【佐々山さんの猫】
我輩の名はトラである、
記憶など微かにしかない幼少の頃、
慈悲なのか、さてはて単なる気まぐれなのか、
我が主は雨に打たれ弱っていた私を抱き上げ部屋に招き入れてくれた。
その時の記憶はほとんど無いに等しいが、
何か暖かくてふわふわしたものに包まれていたような気がする、
それが暖かくとても安心した。
以降の事は物心がつくまで一切何も覚えていない。
ある日の事だ、主は私に向かってトラと呼んだ、
一体何の事だろうか? わけがわからない、
主は続けてトラと私に向かって呼ぶ、
全く反応を示さない私を無視していると勘違いをしたのか、
主は何処か怒ったように言い放った。
「お前は虎模様だからトラな、わかったか!、お前の名前は今日からトラだぞっ」
さてはて、そういう事で我輩の名はトラと命名された、
聴く事によるとトラとは同じ猫科の動物の名らしぃ、
とても強いとの事だ、なるほど主もなかなか良い名考える物だ、
ならば主の期待に沿える様、強く勇ましくなろう、その時我輩は心に硬く誓った。
幾月たっだろうか、
主はいつも通り六時に起き身支度をする、それを起こすのが私の仕事だ、
どうやら今日も主は「ガッコウ」とやらに行くらしい、
毎日飽きないものだと思う、流石我が主だと今日も感服する、
主が家を出、他の者達も各々言ってしまった、
今家に居るのは我輩だけである、誰も居ない間家を守るのが、
私の存在意義であり責任だと自負している。
今日も家の中を隈なく警備する、居間、廊下、トイレ、寝室、主の部屋の順だ。
トイレに差し掛かった時そこだけ空気が違った、これは誰かが侵入したに違いない、
すぐさまトイレに駆け寄ってみたが、誰も居ない、もしやもう事を済ませ早々と、
逃げたのではないのか!? あぁなんと言うことだそれが本当ならば我輩一生の不覚、
悔しや、己の不甲斐なさに怒りを覚える、
これでは主に見せる顔がない……、
どうする、暫し顔を洗いながら考える、
そうだ、ならば侵入した奴を探し出し、この爪で成敗してくれようっ、
できぬ事は無い、何故なら我輩はトラであるからだ。
幸い、奴は侵入したトイレの窓口を閉め忘れたようだ、
そこから追いかけよう、非常に狭かったがなんとか外に出る事ができた、
小生恥ずかしながら、主に拾われてから全く外に出たことが無い、
故に驚く、この人の多さと喧騒に、あぁ、なんて喧しい世界なのだ、
しかし引き返すわけにもいかない、人と人の間をすり抜けながら、時たま踏まれそうに
なったりしたが何とか大通りに来ることができた。
匂いを元に探そうと思案していのだが、元来鼻が良くないと共に、
この外の世界は未知数の匂いで溢れている、あぁ、駄目だ、
ここは一旦引き返して、策を練ろう、そう思ったが矢先、
はて? 一体ここは何処なのだろう?
賊を追いかけるのに気持ちが傾きすぎ、現在地の把握が疎かになっていたようだ、
さてはて困った困った、進もうにも進めず戻ろうにも戻れない、
これに当てはまる諺を主が昔言っていたような気がする…
ハッ…いかんいかん、少しばかり現実逃避をしていたようだ、
とにかく進もう、大丈夫我輩はトラだ、
さてそれからどれ位歩いただろうか、
もう心身共に疲れ切ってとても歩ける状態ではない、
非常な事に今日は真夏日だった。
この小さき体からジリジリと体力を奪う、
主よすまない、我輩はここで地に還るかもしれぬ、
家を守れなかった、悲しや悔しや、
もう一度、もう一度だけ主の凛々しい顔を見たい、
主よ……。
つづく