Neetel Inside ニートノベル
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生徒総会あらため、生徒“葬”会
第百三十四話 救済

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【11日目:朝 裏山】

 旧校舎跡地による若駒ツボミの襲撃から逃れた四人の内、日宮誠と相川千紗は東ブロックに逃れたものの、その際に裏山の方向に逃げなかったことを後悔していたが、残る二人、三嶋ハナと辻見一花は、裏山に逃れていた。
 鹿島鳴人が右腕を吹っ飛ばされたときには、ハナは一花の手を引き、その場から離脱していたのだが、その判断の早さゆえに難を逃れた形だ。
 短時間とはいえ行動を共にした鳴人を置き去りにしたことに何も思わないわけではなかったが、あの場に留まっていたら確実に死んでいただろう。
 ハナは、裏山の傾斜の途中で一花を座らせ、自身も背中から倒れ込んだ。
 土と草の匂いが鼻をくすぐる。
 制服越しに背中に伝わる、柔らかく湿った感触。
 木々の隙間から差し込む朝日に目を細め、ハナはぼんやりと思った。
 自分はいったい、何をしたいんだろう。
 暁陽日輝に殺されたかった。あるいは、殺したかった。
 だけどいまは、そのどちらも望みではない。
 あの人を殺したくないし、あの人に自分を殺す負担を強いたくない。
「……なんで私は……こんなに、中途半端なんだろ……」
 いっそ壊れてしまいたかった。
 何も考えられないほどに、何も感じられないほどに。
 しかし、それは叶わず、いまやハナの精神はほとんど正気を取り戻している。
 厳密には、もう少し前から、敢えて狂った振りをしていただけだ。
 そうでないと、耐えられないと思ったから。
 貞操と尊厳を踏み躙られたという記憶。
 狂気に任せて多くの生徒を殺したという事実。
 その重みと向き合うことから逃げていた。
 だけど、返り血に塗れたこの制服が、現実を突き付けてくる。
「ねえ」
 ――そのとき、ぼんやりと虚空を見つめていた一花が口を開いた。
 ハナは驚いて顔を横に向け、一花を見上げた。
 自分とは違い、完全に正気を失っている一花が、口を開くことなどなかったからだ。
「もういいよ」
 一花は。
 そう言って、自分と同じように仰向けに寝転んだ。
 その声にも表情にも、生きる意志というものはまったく感じられない。
 すべてを諦めた、心身共に疲れ切った姿だ。
「楽になりたい」
「辻見――先輩」
 ハナは、打ちのめされたような気分になる。
 しかし、ハナには一花の気持ちは痛いほど分かる。分かってしまう。
 そして、その思いに反して生かされる苦しみも。
「わたしをころして」
 ……一時的な気の迷いではない。
 一花は心底、死を望んでいる。
 この生徒葬会において味わってきた恐怖と苦痛に絶望し、これから待ち受けている運命にも絶望し。
 ほとんど壊れた心に残った、ただ一つの確固たる願いが、死。
 死という形でしか、彼女は救済されることがない。
 少なくとも、彼女自身はそう思っている。
 そしてその思いを否定できるほど、ハナの心も希望に満ちているわけではなく、今後の展望が明るいわけでもない。
 自分だって、ただ生きているだけなのだから。
「……怖くないんですか?」
 思わずそう訊ねてしまう。
 無駄だと知りつつも。
 その言葉に、ずっと虚ろな無表情のままだった一花が――初めて、微笑んだ。ような、気がした。



 これはきっと夢だ。
 悪い夢。
 そう思いたかった。
 だけど相変わらず、心とは裏腹に頭が騙されてくれない。
 この両手に残る温かな感触も。
 じたばたと跳ねる手足が体にあたる感触も。
 時折漏れる、どちらのものとも知れぬ嗚咽も。
 すべて、はっきりと憶えている。
「うう……ぐ……ううああっ……!」
 ハナは、もうすでに動かなくなった一花の胸に顔を埋め、慟哭した。
 ――先ほど自分は、一花に覆い被さるようにして首を締め上げ、彼女を殺した。
 死を望んでいても、正気を失っていても、首を絞められる苦しみは感じるものらしい。
 首を絞めている間ずっと、一花は目を見開き、涎を垂らしながら、反射的にハナの手首を掴んでいた。
 やがてその手が離され、だらんと投げ出された後も、ハナは首を絞め続けた。
 手の感覚が痺れたようになって薄れ、握力が弱まってようやく、手を離し――一花の首に、くっきりと赤い痕が残っているのを見て。
 そこでようやく、自分が一花を殺したという事実を認識したのだ。
 ――自分は、こんなことを、させようとしていたのか。
 陽日輝は、しばらくの間一花と行動を共にしていたという。
 そのことは、鳴人からも聞いている。
 だけど陽日輝は、一花を殺していない。
 そして自分のことも、殺そうとしなかった。
 それが彼の優しさであり、残酷さでもあると思った。
 だけど――やっぱり、あの人が、正しい。
 こんなの――絶対に、おかしい。
 まだ二十にもなっていない人間が、生きることに絶望して、死ぬことを救済に感じる。そして、それに応えてしまう。
 これが異常でなくて、なんだというのだろう。
「死んだらなにもかも――終わりなのに――!」
「そうだね。その終わりを少しでも後回しにしたいから、生きてるようなモンだよ」
「――!」
 背後から聞こえた声。
 振り返りながら『暴御壁(ファイアウォール)』を出現させたが、その壁越しに蹴りを食らい、壁と一花の身体および地面にサンドイッチにされる。
「うぐっ……!」
 すぐさま壁を消滅させ、踏まれる前に地面を転がって逃れる。
 蹴りを繰り出した相手――ワインレッドのジャージを着た、日焼けした肌のサイドテールの女子生徒は、追撃を仕掛けることなく、一花のブレザーの胸ポケットをまさぐっていた。
 そしてそこから手帳を抜き出し、パラパラとページをめくる。
「へー、どれだけ出血しても自動的に補充される能力かあ。そんなのもあるんだ」
 そう言って、手慣れた動作で表紙と能力説明ページのみを破り、ポケットにしまう。
 ハナは彼女を知らないが、陸上部員の西寺汐音だった。
 これまたハナの窺い知るところではないが、旧校舎を全壊させた張本人でもある。
「首絞めて殺すとかよくやるねー。私だったら生々しくてやだ」
 汐音は軽い口調でそう言いながら、スニーカーの爪先で一花の太ももあたりをちょんちょんと小突く。
 それを見て、ハナの中で怒りが湧いた。
「やめてください」
「? キミが殺したんだよね? なにギフンに駆られちゃってるの?」
 汐音は心底理解できないとばかりにそう言って、肩をすくめてみせた。
「まあいいや、どうせキミも死ぬんだし。悪く思わないでよ、死にたくないのはみんな一緒だから、お互い様――ってね!」
 汐音は、一花の遺体を飛び越え、ハナに向かって駆け出した。
 ハナはすかさず右手をかざし、『暴御壁』を出現させる。
「見えないバリアみたいなの出せるんでしょ? さっきのでもう分かってるよ!」
 汐音はそう言いながら、再びハナめがけて蹴りを繰り出す。
 蹴りを出した瞬間、彼女が踏んでいた地面を起点に突風が巻き起こり、石つぶや落ち葉が舞い上がったのをハナは見逃さなかった。
 足元から風を起こす能力?
 その勢いを利用して蹴りの速度と威力を上げている。
 さすがに陽日輝の『夜明光(サンライズ)』や一ノ井雫の『吸血鬼(ヴァンパイア)』のように壁を破壊するほどの威力はないにせよ、まともにやり合えば先ほどのように押し負けてしまうこと請け合いだ。
 だからハナは、壁を掌で押して滑らせた。
 壁を動かせることは、まだ相手に知られていない。
 蹴りを出している途中の、片足立ちの不安定な姿勢で、予期せぬタイミングで壁が足に当たれば、不意を突かれて転倒するはずだ。
 そして実際、汐音は大きくバランスを崩した。
「うわっ!」
 そしてそのまま、壁に押されて共に地面を滑っていく。
 しかし、数メートル滑ったところで、汐音は反撃に打って出た。
「動かせるんだこれ。びっくりしたけど――それだけじゃ、ねえ?」
 汐音は地面を強く踏みしめる。
 直後、その場所を起点につむじ風が発生し、汐音は跳躍していた。
 風の勢いを利用して、壁を飛び越えたのだ。
 そしてそのまま、一気にハナとの間合いを詰めてくる。
「……!」
 ハナは、なら汐音に直接叩き付けるつもりで、自らも前に踏み出しながら次の『壁』を出現させた。
 が――ハナが動き出した直後には、汐音は走る速度を落としていた。
 ハナの動きを見て、すぐさま反応したのだ。
 それにより、汐音は『壁』への衝突を免れる。
 汐音の右足が、『壁』に触れるか触れないかの位置にあった。
「残念だけど、私の『風雷(ウィンドマイン)』は、そんな薄っぺらい壁じゃ防げないよ」
 汐音がそう言った瞬間、ハナは自分の足元から強い風が吹き上げるのを感じていた。
 ――足元を起点に、周囲の『地面』に風を巻き起こす能力。
 ゆえに、『壁』で遮られていても――何の意味も無い――!
「うああっ!?」
 ハナの体躯が、洗濯機の中のシャツのように巻き上がる。
 無防備なまま空中に投げ出されたハナは、上下左右に目まぐるしく動く視界の中、辛うじて、こちらに向かって跳ぶ汐音の姿を捉えていた。
 直後に、腹部に重く鋭い痛み。
 ――汐音の跳び蹴りが突き刺さったのだ。
「うぐぅ」
 内臓を搔き回されたかのような不快感。
 その直後には、蹴りの勢いでハナは地面に背中から墜落していた。
 柔らかい腐葉土であるため、衝撃はそこまでではなかったが、蹴られた腹部の痛みに思わず涙が浮かび、すぐには立ち上がれない。
 その間に、汐音はハナの上に仁王立ちしていた。
 ハナはすかさず右手を突き出し――『壁』を出現させる前に、汐音の素早い蹴りがハナの右手を地面とサンドイッチしていた。
 その際に指が何本か折れたのか、飛び跳ねそうな激痛が走る。
 叫ぼうとした口に、今度は倒れ込みながら繰り出された肘が叩き込まれる。
 重力を利用した肘打ちによって、今度は唇が切れ、前歯も何本か折れた感触があった。口の中いっぱいに血の味が広がる。
 見た目は爽やかなスポーツ少女といった佇まいだが、意外と喧嘩慣れしているのかもしれない。
「あが……っ!」
 ハナは激痛の中、渾身の力を振り絞って眼前に『壁』を出現させた。
 ちゃぶ台返しをするように、『壁』の上にいる汐音ごとひっくり返す。
 汐音は一旦間合いを取ったが、その表情には余裕げな笑みが浮かんでいる。
 ――ハナは、左手を前に出したまま立ち上がった。
 口からはボトボトと血が滴り落ち、痺れたような感覚が走る右手をチラリと見ると、少なくとも中指と薬指は折れていた。
「頑張るねー、だけどぶっちゃけ気付いてるでしょ? 『ああこれもう無理だ』って。キミじゃ私を殺せないし、私から逃げ切ることもできないよ。諦めるしかないって、自分でも分かってるんじゃないかな?」
「……諦め……」
 元々自分も死に場所を探していた。
 今だって、ただ生きているだけだ。
 陽日輝のように誰かを守りたいという強い想いがあるわけでもない。
 目の前の女子生徒のように、絶対に生き残りたいという強い意志があるわけでもない。
 だったら自分も、ここで潔く殺されるべきなのだろうか。
 一花のように、死を受け入れるべきなのだろうか。
 ――――ああ、やっと気付いた。
 自分は、まだ、死にたくない。
 こんなに痛い思いをして、これまでだって、あんなに辛い思いをして。
 それでも――自分は、生きていたいと思っているんだ。
 ここにきてようやく、現状から逃げずに向き合ったことで、気付くことができた。
 散々殺してきて、虫のいい話かもしれないけど。
 そもそもこの状況から生き延びることは、絶望的なのかもしれないけど。
 ――生きてやる。
 ハナは、そう誓っていた。

       

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