Neetel Inside ニートノベル
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エスト
きみ

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ゼルが名前を呼んだ時、
ラファエルはうっとりと嬉しそうに口を開かずに笑います。

「ゼル、僕ずっと君がもう死んでしまったんじゃないかって心配だったんだよ」

耳元でまとわりつくようにしゃべるので、
ゼルはなんだかくすぐったくて、肩をきゅっと縮ませます。

「お、俺もそう思ってたよ」
「本当?うれしい」
「あ、あの、ジルベール、くすぐったいから離して…」
「わかった。」

 やっと腕を緩めると、ベンチの背もたれをまたいで向かって左隣に座ってきます。
ゼルの顔を覗き込んできて、やっとお互いが顔を見合わせます。

「大人に、なったなあ…」
「フフ、なにそれ。ゼルは全然変わらないね。
 元気だった?あの後、イースにたどり着いていたの?」
「うん。ジルベールは…」

そこまで言いかけて、あれ?と考えます。

「…何故名前を変えたの?」
「別に自分から変えたわけじゃないよ、
 僕を買った貴族が勝手にそう呼んでたら定着しただけ。」
「そうなんだ」
「うん、ゼルはそのまま、ジルベールでいいよ。」

 改めてラファエルの顔を見たとき、昔の幼さはなくなって声は低くて、
でも長いまつ毛も薄い灰色の瞳も、ちょっと距離感が近いのも変わっていません。

「ハーミッズ卿のところにいっていたんだね」
「ううん、違うよ。今と違う第二貴族だった。
 でも、途中で色々あって普段は教会に住んでるの。」
「ここに?」
「そう」

 ゼルは人形のような顔を見ながら、ひもじい思いをしたり、
身体がボロボロになったりしていないことに安心しました。
 でも、灰色の瞳の奥の闇が子供のころよりももっと深く感じて、
今までどれだけ彼が心を殺して生きてきたのか、感じ取ることができました。
それなのに、ラファエルは今まで何もなかったかのように、純粋に再会を喜んでいるようです。

 今、こうして会って話すと、子供のころに感じていた色気というのが
ちょっと恐ろしく思えて戸惑ってしまいます。
 でも彼はゼルの腕に自分の腕を絡め、肩に頭を乗せてきて、昔と同じようにしてきます。

 大人になったゼルには、それがただ寂しかったからとか、
久々に会えてうれしいからとかそういうことに加えて、
違う感情が絡んでいるのだと感じました。

 風が吹いて、ラファエルの髪や首に巻かれたリボンが揺れます。

「また会えて嬉しいな。ゼルは?嬉しい?」

     

「うん、嬉しいよ。」

ゼルは自分に掛かる体重に重みを感じながら、
前を向いていた顔をゆっくりラファエルに向けます。

「…ジルベール、聞きたいことがあるんだけど」
「なあに、ゼル」

ラファエルは目を細めて嬉しそうに返事をします。

「俺のことを探してた?」
「ずっと探してたよ、ずっと。」
「男の子にお願いして、イースに探しに来させた?」

 静かに、感情を押し殺すように、聞きたかったことを問いかけます。
ラファエルは少しも動きません。

「検問所のおじさんに俺に帝国に行くよう言わせた?」
「怒ってるの?ゼル。」

 こちらに顔も向けずに体重をゼルの肩に預けたまま、
抑揚のない声で少し食い気味に聞き返してきます。

「怒ってるよ。そしてすごく悲しいと思ってる。」
「確かに、お願いした。」
「そのお願いのせいで、2人は死んでしまった。
 死ぬ必要なんてなかったのに」

 思わず、少し言葉をかぶせて早口になります。
ゼルは自分の両手をぎゅっと握っていることに気が付きます。
 ラファエルは、灰色の目を伏せて、いつもよりももっと薄く微笑みをたたえて、
少しだけ間を開けてからほんのりと唇を動かします。

「どうして死んでしまったの」
「…一生懸命、お願いを聞こうとしたから。」
「そう、じゃあ、僕は彼らの犠牲があったからこうしてゼルに会えたんだね。」

 そうじゃない、といいかけたところで、ゼルの手に白くて長い指が重なり、
思わずそちらを見たとき、ラファエルの顔が近いことに気が付きます。
珊瑚色の唇が、裂けたようににんまりと笑って、
いつも隠している白い八重歯が見えます。

「だめだよゼル、その言い方では薬のことを知っていると僕にもわかる。
 …それにしてもすごいね、イースは帝国の国家機密すらもう解析済みなんだ」
「う」
「んふふ、嘘も隠し事もできないのも変わらないね。」

 ゼルは、ささやくような一言に言葉に詰まって少し体を引いたとき、
逃さないように身体を寄せてくるので、押し倒されないようにバランスを取り、
それ以上近付かれないように左手でラファエルの胸のあたりでおさえ、
右手で自分の体を支えます。
 その手すら、ラファエルは右手で握って恍惚とした顔をしているので、
ゼルはすっかり狼狽してしまい、握られた手と相手の顔を交互に見やります。

「でも僕はその2人に薬を飲ませていないよ。」
「飲ませてない?」
「そう。僕は飲ませていない。」

     


 顔が、下まつげまで一本一本わかるほどに近くなって、
触れないように頭を少し上にあげます。

「ねえ、ゼルはロストールに暮らすつもりはない?
 昔みたいに一緒に暮らそう?」

 ラファエルは目が合うと、とろんとした笑顔をしてゼルの顔に触れようと左手を伸ばします。
ゼルは、目を逸らすことなく本当に優しく肩を押し返します。

「…ロストールには行かないよ。」
「え?」

触れようとした左手をぴたりと止めて、驚いた表情になります。

「どうして?」
「イースでの生活は幸せだし、自分は円卓だから。」

 どんどんひきつった笑顔になって、ゼルの言葉が理解できないというように首をかしげると、
ゼルに体重を掛けるのをやめて、ぺたりとベンチに座ります。

「え、円卓?」
「…そう。俺は、円卓の一人としてイースにいる。大事な役割なんだ。
 だからロストールに行くつもりはないよ。」
「う、う、ゼル、僕は…僕はきみと一緒じゃないとしあわせになれないのに」

 ラファエルは両手で顔を覆います。
指の間から見える目は大きく見開きながら泳がせて、眉毛は困ったように下がって、
でもその姿すらも儚い美しさがあって、思わず一緒にいるよ、と言ってあげたくなります。
 それでも、気持ちが負けないように、きゅっと真剣な顔になって、
緑の目で相手の顔をしっかりと見据えます。

「ジルベールは、幸せじゃないの?」
「ゼルがいないとしあわせじゃない」
「じゃあ、イースに来たらいい」
「行けない、だって僕ここから出られないもの
 ね、ゼル、ロストールにおいでよ、僕がもっときみをしあわせにするから!」

 ゼルは、ラファエルがひどくかわいそうな人に思えました。
今までの過程がどうであれ、過去にしがみついて自分と一緒であることだけが
幸せだと思っていたからです。

「ジルベール、俺はロストールには行けないんだよ。ごめん。」
「いやだ、せっかく会えたのに、また離れ離れなんて…」

 ラファエルが、顔を覆っていた手を伸ばしてまたゼルに触れようとすると

「戻れ。時間だ。」

と低くて冷たい声がその手の動きをぴたりと止めました。
 はじかれたように腕をひっこめて、キッと鋭い目で声のほうを見るラファエルの視線の先には、
不敵な笑みで皇帝が風で髪を揺らして堂々と立っています。
後ろには、ゲオルギウス、ディルトレイ、それからマージュが
続いてドアから出てくるところが見えます。

 ラファエルはこちらを見て、何事もなかったようにまたあのとろんとした笑顔で、
眼差しには鋭い光をたたえたままこちらを見て、

     

ゼルにだけ聞こえるほどの小さな声でささやきます。

「ゼル、僕はきみと一緒に生きたい…」

 そう言って、名残惜しそうにゆっくりとベンチから立ち上がると、
皇帝すらも初めから見えていなかったもののように颯爽と横をすり抜けて
建物の中に入っていきました。
 ゼルは重たそうに立ち上がって4人のところに歩いていくと、ぺこりと頭を下げます。

「ありがとうございました。」

 皇帝は返事もせずに口の右端を少しだけあげて、くるりと建物の中に戻っていくので、
ゲオルギウスが続きます。
 すこし落ち込んだ顔をしていたのか、ディルトレイはいつもの笑みで、
背中をぽん、と優しくたたいてくれます。

「疑問は解消されたかい?」
「…いえ、自分には」
「そうか、残念だ。後で聞かせてくれるかな。」
「はい、もちろんです。」

 そんなに残念そうには見えないディルトレイはのんびりとした様子です。

「ゼル、人差し指と親指で輪を作れ」

 突然マージュがそういうので、ゼルは素直に輪を作りマージュに手のひらを向けると、

「えんがちょ」

と言いながら人差し指に中指をからませたピースサインでその輪を切ります。

「…これはなんですか?」
「シーシア様に教えてもらった、悪い縁を断つという東洋のおまじないだ」
「マージュ様ってそういうの信じないと思っていました」
「信じてない。でも、おまえには効果がありそうだろう?」

 いたずらっぽくマージュが笑って建物のドアを開き、
ほほえましそうにしているディルトレイを通すと、ゼルに中に入るよう手招きします。

「ありがとうございます。」

なんだかやっとほっとして、ゼルも続いて建物の中に入りました。


 そのころ、ラファエルは幽霊のようにフラフラと下を向いて廊下を進んでいきます。
リエルが廊下の端からその姿を見つけて、小走りで追いかけていくと、
誰もいない教会堂に入り、最前の椅子にどさりと座りうなだれるのが見えます。
 リエルは駆け寄って足元にしゃがみ、髪で表情のみえない顔を覗き込みます。
 
「ラファエル」
「なに?」
「どうでしたか?」
「別に」

 リエルは、目を伏せて少し考えて、隣に座ります。

「ラファエルが言っていた通り、ゼル様は素敵なお方でしたね!

     

 イースの円卓のお一人とうかがっていたので、
 もっと話しかけずらい感じかと思っていましたけど、すごく話しやすくて。」
「…そ。」
「緑の瞳もとってもお綺麗で…」

 相変わらず顔を上げないラファエルに、ついに言葉をなくしてしまいます。
何がどううまくいかなかったのか、何を伝えたのかはわかりませんが、
いつも涼しい笑顔をしてすましている彼が、
こんなにも肩を落としていることが心配で仕方がなかったのです。

「ゼル、ロストール来てくれないんだって。」

一番低くて小さな声でぽつりと言いました。

「 …イースはとっても良いところなのだそうですし、
 国を担う円卓のお一人ですから、
 きっとこちらにいらっしゃるのは難しいのでしょうね。」

 ゆっくりこちらを向くラファエルは、ちょっとさみしそうに笑っていて、
見たことのない表情にどきりとします。

「せっかく会えたから、もっと一緒に居たかった」
「でも、こないだみたいにハーミッズ様に
 また連れて行ってもらえるかもしれませんし、
 きっといつかまた会えますよ。」
「いつかじゃだめなんだよリエル」

 声色ががらりとかわります。
その低くて圧のある声にリエルは縮みあがると、
ラファエルはその肩をがしりと掴んで、八重歯を出してわらいます。

「僕には時間がないんだよ、
 薬漬けになりながら貴族に媚びも身体も売って十数年耐えてきて、
 やっと大好きなゼルを見つけて残りの人生一緒に過ごせると思ってたのに、
 今日の1時間弱だけで満足できると思う?
 ゼルは僕の初めての友達だ、もっともっと、いや、イースが…」

 目の前にいる少女が怯えた表情で自分を見ているのに気づいたラファエルは、
過去の自分を思い出して静止し、リエルを優しく抱き寄せます。

「ごめん、こわかった?」
「は、はい…いいえ」
「ただ単純に、僕には時間がないんだ。
 ゼルと一緒にいる時間が欲しいだけ。
 …でも僕は、もし、きみに」
「シスター・ガブリエル!」

 そのとき、カツカツと足音を立てながら、老齢のシスターが教会堂に入ってきて
入口のほうから名前を呼ぶ声が聞こえます。
ラファエルはシスターを一瞥するとそっと身体離して、
いつものほほえみを見せると、シスターの横を通って足早に行ってしまいました。
 呆然とするリエルに、シスターはこちらに早歩きしてくると、
心配そうに膝をついてリエルの手を握ります。

「大丈夫ですか。」
「は、はい、シスター・パトリシア。」
「なにもされていませんか?」

     

「はい。彼は、わたくしに何かしたりしませんから。」
「ああ、よかった。」
「ご心配、ありがとうございます。」

リエルはラファエルの言葉の続きを聞けずに終わってしまって
それが胸に引っかかって、シスターの目を見られずに返事をするのでした。

 ラファエルはそれから、鍵の閉まっていない荒れた自分の部屋に戻って、
雑に首に巻かれたリボンを取り、ぽいと投げ捨ててしまうと、
まだお昼過ぎだというのにカーテンを閉めて、ベッドに身体を投げ捨てます。
 昔ゼルが歌っていた子守唄を思い出して口ずさむと、まるで自分の世界に
ひきこもるようにブランケットを頭まですっぽりかぶって静かになります。

 暗くなった、何も動かない部屋で、カーテンの隙間から差し込んできた日光が
何もいないランプに当たり、さみしそうに光を反射させました。


     

******


 すこし時間をさかのぼりますが、国王と皇帝が会談をしている時のことです。

女騎士は2人のいる部屋の扉の前で休めの姿勢で待っていました。
 少しすると、カシャカシャと鎧のこすれる音が聞こえて、
側近を見送った将軍が姿を現したので、ドアの蝶番側に寄って姿勢を正します。
将軍はそれを見て、ドアノブ側に立って同じく休めの姿勢になって、
それぞれが自国の王を待ちます。

「ゲオルキウス殿」
「はい?」

 突然、マージュが話しかけます。
ゲオルギウスは、エスコートしようとしたことを何か言われるのかと、
驚いた様子でマージュのほうを見ますが、
まっすぐ前を見たまま表情を変えずに立っています。

「ロストールには人気の焼き菓子があるそうですね。」
「え?」

思ってもみなかった話しはじめに、目をぱちくりさせながら少し考えます。

「…あ、城下町のバターサンドのことですね。」
「おいしいのですか」
「ええ、おいしいですよ。
 皇帝陛下もときどき召し上がっていますし。」
「それはたべてみたい。」
「ええ、是非食べていただきたいです。」
「たべてみたい。」

ゲオルギウスがマージュの方を見ると、
マージュは物欲しそうな目だけでこちらを見ているので、何かを察します。

「…お送りしましょうか?」
「ありがとう、楽しみにしています。」

 マージュはやっとこちらに顔を向けて笑顔を見せると、またすぐに正面を向いて
元の真面目な顔に戻りますが、心なしか嬉しそうにしています。
 ゲオルギウスは、苦笑いしながら同じく正面を向くのでした。

数日後、手紙と一緒に届いた小包を受け取ったのはイーギルで、
差出人をみて二度見している姿が見られたとか。



******

     


「はっ!」

 勢いよく目が覚めて周りを見回すとガタガタと揺れる馬車の中でした。
行きと同じく、また目の前に座っている王が驚いたように本から目を離してこちらを見ます。

「ははは、目が覚めたかい」
「す、すみません、また寝ていました」
「ずっと緊張しっぱなしで疲れたろう、仕方ない。」
「ありがとうございます…」

 帝国から出てから馬車にしばらく揺られていると、外はとっぷりと夜になりました。
 イースに近づくにつれて晴れてきたのか、星々の瞬きや真っ白な満月が見えています。
時々、周りが騒がしくなることがありますが、どうやら闇に乗じて寄ってきた魔物を、
護衛の兵士やマージュが対処しているようです。
 それ以外は、馬車ががたがたと揺れる音意外は聞こえてきません。

「ゼル、帝国はどうだった?」
「はい、なんだかイースとは全く違って、落ち着きませんでした。」
「そうかもしれないね。我が国は基本的にのんびりしているから。」
「ええ、人口の多さのせいもあると思いますが、せわしない感じがしました。」

 ディルトレイは納得したように頷いて、本にしおりをはさみ自分の隣に丁寧に置くと、
背もたれに寄りかかるのをやめます。

「今日、皇帝と話していて、色々と答え合わせができてね。」
「はい」
「甘い香りのする薬は我々の推理のとおり、
 マインドコントロールできるものだそうだ。
 あの少年は、誰かに操られてイースに来た。」
「…はい」
「そして、風車を上るほどの身体能力、これは全く試作段階の薬によるものだと思われると。
 筋肉を一時的に増強し瞬発力を向上し、感覚を研ぎ澄ますという。
 だが、自身の元々の筋力以上の力が出すぎて筋断裂を起こすので、
 まだ完成には程遠いという。」
「…あの子があんなにボロボロだったのは、そのせいだったんですね。」
「ああ。それはそれは辛かっただろう。」

 ディルトレイは続けます。

「薬は一部の兵士にしか使用しておらず、厳重に管理しているそうなのだが、
 数週間前に数本、ハーミッズ卿がこそこそと持ち出していたようだ。
 …本人はしらばっくれているそうだがね。
 だが、本数を考えれば、イースで流通できるような量はないだろうとも言っていた。」
「じゃあ、薬に苦しめられる国民はもういないんですね。」
「そのようだ。」

 ゼルはほっとした顔をします。
これで、騎士や兵士たちがピリピリしながら街を回ったり、
知らぬ間に街の人々に被害が及ぶようなことはないことが分かったからです。

     


「ゼル、そちらはどうだった?」
「はい。ラファエルは自分が奴隷として売られていた時の友人でした。」
「ほう。」
「どうやら、自分と一緒になりたい一心から、
 少年やジョージさんを使って探させたりしていたみたいです。」
「ふむ」
「後はロストールに来てほしいと言っていた事しか。」
「そうか。」

 ディルトレイはそういって黙り込んでしまったので、
自分がそれ以上質問できず、何も聞き出せなかったことに不安になって、
一緒になって黙るので、また馬車が揺れる音が響きます。

「皇帝も、彼がやたらとゼルに執着していると言っていた。
 衝動的に何をするかわからないとも。」
「自分も、そういう印象を受けました。」
「…そうか。では、何があってもいいよう、心の準備はしておこう。
 ゼルも、引き続き気をつけるように。」
「はい、ディルトレイ様。」

 もちろん、ゼルは何をどう気を付けたらいいかなんてわかりませんでした。
ディルトレイは微笑んで背もたれに体を預けます。

「皇帝はどんな印象だった?」
「皇帝陛下ですか?」
「うん。」
「…ものすごく厳しい方かと思っていましたが、
 意外とお茶目な方だなあと。」
「ははは、そうだね、ゼルはからかい甲斐があるから、
 とても楽しそうに話していたね。」
「楽しそう…?」

 不敵な笑みで話しかけてくる皇帝は、
思い出せば思い出すほど楽しそうだったとは思えません。
きっと、ディルトレイにしかわからない感覚なのでしょう。

 そこから多くの会話があったわけではありません。
馬車は静かに進んでいって、無事にイースに到着し、お城に入ると
イグジクトもイーギルも起きていて出迎えてくれました。

 着替えたりシャワーを浴びたりと、ゼルが一息つく頃には
すっかり真夜中をすぎていました。
昼は暖かかったのか、自分の部屋が少し蒸しているのを感じて、
窓をすこうしだけ開けると、月明かりが煌々と部屋の中に入ってきています。
いつもは閉めるカーテンをそのままにして、
月光浴をするように椅子を窓の下に持ってきて、ぼんやりと見上げます。

 ロストールには行かないといった時の、ラファエルの悲しそうな顔が、
子供の時に置いていったときのジルベールの姿に重なります。
また自分は彼を置いていくのだと思うと同時に、
また誰かを犠牲にするのではないかと不安になります。

「同情するな、か」

     

まで自分が当たり前にしていたことを否定されると、
人間はどうしたらいいのかわからなくなるものです。
 
 本当は、ラファエルの側にいてあげたいのです。
でも、子供の時と違って、自分にはイースの円卓であるという責任があります。
それをもっときちんと説明すべきだったと後悔が襲ってきます。
理解するまで説明すれば、きっと分かってくれると思ってしまうのです。

 夜は魅力がいっぱいですが、考えるほどに心が沈みます。
ゼルはそれをわかっていましたから、考えるのをやめて、
椅子を机に戻すとカーテンを開けたままベッドにもぐりこみます。
 目を閉じて、世界に身を任せるようにゆっくり呼吸します。
月の光がよく入る部屋で、窓から入ってきた風がカーテンを揺らしました。



       

表紙

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Neetsha