【9日目:夜 屋外中央ブロック】
『楽園』の創始者であり指導者である霞ヶ丘天は、『楽園』の主要メンバーともども落命し、戦場となった中央ブロックは、本校舎が全焼するなど壊滅的な被害を受けた。
戦いの終わりから程なくして夕陽は沈み、夜の闇が周囲を包む。
月明かりと、本校舎で未だ燻ぶる炎とが、仄かに辺りを照らしているが、それだけでは心もとない。
中庭にある木の枝を集め、焚火を作って、それを取り囲むようにして、暁陽日輝たち生存者は集まっていた。
陽日輝の両隣には、安藤凜々花と四葉クロエがいる。
凜々花は瓦礫を背に膝を抱えていて、クロエは周囲を警戒するように立っていた。
他に、焚火の周りにいるのは、霞ヶ丘天との戦いで共闘した鹿嶋鳴人、それに相川千紗と日宮誠。
そして――『楽園』の最奥から救い出された、辻見一花だ。
一花は、茫然とした表情で、ゆらめく焚火を見つめている――いや、その目には何も映っていないかもしれない。
「……一花、大丈夫でしょうか」
凜々花が小声でそう呟く。
すでに凜々花は一花に何度も話しかけているが、何の返答もなかった。
凜々花だけではない、千紗やクロエ、それに陽日輝も話しかけている――それでも、彼女の心には届かなかった。
それも無理もないだろう。
「……あんなことがあったんだから、堪えただろうな」
陽日輝はそう呟きながら、霞ヶ丘天を倒した直後の出来事を回想する。
――陽日輝とクロエと誠とで、負傷している凜々花と千紗、そして鳴人に応急手当を施してから、陽日輝はクロエと共に『楽園』へと向かった。
生存者がどれだけいるか、こちらと敵対する意思のある残党がどれだけいるか――それを確かめるべく、『楽園』のある地下へと降りたのだ。
そこで陽日輝は、多少の騒動あるいは厄介ごとが勃発するのを覚悟していた。
『楽園』という拠り所を失った生徒たちの動揺や反発、残党の抵抗――そういったことが起きることは容易に想像できたからだ。
しかし、そこで陽日輝が目の当たりにしたのは、その想像を裏切る光景だった。
――『楽園』のメンバーと思われる生徒、その全員が、死亡していたのだ。
その亡骸は、多くが両目を潰され、そしてすべてが首を折られていた。
素人目にも、ほとんど抵抗する余裕がなかったことが窺える、一方的な虐殺。
そして当然のごとく、亡骸からは手帳の表紙と能力説明ページが破り取られていたが、陽日輝にとって最も衝撃だったのは、その亡骸の中に、井坂帆奈美が含まれていたことだ。
あの北第一校舎で東城一派に囚われていた女子生徒のうち、帆奈美と一花が『楽園』にいるということは、『楽園』の四天王の一人だった恩田綜から聞かされていたが、実際に知人が死体となっているところを目の当たりにして、何も感じないわけがない。
――帆奈美たちは、東城一派に筆舌に尽くしがたい目に遭わされた。
そんな彼女たちが『楽園』という救いに縋るのは、理解できてしまう。
しかし、彼女は救われることがなかった――何者かの襲撃を受け、『楽園』は見るも無残に壊滅したのだから。
とはいえ、自分だって『楽園』と戦った立場であり、そもそも『楽園』に多くの生徒を焚きつけたのは自分たちだ。
そこに責任の一端を感じずにはいられない。
『――奥にも部屋があるようですわ。そちらも調べますわよ』
クロエにそう促されなければ、自分はその後も長い間、帆奈美の亡骸の前で立ち尽くしていたかもしれない。
陽日輝はそんなことを考えながら、クロエと共に『楽園』内を探索し、そして、最奥にある部屋に辻見一花が囚われていたのを見つけ、保護した。
――北第一校舎に続き、この場所でも鬼畜の所業を受けた一花の心は、その時点でほとんど壊れかけていたのかもしれない。
それでも、こちらに反応して認識することはできていた。
『よつ……ば……さん。あか……つき……くん』
そうか細い声で呟いた一花を、食事もまともに与えられず、肌には拷問の痕があり、排泄も垂れ流しにさせられていた哀れな彼女を、少しでも早く助け出してあげたいと思い、彼女の拘束をすぐさま解いたのが、間違いだったのだろうか。
――『楽園』から出るためには、どうしてもまた、帆奈美たちの亡骸が転がっている、あの場所を通る必要があった。
だから、一花が帆奈美の亡骸を目の当たりにしてしまうことは、不可避で。
一花は、帆奈美の亡骸の前で膝から崩れ落ち、表情の抜け落ちた顔で言った――それは誰に向けられたものでもない、ただ無力と不条理を嘆く言葉だった。
『どうして……こんな目にあわないと……いけないの……どうして……どうしてなの……』
……それでも、彼女は自分の呼びかけに応え、『楽園』から出て地上に戻ることはできた。
しかし、そこからはもう、魂が抜けたようになってしまっている。
凜々花たちが彼女を着替えさせたときも、一切言葉を発さなかったそうだ。
――分かっていたことだ。
『楽園』にはそれなりの人数がいて、それを敵に回すということは、彼ら彼女らを不幸にするということなのだと。
それでも、考えずにはいられない。
帆奈美を死なさない方法はなかったのか。
一花の心が壊れない方法はなかったのか。
――しかし同時に、そんな『もしも』に意味が無いことも理解している。
考えなければならないことが――他にあるということも。
「――私があの地下の光景を見て、気がかりなことは二つですわ」
クロエが、自分と凜々花にしか聞こえないように小声で言う。
「一つは、あれだけの人数を、恐らくは同一人物が、抵抗らしい抵抗も無いまま死に至らしめているということ。かなり強力な『能力』の持ち主であることは間違いありませんわ」
「……そうだろうな」
「そしてもう一つは、『楽園』の主要メンバーでただ一人、鎖羽香音の行方だけが分からないことですわ。形勢不利と見て逃げたと考えるのが妥当でしょうけれど、凜々花に聞いた彼女の人となりなら、このままで終わるとは思えませんわ」
そう――凜々花の所属するゲーム部の部長である鎖羽香音だけが、死体としても見つかっていない。
クロエの言った通り、すでにこの中央ブロックから逃れているのだろう。
――『楽園』は崩壊したが、正体不明の襲撃者に羽香音にと、火種はまだ残っている。
後味の悪い結果を残し、『楽園』との戦いは終わった。
それでも、生徒葬会は終わらない。
自分たちはこれからも他者の命を踏み台に、生還へと向かうしかないのだ。
『楽園』の理念を否定した以上、その道を貫き通すしかない。
「なあ――陽日輝」
そのときだ。
誠が、おもむろに話しかけてきたのは。
「――どうした、誠」
「色々考えたんだけどね、やっぱり僕は君たちと一緒には行けない」
誠のメガネの奥の目が、まっすぐこちらを見つめている。
誠の隣に座る千紗が、唇を噛んで目を伏せた。
「……敵同士だったからか?」
「霞ヶ丘さんを殺す手伝いをした時点で、敵だったからとかそういうのはないよ。もっとシビアな理由さ――この生徒葬会で生き残れるのは三人だけ、それだけ言えば十分じゃないかな」
「…………」
誠の懸念は真っ当だ。
この生徒葬会、生きて帰ることができる上限は三人。
そのため、四人以上で組んだとしたら、必ずどこかで誰かを切り捨てなければならなくなる。
誠は、こちらが反論しないのを確認した上で、こう続けた。
「それと。相川のことも、僕に任せてくれないかな」
「えっ――」
凜々花が声を上げる――凜々花は千紗に懐いていたので、そういう反応になるのは分かるが、陽日輝は正直、誠がそう言いだすことは半ば予想が付いていた。
「理由は、僕が君たちに付いていかないのと同じさ」
「……相川は、どう考えてるんだ?」
陽日輝は、俯いたままの千紗にそう問いかけた。
千紗は、一瞬悲しそうな表情を見せ――それから、すぐに割り切ったような、冷静な声音で答えた。
「私も色々考えてたわ。――だけど、私はあなたにとっての凜々花にはなれない。だから、こんな状況だから、私は――私を選んでくれる人と一緒にいることにしたいの」
「相川さん――」
「そんな悲しそうな顔をしないで、凜々花。どんな形になるかは分からなくても、生きていればきっとまた会えるわ。――暁。凜々花を泣かせたら、許さないわよ。私を選ばずに凜々花を選んだ以上、あなたにはその責任があるわ」
千紗のその言葉に、陽日輝は頷くしかなかった。
自分は千紗ではなく凜々花を選ぶ――それは天にも見透かされ、利用された。
しかし、だからといって、凜々花を選ばないという選択肢はありえない。
凜々花を守る――そして、誠と千紗の提案を受ける、誠が言うところの『シビアな理由』は、陽日輝にもあった。
それは――四葉クロエの存在だ。
クロエがすでに三つの『能力』を所持していること、そして身体能力や精神力、機転といった生徒葬会で生き残るためのスキルを高いレベルで持ち合わせていることはよく知っている。
だから、凜々花を守るという目的をより確実に果たすためにも、千紗や誠と組むより、クロエと組むほうが得策なのだ。
何よりそれは、クロエという戦力を得られるだけではなく、クロエという脅威を敵に回さないということも意味する。
――友人たちをそのように秤にかけることに良心の呵責はあるが、それが本心だ。
「どうでもいいけどよ――お前らさあ」
――そのとき。
自分たちの会話を、少し離れたところから黙って聞き続けていた鳴人が、短髪を掻きながら気だるげに言った。
「辻見のことはどうするつもりなんだ? その様子じゃ足手まといにしかならないし、そいつ自身のためにもここで殺しておいてやるのが優しさじゃねーかって思うぜ俺は」
「……!」
その言葉に一瞬怒りを覚えながらも言い返す言葉が出てこなかったのは、自分も心のどこかでそう思っていたからなのだろうか。
北第一校舎と『楽園』で立て続けに受けた仕打ちと友人の死により、一花の心は壊れてしまっている。
その心は、もしかしたら平和な日常の世界でなら、年月をかけて癒すことができるのかもしれないが、少なくともこの生徒葬会において、その機会が訪れることはないだろう。
鳴人は、ポケットから取り出した野球の硬球を掌の上で遊ばせながら言う。
「俺の『変可球(バリアブルボール)』じゃどうしても即死とはいかねー。それに俺は辻見とは同級生ってだけで特に関わりもねえんだ。お前らの誰かが辻見を楽にしてやるのが筋じゃねえの?」
「――そんな風に簡単に、割り切れるわけがないじゃないですか」
凜々花が怒りを内に秘めた、微かに震えた声で静かに答える。
クロエもまた、ベルトに付けたペットボトルの一つに手をかけていた。
「おいおい、今ここでやり合うか? 人数的にはお前らのほうが有利だもんな。俺を殺すことはできるかもな。でもよ、お前らだってあんなにハードな戦いが終わった今くらい、ゆっくり休みたいはずだろ? それに、俺だって野球部のレギュラー張ってたんだ――純粋な体力と運動神経なら、この中じゃ一番だって自信もある。殺される前に一人か、もしかしたら二人くらいは仕留めるかもしれないぜ」
鳴人はそう言いながら、器用に硬球を人差し指だけで回して見せた。
確かに、身長もガタイも陽日輝より良い。
フィジカルだけなら東城要にも引けを取らないかもしれない。
――いずれやり合うことになるのだとしても、今やり合うのは避けたいのは確かだ。
そのときだ――誠がおもむろに口を挟んだのは。
「……それに関しては答えは出しているよ。僕が彼女を保護する。相川と合わせてちょうど三人になるしね」
誠がそう言ったのは正直少し意外だったが、もしかしたら彼自身、『楽園』で起きたことへの罪悪感を抱いているのかもしれない。
しかし、鳴人は肩をすくめ、
「お前と相川の『能力』じゃ自分たちが生き延びるのがやっとだろ。お荷物一人抱えてやっていけるほど甘くねーぜ」
と、挑発半分心配半分のような声音で言った。
――誠も、それに対してすぐには反論できず、口ごもってしまう。
実際、千紗の『暗中模索(サーチライト)』による索敵性能は便利だが、いざ殺し合いに突入してしまった際の戦闘力という点では、誠・千紗ペアに不安があるのは否めない。
一花は戦える状態になく、一花の手帳の中身はこの場にいる全員が目を通しているが(一花に一応確認はしたが、何の反応も示さなかった)、そこに書かれていた能力は『血量維持(フラット・ブラッド)』、失血をしても致死量に達する前に自動的に血液が補充され続けるというものであり、戦闘向きではなかった。
失血死では死なないというだけで、内臓自体を損傷すれば死ぬことには違いなく、廃人状態の一花が生存し続けるには心もとない能力だろう。
だったら――
「――陽日輝。『だったら俺が』なんて言い出すのだけはやめてくださいませ」
「っ。それは――」
こちらを見透かすように灰色の瞳を細めたクロエに、陽日輝は思わず口ごもる。
「分かっているはずですわ。一花を連れて行くということは凜々花の生存率を下げることに繋がりますのよ? それに、ゆくゆくは彼女を切り捨てざるを得なくなる――それとも、最後の最後に私に戦うつもりですの? それなら止めはしませんわ。私には、陽日輝と凜々花が私を裏切った場合の手もありますもの」
「――そんなつもりはないよ。ただ、一花ちゃんがどんな目に遭っていたか、その一部しか知らない俺でも、酷い話だと思うし――それに、俺はあの北第一校舎で、星川を救えなかった。だから、その罪滅ぼしがしたいなんて――そんな気持ちもあるのは確かなんだよ」
星川芽衣。
クラスメイトであり、自分が救えなかった生徒。
その苦い記憶は、今なお胸の奥に焦げ付いたようにして残っている。
「――クロエ。私からもお願い。あんな風になった辻見さんを、放ってはおけないよ」
凜々花も、そうクロエに懇願する。
そんな陽日輝と凜々花を見比べるようにして、クロエは深いため息をついた。
「I was amazed(呆れた)……ですが、それでこそ陽日輝なのかもしれませんわね。いいですわ――ただし、条件がありますのよ」
クロエはそこで、鳴人に対して一際大きな声で呼びかけた。
「Mr鳴人、一花は私たちが連れて行きますわ! 自分が外野だと自覚しているのでしたら、これ以上口出しはしないでくださいませ!」
「――いや、それだと――!」
誠が反論しかける――それなら結局四人になるじゃないか、と言いたいのだろう。
クロエは凜々花に目配せして、
「彼には後で凜々花から説明してくださいませ。千紗のことでわだかまりがある陽日輝が話すよりも効果的ですわ。それに千紗も凜々花と少しでも話したいでしょうし」
と伝えてから、誠には「後で凜々花から説明しますわ!」とだけ端的に伝えた。
鳴人のほうは、クロエが言った通り結局は他人事だからなのか、
「まあ、俺はどちらでもよかったんだけどよ」
と嘯く始末だ。
そんな彼の軽薄な態度に苛立ちを覚えながらも、それを大っぴらに責める資格が自分にはないと感じ、陽日輝は押し黙る。
クロエは、そんな陽日輝に、自分の人差し指と中指をクイクイと引き寄せる仕草で合図をした――『こっちに来い』の合図だ。
陽日輝がクロエに近付くと、彼女は陽日輝の肩に手を当てて軽く力を込める。
それを、目線が自分に合うよう落とせという意味だと解釈し、陽日輝は少し膝を曲げた。
するとクロエは、陽日輝の耳元でこう囁いた。
「私の知る限り、最も信用できて最も信頼できる生徒のところに一花を連れて行きますわ。その間だけは、私たちと一花は行動を共にすることになりますわね」
「……っ。……まあ、いつまでも一緒、というわけにはいかないよな――そのあたりが落としどころかもな。だけど、そんな奴がどこにいるんだ? まさか若駒さんに預けるとか言いださないよな?」
「論外ですわ」
クロエは吐き捨てるようにそう言ってから、こちらの様子を注意している鳴人を一瞥し、改めて続けた。
「彼女ならきっと、快く一花のことを引き受けてくれますわ。――陽日輝も知っている人物ですのよ」