【9日目:夕方 屋外中央ブロック】
安藤凜々花は、ドラマや映画でもよく見た、復讐譚を思い出していた。
復讐の是非だとか、復讐の意味だとか。
遥か昔から散々語り尽くされてきたそのテーマの当事者に、まさか自分がなる日が来るなんて、ポップコーンをかじりながらスクリーンを眺めていたときには思いもしなかったわけで。
そのとき隣に座っていた親友・天代怜子も、自分がその復讐譚の被害者役になってしまうなんて、想像もしなかったはずだ。
いや、もし自分がこの立場なら~という、そんな想像はしたかもしれない。だとしても、それはあくまでもスクリーンの中にのみ存在する物語。
『議長』による、とびきりタチもセンスも悪い舞台の中で、凜々花と怜子は、復讐譚の主要登場人物となってしまった。
……凜々花は、この生徒葬会で暁陽日輝と出会い、心を通わせた。
彼と共にこの学園を出て、幸せに生きるという未来を夢見た。
しかし――いつか見た映画の主人公のように、そういった事情で復讐心を捨てることは、凜々花にはできなかった。
……身も心も凌辱され、蹂躙された怜子の魂が救われることはないかもしれない。人は死んだら無で、天代怜子は絶望の中で死んでいった。それを覆すことはできない。
だとしても、いや、だからこそ。
木附祥人という男を、自分は殺さなければならない。
そうでなければ、自分はこの先の未来を、心から笑って歩むことはできない。
「はぁ…はぁ……!」
「くっ……!」
凜々花と相川千紗は、乱れた呼吸を整えながら、木附と対峙していた。
凜々花はカードを投げる手を止め、千紗も銃口を下ろしている。
――そんな二人を、木附は満足げに眺めていた。
「な、無駄だったろ? 俺の『制空権(ピースメイク)』に隙は無いんだよ。落とせるのはあくまでも飛び道具だけ。直接殴ってこられたらひとたまりもない――だとかいうこともないからさぁ」
木附が、蛇のように粘着質な光を帯びた目を細めてせせら笑う。
……木附が口にした弱点は、凜々花と千紗も早々に突こうとした。
しかしそれができなかったのは、木附の『制空権』が、ただ飛び道具を落とすだけの能力ではなかったからだ。
「飛び道具を無効化していたのはあくまでも『結果』――自分の周囲の空気の動き――つまり風を操るのが、あなたの本当の『能力』……!」
「そういうこと。実際、身を以って味わったろ?」
――木附の『制空権』は、木附の周囲を取り巻く形で風を操る能力だった。
これまで、木附が起こした下向きの風によって、こちらが放ったカードや弾が落とされていただけに過ぎなかったのだ。
こうして対峙するとよく分かる――怜子のときや、講堂の屋上にいたときは、距離が離れていたせいで風が発生していることに気付けなかったが、今は、こちらにも微かな風が流れてきている。
――木附は、こちらが二人がかりで間合いを詰めて、直接制圧しようとした瞬間に、『制空権』の本領を発揮してきたのだ。
地面に落ちた数十枚どころか数百枚に達するカードや、千紗が放った改造弾を、下から上に風を吹かせることで一斉に舞い上げ、それらを飛ばしてきた。
凜々花は咄嗟に分身との入れ替わりを行うことで、いくつかの掠り傷程度で済んだものの――千紗は。
「凜々花……前言撤回、するわね……私たちで、コイツを倒すのは……不可能よ……」
なんとか立ってはいるものの、左頬、右肩、左脛が切り裂かれて血が滴り落ちている。
台風クラスの暴風を起こすことはできないようで、その分凜々花が直接投げたときより威力は落ちているのが幸いだったが、それでも、千紗は決して軽くはない負傷をしてしまっていた。
「相川、さん……!」
「他人の心配してる場合かなあ? ――ま、でもどうしようもないか。カード投げれば投げるだけ俺に武器をプレゼントすることになるんだからなぁ」
……悔しいが、木附の言う通りだった。
こちらがカードを投げれば、それはあちらの武器となる。
ならカードを投げずにもう一度襲い掛かればいいかというと、それもできない。
木附は、風の力で地面に落ちている石や木片を集めていた。
それに加えて――ポケットから、何十本もの釘を取り出し、それを放り投げて、風の力で自身を守る衛星のように旋回させていたのだ。
「どうする凜々花ちゃん? 俺としては、凜々花ちゃんにはキレイなまま抱かれてほしいからさ、あまりズタボロにしたくないんだけどね?」
「……あいにくですが、あなたに抱かれるくらいなら死にますよ。――その程度で守りを固めたつもりになっているのでしたら、浅はかとしか言いようがありませんね」
凜々花は、口ではそう言いながらも、ここで特攻を仕掛けることがとてつもなく危険であることを理解していた。
分身を駆使しても防ぎ切れないかもしれない。
そうなった場合、怜子と同じように凌辱された上で殺されるのだろう。
――手の震えが止まらない。
怜子のあの悲惨な姿が脳裏に浮かぶ。
それでも凜々花は――この状況で木附を倒すには、決死の覚悟で挑むしかないということを確信していた。
……ああ、こんなとき、陽日輝さんがいてくれれば。
今まで自分を何度も助けてくれたように、力になってくれただろう。
……いや、この期に及んでそんなことを考えるのは、甘えだ。
今、この場には自分と相川さんだけで、相川さんは負傷している――なら。
私がどうにかするしかない。
「俺とヤるなら死んだほうがマシなんて言われるの傷つくなぁ。ま、でも本気で突っ込んできそうな顔してるから――本当は楽しむ前に死なせそうだから自重してた分も、『追加』しとくか、なぁ!」
木附は――ブレザーを脱ぎ捨て、ひっくり返した。
そこに隠し持っていたのだろう――数十どころではない、数百の釘が撒き散らされる。
そのすべてが、地面に落下する前に風によって浮き上がり、木附を取り巻く衛星の中に加わった。
「…………!?」
「お、その顔はいいねぇ。絶望、って感じがして。怜子ちゃんもそんな顔してたなぁ……ひひひ」
「ゲス野郎ぉ……!」
千紗が、心の底からの軽蔑と憎悪を込めて吐き捨てた。
凜々花はただ、掌から血が出るほど強く、拳を握り締めていることしかできなかった――言葉すら出てこないほどの憎悪が、胸の内で渦巻いていた。
――そして確信する、分身をフル活用しても、この衛星を突破することは困難だ。本体である自分自身も、深手を負うことは不可避だろう。
だが――それでもなんとか食らい付くことができれば、刺し違えることはできるかもしれない。
……陽日輝さん。
私はあなたと一緒に、もう一度外の世界に出たかった。
ですが、ここで怜子の仇を取ることを諦める私を――私は肯定できません。
「……もう一度言いますよ。その程度で守りを固めたつもりになっているのでしたら――浅はかとしか、言いようがありません……!」
「凜々花――あなた――」
千紗が凜々花の決死の覚悟を察したのか、にわかに狼狽する。
そんな千紗のほうを凜々花は見て、そしてにっこりと笑った。
「……相川さん。短い間でしたけど、お世話になりました。相川さんのことは、姉のように感じていました」
「……バカ! そんな、そんな――今から死ぬような言葉を言うのはやめて! ここは一旦退いて、立て直せば――!」
「あいつはそれを許してくれませんよ。逃げようとした背中を二つ、まとめて針の山にされて終わりです。――だから、こうするしかないんです」
凜々花は、そう言って一歩足を踏み出す。
木附は、信じられないものを見るような目で「正気かよ……?」と呟いていた。
「あいにく、あなたよりよっぽど正気ですよ――木附さん」
「――凜々花! 死ぬ覚悟なんて死ぬまで必要無い! あなたは生きなければならないのよ――暁のためにも!」
千紗は。
そう言って、エアガンの銃口を上に――天高く、向けていた。
まるで、運動会で号砲を鳴らすスターターのように。
「私を姉のように感じていたというのなら――姉の言うことは聞いてもらうわよ! 『あなたは、上を向いて進めばいい!』」
「――!」
凜々花は、千紗の思惑を察していた。
――いや、本当に千紗がそう考えたのかは分からない。
しかし、それは相討ち覚悟でなければ拾えないと思っていた勝利への道筋が、確かに拓け、見えた瞬間だった。
「青春友情ドラマはほどほどにしてくれよなぁ」
ヘラヘラと笑う木附は、恐らくまだ気付いていない。
なら――やるしかない。
「相川さん――アシスト、頼みます!」
「当たり前でしょ! あなたにもしものことがあったら――暁に合わせる顔が無いのよ!」
その言葉と共に、千紗はエアガンの銃口を下ろし、引き金を引いた。
そのときには凜々花は駆け出し、木附めがけて突っ込んでいく。
「おいおいゴリ押しかよぉ?」
木附が釘を飛ばしてくる――凜々花は指を鳴らし、自身の前に分身を作り出して盾とした。
分身は全身に釘が突き刺さり、すぐに体勢を崩してしまう。
すでに消滅が始まっている分身のその背中を、凜々花は駆け上った。
「なぁっ!?」
「平面で戦えば『制空権』を破れなくても――空は、どこまでも上に続いてる!」
凜々花は、分身を踏み台に跳び上がると共に、連続で指を鳴らした。
作り出した分身そのすべてを、上へ上と出現させながら、自身もまた、分身との位置を交代しながら、上へ上へと移動していく。
木附は、すぐさま真上に向けて釘を飛ばし――その直後、ハッと目を見開いていた。
「テ、テ、テ、テメエェェェェェ!!」
「制空権は、私が頂きました!」
一番下にいる分身が釘を突き刺されるも、空中にいるため重力に引かれて落ちていくのは止まらない。
なんとか一体目が消滅したところで、次がいる。
このままでは、木附は何体もの分身に圧し潰されるだけだ。
「はっ――こんなモン、逃げちまえば――」
「それをさせないために、私がいるのよ――木附!」
一目散に逃げようとした木附めがけて、千紗がエアガンの引き金を引く。
『制空権』による対応が間に合わず、木附の顔面にシェル弾が命中した。
「うげえっ!?」
大きくよろめいた木附は、それでも、苦し紛れに釘を飛ばそうとし――掲げたその右手首は、凜々花が空中から投げたカードによって切り裂かれていた。
「ぎゃあああああ!?」
木附は絶叫しながら、千紗に定めかけていた狙いを凜々花に戻す。
一斉に放たれた釘は、凜々花と分身そのすべてをカバーする範囲で放たれていた。
真下からなら一体しか狙えないが、エアガンで撃たれ右手首を切り裂かれながらも、なんとかその場から離れることができた今の木附には、そういった攻撃も可能というわけだ。
これなら、凜々花が分身と入れ替わろうが、釘を食らうことは避けられない。
――そう、ただ分身と入れ替わるだけなら。
「あなたが一体仕留めてくれてますから――私には、分身の猶予が一体分あります」
「そ、それがなんだ、これをかわせるわけが――!」
「焦って判断を誤りましたね――! 私の能力を理解していたのなら、釘は、二重三重に放つべきだった!」
「!?」
凜々花は、指をパチンと鳴らし――数メートル前に分身を出現させた。
そう、自身に向かって飛んでくる釘の、その後ろ側に。
「ま、待て、こんなことをしても怜子ちゃんは――!」
「あなたなんかが怜子の名前を、それ以上口にするな!」
凜々花は、分身と入れ替わると共に、空中から渾身の『一枚入魂(オーバードライブスロー)』を放っていた。
それは、逃げようと背中を向けた木附の首筋を深く切り裂き、鮮血を噴き出させた――間違いなく致命傷だ。
しかし、それだけでは終わらせない。
凜々花は、すでに墜落していた分身の一体と入れ替わる形で地上に戻り、木附へと早歩きで近付いていく。
木附は首を押さえながら、それでも逃げようと地べたで足掻いていた。
凜々花の足音に気付いて振り返り、恐怖と絶望の眼差しで見上げる。
――凜々花は、そんな木附を見下ろしながら、静かに告げた。
「……怜子が味わった絶望は、こんなものではありません。本当なら、あなたを思う存分痛めつけて、たっぷりと時間をかけて殺してやりたいくらいです。ですが――私たちはあなたなんかに構っていられないんです。だから、さっさと死んでもらいます」
「――――!」
木附の目に浮かんだ絶望の色が、より深くなる。
『能力』を得て、『楽園』の主要メンバーとなり、幼稚な全能感に囚われていたであろう男に対しては、とても酷な言葉だっただろう。
凜々花は、木附が押さえていない側の首筋にカードを投げ、頸動脈を切断した。
すでに大量に血が噴き出しているからか、心なしか血の勢いが弱く見える。
木附の顔からは急速に色が失われていき、その手足は力なく地面に投げ出されたまま、ぴくりとも動かなくなった。
それを、乱れた息を整えながら見下ろしていた凜々花に、千紗が歩み寄ってくる。
「……やったわね、凜々花」
「ええ――相川さんの、おかげです」
「凜々花が死のうとするからよ。……凜々花。あなたは絶対に、生き――」
――そのとき。
凜々花は、千紗が目を見開き、その手からエアガンを取り落とすのを見た。
コンクリートの上にプラスチックが落ちる乾いた音が響く。
崩れ落ちる千紗の背中には、授業でも使うような、何の変哲もない下敷きが突き刺さっていた。
もちろん、そんなことは普通ありえない――凜々花の『一枚入魂』でもない限り。
そして――千紗が、愕然と立ち尽くす凜々花の足元に倒れ伏したのと入れ替わりに、凜々花の視界には、一人の女子生徒が映っていた。
中学生と間違われそうなほど小柄なその少女は、凜々花の同級生でもあり、『楽園』の主要メンバーの一人でもある女子生徒。
八井田寧々だった。
「安藤さんすごいね、木附先輩倒しちゃうとかさ。でも、ちょっと油断しすぎじゃない? 今この場所は戦争の真っ只中なんだから」
寧々が猫のような無邪気な目で笑う。
――凜々花は、そのときようやく気付いた。
寧々が使ったのはまさに――自分の『一枚入魂』。
彼女の能力は、他人の能力をコピーすることができる――『泥棒猫(コピーキャット)』。
凜々花は、復讐を達成したという余韻に浸る間もなく、すでに、この状況から千紗を守り切る方法を、頭をフル回転させて思案し始めていた。