【10日目:夕方 西第一校舎二階 旧音楽室】
花桃香凛(はなもも・かりん)は、西第一校舎二階にある旧音楽室に置かれているオルガンの椅子に座った状態で、手帳に表示されている残り人数を眺めていた。
昼ごろに『27』になってから数時間、変化は無い。
それはその間殺し合いが発生していないことを意味するのか、それとも殺し合い自体は起きているが死亡にまで至らなかっただけなのか、香凛に知る術は無い。
香凛は、手帳をパタンと閉じて胸ポケットに仕舞い、視線を斜め右に向けた。
そこには、廊下へと続く扉付近の防音壁にもたれかかって腕を組んでいる男子生徒――瓦木始(かわらぎ・はじめ)がいる。
こちらの視線に気付いた始は、「どうした?」と尋ねてきた。
「ううん、別に。立ちっぱなしで疲れないのかなって」
「何かあったときにすぐ動けたほうがいいしな。適度に座ってるし気にするなって。それにほら、意外と楽なんだぜ、こうしてもたれてると」
「それならいいけど。――残り人数、減らないね」
「そうだな。――正直複雑だぜ。人が死ねば死ぬほど生還に一歩近づくんだから。このクソ葬会始まってから、どんどん自分がヤな奴になってる気がする」
始はそう言いながら、心底うんざりした様子で黒板の上にかけられた時計を見上げた。
香凛もつられて時計を見やる――十七時を回ったところで、秋なのですでに外は暗い。この学校の敷地内は超常的な力によって外界から隔絶されているというのに、時間の経過に合わせて太陽が登ったり沈んだりするのがなんだか不思議だ。
この生徒葬会も、すでに十日目。
香凛は自分が比較的図太いほうだという自負があったが、それでもいつ死ぬか分からない状況がこれだけ続けば堪えてくる。
たまに廊下に出て、トイレの洗面台を利用して髪を洗ったり、タオルを濡らして体を拭いたりはしているものの、衣服が臭ってきているのが分かるし、シャンプーやトリートメントを使えていないので髪の毛がガサついているのもわかる。
ダークブラウンに染めた髪に指を通しながら、香凛は溜息をついた。
「あー、シャワー浴びたい。てかお風呂入りたい。温かいお湯。むしろ温泉行きたい」
香凛は、熱いシャワーを目いっぱいに浴びる自分や、露天風呂に浸かって空を見上げる自分を想像し、すぐにやめた。余計に辛くなるだけだからだ。
始は「……そうだよな。女子なんだし、つらいよな」と憐れむように頷く。
クラスメイトである始とは、生徒葬会以前にも関わりはあった。
放課後や休日に遊んだりすることはないが、休み時間にちょっとした会話をしたりはする程度の、ただのクラスメイト以上友人未満くらいの間柄。
人によっては、そのくらいの関係性でも友人にカテゴライズするかもしれない。
まあ、まったく知らない相手でもなかったので、生徒葬会の途中で合流し、互いに殺意が無いことを知った時点で、自然と行動を共にする流れになった。
そこから、この旧音楽室を拠点にするまでの数日間、始と共にいくつかの修羅場を潜ったりもした。なんとか怪我らしい怪我無く生き抜いてきたものの、すでに自分も始も、殺人という行為に手を染めてしまっている。
それはこの生徒葬会においては罰を受けることのない、罪にすらならない行為だが、今でも胸の奥に苦く重たいしこりが残り続けていた。
「始君は、生きて帰れたら何したいとかあるの?」
「あー……そうだな。俺も風呂は入りたいけど、まず家族には会いたいかな。俺は別に母さんや父さんや妹のこと、好きでも嫌いでもないと思ってたけど――こんなことになって、案外大切に思ってたんだなって、気付かされたよ」
そう言って寂しげな微笑みを浮かべた始。
彼の気持ちはよくわかる――当たり前にあったものが、当たり前じゃなくなった。それは大きい。
「そうだね。――うん、生きて帰りたいね」
「帰ってやるさ。……なんとかここまで生き延びたんだ、今さら死んでたまるかよ」
始は、グッと拳を握り締めた。
――香凛も始も、直接戦いや殺しに特化した能力を与えられてはいない。
これから先、他の生徒と遭遇したとき、これまでのように生き残れるかは分からなかったが、それでも、香凛も始と同意見だった。
この絶望的な状況に、自ら命を絶ったとおぼしき遺体も見かけたが、あいにく自分は諦めが悪いし、死ぬ勇気なんてものもない。
友達からは「香凛ってちょっと天然入ってるよね」「ふわふわしてる」なんて言われることもあったが、今、香凛は人生最大のバイタリティを発揮していた。
――だからだろうか。
扉の近くにいた始よりも早く、香凛は気付いていた。
足音を殺しながら、長い時間をかけて廊下を歩いてきたと思われる、何者かの存在に。
「始君、ドアから離れて。誰かいる」
「――ッ!」
香凛の囁きに、始は一瞬驚愕したものの、すぐに表情を引き締めて頷いた。
そして、壁沿いにゆっくりと後ずさりし、ドアから距離を取る。
香凛もまた、椅子から立ち上がり、すぐに動ける態勢を整えた。
室内に二人分の緊張が走る――神経がビリビリと痺れるような感覚。
それからほどなくして、旧音楽室の扉は、押し開かれた。
そこにいたのは――
「――羽月」
メガネをかけた、気弱な性格が常に表情にも表れている女子生徒。
向井羽月(むかい・はづき)が、青い顔をして立っていた。
羽月もまた、香凛や始と同じ一年生で、クラスメイトだ。
おどおどとしていて、自分から誰かに話しかけることはほとんどないが、別に嫌われたり避けられたりしているわけではない、そんな立ち位置の生徒。
香凛も彼女とは、授業や行事での班分けが同じになったときくらいしか会話をしたことはなかったが――悪い子では、なかったと思う。
その羽月が、足音を殺してここまで来たという事実。
彼女もまた、生き延びることを諦められないのだろう。
「――向井、お前は俺たちを殺しにきたのか?」
始の問いかけに、羽月は「ひっ」と短い悲鳴を上げた。
「わわ、わたしは――!」
羽月は心底怯えている。
それは、彼女の蒼白になった顔面や、小刻みに震える体を見れば明らかだ。
しかし、何かがおかしい。
その違和感の正体に、香凛はすぐに思い至った。
――あまりにも、怯えすぎている。
それは、恐怖を通り越して恐慌といってもいい。
まるで、自分の死が確定しているかのような。
「俺たちは好き好んで殺し合いをしようなんて思ってない。三人まで生きて帰れるんだ、俺たちと組まないか? ここにはここ数日誰も来てないし、一人より三人のほうが安心だろ?」
始は、そんな羽月の様子を見かねてか、彼女に歩み寄っていく。
羽月が武器らしいものを何ひとつ持っていなかったのも大きいだろう。
そして何より、彼女からは殺意どころか敵意や戦意すら感じられなかった。
しかし――それこそが、おかしな話なのだ。
そんな状態にある彼女が、自分たちがギリギリまで気付かないほど冷静に、気配を殺してここまでやって来たという、その事実が。
「始君、ダメ!」
香凛は叫んだが――そのときには、もう、遅かった。
羽月と始との距離が三メートル程度にまで詰まったその瞬間、羽月は、自分の胸に叩き付けるように手のひらを当てて。
固く目を閉じ、何かから逃避するような大声で叫んでいた。
「――『爆心地(グラウンドゼロ)』ぉぉぉぉ!』
直後。
羽月の華奢な身体が、一瞬歪な風船のように膨らんだかと思うと――爆ぜた。
それは閃光と轟音を伴い、香凛は制服がぶわっと揺れ、全身を熱風が撫でていったのを感じた。
閃光はほんの一瞬だったが、その一瞬の間に、向井羽月という人間は、周囲に血と肉片を飛び散らせて消失していた。
この生徒葬会の間にも何度か見た、原型を留めない無惨な死体だ。
そして――彼女に近付きすぎていた始は、旧音楽室の奥の壁に叩き付けられていた。
「始君っ!」
香凛は始に駆け寄り、抱き起こす。
至近距離で爆風を浴びたことにより、始の顔は半分ほど欠損していて、千切れた頭部の断面からは脳味噌らしきものが露出していた。
恐らく服の下も、強烈な熱風によって傷つけられているのだろう。
一目で致命傷と分かるような深手を、始は負っていた。
「は……はなもも……おれ……いきて……かぞく……」
か細い声で途切れ途切れの言葉を紡ぎ、そこで糸が切れたように始の身体が重くなる。
――彼が事切れたことを理解するのに、そう時間はかからなかった。
「始君――!」
特別親しかったわけではない。
友人……とも呼べるかどうか怪しい。
それでも、ここ数日共に生き抜いてきた仲間であり、生徒葬会が始まるまで、共に過ごしてきたクラスメイトだ。
それがこんなにも唐突に命を落とすところを見て、何も感じないほど香凛は薄情ではない。
しかし、怒りをぶつけるべき相手である羽月は、始以上に凄惨な死体と化して旧音楽室の床にぶちまけられている。
「……どうして、こんなことを」
香凛は、始の遺体をそっと床に寝かせてから立ち上がり、呟いた。
羽月は明らかに恐慌していた――それは、『爆心地』と呼んでいた彼女の能力、それが自爆を引き起こすものであったからだろう。
だが、生き残るために殺し合うこの生徒葬会の中で、いくら自分の『能力』がそんなハズレ能力しかなかったとしても、使うという選択肢が果たしてあるのか?
それよりかは、返り討ちに遭う可能性が高かったとしても、能力を使わず襲い掛かるのが普通じゃないのか?
そんな香凛の疑念に応えるかのように――半開きになったままの扉の陰から、一人の男子生徒が姿を現した。
その顔に浮かんだ軽薄な笑みに、香凛は本能的な嫌悪感を覚えた。
「……あなたは誰?」
「俺か? 別に答える必要も無いが答えてやる、ありがたく思えよ。鷹田征一郎(たかだ・せいいちろう)、三年だ」
黒髪に着崩れの無い制服、メガネの似合う利発そうな顔立ち――パッと見の印象は、品行方正な優等生といった風貌の男子生徒。
だが、その軽薄な笑みと尊大な言動が、その印象が誤りであることを物語っている。
「向井が土壇場で怖気づく懸念もあったがしっかり仕事したな。アイツ程度の命で一人道連れにできりゃ上等だ」
「……あなたが羽月を自爆させたの?」
「そんな顔して睨むなよ。俺はアイツのゴミのような能力の使い道を見出してやったんだ」
「あなたに使い捨ての爆弾にされることが、そうだっていうの?」
香凛の胸中に、ふつふつと怒りが湧いてくる。
この生徒葬会の中で、死にたくないという思いで、死に物狂いで襲いかかってきた生徒もいた。
生き残るために仕方のないことだと割り切って殺しに来た生徒もいた。
しかし、こんな風に平然と、笑みすら浮かべて他人の命を利用して踏み躙る――そんな奴には、初めて出会った。
「使い捨て? それは違うな。向井にはまだまだ働いてもらわなきゃならないんだよ。死んでもな」
征一郎はそう言って。
おもむろに取り出した手帳を開き、大仰に詠唱した。
「向井羽月に今一度の生を与えよ――『死書(デッドハンティング)』」
その直後。
香凛の目の前で、信じられない光景が繰り広げられた。
床一面に散らばった羽月の血が、肉が、内臓が、骨が、ずるずると引き摺られるようにして一箇所に集まっていく。
そしてそれらはぐちゅぐちゅという不愉快な音を立てて混ざり合い――あっという間に、向井羽月の姿かたちになっていた。
彼女が着ていた制服までも、自爆する直前と同じ状態に復元されている。
当の羽月は目を見開き、すかさず胸を抑えて動悸に喘いでいた。
「あ……ああ……ああ、あ……!」
「向井、一度死んでみた感想はどうだ?」
「ああ――あああああ……!」
憔悴し切った様子の羽月は、自爆直前以上に蒼い顔をして、口を金魚のようにパクパクとさせている。
それも無理からぬことだろう――死にかけた経験のある者はいても、死んだ経験のある者なんて、この世に存在しないのだから。
――これは――!
「死んだ生徒を、生き返らせる能力……!?」
「便利だろ? 向井の『爆心地』はハズレもハズレだが、俺がいればそれを何度でも使える。向井にとっても悪い話じゃない――自力じゃどう頑張っても生き抜けない向井も、俺に協力すれば生きて帰れる目があるんだからな」
そんなことを得意げに語る征一郎に、香凛は憤りを通り越しておぞましさを覚えた。
羽月は膝をがくがくと震わせていて、今にも腰を抜かしそうになっている。
自爆した瞬間の痛み、自分の肉体が爆ぜ飛ぶ感覚――それは、彼女の記憶にしっかりと焼き付いているのだろう。
それでも――彼女は、征一郎に従い続けるのだろう。
彼女のか細い精神と、自爆しかできない『能力』では、征一郎に隷属し、彼のために何度でも死に続けることでしか、勝ちの目が無いのかもしれない。
だけど――
「――私は、あなたを軽蔑する」
「それは俺に言ってるのか? それとも向井か? まあどちらでもいい――お前もここで死ぬんだから。――分かってるよな、向井」
「ひっ! は、はい……! わわ、わかって、ます……!」
羽月は、ガチガチと歯を噛み鳴らすほど怯えながらも、征一郎の言葉に、何度も何度も頷いた。首が取れるんじゃないかと思うくらいに、大げさに。
そんな羽月に、征一郎は白々しいほど優しい声音で言った。
「心配しなくても、また生き返らせてやる」
「は、はい、あ、ありがとう、ございます――!」
羽月は、震えながらこちらに歩を進めだした。
――その姿は、とても痛々しく、とても憐れだ。
彼女には、征一郎に反抗するだけの力も勇気もない。
こんな形でしか、彼女は生き残る術が無い。少なくとも、彼女はそう思っている。
――香凛は、始の言葉を思い出す。
『帰ってやるさ。……なんとかここまで生き延びたんだ、今さら死んでたまるかよ』
そう言った始自身は、生き残ることができなかったが。
香凛には――ある。
彼の言葉を、誠にし得る『能力』が。
「羽月。考え直して――そいつがあなたのために自分の分とは別に、百枚の表紙を集めると思う? 最後にはあなたを見捨てるよ、そいつ」
その言葉に、羽月は一瞬ハッとしたような顔になり――背後にいる征一郎から発される圧に気付いてたか、すぐに首を横に振る。
「そんなこと、ない……! 鷹田先輩は、私を助けてくれたんだから……!」
それは、そう自分に言い聞かせている面もあるのだろう。
羽月とて、その可能性に思い至っていなかったわけがない。
征一郎に従えば生きて帰れると信じることでしか、もはや彼女は自分を保てないのだ。
「――分かったよ、羽月。それなら私は――あなたのことは救わない。私は――始君を、救う」
香凛はそう言って。
床を蹴り、羽月めがけて間合いを詰めにかかった。
羽月は恐怖に顔を歪めながらも、すぐに自分の胸に掌を叩き付ける――先ほども見た、『爆心地』発動の動作だ。
しかし。
――羽月の身体は、爆ぜることがなかった。
「えっ――」
唖然とした羽月を、香凛は押しのける。
しかし、羽月以上に唖然としているのは征一郎のほうだ。
「どういうことだ!? 向井、裏切ったのかァ!?」
「ち、違――!」
「羽月はもう、あなたのために死ぬことはできない」
香凛は、毅然とした態度でそう言い放った。
――征一郎や羽月が知る由も無い、香凛の持つ『能力』は。
一度目にした『能力』を奪うことができる能力――『大怪盗(ファントムシ―フ)』。
楽園四天王の一人だった八井田寧々の『泥棒猫(コピーキャット)』とは、似て非なる能力だ。
相手の能力をコピーするのではなく奪うため、相手の能力を封じるためにも使えるという点、そして、奪った能力を使用できるのが一度きりではないという点で勝り、複数の能力をストックしておくことができないという点で劣る。
香凛は『爆心地』を盗むことで羽月の自爆を封じていた。
もちろん、征一郎にわざわざ種明かしを聞かせてやるほど香凛はお人よしでもなければ迂闊でもない。
――さあ、ここからが頑張りどころだ。