Neetel Inside ニートノベル
表紙

エスト
月と彗星と流星群

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 王子は、帝国の方面から迫る軍勢を望遠鏡で捉えました。

 皇帝からの手紙を読んだ王からの指示は、王子、男騎士は迎撃すること。
側近、女騎士は帝国へ2人で突撃し、王の手紙を皇帝に届け、ラファエルを止めること。
博士と外交は怪我人の対応をすることでした。

 そこからの手際の良さは、日々の訓練のたまものでした。
ここ数年対人戦というものはなかったので、兵士たちはすこし戸惑いながらも準備を進めます。
病棟や各区域の病院は、カヨを中心に広く場所を取り、大量の怪我人に備えます。

 ゼルは念のため、薄手の革鎧を着せられ、その上からいつもの服を着用しますが、
その皮鎧すら突き破り心臓が胸から出てきそうなほどに鼓動しています。

 帝国に行った時の会話を思い出し、後悔が湧きあがります。
自分をきっかけに、ラファエルがこんな事をやってのけてしまった、
やはり、もっと会話すべきだったと。
 身だしなみを整えて、鏡に映る情けない顔の自分を見て、
気合を入れるように両ほほを両手で挟みこむようにバチンと叩きます。

 自分がラファエルと向き合い、解決しなければなりません。
彼を殺してでも止めなければもっともっと被害者が出るのです。
 肺の中の空気を一気に入れ替えるように深呼吸して、心を決めて部屋から出ました。

 気持ちに対して身体がぎくしゃくするのを感じながらエントランスホールへ向かうと、
イーギルが黒地に銀色の縁取りがされた鎧を身に纏って、兵士に指示を出しています。
緊張の面持ちのゼルに気づいて微笑むと、こちらに近付いてきます。

「ゼル、大丈夫?」
「はい。ありがとうございます。」
「うん。…いい表情だね。
 国は僕たちに任せて。」
「…はい、ご武運を、イーギル様。」
「うん!ゼルも。」

 イーギルはにっこり笑い、手を差し出してきます。
それに比べてゼルはちっとも笑顔になれない自分に気が付きながらその手を握ります。
しっかりとした足取りで門で待ち合わせているマージュのもとへ向かいます。

 ほとんどの兵士たちは国の外で隊列を組んでいるようで、ほとんど姿が見えません。
月に照らされて、馬鎧を装着した真っ黒な馬と一緒に2つの影が見えます。

「お待たせしました。」

 声をかけると、影が振りむきます。
ここ数日で何度も見た、白金に金縁の鎧を身にまとったマージュと一緒にいたのは、
ズボンのポケットに手を入れているイグジクトでした。
 マージュは珍しく、レイピアとマンゴーシュにロングソードも携えています。

「お前は嫌かもしれないが、また一緒に馬に乗ってもらうぞ。」
「はい。…2人も乗ってロストールまでって、馬は大丈夫なんですか?」
「私の馬は神馬スレイブニルの子孫だ、そんなことではバテたりしない。」

 そのとおり、とでもいうように馬が鼻を鳴らして、愛おしそうにマージュが鼻を撫でると、
マージュの肩あたりに頬ずりしています。
フン、とイグジクトが短く笑います。

     


「イーギルすら乗れなかった暴れ馬を乗りこなせるということは、
 おまえは同等ということだな。」
「ふふ、まあそれもあるだろうけど、
 私がイーギルと仲が良いからって嫉妬して乗せたくないだけだ。
 ゼルならちゃんと乗せてくれる。」
「よろしくお願いします。」

 ゼルは恐る恐る手を伸ばして額のあたりをなでると、
心なしかちょっと仕方なさそうな顔でなでられています。
その姿を見ながら、イグジクトは急に真面目な顔になってゼルを小突くと、
ダガーナイフを差し出してきます。
 ハンドルと鞘はつやっとした木地で、はめ込まれた螺鈿が月の光と松明に
キラキラと煌めいています。

「ゼル、これを渡しておく。」
「な、ナイフですか?」
「護身用だ、何も殺してこいとは言ってない。
 …マージュも帝国では何があるかわからない。自分の身は自分で守れ。」
「…わかりました。」

 両手でダガーナイフを受け取って鞘から抜くと、
つやつやに研がれた剣身の鋭さに思わず見入ってしまいます。
よく見ると、刃の根元には何か文字が刻まれていました。
静かに光る紫色の瞳でゼルを見据えます。

「魔女のおまじない付きのナイフだぞ。おまえには効果てきめんだろう?」
「はい、今の自分には心強いです。」

 また嫌味っぽくニヤリと笑う姿を見て、
ゼルは刃をそっと鞘に戻すと、落とさないようにしっかりとベルトに装着します。

「死んで帰ってきたりするなよ。」
「…はい、イグジクト様。」
「行こうゼル。」
「マージュ、おまえもだ。」
「わかった。」

 マージュは微笑みを見せて兜をかぶり馬にまたがると、
ゼルはマージュに背中から抱えられるような形で騎乗しました。
 いつもは気になりませんでしたが、こうしてマージュの馬に乗ってみると
数日前に2人で馬に乗ったときと比べて窮屈さがあまり感じられず、
その大きさを実感します。
 黒い馬は嘶くと力強く走り出して、その姿を見送ったイグジクトがお城に歩き始めると、
門が大きくきしむ音を立てて閉まりました。

 街を抜け、城壁を抜けるとすぐに、隊列を組んでいるイース軍が見えます。
 兵士たちはマージュをみると身体をこわばらせて一斉にこちらを見てきたので、
一度馬を止めて、ゼルを後ろに乗せたまま兜を脱ぎます。
ポニーテールがさらさらと流れ、ゼルがびっくりするほどの声を張り上げます。

「私は別行動だ。あとはイーギルの指示を聞き、動くように!
 明日、また会おう。」

 わあっと元気よく声が上がるのを聞いて、マージュは笑顔を見せるとまた兜を被り、
隊列の間から颯爽と馬を走らせます。

     

 ゼルは、兵士たちの声に勇気を貰った気がします。
もしかしたら自分たちはケガをするかもしれない、
死ぬかもしれないというのに、
何千という兵士が騎士の二人を信じてこうして集まり、
自らを鼓舞して対抗しようとしているのです。

 ビュンビュンと顔に感じる風に負けないよう目を開き、
絶対にラファエルをどうにかしてみせると決心したとき、
ふと、自分の胸元で何かが動いた感覚がします。

 自分のジャケットから、にこにこと笑顔を見せる妖精が2人、こちらを見ています。
驚いて身体をひくと、背中のマージュに押し返されます。
泣きたいくらいの安心感が襲ってきました。
 もちろん、泣いている場合ではありませんから、
前をまっすぐ向いて歯を食いしばります。
 しばらくの間走り続けると、向こうから帝国の軍勢が持つ光が見えてきます。
きっと、あと1時間もしたらイースの軍と激突するでしょう。

 マージュは馬をひらりと飛び跳ねさせると天馬のように空を駆け、
何度か着地をしたものの、一気に帝国軍の上を通り過ぎます。
帝国兵たちは、わあっとこちらを見ましたが、
追いかけてくる様子もなく、前進していきました。

 ゼルの瞳が月光を受け取ってきらりと煌めき、
真っ黒な馬は速度を緩めずに前進し、2人を帝国へと運んでいきました。

     

******


 イースのお城の天文塔の一室では窓枠に腰かけて、
遠くの方で真っ黒な波が押し寄せてくるのを見たカヨが
不安そうに望遠鏡から目を離します。
 キシェが隣でぴょんぴょん飛び跳ねるので場所を譲ると、
同じように窓枠に上って右目に望遠鏡を覗き込んで、うわあ、と声を上げています。

「すごいね、たくさんたくさん来るね。」
「そうだね、キシェ。」
「カヨ、こわい?」
「うん。こわい。どうなっちゃうかわからないもん。」

 キシェの青い目には、うつむくカヨの不安そうな表情が映りましたが、
いつもと変わらずににこにことしてカヨの手を握ります。

「大丈夫!一つ一つこなしていけばみんな大丈夫。
 困ったら一緒にやること整理しようね、ね!」
「うん、そうだね。…キシェは、怖くないの?」
「ん」

 キシェは少し考えて、困った顔をします。
カヨは、怖くないはずはないとハッとしてうつむいていた顔をあげると、
寂しそうな笑顔をしているのが見えました。

「ぼく、ぼくがいちばんこわいのは、なおせないこと。」
「…どうして?」
「だって、なおせなかったら、ぼくがここにいる意味ないもの」
「…じゃあ、一緒に頑張ろうね。」
「うん!」

2人は窓枠から離れると、しっかりと手をつないで、
望遠鏡を持って部屋から出て、天文塔の階段を降りてゆきました。


     

******


 崖のほうから拭いてくる風を背中に受けながら
鞘に納めた大きな両手剣を地面に突き立てて、
柄の部分に両手を添えて仁王立ちする涼し気な笑顔のイーギルは、
城門の上から自国の軍を見回します。
白いマントが良くなびいて裏地のワインレッドがよく見えます。

「リッシュ、向こうはどう?」

足元でしゃがんで望遠鏡を覗き込む栗色の髪をした兵士に話しかけます。

「あと30分ってところかな。」
「ではもう進軍しよう。畑も守らなきゃいけないし。
 レオ、矢を。」
「オッケー。」

 隣にいるオレンジ色の髪の兵士が矢をつがえてはなつと、
鋭い音をさせて飛んでいき、軍勢は一斉にこちらを見て姿勢を正し、静かになります。

「これより、攻め入ってくるのは我が国土を蹂躙しようとする理性なき獣である! 
 日々、厳しい訓練を乗り越えてきた諸君なら、十分に対抗できるものだ!
 弓を構え、剣を構えろ、だが命だけは手放すな!
 さあ、ゆこう!」

 イーギルが剣を天高く掲げると、雄たけびが天高く響き渡り、空気を揺らします。
それを受け止めるように聞いて嬉しそうに笑顔を見せると、
兜持ってマントを翻し2人の兵士を従えて歩き始めます。

「なあ、イーギル怖くないのかよ」

3人で城壁から降りる階段を下りながら、
オレンジ頭が少し後ろを歩いて声を掛けます。

「マージュが戻ってこないことが一番怖いよ。」
「出た、またマージュ様だよ。まあ、別行動だもんね。」

栗色の髪の兵士が、兜をかぶりながら笑います。

「2人は?怖い?」
「そりゃ怖いよ。でもなあ。」
「うん、イーギルの顔見てると、平気な気がするというか。」
「そっか。じゃあ、マージュがいない分、僕の背中は2人に頼んだよ。」
「荷が重いなそりゃ。」

笑い声の後、3人は扉を開いて、
自国を守る者たちに合流するのでした。


     

******


 ディルトレイは、足を組んでゆったりと王座に座っています。
目の前にはどこからか持ってきたであろう布陣図を乗せたテーブルがあり、
イース軍を表す青い石と、帝国軍を表す赤い石等がいくつかおいてあります。
 イグジクトが王座の右側で背もたれに肘を置いて寄りかかるように立っていて、
シーシアは懐中時計をみて、布陣図の赤い石をイース、と書かれたところに寄せました。

「さて、どうなるかな。」

無表情の王は、寄せられた赤い石とすぐそばの青い石を見つめ、
同じく王子も無表情で同じところを見ているようです。

「問題ないでしょう。
 皇帝が本気で攻めて来てるわけじゃないですし、
 人数も大体我が軍と同等かそれ以下でしたし。」
「問題ない、か。」

王は、ほんの少しだけ嬉しそうにします。
対して外交は不安そうに、布陣図の帝国の領地あたりにおいてある
小さな緑の石と金色の石を見ています。

「ゼルとマージュが心配だわ。」
「そちらも、問題ないでしょう。」

 ちっともこちらを見ずに、じっと正面だけを見続けるイグジクトに、
シーシアは驚いた顔からにこーっと笑顔に変わります。

「あら、随分信頼しているのね。」
「そんな簡単に死ぬような奴らでないのはシーシア様もご存知でしょう。」
「そうね。ふふ、あんなに頑なに人を信用しなかった子供が
 こんなに信頼を寄せるようになって。ねえ、ディルトレイ?」
「ふふ、そうだね。」
「私がいくつの時の話をしているんですか…」

 心底いやそうな顔の王子のため息と、
王と外交の微笑ましそうな笑い声が玉座の間に響きます。

「さてイグジクト、イーギルへの指示は任せていいね。」
「もちろんですよ。」
「シーシア、病棟のバックアップは頼んだよ。」
「ええ。」
「さあ、長い戦いにはならないだろうが、私も油断せずに構えよう。
 今日はいい風が吹いている。」

イースはこれからが正念場です。

     

******



 真っ黒な馬は、まるで重力を感じさせないように進みます。
魔物たちは2人を見て息をひそめ、近寄ってくる様子はありません。
 ゼルのそばにいる妖精たちは、嬉しそうにゼルのポケットに入ったり、
兜から出ているマージュの髪に掴んだりしていますが、きっとマージュは気づいてないでしょう。

 小高い丘に着いたとき、馬の歩みを一度止めて帝国の城門を見下ろします。
帝国は深夜でも荷馬車を受け入れているので、普段ならこの時間でも往来があるはずなのに、
今日は全く入っていく様子がありません。
 荒い息の馬は、早く行こう、とでも言うように鼻を鳴らします。

「門、しまってますね。」
「うん。…行こう。」
「はい。」

 ぐっとマージュの足に力が入って、来た時よりも軽い走りで丘を降り、
城門の側に近付いていくと、いざなうように城門がゆっくりと開くので、
2人はしばし黙り込みます。

「…行きましょう。」
「ああ。」

 不気味な出迎えに怖気づきもせずに街の中へ進むと、
酒場からはにぎやかな声が聞こえ、通りには酔っぱらいが眠りかけていたり、
色っぽい女性が小道で誘惑していたり、
がさがさとごみを漁る野良犬が歩いたりしています。
 通りに出ているだれもが大人2人を乗せて常歩で進む黒い馬を見ています。
 
 街並みがどんどん立派な屋敷になっていくにつれて、道で寝転ぶ人々も見えなくなります。
貴族の住む区域はしんと静まり返り、門に下げられたそれぞれの家の紋章が
風に揺られているのが見えます。
 イースにはない不気味さを感じながら周りを見回すと、
お城へ続く道の途中で右に曲がる道があり、カーブを描いたその先に、
大聖堂の天井の聖人たちの彫刻が見えています。

 まずは王の手紙を皇帝にもっていこうとまっすぐお城へ向かいます。
城門は薄暗く、兵士が松明の下で構えています。
ゼルとマージュは馬から降りて、門の前に立ちます。

「私は王国イースの騎士、マージュ・ウィンドリダーである。
 緊急事態により我が国王から皇帝陛下あての手紙を届けに来た。」

 門兵たちはちっともうごきません。
ゼルには見せませんでしたが、兜の下のマージュの表情は、
きっと眉間にしわを寄せていぶかしげな顔をしていたでしょう。

「聞こえているのか」
「大聖堂へ。」
「え?」
「大聖堂へ。」

 2人は顔を見合わせて、返事もせずにそのまま馬に乗り、そっと踵を返します。

 来た道を少し戻り、聖人たちの彫刻の見えるほうへ方向転換すると、
やがて貴族の敷地が途切れて、教会に入る門が見えてきます。
どうやら、お城と教会は少し小高くなっていて、敷地が隣同士になっているようでした。

 門は開いているようでしたが、同時に黒い影が見えてきて、
気付いた2人は静かに馬から降ります。
 ゼルは馬の手綱をもって引いて、マージュはマントを馬の背に預けると、
剣の柄に手をかけてゼルの少し前を進みます。
鎧のこすれるカシャカシャという音と、2人と1頭の足音が目立って感じます。

     

 門の前に立つモノの形がはっきりわかるようになり、
月明かりと街灯に照らされて色が見えてきます。

 大きな体に、見覚えのあるセルリアンブルーと金装飾の入った鎧兜を纏い、
重い戦斧ハルバードを片手で持つ、仁王立ちの重装歩兵。
静かに立ちふさがっているのは、
ロストール帝国将軍、ゲオルギウス・ハイライドでした。

「…そこをどいてください。」

 低い声でそういうと、剣を構えながらマージュが前に出ます。
相手はまるで、中身のないただの鎧の置物のように少しも動かず、返事もありません。
 風が吹いて、しばしの沈黙が流れます。

「ゲオルギウス将軍?」

 ゼルがマージュの前に出ようとすると、マージュが剣を持った腕で通せんぼします。

「行け。」

 青い兜の隙間から、以前会った時の朗らかな声とは打って変わって、
荒々しさを感じさせる、強い声が聞こえてきます。
少しの間があって、通せんぼされた手をそっとおさえてゼルが歩き始めます。

「ゼル」

 思わず声をかけるマージュでしたが、
自分をまっすぐ見てうなずく緑の目の、その強い光に気圧されて黙りこみます。

 ゼルが早歩きで横を通り、そのままマージュも通ろうとしたところ、
ゲオルギウスの左手が突然スイッチが入ったかのように
前からマージュの首をつかんで、そのまま軽々と持ち上げ放り投げます。

「ぐうっ!」

 がしゃん!と大きな音がして、ゼルが驚いて振り向くと、
膝をついて右手で首をおさえながら咳をするマージュの姿がありました。
 駆け寄ろうにも、青い鎧につけられた真っ白なマントが、大きな壁のように立ち塞がっています。

「マージュ様!」
「行けゼル!」
「…わかりました。
 すぐ、すぐ戻りますから!」

 マージュは、走って大聖堂へと向かっていくゼルの背中を見送りつつ
何事もなかったかのように立ち上がります。
 兜の中から金色に光る眼でまっすぐに相手を見ながらも、少し迷いが生じます。
もし万が一共倒れ、もしくは自分が将軍を殺したら
皇帝はそれをきっかけとして、何かイースに仕掛けるのでは?

 しかし、目の前に立つ大男は全くどけそうにないですし、
ゼルがあのラファエルに危害を加えられることだって考えられます。
 そう考えれば、”ゼルを守ること”が最優先事項です。

「すぐ行く、は私のセリフだな。」

 ロングソードを抜いてゆっくりと構え、ふう、と息を吐いて整えます。
その姿を見ていたゲオルギウスも、静かに戦斧を構えます。
風が吹いてマントがふわりと浮き上がった時、
先手必勝と先に動いたのは、マージュでした。

       

表紙

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Neetsha