Neetel Inside 文芸新都
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アイキャンハードリーリコールゾーズデイズ
0.アイキャンハードリーリコールゾーズデイズのためのアロングプリファス

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「犬丸です。」
重低音がきこえた気がした。【重盛祐二 1件の画像と1つのメッセージ】と書かれたバナーを親指で触れると、画面が冷たかった。雪はまばらだが風が少し強い。画面に貼りついた雪が結晶の形を保ったまま端から融けていく。コートの袖で拭うと、水がのびて文字がにじみ、「いぬまるです」のささやきも心なしかスローモーションで耳に届く。夕焼け。西からのぼったお日様が、東へしず〜む〜。バカボンの反対だから、西に日は沈む。いまだにこの歌をいちいち口ずさまなければ、太陽が沈む方向を思い出せない。でも入試に出なかったからこれでいいのだ。そのかわりにデカルトの思想を援用して小論文を書けという課題は出た。人文学部棟から札幌駅に歩いていく。歌で思い出したとおりに西に沈みゆく橙色。ろくろく対策もしてこなかった小論文に手応えなどなく、踏みしめた三月の雪のほうがずっとちゃんと自分を支えている。

「……わかり、ましたか」
「あー、わかりました」
「大丸の」
「はい、大丸の大のところに」
「ああそうです……どうですか」
「どうですかって、ねえ」
大丸百貨店の看板の「大」の右上にカラスが留まっていて「犬丸」。そういう画像をメールで送りつけて僕たちは笑い合う仲だった。前期試験で誰からも何も心配されずに法学部に受かっていった重盛くんのナチュラルボーン無神経が好きで嫌いだ。
「まあ、報告は以上です」
重低音は耳もとで、ふわっと臭ってすぐ消えた。
 この時期の鈍行列車は湿度が高い。頻繁にドアが開き、風や人に運ばれた雪が車内の熱気に負けて水になる。五感を鈍らせる暖気が充満している。試験が終わったその足で駅前や地下街を散策することもできたが気が向かなかった。モーター車のヴーン……という音、横並びの座席の下に据えたヒーターの過剰な熱さ、車窓から見える自分の家、受験とよばれる一連の出来事の終わり、消失点がぼやけてすべての遠近法が狂った線路の上を六両編成がゆく。
 帰宅すると祖母が脚を組んで新聞を読んでいる。虫眼鏡を置いて、「お帰んなさい」と立ち上がる。
「どうだった。お母さん仕事からもうすぐ帰ってくるわ。コーヒーいれるから飲みなさい」
正直わからん、と答えた記憶がある。それは祖母にも、母にもだ。前期試験に落ち、僕は母と学習塾のチューターを泣かせていた。自分の行いが報わるべきものだと誰かを泣かせたのは後にも先にもこのときだけのように思う。
「まあ、でも駿ちゃんよく頑張った」そういって祖母は僕のマグカップになみなみコーヒーをいれた。テレビでは昨日からずっとニュースが続けて流れているという。
「昨日14時46分に発生した、宮城県三陸沖を震源としたマグニチュード9.0、最大震度7の地震は」
仙台空港が濁流にのまれている。数週間前、あの空港を使って前期試験を受けたのだった。続いて三陸の海岸の様子、都心の帰宅困難者、灰色の煙を吐く福島第一原子力発電所が数分おきに映る。その間つねに津波警報の表示が出ている。北海道も周囲をすべて警報や注意報に囲まれていた。
 前期試験の結果が変わる――繰り上がる可能性はないのだろうか、昨日からそう考えていた。でも、よしんば結果が変わったとして、他人の不幸の上に立って大学に通う生活が人生にある種の翳りをおよぼさない訳がない。そして何より、その翳りを自分のうちにあるニヒリズムにすりかえて、さきざきを生きていける自らの図太さに気づいて恐ろしくなった。社会の悲劇と個人の幸福、ここにもまた、消失点を失ったふたつの事象がある。めまいのように渦をまいて、ふたつは緩やかなひとつになる。そいつをあたかも自分の不幸であるかのように、懐にしのばせておける残忍さがあるらしい。

アイキャンハードリーリコールゾーズデイズ。

 結局、日本は半壊し、それでも前期試験の結果が変わることはなかった。僕はなぜかカルトクイズのような後期試験に受かり、少なくともあと四年北海道で暮らすことになった。
 そうして僕の3.11は、入学試験と絡まり合って絶望的に歪んでいる。

       

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