怒涛のモノローグの連続にやや食傷ぎみだった六月までとはうってかわって、仏教を自称する新興宗教の高僧のような境地でおれは駅の待合室の天井を眺めていた。米原駅を出た途端、加速感に耐えきれなくなったおれはいつの間にか意識を失って、猫のセックスの夢を見ながら嘔吐していた。もちろん、その性交は猫どうしのものであって、けっして猫とおれ、ましてや猫人間のセックスなどではないことは容易にお分かりのことだろうと思う。急激に帰ってきたおれの意識が次に捉えたのは北京・天安門。もう北京に着いたらしい。
おれは広場の真ん中でデビューシングルの売れ残り54枚を一枚1ドル半の値段で売っていた。もちろん、足を止めるものは誰ひとりとしておらず、天安門は気づいたときには廃墟と化していた。そのとき――
「あなたはそこにいますか?」
ああ、ついにおれの元にもやってきたのか。(捕捉だが、ことのときおれはもちろん勃起していた。)これが最後に見る景色かと思いながら口を開こうとした時、唐突に思い出された風呂場の電気の消し忘れ。死んでたまるかと思ったおれは、児童公園の中で佇みながら柵に掲げられたヒロヒトの肖像に一瞥し、気づいたときにはあの山の麓が目に入っていたというわけだ。これが11年前の話。