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生徒総会あらため、生徒“葬”会
第十九話 水夏

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【8日目:朝 屋外北ブロック】

 陽炎坂水夏にとって、羽藤焔は最愛の存在だ。
 焔のために必要なら、家族でも友人でも殺すことができる。
 それは、この生徒葬会が始まる前から変わることのなかった水夏の価値基準。
 しかし同時に、水夏は理解してもいた。
 焔にとっての自分は、決して自分にとっての焔ほど価値のある存在ではないのだと。
 それでもよかった。
 焔が自分を求め、隣にいることを許してくれている。
 そのことだけでも水夏の穴の開いた桶のような心は塞がり、満たされたから。
 ――だけど、水夏は自分の欲深さもよく知っていた。
 水夏自身も焔以外の人間、特に女性に、性欲を満たすための玩具としてとはいえ手を出すこともあったが、にも関わらず内心では、焔が自分以外の女を抱くことは好ましく思っていなかったのだ。
 さらに生徒葬会という極限の状況下に置いては、自分が焔に見限られる可能性が十分にあることも理解していた。
 そのために、水夏は『生体標本(サンプリング)』を使用する際、ほんの少し焔の意図とは異なることをした。
 『生体標本』はその効果の程度をコントロールできる――という、能力説明ページに書かれていた内容を利用し、焔と自分を「死なない」状態にしたところまでは、焔も望んだ通り。
 しかし、水夏は知っていた。
 感覚や感情の鈍化という『生体標本』の作用は、対象が瀕死あるいは身動きの取れない状態に陥っている場合のみ顕著に表れるのだということを。
 焔は、水夏が「感覚や感情の鈍化」を最小限にした上で「不死性」を最大限にした状態で、自分に対し能力を使ったのだと思っていたようだが、それは誤った認識だ。
五体満足な生物に対して使用した場合は、鈍化効果はどのみち潜伏する。
 そして、その生物が瀕死あるいは身動きの取れない状態に陥ることで、初めてあらかじめ設定していた程度の鈍化効果が発現するのだ。
 能力説明ページを読んだだけではそこまで詳しいことは分からない――水夏は、焔と合流できるまでの数日間に、自分や遭遇した生徒を実験台として試し、『生体標本』の能力の幅や限界を、徹底的に研究していた。
 この生徒葬会で生き残るための行動だったが、焔と奇跡的に合流できたこと、そして焔のほうから自分を「死ななくする」ことを提案されたことで、水夏の心に魔が差したのだ。
 焔が生き残るのならそれでよし。
 しかし、焔がもし他の生徒との殺し合いに敗れることがあったのなら。
 そのときは――僕だけのための焔になってもらおう。
 それは、焔が重度の感情鈍化により、生来の人格をほぼ喪失することを意味していたが、水夏にとっては、焔がどうなろうとどう在ろうと、羽藤焔という人間が生きて傍らにいればそれでよかった。
 ――そう、そのはずなのだ。
 なのに――なのに、どうして。
 後頭部に札が刺さったまま、焦点の合わない虚ろな目で佇む焔を見て。
 さっきから涙が、溢れてくるんだろう――――?
「……やっぱり、後悔してんじゃねえか……ッ」
「!」
 涙でぼやけた視界の先、水夏は見た。
 両手両足を鉄杭で貫かれ、そうして空いた穴からとめどなく血を流しながらも、暁陽日輝が立ち上がっていたのを。
「き――君――なんで、立て――」
「立たなきゃ死ぬし凜々花ちゃんも殺される。そんなの痛かろうが立つしかねえだろ……!」
 陽日輝は、右の掌を橙色に光らせている――食らえば『生体標本』の不死性を上限いっぱいまで享受している水夏でも死を免れないだろう威力の熱光だ。
 陽日輝が一歩一歩、引き摺るように足を進めるたび、その足首からはピュッと、か細い血の雫が飛び散る。
 恐らくは耐え難い激痛――現に陽日輝の顔は脂汗でびっしょりだ。
 にも関わらず、彼は進み続けている。
 まっすぐ、自分たちのほうに向かって。
「そ、そんな、滅茶苦茶だ! 『生体標本』を使われたわけでもないのに、そんな根性論で立てるわけ――!」
「じゃあお前の好きな『愛』ってことでいいぜ。それにな、立ち上がれても無駄な状況だったら、俺は立てなかったかもしれないけどよ――立ち上がれたなら、希望はある。それに気付けたから、立ち上がれた」
「な、何を馬鹿なことを――希望? 両手両足を貫かれて、もし万が一僕たちを倒せたとしても、出血多量で死ぬ君が? ねえ焔――やっちゃって! その馬鹿を、今すぐ!」
 水夏は、陽日輝を指差して叫び散らした。
 それに焔はぎこちなく頷いて応え、自分の周囲に二対四本の鉄杭を出現させる。
 そしてそれらは、陽日輝めがけて一斉に射出された。
「『死杭(デッドパイル)』。厄介な能力だったよ。どれだけ逃げても俺の両手両足を執念深い狙い続けてきてな。でも――その能力。一度食らわせたなら、二度目以降はもう無意味なんだよ」
 陽日輝がそう言った直後、『死杭』は彼の両手両足に達した。
 ――そう、彼の両手首と両足首に。
 焔が前に放った『死杭』が命中し、すでに風穴が空いている両手首と両足首に、寸分の狂いもなく。
 ――四本の杭はすべて、陽日輝の傷穴に綺麗に収まり。
 それで命中した判定になったのだろう、『死杭』はそこで動きを止めた。
「あっ――ああ……ッ!?」
「俺は立ち上がれた。だからもう、『死杭』じゃ俺を殺せない」
 気付いたときには、陽日輝が眼前に迫っていた。
 水夏は恐慌しながら後退しようとして、でくの坊のように立ち尽くしたままの焔に背中をぶつけて尻餅をついた。
 それでも焔は、ボウッとした表情のままだ。
 ――違う。
 焔はこんなとき、僕を守ってくれるはずだ。
 そうでないなら、僕を見捨てて逃げるはずだ。
 こんな、僕のことなんてまるで意識にないみたいな素振り、するわけがない。
「ほ、焔ぁ……! 助けて、助けてぇぇ……!」
「水夏って言ったな。俺は正直、女の子に手を上げたくはない。そこに倒れている子だって、できることなら殺したくなかった」
「だ、だ――だったら、殺さないでよぉ……! ぼ、僕、死にたくな――」
「だけどな、もう迷わないって決めたんだ。凜々花ちゃんのために」
 陽日輝が拳を引き絞る。
 その一撃を防ぐ術は、水夏にはない。
 それにそもそも、腰が抜けてしまっていた。
 両手を後ろについて、背中側に這うようにして逃げようとしても、恐怖と動揺のあまり手足が空を切って上手く進めない。
 水夏はお尻の辺りが生温かいのを感じ、自分がいつの間にか失禁していることに気付いた。
「り、凜々花を――ぼ、僕の『生体標本』なら、助けることができるよ! 凜々花だけじゃない、君のことも! だ、だから、ね?」
「――――」
 陽日輝の眉が僅かに動いたのを、水夏は見逃さなかった。
 口から突いて出た言葉だったが、そこに水夏は活路を見出した。
 そうだ、『生体標本』による不死性の獲得は、深手を負った今の二人にとって喉から手が出るほど欲しいもののはず。
 なんとか二人を『生体標本』で麻痺させてしまえば――
「――自分たちを殺そうとした相手の言うことを、なんでも素直に信じないほうがいい。それはお前が教えてくれたことだ」
「えっ――」
「俺はお前を信じない。俺たちは、お前なんかに頼らなくても生き抜いてみせる」
 陽日輝はそう言い切って、右の拳を繰り出した。
 朝だというのに、そして触れることは死を意味するというのに、思わず目を細めてしまうほど眩い橙色の光が、視界全体を覆い尽くすように迫ってくる。
 その光に照らされながら、水夏はただひたすらに死にたくないと胸の内で叫び続け。
 ――最期の最期、焔のことを想うこともなかった自分に気付いて。
 絶望がその胸を塗り潰すよりは一瞬だけ早く、光が水夏の知覚を奪った。



「凜々花ちゃん――大丈夫、か……?」
 陽日輝は、足を引き摺りながら凜々花のほうに近付いていく。
 その背後には、頭部を焼き溶かされた水夏と焔の亡骸が折り重なるように倒れている。
 恐ろしい相手だった。
 しかし、なんとか倒すことができた。
 だが、自分たちの戦いは、生徒葬会は、まだまだ終わりからは程遠い。
 こんな開けた場所にいつまでもいるわけにはいかなかった。
 凜々花は仰向けに倒れたまま、こちらに顔だけを傾けて弱々しく微笑んでいる。
「はい……まだ。でも……私のほうは、ちょっと、動けそうにないです……」
 まだ意識はある。
 しかし、両手両足の風穴からかなりの量の血液が流れ出てしまっている。
「待ってろ――凜々花ちゃん」
 陽日輝は凜々花の傍らに跪き、凜々花の右手を取った。
 その細腕は、心なしか今までより青白くなっているように見える。
 陽日輝は、左手で凜々花の手を取ったまま、右手に『夜明光(サンライズ)』をほんの微かに宿らせた。
「痛むようなら言ってくれ。『夜明光』で止血する」
「なるほど……それは名案ですね……」
 凜々花が気丈に振る舞おうとしているのが痛々しい。
 自分よりも体重が軽い分、凜々花のほうが失血による危険は大きいはずだ。
 しかし焦りすぎては、凜々花に火傷を負わせてしまう。それでは本末転倒だ。
 陽日輝は細心の注意を払いつつも迅速に、凜々花の両手首と両足首の傷を、表面だけを焼くことによって順番に止血していった。
「ありがとうございます……陽日輝さん。ごめんなさい――私がもっと注意していれば、こんなことには――」
「凜々花ちゃんが謝ることじゃないよ。俺がすぐに追撃してればよかったんだ。――それより、早くここから離れよう。血は止まったから、応急処置は大丈夫なはずだ。おんぶするから、力抜いてくれ」
「待ってください――陽日輝さん。陽日輝さんの傷の手当をしないと――」
「――『夜明光』は俺自身には効果がないし、今の凜々花ちゃんにそんな器用なことはできないだろ。近くの校舎の保健室に行こう。俺の手当はそれからだ」
 そう――『夜明光』は、陽日輝自身の体に触れても何ともない。
 意図せぬ事故による自滅が起きないという点に関してはありがたい特性ではあるが、今この場においては、その特性が裏目に出てしまっていた。
 凜々花の止血はできたが、自分の止血はできていない。
 幸い、北第一校舎がすぐ近くにある――保健室が一階にある校舎だ。
 そこに行けば、包帯もあるし消毒液もある。
 自分の止血はもちろんだが、凜々花の傷にもちゃんとした手当がしたい。
「……わかりました。何から何まで、すいません」
「だから気にするなって。――じゃあ、行こう」
 陽日輝は凜々花を抱き起こし、おんぶした。
 凜々花は見た目通り軽かったが、それでも風穴が空いている両足首には焼けるような痛みが走る。
 ――なんとか歯を食い縛り、嗚咽を漏らさないように堪え切った。
 苦悶の表情だけは隠し切れなかったので、おんぶされている状態の凜々花からは見えないのが幸いだったが。
「……陽日輝さん、ありがとうございます。私のことを死なせたくないって言ってくれて――とても、嬉しかった。だから陽日輝さんも――死なないで、くださいね」
「……。当たり前だ。俺は死なないし、お前も死なせない」
「……あはは。照れちゃいますね……そんなにハッキリ言ってもらえると」
 凜々花の吐息が肌をくすぐるのを感じながら、陽日輝は歩き出した。
 一歩ごとに激痛が走る中、それを悟られないように耐え忍びながら。
 ――なんとか持ち堪えてくれ、俺。
 俺はまだ、死ぬわけにはいかない。

       

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