【8日目:昼 北第一校舎三階 教室】
暁陽日輝に対し、東城要が最初に取った攻撃行動。
それは、ピラミッドの一段下にいた女子二人のうち、陽日輝が名前を知らないほう――すなわち星川芽衣ではないほうの女子の襟首を掴み、ぶん投げることだった。
「ヒッ――……!?」
あまりにも突然のことで、彼女は悲鳴を上げる暇すらなく、ただ目を見開いたまま、陽日輝めがけて放物線を描いて落ちてくる。
それに続いて、東城がピラミッドを駆け下りてきた。
――芽衣の襟首を掴んで、彼女を半ば引き摺るようにしながら。
「ぐっ……!」
女の子とはいえ片手で人を軽々と扱えるその腕力に戦慄しながらも、陽日輝は即座に頭を切り替えた。
東城の非道ぶりからすれば、傍らにいる女子二人をこういう風に利用してくること自体は想定内だった。
こちらに隙を作るための、そしてこちらの攻撃に対する盾にするための、東城にとっての道具として。
ただ、それを実際に実行されると、色んな感情がない交ぜになるのを止められない。
純粋な驚き、こんな風に利用される芽衣たちへの哀れみ、そして東城への怒りと憎しみ。
しかし――それらは一つの思念に集約していく。
東城要を必ず倒すという、強い決意へと。
「ごめん!」
陽日輝は短く叫び、落下してきた女子生徒が自身にぶつかる前に、自ら真後ろに身を倒した。そして、背中が床に触れたときには、右手で彼女の左肩を掴み、左足の靴底を彼女の腹部に当て――押し上げるような形で、彼女を真後ろに投げていた。
「あうっ!」
手加減はしたが、あまりうまく受け身を取れなかったのだろう、彼女の苦悶の声が背後から聞こえたが、振り返っている余裕はない。
陽日輝は腹筋と背筋に力を込めて跳ね上がるようにして直立状態に復帰した。
――まともに彼女を受け止めていたら隙になる。
かといって、彼女を盾にしたり見殺しにしたりするようなら東城と同類だ。
そこで、彼女が落ちてくる勢いも利用して、柔道技の巴投げを試したのだ。
もっとも、柔道技の多くは、相手の着衣を前提とした技。
裸に剥かれている彼女を投げる際には、腕を肉ごと掴むような形になってしまったが。
「やるじゃねえか!」
東城が愉しげに笑う。
元々、喧嘩に明け暮れて悪名を轟かせていた、今時珍しいほどの不良だ。
力を振るうこと、強い者をより強い自分がねじ伏せることが至福なのだろう。
その東城はちょうどピラミッドを下り切ったところで、こちらに向かって今度は芽衣を投げ付けてきていた。
今度は距離が近すぎて巴投げも難しい――ならば。
「ごめん!」
「えっ――ああっ!?」
陽日輝は左半身を下げながら、右足で芽衣の足首を薙いでいた。
芽衣の両足が払われて床から離れ、そのまま彼女は自分の下げた左半身めがけて顔から倒れ込んでくる。
そのときには、右手を振り上げた東城が突っ込んできていた。
「『氷牙(アイスファング)』!」
陽日輝は見た――振り上げられた東城の右手、その指先に、青い靄のようなものが纏わりついていることに。
それこそが、掠っただけで重度の凍傷を負うほどの冷気を生んでいるのだろう。そして恐らく自分の能力と同じく、東城自身には効果がない。
「星川、その子連れて逃げろ!」
陽日輝は、倒れ込んできた星川を左肘で受け止め、そのまま左腕を後方に振ることで、彼女を先ほど巴投げした女子生徒の方向――教室の出入り口付近へと薙ぎ払っていた。
自分には東城ほどの膂力はない。
しかし、一旦体勢を崩してやれば、体重の軽い相手くらいなら、このような力任せも通用する……!
「――ッ!」
芽衣の無事を確かめる余裕もなく、陽日輝は後ろに跳び、ギリギリのところで東城が振り下ろした、鋭い爪のような一撃をかわした。
着地する頃には右の拳を握り締めて引き絞り、右ストレートを放つ体勢を整える。
――東城の『氷牙』は、自分の『夜明光(サンライズ)』に非常に良く似た能力だ。
しかし、ある一点において二つの能力には大きな差が存在する。
それは、能力の有効範囲だ。
東城の『氷牙』は指のみだが、こちらの『夜明光』は掌全体を包み込む。
もっとも、東城と自身との身長差を考えれば、リーチ差はあってないようなもの。むしろ、東城のほうが優位と言えるだろう――『攻撃』に関しては。
「来いよ――東城」
陽日輝は、左手の指を軽く開いた状態で前にかざし、その手越しに東城を見据えた。
『氷牙』と『夜明光』の有効範囲の差は、『防御』でこそ意味をなしてくる。
指のみで相手の攻撃を受け止めるのは至難の業だが、掌全体を使って受け止めることはそれに比べればかなり容易だ。
そして、『夜明光』を纏ってさえいれば、恐らく『氷牙』は相殺できる。
仮に相殺されなくても、左手を犠牲に東城を捕まえ、『夜明光』を纏った右ストレートを叩き込むことができるはずだ。
全神経を集中させ――防御と、その直後のカウンターに賭ける。
まともに競い合って勝てるような相手じゃない――
「やっぱり持ってるんだな、俺を殺せる――少なくともお前はそう思っている『能力』を」
「……さあな」
陽日輝は、視界の端で、芽衣がもう一人の女子生徒を引き起こし、廊下に出たのを確認した。
一方、教室の奥では、複数人の悲鳴が混じって上がっている――クロエの声は含まれていない。状況は気になるが、それを確認している余裕はなかった。
東城の取り巻き二人は、クロエが抑えてくれると信じるしかない。
なんせ、横槍を入れられながら対応できるような相手じゃないのだ。
「お前の狙いが何かは知らねえが――多分アテは外れるぜ」
東城は、そう言って左手を振りかざし、振り下ろした――ただし、一切距離を詰めず、そのままの立ち位置から。
当然、東城の指先は陽日輝に触れることすらない――が。
「がっ!?」
直後、陽日輝は顔面に強烈な痛みを感じ、思わずよろめきかけていた。
閉じかけた目をすぐさまカッと見開き、東城から視線を外さないようにする。
顔全体にはビリビリと痺れるような痛みがまだ残っている――いや。
これは痛みというより――冷たさだ。
「俺の一撃を受け止めて反撃するつもりだったんだろ? 構えが素直過ぎて丸分かりだったぜ。だけどな暁、俺はお前に近付く必要すらないんだよ」
「くっ――空気を、冷やして飛ばしたのか」
「察しが良いな。ますます舎弟にしたくなったぜ」
東城はそう言って、今度は右手を横薙ぎに振った。
咄嗟に左手をかざして防いだが、服越しだというのに、思わず顔をしかめてしまうほどの冷気による痛みが走った。
続いてまた、左手が振られる。
今度は右脇腹に冷気の塊が直撃し、膝を折りかけてしまう。
しかし、耐え切った――いや、耐え切らなければならない。
崩れてしまったらそのまま畳み掛けられる――!
「東城――お前、こんなコスい戦い方で勝って嬉しいのかよ。喧嘩に自信があるんじゃないのか?」
なんとか隙を作ろうと、陽日輝は東城を煽ってみた。
しかし東城は、眉ひとつ動かさない。
「そりゃ俺は強い。でもな、俺より強い奴なんて世の中にはいくらでもいる。そうでなくても、自分より弱い奴でも、捨て身になられると案外厄介なこともある。しかも今は生徒葬会で、どんな雑魚でも恐ろしい『能力』を持っているかもしれない状況なんだぜ? 勝つことが一番大事なんだよ。どれだけ強かろうが、負けたらカスだ」
「……なるほどな。よく分かったよ」
東城の恐ろしさはその恵まれた体格と『氷牙』だけじゃない。
その非道な所業とは裏腹の、冷静な一面だ。
思考する獣とでも言うべきその冷徹さが、隙の無さを生んでいる。
であるならば――受け身のままでいては勝機は無い。
東城との戦いでたとえ致命的な傷を負っても、一階まで戻りさえすれば、最上環奈の『超自然治癒(ネオヒーリング)』による治療を受けることができる――その約束は反故にされないと信じ、腹を括るしかない。
奇しくも東城自身が言ったばかりの、『捨て身』を見せてやるしかない。
陽日輝は覚悟を決め、床を蹴った。
東城が僅かに眉を上げ、しかしうろたえることはなく、左手を手刀の形にして突き出してくる。
陽日輝はすかさず右の掌に『夜明光』を纏った。
橙色の光に包まれた掌を、掌底の形にして突き出す。
相殺されればそれでよし、されなかったとしても、右手と引き換えに気合で東城の左手を掴んでやる。
そう思っていた陽日輝の視界の端、東城が右足を浮かせ、蹴りを放ったのが見えた。陽日輝の左脇腹を狙うような軌道の廻し蹴りだ。
『氷牙』を纏った左手に意識を向けさせて、蹴りを食らわせる作戦か。
蹴りは突きよりリーチが長い、そのため今から防御は間に合わない。
しかし、ただの蹴りなら、耐え切って見せる。
東城の体格から繰り出される蹴りだ、威力は相当だろうが、このまま『夜明光』による一撃で東城の左手を受け止め、押し切ってやる――!
……しかし。
結論から言うと、陽日輝のその判断は、誤りだった。
「なるほどな、その光がお前の『能力』か。でもな」
「……かはっ……!」
陽日輝は、目と口を開き、その動きを止められていた。
東城が放った廻し蹴りは、陽日輝の左脇腹に直撃していて。
先ほどまでの間接的な攻撃とは比べ物にならないほどの強烈な冷気が、陽日輝の左脇腹に蹴りの衝撃と共に襲ってきていた。
「『氷牙』は俺の指に冷気を纏う能力だ。――足の指も、指だろう?」
「と、東城……ッ!」
靴越しである分、冷気の効果は多少落ちているだろうが、それでも、ただの蹴りだと思っていたこともあり、手痛い一撃となってしまっていた。
東城は繰り出しかけていた左手を一旦引く。
そして、陽日輝の右手が空振ったのを確認してから、改めて手刀を突き出してきた。
――相手の能力を見誤った。
対を成す能力だという印象と、そこから生じた先入観に目が曇っていた。
冷気は確かに強力だが、『夜明光』による熱光に比べると威力が劣る。
その代わりに、手だけではなく足の指でも使える能力だったのだ。
『夜明光』が手でしか使えないがゆえに、相手もそうだと思い込んでいた……!
東城の手刀が眼前に迫るのを凝視しながら、陽日輝は自身の誤りを痛感していた。