Neetel Inside ニートノベル
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生徒総会あらため、生徒“葬”会
第五十七話 登山

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【9日目:朝 裏山】

 黒に限りなく近いグレーの雲が、分厚く空を覆っている。
 時折吹く風は身震いしそうなほど冷たく、雨の予感すら感じさせた。
 曇天に太陽が遮られているせいで、朝だというのに薄暗い。
 ましてや、暁陽日輝と安藤凜々花が今いるのは、旧校舎裏にある裏山の道なき道の途中。
 背の高い木々に囲まれたこの場所は、晴れた日でも十分に薄暗いというのに、太陽が隠れている今は、夜のような暗さだった。
「凜々花ちゃん、ちょっと休憩するか?」
「お気遣いありがとうございます。でも、まだ大丈夫です――あっ」
 凜々花が台詞の途中でつまずき、倒れそうになったのを、前を歩いていた陽日輝が抱き留める。
 凜々花の足元を見るに、どうやら土から半分露出した、硬い木の根っこに爪先を引っかけてしまったようだ。
「疲れてないと思っても案外疲れてるもんなんだよ。山登りは特に、普段使わない筋肉を使うからな」
「……そのようですね。それではお言葉に甘えて、休憩させてもらってもいいですか?」
 凜々花が、少しバツが悪そうにそう言った。
 大丈夫と言った矢先に転びかけてしまったことが恥ずかしいのだろう。
 とはいえ、運動慣れしていない凜々花には山登りは堪えるだろう、無理もない。
 陽日輝ですら、汗がじわりと滲み、息が多少荒くなるくらいには疲労を感じているくらいなのだから。
 陽日輝は、凜々花が体勢を立て直したのを確認し、彼女を離しながら言った。
「ああ、そうしようぜ。小屋に着いたときに体力が無くなってるのはまずいしな――最悪、そこでいきなり殺し合いになるかもしれないわけだし」
「――っ。そうですね……」
 凜々花が、気遣うような視線を向けてくる。
 陽日輝は努めて明るく笑みを浮かべ、
「大丈夫だよ。覚悟はできてる」
 ――と、答えた。
 ……自分はすでに、正当防衛とはいえ友人を一人殺している。
 これから向かう小屋は、仲間内で使っていた秘密基地のような場所であり、もしまだ生き残っていたなら、そこに友人がいる可能性は低くない。
 そして、生存者の数が減っている今、殺し合いに発展する可能性も。
 だとしても、いや――だからこそ、自分はあの場所に行かなければならない。
 自分と凜々花が生きて帰るためには、手帳の表紙が二百枚必要なのだから。
 ――友人を手にかけることになってでも、手帳を集めるしかないのだ。
「……水とお茶、どちらにしますか?」
 こちらの心情を察してか、凜々花は肩から提げたバッグの中身を漁りながら、話題を変えた。
 北第一校舎を出発する前に、凜々花の武器にある百人一首やトランプといったカード類、トイレットペーパーや救急キットといった生活用品に加えて、若駒ツボミの許可を得て水と食料をある程度譲り受けている。
 水は水道水から調達できるとはいっても、汲むのには案外時間がかかるし、当面は供給の必要が無いくらいに持ち出せたのはありがたい話だった。
 ――ツボミのことだ、自分たちに手帳を集めるだけ集めさせて、後から奪う算段も立てているのだろうが、それが分かっていても、自分たちは手帳を集めるしかない。どのみちそうしないと生きて帰れないのだから。
 ツボミと再び対峙し、そして殺し合うことになるとしても――そのことは、今はまだ考えても仕方のないことだ。
 陽日輝はそんなことを考えながら、凜々花に答えた。
「お茶にしようかな」
「分かりました」
 凜々花がバッグから取り出したペットボトルを受け取る。
 凜々花も、同じようにペットボトルを取り出した。
 陽日輝と凜々花は周囲に人の気配が無いことを確認してから、陽日輝は両手で抱え切れるかどうかくらいの大きな石に、凜々花はそこから二メートルほど離れた場所にある、枯れて倒れた杉の幹に座った。
 生徒葬会が始まってから一度も雨は降っていないが、普段から日の当たらない場所ということもあり、地面は湿った腐葉土になっている。比較的乾いた座り場所は貴重だ。
 実際、陽日輝はそれを見かけたのもあって、ここで凜々花に休憩を提案したわけだった。
 ハンカチで額や首筋の汗を拭って、ペットボトルのキャップを開ける。
 そのとき凜々花が、斜面の上のほう――これから向かう先にチラリと視線を向けて訊いてきた。
「小屋まではあとどのくらいかかりますか?」
「裏山自体はそこまで広くないけど、この通り道が悪いからな。周囲を警戒しながら進まなきゃいけないことも考えると、三十分はかかるかもな」
「三十分……休憩にしてもらって正解でした」
 凜々花はそう言って、ペットボトルのお茶をごくごくと飲む。
 陽日輝もそんな彼女に思わず微笑んでから、同じようにお茶を飲んだ。
 常温保存していたお茶なので冷たくはないが、気温が下がっているので逆にそれが心地よい。
 ――こうして一息付いたところで、陽日輝は北第一校舎を出たときのことを思い返していた。
 短くも濃密で、波乱万丈な時間を過ごした北第一校舎からの巣立ちは、思いのほかあっさりとしたものだった。
『それでは皆さんごきげんよう。幸運を祈りますわ』
 最初に出発した四葉クロエが、不安も未練も匂わせることなくそう言って出て行ったのも大きかったかもしれない。
 クロエらしくはあったが、それでも、出発間際に自分に対し、意味深な視線を向けてきていたのを陽日輝は見逃さなかった。
 恐らく、『気を付けろ』と伝えたかったのだろう。
 クロエがツボミを警戒していたのは、彼女を殺そうという提案をしてきたことからも分かっている。
 陽日輝はツボミに悟られないよう、頷きもせず、ただ少しゆっくりとした瞬きをすることで、精一杯の返答とした。
 ――その次に、三嶋ハナたち東城の被害者三人が出発した。
 クロエが出てから十分間のインターバルを置いてからの出発だ。
『暁先輩、本当にありがとうございました。私――頑張ってみます。すごく、すごく怖いですけど――それでも、やれるだけ』
 そう言って深く頭を下げたハナには、不安や恐怖はあっても絶望はもうなかった。
 ――そして、三人が出て行ってから、十分間のインターバルを待っている途中。
 ツボミが、こんなことを言ってきた。
『再び相まみえるとき、私とあなたたちは敵同士になるだろうな』
 ――その言葉に、ツボミの傍らにいた根岸藍実と最上環奈が顔を強張らせ、緊張が走ったが、陽日輝はうろたえることなく答えた。
 気を抜くと気圧されてしまいそうなほどの威圧感を持つツボミの瞳を、まっすぐに見据えて。
『俺は何があっても生き抜きます。凜々花ちゃんのことも死なせません。――たとえあなたが相手でも』
『――言うようになったな、暁。あなた一人に背負える命は限られていると、昨日私はあなたに言った。それで安藤だけは守ると改めて誓いを立てたのだろうが、背負えることと、背負ったものを落とさず歩き切れるかはまた別だ』
『分かっています。……でも、俺は背負い切りますよ』
『言葉だけなら何とでも言える――と言いたいところだが、昨日よりは良い眼をしているな。――四葉が買っているのはこういうところか――ふふ。やってみせるといい。生きていたらまた会おう』
 ――正直、後から脂汗がドッと出るくらいに緊張したが、なんとか気圧されずに済んだ。
 藍実と環奈にも別れの挨拶をして、陽日輝は凜々花と共に北第一校舎を出発し、その後、他の生徒と遭遇することなく旧校舎に辿り着き、その裏にある山を登り始め――そして、今に至る。
 心しておかなければならないのは、環奈の『超自然治癒(ネオヒーリング)』の恩恵を受けることはもうできない、ということだ。
 焔・水夏ペアと戦ったときも、東城と戦ったときも、自分は生徒葬会脱落不可避の深手を負わされたが、環奈のおかげで事なきを得た。
 しかし、今後はそのような取り返しの付かないダメージを受けることなく切り抜けなければならない――その点においては、これまで以上に厳しい戦いになるだろう。
 一応、包帯や消毒液、絆創膏といった応急手当キットはあるとはいえ、過信は禁物だ。
 ――そんなことを考えていたときだ。
 カサカサ、と、自分の背後の落ち葉がこすれる音がしたのは。
「!」
 陽日輝はすぐさま石から腰を浮かして振り返り、音がした辺りを凝視する。
 腐葉土の上に降り積もった落ち葉から音は聞こえた――風は吹いていなかったので、明らかに何かいる。
 虫か、それともヘビか?
「虫か……?」
「もしかしたら何かしらの『能力』かもしれないですよ」
 凜々花もすでに立ち上がり、ポケットに手を入れていた――いつでも札を投げることができる状態だ。
 陽日輝は一瞬凜々花のほうを見て頷き、すぐに視線を戻す。
 ――落ち葉に埋もれて見え隠れしているのは、濃い色の腐葉土と、小さな枝と、よくわからないキノコ――後は、アリやダンゴムシもいる。
 しかし、さっきの音は、そんな小さな生き物が動いた程度じゃ起こり得ない――と、そこまで考えたところで。
「うわっ!?」
 凜々花の上擦った声が響き、陽日輝はハッとして振り返った。
「凜々花ちゃん!?」
「ひ、陽日輝さん――足元!」
「ッ!」
 凜々花の目線と声に従い、視線を落とすと、自分の足首に縄――ロープが絡み付こうとしているのが見えた。
 物音の正体はコレか……!
「ちっ……!」
 陽日輝はすぐに足を浮かして駆け出し、その場から離れる。
 それを追うように、ロープは地を這いながらヘビのように迫ってきた。
 このロープ――『能力』によるものか、『能力』の影響を受けている!
「このロープ、意思があるみたいに動いてます!」
 凜々花はそう言いながら、自分の足首に巻き付いたロープに百人一首の札を投げ付け、切断した。
 それから、足首に残ったロープを振り払って捨てる。
 どうやら切断された先のロープは『能力』の影響から脱するようで、凜々花が切断した箇所より奥のロープはうごめいていたが、凜々花の足首に巻き付いていた分はピクリとも動かなくなっていた。
「陽日輝さんと私、別方向から同時に狙っていたみたいですね……!」
「そうみたいだな。――でも、ロープなら俺たちの『能力』にとっては相性が良い。首とかに巻き付かれないようにだけ注意して迎え撃とう」
「ただ、このロープを操っている人がいるはずです。その人をどうにかしないと、ジリ貧になります」
 凜々花の言う通りだ。
 この『能力』の使い手を叩かない限り、いずれはこちらの体力と集中力に限界が来てしまう。
「そういうことなら――向こうから来てもらおうぜ」
「? それは、どういう――」
「こういうことさ!」
 陽日輝は、ロープめがけて駆け出した。
 それを見て、二本あるロープが同時に向かってきた。
 獲物に飛び掛かる蛇のように、地面からその身を浮かせて、こちらの体めがけて。
「そらぁ!」
 陽日輝は、腕を突き出すようにしてロープに当て、そのままロープを鷲掴みにした。
 とはいえ、意思を持つように動くロープは、そのまま陽日輝の腕にグルグルとらせん状に絡み付きながら這い上がって来る。
 こちらの首まで登ってきて、絞めるなり折るなりしてくるつもりなのだろう。
「陽日輝さん!」
「切らなくていい!」
 百人一首の札を投げかけた凜々花を制し、陽日輝は力一杯にロープを引いた。
 ロープの先にいる『本体』を引き摺り出すためだ。
 陽日輝の腕力が想定以上だったのか、ロープが慌てて抵抗したように見える。
 向こうからも引っ張る力が加えられ、綱引きのような状態になったのだ。
「これだけ抵抗するってことは、すぐ近くにいるみたいだな……! それに力もそんなに強くない。ジリジリこっちが下がってるからな」
 陽日輝の握力と腕力で抑え込まれたロープは、首まで登ること叶わずその動きを止め、ただ陽日輝の引く力に対し反対方向の力を加えて抵抗するばかりだ。
 しかしそれでも、ロープを抑えることにもリソースを割かざるを得ない陽日輝に対して力負けしている。
「このまま引っ張り続けてもいいけど、さすがに手を打たれそうだから――こうだ!」
 陽日輝は、『夜明光』を発動させて、両の掌に橙色の光を宿らせた。
 それにより、ロープは一瞬にして焼き切られてしまう。
 そうなると、必死にロープを引き続けていた相手はどうなるか――
「きゃあっ!?」
 ――五、六メートルほど向こうだろうか。
 ちょうど複数の大木と茂みのせいで見えにくくなっているところから、短い悲鳴が聞こえた。
 どうやらこのロープを操っていたのは女子らしい。
 いきなりロープが焼き切られたことで、勢い余って尻餅を付いたのだろう。
 陽日輝が駆けて行ったとき、彼女はまだ立ち上がることができていなかった。
「ゆ、許して……!」
「――!」
 尻餅を付いたまま、小動物のように震える彼女は、陽日輝の同級生だった。
 明るい茶髪をボブカットにしたその少女は、去年の校内美少女コンテストで準グランプリに選ばれたほどの美少女・楪萌だ。
 どういうわけかマスクをしていて、鼻と口を隠している。
 そのため、恐怖に怯えて潤んだ瞳が、やけに目に付いてしまう。
 ――その瞳に、一瞬躊躇いが生じたのは確かだった。
 すぐに、彼女が自分たちを明確に殺そうとしていたことを思い出して気を引き締め直したものの、その一瞬すら見逃さないほど、彼女は狡猾だった。
「陽日輝さん、危ない!」
「!」
 凜々花の声が響いたのと、萌が大きめの木の枝を投げ付けてきたのとはほぼ同時。
 ただ投げるだけなら気付けたが、萌は地に這わせたロープを落ち葉に埋もれた枝に巻き付け、それを放ってきていたので、反応が僅かに遅れてしまう。
 とはいえ、陽日輝はその木の枝自体はかわすことに成功していた。
 しかしそれは、萌にとってあくまでもその場凌ぎ。
 本命は――別のところにあった。
「キャハハ!」
 先ほどまでの弱々しい姿がすべて演技だったことを如実に物語る邪悪な笑い声と共に、萌は跳んでいた。
 ――正確には、もう片方の手から伸ばしたロープを近くにあった木に巻き付けて命綱とし、ジャンプした直後に、先ほど木の枝を投げるのに使ったほうのロープを、その木のさらに高い位置にある太めの枝に巻き付け、それから命綱を解き――といった動作を繰り返して、大木のてっぺん近くにまで移動したのだ。
 あのロープは彼女にとって、手足も同然なのだろう。
 それほどまでに、『能力』を行使することに慣れている。
 あるいはすでに、この生徒葬会において修羅場を潜り抜けてきているのかもしれない。
「高い……!」
 陽日輝は、十メートル以上高い場所にいる萌を見上げ、思わず歯噛みしていた。

       

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