岬の病院
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岬は、学校の図書室で水湊(みなと)という名の一学年上の女の子と出逢ってから、それまでより少しだけ学校に通うのが楽しくなった。
昼休みはもちろん、水湊は放課後も図書室で読書をしているので、自然と岬もその時間に立ち寄るようになっていた。それゆえに岬の帰宅後ルーティーンは一部崩れていたが、──居間で決まって観ていた三〇分番組を物理的に観られなくなった──今この瞬間は、それよりも優先されるべき事柄に思われてならなかったのだった。
水湊は、岬にとって魅惑の存在であり続けた。ほぼ同年代でこんなに読書が好きな人と接点が出来たのはほとんど初めてに近いことだったし、岬の中に存在している他者への厳然たる心理的障壁をあっさりと越えてくれる人となると、これはもう何よりも得難く、岬は可能な限り水湊のそばにいたいと積極的に考えるようになった。
水湊は、岬に欠けていた同時代性を持つ作品の情報をたくさん紹介してくれた。今の世の中の動きに対してこの作品はこんな風に繋げている気がする、と断定はせずに感想という形で表現してくれて、人の言葉を言葉としてシームレスに解するのを極めて不得手とする岬にも入りやすい形で教えてくれたのだった。岬はそれ以降、普段は特に興味もなく聞き流していたテレビのニュースにも耳を傾けるようになり、祖父が毎日読んでいる新聞も後で読ませてもらうなど、外の世界への関心を少しずつ高めていくこととなった。
夏休みに入ってから、岬に新たなルーティーンが生まれた。週に一度の図書室開放日は、水湊から教えてもらった本の感想を伝える日だった。水湊の薦める本を図書室で借りて、逢う日までに読み切った。感想を口で伝えるのは難しいと判断した岬は、母親のパソコンを使って初めてキーボードを叩いた。どちらを選ぶにせよ、他人に何かを伝えようとするのは難しいと、岬はこの時身をもって学んだ。
プリントアウトした感想文を、水湊はじっくりと、時に頷きながら読み進めてくれた。ひとつひとつの動きが、繊細に揺れる髪が、感想の感想を待つ間も岬を退屈させなかった。
水湊ちゃんはほんの一歳上なだけなのに、どうしてこんなに大人なんだろう。岬はそれを知りたいと思った。極めて近しい人間以外にそのような感情を抱いたことがないため、自身の心の動きに若干の戸惑いを覚えながら。
やがて水湊の開いた口から岬の中に染み込むような音が鳴る。
太宰治の『走れメロス』との共通点があるって、確かにそうかも。岬ちゃん、さすが古典に詳しいね。
単なる音ではなかった。それは声であり、言葉だと理解した。解った。伝わったことが解った。岬はこの時、心から笑えた。薦められた作品を読み、自分の中にある限りの知識で文章を作り、何よりそれを伝えたいと願う人に伝わる。それは嬉しいことなのだと分かった。
水湊は立ち上がり、本棚に向かった。これもルーティーンの一部であった。次の本を借りて、また読む。こんなに嬉しいことならまたやりたい、そう思っていた。
水湊が笑顔で差し出してきた本のタイトルが、岬の目に飛び込んできた。
『僕は上手にしゃべれない』