ディストピア―こんな社会は嫌だ
その2
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安楽死対象者収容施設『ライフ&サイクル』。刑務所を想わせるような堅牢で高い外壁、そして検問所を通り抜けた先に『ライフ&サイクル』がある。
適性検査の結果、社会で生き抜く適性がないという判定を下された人間には安楽死の『許可』が与えられる。『ライフ&サイクル』は、適性検査で安楽死の許可を与えられた人間を収容するための施設なのである。
社会で生き抜く適性は、知能指数、コミュニケーション能力の高さ、社会生活や集団生活を送る上での困難の度合いによって総合的に評価される。一般的に知能指数の低い人間には低い評価が下されるが、その中でも特に犯罪を行ってしまうような者への評価は極めて低い。
また、小中高での学生生活を通して、あまり活動的な行動傾向を示していなかった者に対しても、そうでない者と比べて極めて低い評価が下される。活発な学生生活を送っていない者は、コミュニケーション能力や社会性に問題があると考えられているためだ。
健二は、まさにその典型例だった。成績は少し悪い方で運動もあまり得意でなかったが、素行不良もなく、教師の言うことをよく聞き、学校内のルールを一切破らない「良い生徒」だった。
そんな生徒はどこにでもいる。それ自体に問題があるわけではなかった。しかし、健二は地味だったのだ。クラスの女子と交友を深めることはおろか、クラスの男子との会話すらままならかったのだ。
学年が上がる度に行われる体育大会や文化祭を幾度経験しても全くといっていいほど活発的にならない様子を見て、教師は健二にコミュニケーション能力や社会性に問題があるという評価を下した。
それからの間、健二の行動は生徒管理委員会によって逐一チェックされた。生徒管理委員会とは、社会で生きていく上での適正を見抜くために秘密裏につくられた組織である。そのほとんどの業務は民間に委託されているが、その実態は国営に近い。
健二の行動は委員会によって監視された。経過観察の結果、高校二年生の冬、健二は委員会から「社会で生きていく上での適正が欠けている」という評価を下された。
通知書を見た健二の母親は椅子から転げ落ちた。
それから、高校を卒業して大学に進学し、大学二年の春を迎えるまでの間、健二はその通知書の存在を知らなかった。
通知書の存在は父親も把握していたが、両親ともに通知書の存在を健二に伝えようとはしなかったのだ。
健二が通知書の存在を知ったのは、ゼミがきっかけだった。三年生からのゼミに所属するためには、二年生の時に所定のゼミに所属するほか、社会で生きていく上での適正に関する通知を受けていないことが条件だったのだ。
健二は役所に行って通知の有無を確認しようとしたが、母親にひどく咎められた。しかしそれでも健二は母親の静止を振り切り役所に向かった。通知の有無を確認した結果、健二は自分に通知が来ていることを知った。
それから三カ月後、大学二年の夏休み初週の月曜日、健二にとある通達が届いた。
その内容は、明日、学力検査を行うので所定の場所に出向けというものだった。
健二は何の疑問も抱かず、検査に行くことを母親に口にしたが、母親は発狂し、罵詈雑言を撒き散らした。母親の狂いようがあまりにもひどかったので、それに恐怖を覚えた健二は検査に行かないことにした。
次の日、健二の家に黒ずくめの男達がやって来た。彼らは身分を明かすことはしなかったが、その立ち振る舞いをみると、テロリストや強盗ではなく、政府によって雇われた人間であることは確かだった。
泣き叫ぶ母親をよそに、健二はその場で黒ずくめの男達に取り押さえられた。
健二は最初、何が起こっているのかわからなかった。黒ずくめの男達に恐怖を抱いてはいたものの、突然の出来事でパニックになり、思考が停止してしまったのである。
こうして健二は黒ずくめの男達に身柄を拘束され、安楽死対象者収容施設『ライフ&サイクル』に連れてこられたのである。