【8日目:未明 屋外東ブロック】
立花繚が立花百花にどやされながら、南ブロックを駆け回っていたのとほぼ同時刻、東ブロックでも、同じように活発に行動している生徒がいた。
遮蔽物から遮蔽物に、最短距離を一瞬にして駆け抜けるその影に、無駄な動きはほとんどない。こと『走る』ということに関しては、彼は、バスケットボール部のエースである立花繚をも上回っていた。
彼の名前は早宮瞬太郎(はやみや・しゅんたろう)。
一年生にして、陸上部の短距離エースとして活躍する彼にとっては、この生徒葬会で自分に与えられた能力は、殺し合いに向いたものではなかったものの、手帳を開いて自身の能力を確認したとき、思わず小躍りしてしまいそうになるほど、うってつけの能力だった。
その能力を存分に駆使して、瞬太郎はアスファルトの地面を蹴り、駆ける。
その目的は立花姉弟と同様、能力説明ページを手に入れることだった。
いくらうってつけの能力を手に入れたとはいっても、やはりこの生徒葬会を生き抜いていくためには、戦いに向いた能力もあったほうがいい。
『議長』による深夜の放送は、他の多くの生徒にとってもそうであったように、瞬太郎にとっても驚きの内容であり、行動指針を転換する契機となった。
これまでは、自身の能力を活用して敷地内を駆け回りながら、手帳を入手できそうな場面があれば――というくらいのスタンスだったが、能力の追加入手という新ルールが加わった今、そんな悠長なことも言っていられなくなったのだ。
一人一能力という縛りがあることを前提に、瞬太郎はこれまで動いてきたが、一人が二つ三つと能力を手に入れ得る今の状況では、終盤になればなるほど厄介な競争相手が増えていくことはまず間違いない。
生徒葬会の終盤、表紙を百枚集め切る直前の生徒から漁夫の利を得るつもりでいた瞬太郎にとっては、面白くない話だった。
自分の能力の性質上、終盤になるほど有利になるはずだったが、このままでは必ずしもそうとは言えない。自分も何か、別の能力を手に入れなければ。
とはいえ、そうも都合よく手帳が転がっているわけもない。
瞬太郎は未だ、自分の分以外の表紙も、能力説明ページも、手に入れることはできずにいた。何度か他の生徒と遭遇あるいはニアミスしたことはあるが。
瞬太郎は、左手首に巻いたスポーツウォッチに視線を落とす。
耐久性や耐水性に優れた、某有名ブランドのデジタル腕時計だ。
もうじき午前一時になる。
『議長』による放送から一時間、すでに第二の能力を手に入れた生徒はいるのだろうか。それとも、案外このように積極的に動き回っている生徒は自分くらいで、他の生徒は様子見をしていたりするのだろうか。いや、さすがにみんなってことはないか――――。
とりとめのない思考は、全力疾走を繰り返す中でも途切れることがない。
それは、瞬太郎のアスリートとしての恵まれた才能と日々の努力の賜物――と、いうだけではなかった。
瞬太郎に与えられた能力は、『鋼鉄心臓(スティールハート)』。
常時発動型であるこの能力により、瞬太郎の心肺機能は強化され、激しい運動を繰り返しても息切れや胸の痛みといった症状が表れることのない状態になっていた。
そのため、瞬太郎は自身の俊足を、惜しげもなく使い続けることができるというわけだ。
終盤になればなるほど有利だと考えていたのもそのため――殺し合いの日々の中で心身共に疲労困憊となった他の生徒たちに対し、自分は百パーセントのパフォーマンスを発揮し続けることができる。
あとは第二の能力として、何か戦闘向きの能力を手に入れることができれば――――
そんなことを考えていたとき、鼻にふと異臭が触れて、瞬太郎は立ち止まった。焦げたような臭い。バーベキューのときに嗅ぐような。木を焼いたときに、漂う臭いだ。
「……なんだよ、これ」
その臭いの元を探して、瞬太郎は再度走り出す。
誰が暖を取るために木を集めて火をつけた? まさか。焚火なんてすれば、自分の居場所を周囲に知らせているようなものだ。現在進行形で殺し合いが行われているこの状況で、そんなことをするバカはいないだろう。ましてや今は夜、火はかなり遠くからでもよく目立つはず。
――待てよ。ということは、今、燃えているというわけではないのか。
一瞬空を見る――火の粉も煙も、見当たらない。
臭いが漂ってくるほど近くで、何かが燃えているとは思えなかった。
しかし、この臭いは間違いなく、木か何かを燃やしたときの臭いだ。
つまり、今は燃えていないが、少し前までは燃えていた、ということだろうか。自然発火? そんなはずはない。やはり誰かが火をつけたのだ。なんのために?
「――クソッ、わけわかんねー」
瞬太郎は、部活ばかりでロクに勉強もしてこなかった自分の頭の悪さを恨んだ。
とはいえ、本格的に陸上を始める前から、考えることは苦手だった。
だからこそ、シンプルに足の速さを競う短距離走に熱中していったのかもしれない。
中学まで、それなりの成績も残してきた。
高校でも順調に結果を出してきたが、その矢先にこの生徒葬会だ。
自分は、生き残りたい。
死にたくないからというのはもちろん第一だが、やっぱり走るのは楽しいし、ほんのわずかでもタイムが縮まると嬉しいものだ。
――こんな状況になって、改めて思い知った。
自分は、陸上競技が、走ることが、大好きなのだ。
そう確信しながら、臭いの元を探して走り続けて程なくして――瞬太郎は、驚きべき光景を目にした。
入学以来、この場所で何度も目にしたことがある、古い桜の大木。
それが、切り倒されていたのだ。
「あー……これが燃えてたのか」
瞬太郎は、外灯に照らされた桜の木の断面が、黒く焼け焦げているのに気付き、思わず感心してしまっていた。
頭の良くない自分でもさすがに分かる。
これは、誰かの能力によるものだろう。
『議長』が全員に一つずつ与えた、常識を超えた異能力。
その中に、炎か熱を出すタイプの能力もある、ということだろう。
もしそうだとしたら、できれば遭遇したくない能力だ。
しばし見入ったように立ち尽くしていた瞬太郎だったが、やがて、視界の端に落ちているモノに気付き、そちらに視線を向けた。
それは、カードのようなものだった。
よく目を凝らして見て、それが百人一首の札であることに気付く。
気付いた直後、ハッとした。
「――安藤」
同級生の、安藤凜々花。
この生徒葬会の中で出会った彼女は、すでに『やる気』だったようで、自分に対し百人一首の札を投げつけてきたが、そのとき投げられた札は女子の投擲では到底出ない速度で自分に向かって飛来し、掠めた頬からは血が散った。
頭で考えるよりも先に本能で、凜々花が投げる力を強化されているということに気付き、即座にその場から逃走することで、背後からも何枚か投げつけられながらも、奇跡的に頬の傷以外の負傷はすることなく難を逃れたが――まさか。
「――安藤も、ここにいたのかよ」
焼けた臭いの強さからして、この木が焼き倒されたのはそんなに前ではない。
そして同じ場所に落ちている、百人一首の札。
考えられるのは、木を焼き倒した誰かと、百人一首の札を武器として使っていた凜々花とが、この場所でやり合ったという可能性。それも、割と直近に。
しかし、誰の死体も無いということは、決着は付かなかったということだろうか?
「あいつには気を付けないとなあ……」
迷いなく殺しにかかってきた凜々花の、鮮やかさすら感じさせる素早い動作と、こちらを見据える冷徹な眼差しとを思い出し、瞬太郎は身震いした。
それだけではなく、こんなに大きな木を焼き倒せるほどの能力を与えられた生徒もいる。
やはり、『鋼鉄心臓』だけでは心もとないな――と、瞬太郎は改めて実感した。
…………もちろん、彼は、このように警戒する二人の生徒が、現在共に行動しているなどとは、夢にも思っていなかった。