【9日目:朝 山小屋】
安藤凜々花、相川千紗、そして暁陽日輝の三人は、裏山にある小屋の中、奥にある和室で、座卓を囲んで一枚の紙を見下ろしていた。
それは、陽日輝がボイラー室でこの小屋を説明する際に出したものと同じ、学園敷地内の見取り図だ。
――陽日輝の合流自体は至ってスムーズだった。
千紗の『暗中模索(サーチライト)』により、半径五十メートル以内に誰かが侵入してくれば即座に分かるようになっている。それが誰かまでは分からないので、凜々花は千紗に教えてもらった方角を警戒し――すぐに、千紗が探知した生徒が陽日輝であることが確認できたというわけだ。
陽日輝は千紗が生きていたことに少しの驚きと安堵を見せ、それから二人が友人同士であることを実感させる砕けたやり取りをして、その後で、凜々花と千紗がどんな会話をしたかを訊ねてきた。
――陽日輝は正当防衛とはいえ、同じグループの仲間を一人殺している。
そのことを話していないか懸念しているのだと解釈した凜々花は、千紗に何を話したかを陽日輝に一通り簡単に説明した。
親友の天代怜子を惨殺されたこと。
陽日輝と行動を共にするようになったこと。
ボイラー室でこの小屋とそこに集まっていた仲間の話を聞いたこと。
その後立て続けに襲撃を受け、傷ついた状態で北第一校舎に行き着いたこと。
そこで若駒ツボミや四葉クロエに出会い、東城要と戦ったこと。
その後の星川芽衣の件。
『そう……芽衣がそんなことになったのね』
芽衣の話をしたときは、千紗にとっては同級生ということもあり、沈痛な表情を見せていたが。
しかし、凜々花と陽日輝が持つ情報ではなく、今は千紗が持つ情報に焦点を当てている。
――この小屋に千紗が辿り着いたのは、昨日の朝だという。
そのときにはすでに、元々仲間だった二人――犬飼切也(いぬかい・きりや)と日宮誠(ひのみや・まこと)がいて、快く受け入れてくれたらしい。
それからは三人で、生徒葬会をどう生き抜いていくか話し合いながら過ごしていたというが――事態が急変したのは、昨夜のことだ。
この小屋に近付いてくる生徒を、千紗が『暗中模索』で探知し、それを二人に伝えて警戒態勢を取っていたところ――その生徒は隠れながらでもなく、殺意を剥き出しにするわけでもなく、至極落ち着いた所作で姿を現した。
三年生の時田時雨(ときた・しぐれ)と名乗ったその男子生徒は、『楽園』について説明した上で、三人を勧誘したのだという。
『僕たちはこの学校のある場所に『楽園』を作っています。自給自足の体制を整え、安全も確保された場所です。そこでなら、三人しか生きて帰れないなんてことはない。殺される恐怖も殺す重圧も背負わなくていい。ただ、外に出ることさえ諦めれば、今日明日の死を意識しなくてもいいんです』
『もし『楽園』に興味が無いのでしたらそれでも構いません。僕たちは僕たちの理念に賛同していただける方だけを集めています。ただし、『楽園』に入られる方以外にはこれ以上の情報を渡すことはできませんが』
――時雨の口調はとても穏やかで、そして迷いが無く流暢だったという。
それに結果として切也と誠は呑まれてしまったようだが――千紗は、なんともいえない薄気味悪さを感じたそうだ。
『私の従姉、変な新興宗教に嵌っててさ。その宗教の教義や信条を熱心に話すのよ。――あの時田って人はそれによく似ていたわ』
千紗はそう話してくれたが、ともかく、そういった理由で、千紗は二人と袖を分かった。
二人は千紗にも一緒に来るよう説得してきたし、千紗も逆に二人を引き留めたようだが――最終的に、二人が千紗を連れて行くことを断念した。
きつい言い方をすると、千紗のことを諦めたのだ。
『僕はあなたの判断も尊重しますよ。――ただ、僕以外の『楽園』の人間が勧誘に来た場合、大人しく従うことを推奨します。――僕と違って、『楽園』入りを拒む生徒は情報隠滅も兼ねて殺すという野蛮な同志も少なくないですから』
――時雨は最後に千紗にそう耳打ちしてから、二人を連れて去っていった。
それから千紗は、時雨の来訪から仲間との別離までの僅かな時間で激変した状況に茫然自失となりながら、眠れない夜を過ごしたという。
そして今朝になって凜々花がこの小屋を訪れ、今に至るというわけだ。
――凜々花たちが三人で見取り図を見ながら話し合っているのは、この『楽園』の場所についてだ。
時雨に付いていった二人のことを抜きにしても、『楽園』が存在している限り、『楽園』以外の人間は少なくとも三人での生還が不可能になっている。
すでに生存者が百人を割っている今、『楽園』を放置し続けているわけにはいかなかった。
――とはいえ。
「正直なところ、『楽園』の場所については見当も付かないわね」
千紗が、座卓の上に置かれていたチョコレート菓子を食べながらそう言った。
陽日輝も頷き、
「自給自足ができるような場所となるとなあ……」
と頭を抱えている。
「私はお二人ほどこの学校について詳しくないですし、まったく思い浮かびませんね……」
凜々花はまだ、この学校の中に行ったことがない場所が数多くあるような状態だ。一学年上かつ行動範囲の広そうな陽日輝と千紗に見当が付かないのなら、自分にはどうしようもない。
……少し沈黙が流れてから、陽日輝が言った。
「……外に出られなくても生きていれたらいい、か。そういう考えも、確かに分からなくはないな」
「…………」
「…………」
それに関しては凜々花も、そして恐らく千紗も同意見だった。
お互いに顔を見合わせてそれを確認してから、凜々花が口を開く。
「確かに気持ちは分かります。分かりますが――この学校での悪夢が霞むくらい、幸せな未来を掴みたいというのが、私の正直な気持ちです」
それを聞いて、千紗がニヤリと笑って陽日輝のほうを見た。
「だってさ、暁。責任重大ね」
「分かってるよ……」
陽日輝からすれば、凜々花と自分の関係が千紗に露呈しているのは予想外だったらしい。
陽日輝をそういう風にいじるときの千紗はとても生き生きとしていて、彼女が色恋話が好きだと言っていたのは本当だということを認識させられる。
「……まあ、真面目な話、アイツらが付いていったのも分かるのよ。時田さんは私たちに『楽園』の中の写真をスマホで見せてくれたけど、確かにみんな穏やかな表情をしていたわ。常に死の恐怖が付きまとうこの生徒葬会の中とは思えないような、ね。――だからこそ、アイツらを強く引き留められなかったんだけどね」
「……気に病むことじゃねえよ、相川。どちらにしても、俺たちは『楽園』に行かなきゃならない。……気は進まないけどな。『楽園』が、相川が時田から聞いたように『楽園』入りを拒んだ生徒を殺すこともあるのだとしても、それに関しては俺たちはとやかく言えない。曲がりなりにも殺し合いを拒んで平和に過ごそうとしているアイツらと違って、俺たちは自分たちが生きて帰るために、他の生徒の命を犠牲にしようとしているんだから」
陽日輝の口から紡がれたその言葉は、目を逸らしたくなる、しかし目を逸らすわけにはいかない事実だ。
凜々花も、生きるためにすでに複数の生徒を殺している。
陽日輝もそうだし、千紗だって殺しは辞さないだろう。
もしかしたら、『楽園』の理念のほうが人として正しいのかもしれない。
しかし、そのために外の世界での未来を捨て、生涯をこの学校で過ごすなんていうのは――自分には受け入れ難いし、きっと――怜子も、『馬鹿なこと言わないでよ、凜々花。そんなの楽しいの?』なんて言うだろう。
だけど。
「……それでも私たちに、迷っている時間はありません。それに、この期に及んで迷うような資格も。私たちはすでに、この手を血に染めています。今さら降りるわけにはいかないですよ――陳腐な言葉ですが、死んでいった人たちのためにも」
「……強いのね、二人とも」
千紗が、陽日輝と凜々花の顔を驚いたような寂しいような表情を浮かべ、交互に見やった。
「まあ、そりゃそうよね……ただ逃げ回っているだけだった私と違って、あなたたちはここに来るまでにいくつも場数を踏んでいるんだもの」
「……自慢できることじゃないけどな、殺し合いの経験なんて。それに、凜々花ちゃんからどこまで詳しく聞いたかは分からないけど、色んな幸運や助力があってなんとか生きてこれただけだしな」
「謙遜することじゃないと思うわ。私に暁と同じ幸運や助力があったとしても、同じ立ち回りができるとは思えないし。――しかし、『楽園』については手詰まりね――情報が無さすぎるし、学校内を隈なく探すしかないのかもしれないわ」
千紗は頬杖をつき、溜息をついた。
――この学校は、東西南北に校舎が各三つと、それに付随する施設があることからも分かるように、普通の高校よりかなり広大だ。
あてもなく学校全体を、それも他の生徒の襲撃に備えながら探し回るのはリスキーだし、とてつもない時間と労力を必要とするだろう。
そうも言っていられない状況なのは百も承知だが、どうにか他の方法が無いかと考えてしまう。
「……『楽園』からの使者がまたやって来るのを待つというのはどうでしょうか? その人を尋問すれば、『楽園』の場所が分かると思います」
凜々花のその提案に、陽日輝と千紗が一瞬目を輝かせたが、それはすぐに曇ってしまった。
「また来るなんてことがあるかしら……」
「時田は『楽園』の他の連中に勧誘の結果を共有するだろうけど、それで他の連中がどう動くかだな。勧誘を断ってる相川をもう一度誘いに来るかどうか……ああでも、相川を殺しに来るって可能性はあるのか」
「やめてよ……考えないようにしてたんだから……でも、私たちの目的からすると、それはチャンスになるのよね……」
千紗が、得心いったように何度も頷いている。
――しかしこれには、問題がある。
「……私が言っておいてなんですが、いつになるかが分かりませんよね……『楽園』側からすれば、生きて帰りたいという思いを密かに抱えている生徒が紛れ込んだ場合、少なからず犠牲が出てしまう可能性がありますし、一度勧誘を断っている相川さんを再度誘うのはリスキーでしょうから。殺しに来るという可能性についてですが、『楽園』の場所を知られているわけでもないのにそこまでするのかという疑問はありますね」
凜々花のその推理に対し、千紗は思案するように天井を一瞥した。
「私もそう思ったのだけど、時田さんの口振りからすると本当にやりかねない人がいそうなのよね……まあ、いずれにしても受け身になっちゃうのは否めないわね」
「学校中虱潰しに探すか、いつ来るか、そもそも来るかも分からない『楽園』の人間を待つか、か。どちらも選びにくいな……」
陽日輝のその言葉は、三人の総意だった。
またしても沈黙が流れ、相変わらず止む気配の無い雨がトタン屋根を打つ音が鮮明に聞こえるようになる。
――どちらの手段で『楽園』へのアプローチを試みるか。
次に沈黙を破ったのは、千紗だった。
「……とりあえず、この雨が止むまでは待つっていうのはどうかしら?」
「……そうだな。俺と凜々花ちゃんの制服もまだ乾いてないし、ここを出た後に着替える余裕があるとは限らないからな」
凜々花と陽日輝は下着までびしょ濡れになってしまっていたので、今は北第一校舎で入手した替えの下着と、学校指定の長袖ジャージを着ている。
体操服なので制服より動きやすいが、ポケットが少ないのが難点だ。
「そうですね……」
凜々花も同意し、再び見取り図に視線を落とす。
……殺し合いをせず、その代わりに生きて帰ることを諦め、この学校内で一生過ごすことを目標とする『楽園』。
それだけ聞くと、とても平和的な集団のように思えてくる。
しかし、彼らは本当に、それを本心から望んでいるのだろうか?
いや、勧誘された末端の生徒はそうかもしれない。
だけど――『楽園』の創設を最初に提案した生徒は。
『楽園』から新興宗教に近いものを感じたという千紗からすれば、教祖ともいえるその『最初の一人』は。
本当に、そんな大仰な理想を目標としているのだろうか?
凜々花は、そんな疑念を抱かずにはいられなかった。