
コロナ禍による緊急事態宣言に伴い、国内でのプロボクシング興行は今年2月末を最後に自粛、7月に入ってやっと無観客試合が行われる運びとなったが、春から夏にかけボクシング関係者への感染も複数確認され、誰もが不穏な予感を拭いきれずにいた。
この暗いトンネルは、いったいどこまで続くのか。
日本ボクシングの行き先を照らす希望の光が必要だ。福田はそう思わずにはいられなかった。わずかな光明でいい。この場に訪れたのは、そんな弱気が一番の理由だった。
そして確かに光はあった。
ただし、1つではなく、2つ。
それらはバチバチとぶつかり合いながら、眩い閃光を発している。
インターバルが終わり、最終ラウンド開始。
藤井の構えは依然オーソドックス。
呼吸は荒いが、対局中と同じ凄まじい集中力はその眼差しから失われていない。
彼の決定的な変化に気づいたのは、その場にいる者の中で『神童』と『パンチを予見する男』の2人だけだ。
(――『学習』を完了したか、藤井聡太)
福田の確信通り、本家メイウェザー(2018年天心戦時)に遅れることおよそ1ラウンド半、藤井はここまで天心が見せた全ての動きのパターン分析を終えていた。
試合の中で完成する男、フロイド・メイウェザー・ジュニア。
彼が多くの人間から嫌われる理由の一つは、その『完成形』がノックアウトという選択肢をかなぐり捨てた『判定狙い』を意味するからだ。
ポイントにはなるが、決して相手を倒すつもりのない有効打を終了ゴングまでコツコツと積み重ねる世界一ハイレベルな『点数稼ぎ』。
究極のタッチボクシングと揶揄されるそのスタイルは、その実、安易な道からは程遠かった。勝てば勝つほどに周囲からの注目は高まり、多くの敵から攻略対象として研究され、アンチの声は大きくなる。しかし、メイウェザーはキャリア50戦に渡る怒涛の攻めを一つのミスもなく凌ぎ切った。それは他でもない彼自身が、世界の誰よりも真摯にボクシングを研究し続けたことの証明に他ならない。
藤井聡太は思いを馳せる。
ザ・ベスト・エヴァーの動きに秘められた『究極の合理性』という美しさと、それが世間の大半から理解されぬことへの虚しさに。
同時に畏敬を抱く。
それでもなお、己の貫き通すことができたメイウェザーの『揺れない心』に。
(そうか――そうだよな)
その瞬間、福田は天才棋士がなぜボクシングのリングに上がったのかを唐突に理解した。
同じなのだ。
将棋とボクシングは、まるで同じ。
(勝負メシでも、連勝記録でも、ましてや『神の一手』だなんてほとんど本質を捉えていない薄っぺらな決まり文句でもない――1番注目してほしいのは、皆に解ってほしいのは、血のにじむ思いで磨き上げた己の『技』それ自体――)
棋士とボクサー、彼らの切なる願いは多くの場合報われることはない。だが、そうだとしても磨き続けるしか道はない。勝ち続けるしか道はない。
それがプロの世界で生きるということ。
常人には理解できぬ天上で、さらなる高みを目指し続けるということ。
福田は握り締めた己の拳に思わず力がこもるのを感じた。
彼は今日、この場にカメラは持ってきていなかった。硬派なボクシング業界人としての矜持のためだったが、そんなちっぽけなものはすでに彼方に吹き飛んでいる。
今は安堵だけがあった。
カメラを置いて手ぶらで来るという決断が、大晦日ではなく今日でよかったという安堵が。
棋士・藤井聡太。10代にして棋界の頂点、8大タイトルのひとつである棋聖に手をかけながら、なおもさらなる高みを目指す、誰もが認める『孤高の天才』。
今宵、ひとりの男がその熱き魂に応える。
(大晦日の戦い、私は必ずファインダー越しに見届けようーー見せてくれ藤井聡太、君のボクシングを!!)
誓いと激励。福田が胸を震わせた瞬間、彼の視線の先で『それ』は始まっていた。
福田にとっては予想通りのタイミングだった。しかしその全容までは分からない。
『それ』とはすなわち、那須川天心による対メイウェザー戦の切り札となる一連の攻撃、2年に渡り研ぎ続けた牙である。
『神童』の力強い踏み込みがリングを蹴る。
多くの者にとって見覚えのある動き。
それはかつてメイウェザーが6年に渡り対峙することを避けた踏み込みだった。
ハードワークと加齢、そして決定的な敗北により相手が消耗し、衰え、鈍るまで待ち続けなければ対処できなかった踏み込みだった。
小柄なサウスポーが自分より大きなボクサーたちをKOし、階級という壁をよじ登るため編み出した、全体重と己の命を乗せた一撃。
飛び込み式ストレートと呼ばれる一つの時代を築いた技。
観戦者たちにとっては容易だった――天心の動きから史上2人目の6階級王者、マニー・パッキャオを想起することは。
そして此の世でただひとり、藤井聡太だけが『それ』を将棋と認識する。
遠距離から一気に間合いをつめるパッキャオ式飛び込みストレート。
そのパンチは角。
斜めから敵陣に切り込み、敵の囲いを喰い破る角道である。
だが、天心の踏み込みは致命打よりも半歩浅い。回避はできないが、拳によるブロックは可能。同時に、藤井側もカウンターを取ることはできない絶妙な距離とタイミングだ。仕留めるためはない、相手玉に睨みを利かす威圧の一手。
全ては『詰み』への布石なのだ。
第2ラウンドまで見せたパンチ、ステップ、そして膨大なパターンを持つフェイント、その全てが『メイウェザーを倒すための』布石。
これもまた2018年RIZINの再現である。
ザ・ベスト・エヴァーが遠間からの直線打撃から、接近距離の的を散らした曲線打撃にシフトし『動きの落差』で己を仕留めたように、現在の『神童』はここまで封印していた複数の持ち駒を一気に投入することで盤面を制圧しようとしているのだ。
駒台の上に隠し球があったのは最年少棋聖だけではない。それは同時に、一度は完成したはずの『藤井版メイウェザー』の無効化をも意味していた。
すなわち、第1ラウンド開始から、ボクサー歴にしておよそ7分半――ここに来て『ボクサー』藤井聡太はデビュー以来最大のピンチを迎えたことになる。
そして、『神童』那須川天心の持ち味は『的確に相手の嫌がる攻撃を選択する』ことだ。
畳みかけるような怒涛の連続攻撃は、ほんの序ノ口。
しかしこの盤面、誰よりもそれを理解するのは藤井聡太でもあった。
当然である。
将棋における『詰み』の形は『複数の駒の連携』によってしか導き出すことができないのだから。
本能と超えた棋士の直感は『神童』の次の一手をこう予想した。
桂馬が跳ねる、と。
地上でもっとも偉大なサウスポーのひとりであるマニー・パッキャオ。
42歳というボクサーとしては高齢にもかかわらずいまだ現役、それどころかチャンピオンベルトすら保有しているという正真正銘の生きるレジェンド。
とは言え、体力的な衰えからその実力には陰りがあることも確かである。もちろん、手痛い敗戦や引退宣言から何度もカムバックするという不屈さも彼の魅力だが、今のその強さは『歴戦の古強者』と呼ぶに相応しいだろう。
では、2020年7月現在、ボクシング界における最新・最強のサウスポーは誰か。
その答えのひとつは、まさに『ハイテク(最新型)』の名を冠するチャンピオンである。
ロマチェンコ・ステップ。
シフトウェイト(体重移動)とピボットターン(前足を軸とした回転)を組み合わせ、瞬時に相手の背面ポジションを取るその高速フットワークは、ファンの間ではそう呼ばれている。
『元ネタ』であるワシル・ロマチェンコはアマチュアボクシングでオリンピック2連覇、プロでは世界最速の3階級制覇を達成した、ウクライナのボクシング・サイボーグである。
その特徴、『徹底して自分にとって最高、相手にとって最悪なポジションを維持し続ける』という天心の本質に通じる最新ボクサーの技を、彼は溢れる才気と高い戦術理解力によって『己のものした』のだ。
見たままを瞬時に真似るファンタジーなコピー能力者・藤井聡太に対するリアルなコピー能力者・那須川天心。
そのダンスのように滑らかなステップは藤井の左サイドに周り込んでいた。
ポジションはオーソドックスにとっての完全な死角。瞬間移動のごとく一瞬で相手の背面を取る動きはまさしく桂馬だった。
同時に、ステップに合わせる形で天心は左のオーバーハンドを打っている。
1ラウンド開始直後、殴られる恐怖を知らないはずの『初心者』藤井を萎縮させるため放った大振りにパンチ。
2度目のそれは、正体を現した超高度な戦術家を追い詰めるため機能した。
桂馬を予想していた藤井は天心のターンに追従し身体の向きを回転させ、それよりも一瞬速く顔面を守ったガードがクリーンヒットをギリギリで防ぐ。1ラウンドと同じ、ガードの上からの強打。
それが狙いだ。
藤井は大きくバランスを崩していた。
ここまでが『神童』の布石。
次なる一打は『詰み』の一手。すなわち、那須川天心の編み出したキング・オブ・ボクシング、フロイド・メイウェザー・ジュニアへの王手をかける必殺の拳。
それは同時に、つい半月ほど前、『ある日本人の元世界チャンプ』から受け継いだ技でもある。
地上でもっとも偉大なサウスポーがパッキャオならば、日本でもっとも偉大なサウスポーは誰か。
答えは決まっている。
いまだ前人未踏、日本人男子最高13度の世界王座防衛記録を持つ琉球生まれのカンムリワシ――レジェンド・具志堅用高だ。
具志堅の武器は天心と同じ、サウスポースタイルから繰り出される高速の左ストレート。
だが、彼らにはもうひとつ共通点がある。
いや、2020年7月時点では、共通点が『できる予定』と言ったほうが正確だろう。
約2か月後の2020年9月18日、その日は具志堅にとっての新たなる挑戦の始まりになる。
YouTubeチャンネル『具志堅用高のネクストチャレンジ』開設。
(https://www.youtube.com/channel/UCSRK2LqNpLei1p_HlhlYH-g/featured)
その記念すべき投稿一本目の動画こそが、当時すでに20万近いのチャンネル登録者数を誇っていた『那須川天心チャンネル』とのコラボ動画だったのだ。
撮影自体はすでに7月中旬に完了済。現在、具志堅と彼のYouTubeスタッフはそれに続く多数の格闘系YouTuberとのコラボ動画の撮り溜め・動画編集作業の最中だった。
具志堅と天心、ともにサウスポー、ともにYouTuber。一方の分野では大先輩とデビュー前の期待のルーキーという関係だが、もう一方では両者の立場は逆転する。
そしてコラボに際し、天心サイドのチャンネルで投稿予定の動画『レジェンド具志堅用高さんにボクシングを教えてもらった』
(https://www.youtube.com/watch?v=hsdkcq7YGG0&t=23s)
の撮影中、彼は伝説のボクサーのテクニックを伝授されていた。
サウスポーの右フック。前手ながらKOパワーを秘めた一撃である。
威力の秘密は、上体を一度逆方向に引く『溜め』の動作だ。一見すれば大げさなモーションは簡単に予測できるように見えるだろう。しかし、左の強打を放った直後の上体の『返し』を利用することで、回避不可能のコンビネーションが誕生する
奥手の左という『大駒』が利いているからこそ生きる、前手の『歩』。
この技の妙、将棋とボクシングには通じるものがある。
瞬間、天才棋士の脳内ではシナプスのスパークする。
『それ』はもはや予測ではない。
藤井聡太はこの指し手を『知っていた』。
現代将棋における『振り飛車』の天敵として君臨する『居飛車穴熊』。
しかし、あるときひとりの男がその圧倒的な逆境に反撃の狼煙を上げる。
男の名は藤井猛。
現在九段の49歳(2020年7月時点)。
羽生善治を筆頭とする『羽生世代』の一角、居飛車の老舗にしてカリスマ、棋界を代表する『もうひとりの藤井』である。
彼の編み出したその名も『藤井システム』は、角と桂馬で相手穴熊の完成を封じ、最後は歩の連携により王手をかける急戦(速攻)を基本形とする。
より完結に言うなら、相手が守りを固めるより先に息も付かせぬ攻めで盤面を制圧する、というのがこのシステムの肝である。まさに天心がメイウェザーを倒すための編み出した必殺コンビネーションと同じ発想だ。
『パンチを予見する男』福田直樹には『天心』の戦法がリアルタイムで理解できた。しかし、彼にできるのはあくまでボクシングとしての分析のみ。
4本のコーナーポストとロープで区切られたリングという小さな空間には、外から観ているだけでは想像すらつかない、その上に立った者にしか視えない景色というものが確かに存在する。
藤井には見えている。
天心のヘッドムーブに合わせ、チューチュートレインぎみに追従する具志堅用高、そして藤井猛によるジェット・ストリーム・アタックが。
メイウェザーという最強の『居飛車穴熊』に食い下がる、熱き『振り飛車』魂の胎動。
その眩しいほどの輝きに藤井聡太は見覚えがあった。
81のマス目に区切られた盤上で、彼は時折それを視る。
2020年現在、『振り飛車』を指し続けるプロ棋士はいまだ絶滅してはいない。そして今、盤外のリングという空間に藤井はひとりの『振り飛車党』を発見したのだ。
つまり、奇しくもこのボクシングは藤井聡太と『藤井システム』を使う那須川天心の対決、つまり藤井VS藤井の形となった。
いや、違う。
これはボクシングではない。
藤井聡太は今、那須川天心と将棋を指している。
5歳で将棋に出逢って以後、彼の人生は一局の将棋になった。メシを喰うのも将棋、風呂に入るのも将棋。呼吸することすら将棋。
ましてや、それが勝負事となれば、スポーツだろうがゲームだろうが将棋以外の何物でもない。
ボクシングとは将棋である。リングとは将棋盤である。ジャブは歩、右ストレートは飛車、左なら角、ステップは桂馬。
この世で藤井のみがその『事実』を理解している。
そして、だからこそプロ棋士が『将棋で』負けるわけにはいかないのだ。
それが藤井聡太という『天才』の視点であり思考。
瞬間、天才棋士の手は駒台の上に伸び、天心と福田は彼の動きをボクシングとして理解する。
すなわちスイッチの発動。
藤井の両足のスタンスが前後入れ替わり、盤面は『相サウスポー』へ。
だが、右フックに対してカウンターを取れる形ではない。また、直前の左オーバーハンドにより藤井のバランスは崩れたままだ。一方の天心は、振りぬいた拳の勢いを止めの一撃の『溜め』に変えている。
レジェンド譲りの右フックに対し、完全なる手詰まり、『詰み』の形だ。
ただし、それは相手が藤井聡太以外の人間ならばの話。
天心と福田、分野の違う2人の天才。
藤井聡太という異次元の才能に追従するというサバイバルレースにおいて、先に脱落したのはキックボクサーのほうだった。
勝敗を分けたのは、2人の位置。リング外にいた福田には、藤井の身体全体の動作がよく見えていた。
スイッチには二種類ある。その場で左右を入れ替える場合と、左右どちらかの足を軸にしもう片方を前後に移動させるパターンだ。さらに後者には、奥足を軸に前足を下げる後退のパターンと、前足を軸に奥足を上げる前進のパターンがある。
一切の逃げ場を奪われたこの局面、藤井は相手に近いオーソドックスの左足を軸に、一歩前へ踏み出していた。
そのゼロコンマ数秒、福田は前身に雷が駆け巡るのを確かに感じた。
彼は理解する。
天心がそうしたように、藤井もまた『詰み』への布石を置いていた。
それはメイウェザーという名の巨岩だ。
天才棋士がその陰に隠したのは、極上の奇手。
スイッチと同時に、藤井は崩されたバランスを保つため深く腰を落としていた。
いや、その場にすとんとしゃがみ込んだと言うほうが正確だろう。
相手のパンチと同速で膝を脱力する動作は、ボクシングというよりは日本古武術に見られる『膝抜き』に近い。
その頭上を、天心の右フックが掠めた。
ボクシングにはない回避動作。同時それはある打撃の『溜め』にもなっている。
プロキャリア38試合のうち、『彼』がそのパンチを見せたのはたったの1度きり。しかし、あまりにも強烈なインパクトから、今なおその代名詞として扱われる技。
通称カエルパンチ。
具志堅、ガッツ石松らと共に活躍した『炎の男』輪島功一が使った、低いダッキングで相手の視界から消えた直後、跳びあがるように拳を繰り出す変則打撃である。
下方向からのパンチであることからアッパーと勘違いされがちだが、実際は前手による左フックであったと言われている。構えがサウスポーなら右フックだ。
つまり、レジェンドから学んだ天心の右フックに対し、藤井は同じくレジェンドの右フックでカウンターを取ったのだ。
盤面を覆す逆転の一手、藤井の右が天心の頭部へと伸びる。
神童VS神童。
コピー能力者VSコピー能力者。
藤井VS藤井。
レジェンドVSレジェンド。
数々の意味を重ねたこの戦いがついに決着を迎える。
次の瞬間、『神童』は天才棋士の拳の衝撃をその全身で感じ取った。
1976(昭和51)年10月10日、山梨学院大学体育館。
当時21歳の具志堅用高にとって、その日は自身初となる世界王座へ挑む試合だった。
相手はドミニカ共和国出身、WBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン。それまでの21勝のうち15回がKO勝利、さらにそのうち11回が1ラウンドKOという強打者だ。
負けるわけにはいかなかった。
ボクサーとしてのプライド以上に、具志堅は世間の期待を背負っていた。
具志堅と同時代に活躍した、ガッツ石松と輪島功一。しかし両者はこの試合の数か月前、立て続けにベルトを失っている。
日本人の世界王者の不在。
今では想像しがたいだろうが、当時の日本人にとってボクシング観戦は大衆文化だった。60年代からの高度経済成長の家庭用テレビの普及と共に始まったボクシング・ブーム。しかし、ここに来て世界の壁が立ちはだかる。
今も昔も、格闘技は人々の心を勇気づける。
必死に戦い、勝利を掴みとる姿が『自分も頑張ろう』という気持ちに火をつける。
だからこそ、希望の光を絶やしてはならなかった。
皆を導く新たなチャンピオンが必要だった。
それになれるのは、自分だけだということを当時の具志堅は理解していた。
彼のデビューはそれよりさらに2年前、当時の主戦場は一つ上のフライ級だ。アマチュア時代の好成績から、周囲の期待は大きかった。だが、アマチュアでの階級がモスキート級、45kg以下であったのに対し、プロ最軽量のフライ級は50kg以下。体格差がハンデとなり、判定勝利は収めたものの、周囲の大きすぎる期待には応えきれなかったという自覚があった。
転機はプロボクシングにフライ級よりも一つ下、ライトフライ級が新設されたことだ。
適正体重の戦場に戻ることができた具志堅は、それまでの悔しさを取り戻すかのごとく破竹の勢いで勝ち続ける。
そして、その日のグスマン戦のKO勝利から、前人未踏の日本人男子最高の世界王座13回防衛の伝説は始まるのだ。
そんな具志堅が那須川天心に目をかけるのは、サウスポーであること以上に、プロデビュー前の『神童』に対する世間の期待が大きすぎることを気にかけたためである。
アマチュアからプロで階級の壁に苦しまされた自分のように、キックボクシングからボクシングという競技間の壁が天心を苦しませるのではないか。
そして、世間から『期待外れだ』と溜息をつかれるのではないか。
針のむしろに座る痛みは、誰より具志堅自身が知っていた。
しかし、YouTubeコラボ動画の撮影を経て、具志堅には別の感情も生まれていた。
それは天心なら大丈夫、という確信だ。
この少年には才能があり、強い心がある。そして何より覚悟がある。
天心は己がこれから挑む壁の厚さを分かっていた。2018年、メイウェザーに思い知らされたのだ。
同時に具志堅は理解する。
24年前、グスマン戦で初めて抱いた『皆の期待を背負う』というチャンピオンとしての自覚を、この若者はすでに持っている。
『神童』は考える。
2020年、コロナ禍の日本。皆が俯き、下ばかりを見て歩く時代。
自分が皆の希望になる。
人々が顔を上げ『自分も頑張ろう』と振るい立つような、そんなチャンピオンに俺はなる。
天心が藤井聡太に公開スパーリングを申し込んだのは、その強すぎる自負心ゆえの行為だった。
本来ならば、『棋士として』自分と同じように時代を明るくすべき藤井が、他人の領分に『かまけた』ことへの怒り。
同時に、若き王者という似た立場でありながら、藤井のほうが圧倒的に世間から注目されてきたという、焦りと微かな劣等感がプライドをチクチクと刺激した。
王者とは孤独なものである。父親である弘幸にすら、天心はその内心を吐露したことはなかった。
一方、スパーリングを経て天心の中に熱き『振り飛車』の魂を見出した藤井聡太にも、思うことがあった。
『羽生世代』のひとりとして知られる藤井猛であるが、そのプロデビューは20歳と遅い。当時中学生棋士として話題となった羽生善治を筆頭に、『羽生世代』は高校生でのプロ入りがほとんどだった。そんな中、藤井猛はそもそも本格的に将棋を指し始めたのが小6から中学1年にかけてと、幼少より将棋漬けが日常である他のプロ棋士に比べかなり遅い。あまりに大きなハンデだった。
しかし後年、彼の情熱と探求心は逆境の中で大輪の華を咲かせることになる。
遅咲きの才能はある。
それはボクシングの世界でも同じだった。
ミスター・カエルパンチ、『炎の男』輪島功一。
彼のプロデビューは25歳。当時としても現在の基準でも極めて遅いプロ入りだった。しかし、輪島は当時日本人には超えることが不可能と言われた重量級の壁を打ち破り、日本人初のスーパーウェルター級世界王者となった。
だが、『炎の男』の真の凄まじさはそこではない。
具志堅のライトフライ級世界王者獲得から3か月後、それに呼応するかのように輪島は奪われたスーパーウェルター級ベルトを奪還し再び王座に返り咲いている。前回試合で負った医師に引退を勧められるほどの重傷からの復帰第1戦でのことだった。その後、輪島は再び奪われたベルトをさらに奪還し、通算3度世界王者に輝いている。
どんなにボロボロになろうとも、どれだけ周囲の期待に押しつぶされようと、再び立ち上がる限りそれは真の敗北ではない。
強者とは、泥の中で己の強さに気づけた者のことを言う。
2021年、22歳という比較的高い年齢で、無敗のチャンピオンという重責を背負いボクシングに転向する那須川天心。
彼の前には立ちはだかるだろう。自分と同等以上の素質を持ち、自分より十年以上早くボクシングと出逢っていた世界レベルのボクサーたちが。
まさしく苦難の道である。
しかし今、ひとりの男がその背を優しく押していた。
いつもどこでも『君』を導く優しい本格化、棋士・藤井聡太。
この場合に置ける『君』とは藤井と向かいあう対戦者、つまり那須川天心のことである。
若き棋聖のカエルパンチには、逆境の中でボクシングという新たな高みを目指す『神童』へのアンサー、熱きエールがこめられていたのだ。その思いは確かに通じていた。
観客たちが固唾を飲んで見守る中、リング上では決着をつけた2人の神童が向き合う。
片方は立ち、片方は腰を降ろす。
膝を付いた者には、もう立ち上がる余力は残っていない。勝敗は明白だった。
3ラウンド16秒、藤井聡太の体力切れで試合続行不能によるTKO。
勝者、那須川天心。
藤井のカエルパンチは、グラブによってガードされていた。
体力の限界により、藤井の動きにはわずかな鈍りがあったのだ。そしてパンチの直後、乳酸値が限界に達した藤井の両脚の筋肉はついにその機能を停止した。
スタミナさえあれば藤井が勝っていた、などとは言うまい。ボクシングの世界戦は3分12ラウンド。持久力はボクサーにとって不可欠な要素である。
このスパーリング、藤井聡太は那須川天心に対して、圧倒的体力差という『駒落ち』で戦っていたことになる。
それで勝てるほどボクシングは甘くはない。
藤井は、負荷のかかった心臓がかつてないスピードで脈打つのを感じながら、幼き日の記憶を思い出していた。
10年前の2010年、ある将棋イベントにて当時小学2年生だった藤井はあるプロ棋士から指導対局を受ける。
第17代永世名人、谷川浩司九段。
藤井にとって憧れでもあった彼との飛車角落ちのハンデ戦。小学生の藤井は奮起するが、すぐに盤面は谷川の圧倒的優位の形になった。それでもなお紙一重でプロ棋士の『詰み』をかわし続け、食い下がる神童。
イベントスケジュールの兼ね合いもあり、最終的に谷川は藤井に勝負を引き分けにすることを提案する。
本気ではないとは言え、小学生がプロ棋士にそこまで言わせたのだ。普通なら誇るべきことである。
しかし藤井少年は号泣した。
勝てると思っていた対局に負けたから、号泣した。
将棋盤を抱え、大粒の涙を流しながら、己の『敗北』を拒絶した。
プロ棋士VS小学生。常人はそれを『敗北』と認識しない。まさしく人知を超えた、天才的な『負けず嫌い』。
10年後の今、棋聖となった藤井聡太の胸にはあの頃と同じ悔しさがこみ上げていた。
人前で泣かなくなった点だけは成長だろう。あるいは汗を流し過ぎて、涙のための水分すら失ったのか。
どちらにせよ、自分はまだまだ。
そうした自戒もまた、やはり常人にはまったくもって理解不能。
幼少の藤井を負かした谷川九段は、中学生でプロデビューした天才であり、相手が理解する間もなく『詰み』の形を作ることから『光速の寄せ』と呼ばれた。
同じく18歳の藤井を負かしたその青年は、強力な左ストレートから『ライトニング・レフト』と呼ばれている。
顔上げると、天心がこちらを見つめていた。
わずかに息が上がっているが、キック界の『神童』に消耗やダメージは感じない。
しかしひとつだけ、いつもと違っている点があった。
試合で相手からダウンを取った際、天心はしばし左腕を天高く突き上げ、チャンプとしての余裕をアピールする。
しかし今、『ライトニング・レフト』――天心の左腕は、己の頭上ではなく座り込む藤井にむかって差し伸べられていた。
彼を手を見つめながら、藤井はまた別のことを思い出す。
2年前の2018年大晦日、テレビのむこうでメイウェザーにTKOされる天心。
敗戦後、人目をはばからず涙を流す『神童』の姿に、天才棋士は幼き日の己を重ね合わせた。
そして興味を持った。
格闘技に、ボクシングに、那須川天心に。
そして彼を負かした無敗の王者、フロイド・メイウェザー・ジュニアに。
「手伝いますよ――メイウェザー、ブッ飛ばしましょう」
晴れやかな表情で、那須川天心が言った。
藤井はその言葉を待っていた、いや、初めからそのつもりだった。
天才棋士は考えたのだ。メイウェザーという難敵に対し、リング上で彼に対峙した経験を持つ唯一の日本人、那須川天心という『大駒』を味方につけることが必要不可欠である、と。
RIZIN記者会見での挑発的な電撃参戦発表から、天心サイドからの公開スパーリング要求、そして当日の3ラウンド。
全ては藤井の盤外戦略。
いや、彼の辞書に盤外戦略という言葉は存在しない。若き棋聖にとって、此の世の全ては人生という将棋盤上での出来事。
あえて言うなら、これが藤井聡太の将棋である。
「……次は……勝ちます」
「……っは!」
荒い呼吸のままそう言ながら手を取る藤井に対し、天心は思わず顔をほころばす。
キック界の『神童』には将棋は分からない。しかし、自分がどうやら天才棋士にまんまと乗せられたらしいということは何となく理解していた。同時に、目の前の度を越した負けず嫌いが、『あわよくば』どころではなく本気で自分に勝つつもりでいた事実に、呆れを通りこして尊敬を感じ始めている。
より正確に言うなら、彼のリスペクトはファンがプロ選手に向けるそれだった。
つまり、天心は純粋な1ファンとして見たくなったわけだ――藤井聡太VSメイウェザーの世紀の対決を。
キックボクサーを志すきっかけとなったK‐1の選手たち。幼き日、彼らの活躍に抱いた興奮と畏敬を、天心もまた久しぶりに思い出していた。
以上が神童対決の結末である。
勝敗は決した。しかし、健闘を称える両者の顔には笑みが浮かび、天才棋士の駒台には新たな『大駒』が加わる。
無敗の王者メイウェザーは、いまだ異能の棋士・藤井聡太の存在を認識していない。
しかし両者の対決――一方にとっては『将棋』、もう一方にとっては『ボクシング』の戦いの火蓋は、こうして切って落とされたのである。
同日、午後7時過ぎ、都内某所料亭。
「まさか、あなたのような立場の方に注目していただけるとは、こちらとしても大変ありがたいことです」
そう言ったのは、号泣しすぎて半日経っても目玉を真っ赤に腫らしたままの、株式会社ドリームファクトリーワールドワイド代表取締役社長、榊原信行。
対するは『パンチを予見する男』福田直樹である。
榊原にとってマスコミ関係者への接待にその料亭を使うのは初めてのことだった。同時に、数日前の藤井聡太への接待がデジャブする。
(なぜ俺は感じているんだ、1カメラマンに過ぎないはずの男から、これほどまで強烈なプレッシャーをッッッッ……!!!!)
内心で叫んだのは榊原だった。
藤井VS天心を生で観戦した天才カメラマン福田の冷めやらぬ興奮は、生物的強者の放つ強烈なオーラとなって周囲に発散されている。
福田や藤井、そして多くの一流格闘家から放たれるそのプレッシャーが、空気中に漂う放射性物質のように人体に致命的な悪影響を及ぼし、榊原の寿命を大きく削っていることに本人はまだ気づいていない。
だが、その話はまた別の機会にするとしよう。
「いえ、こちらこそ――急なオファーを受けていただき本当にありがとうございます」
頭を下げる福田を榊原は思わず制止した。
福田のオファーとは2020年大晦日のRIZIN当日、藤井聡太VSメイウェザーの試合のベストショットを撮影するため、リングに近い最前列の座席を自分のために確保してほしい、というものである。
公開スパーリング直後、自力で歩くことすらままならぬ藤井に肩を貸す榊原に、福田はすぐさま声をかけていた。
国内のボクシング関係者がRIZINと2018年のメイウェザー戦にどういう感情を抱いているのかは榊原にも自覚はあった。しかし、それを踏まえてもこのチャンスを利用しない手はない。
そもそも、すでに自分は現役棋士を格闘技のリングに上げるという前代未聞の禁じ手を使っているのだ。後戻りはできない。公開スパーリングを経て、榊原は日本格闘技の未来のためなら全てを犠牲にする覚悟を改めて決めていた。
しかし一方でこうも感じる。
何かに利用されているのは、抗いようのない巨大な流れに巻き込まれているのは、自分自身のほうではないのか、と。
「しかし、まさかボクシング界の重鎮を動かすとは、さすがは藤井聡太……どうでしょう、今回は体力的な問題で天心には及びませんでしたが『パンチを予見する男』の分析は? 彼はメイウェザー相手にどこまでやれるでしょうか」
言いようもない不安をかき消すように榊原は会話を続け、運ばれてきた酒をぐい飲みで一気に口に流し込む。
しかし、何気ない榊原の質問に対する福田の答えは予想外のものだった。
「難しいでしょう――藤井聡太には体力以前にボクサーとして致命的な弱点がある」
瞬間、榊原の口中の日本酒は対面にいた『パンチを予見する男』福田直樹の顔面にジェットエンジンのごとく噴射される。
プロレスでいうところの、いわゆる『毒霧』。
格闘技における最速とされる打撃はボクシングのジャブである。これまでの人生で数百人のボクサーのジャブを見てきた福田だったが、榊原の『毒霧』はその反応速度を凌駕していた。プロレスを祖とする日本格闘技の系譜がその一撃には秘められていた。
プロボクシングVSプロレスリング
これはもはや明確なる宣戦布告であった。
すなわち、それはRIZINと日本ボクシング界の遺恨がいまだ終わっていないことを意味する。
(やっ、やっちまったッッッ……!!!!)
再び心の叫びを上げる榊原。
同時に、よりいっそう強くなった福田のプレッシャーが、ついにはその周囲の空間を歪ませ始める様を、榊原は確かに見た。人気格闘漫画『グ〇ップラー〇牙』にしばし登場する『あの表現』と言えば分かりやすいか。
はわわわわ――。
期せずして人生最大のピンチを迎えた榊原信行、御年56歳。
『毒霧』の次に思わず口からでたのは、これまで人生で一度も使ったことのない、いや、藤井聡太との出会いがなければ生涯口にすることはなかったであろう、萌アニメのドジっ子キャラのごとき驚嘆の声であった。
その後、2人の間に一体どんなやり取りが交わされたのかは読者諸兄の想像に任せることとする。
藤井聡太とメイウェザーの激突まで、残り5ヵ月。