Neetel Inside 文芸新都
表紙

拍動-三国志演義-
第一話

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一人殺せば犯罪。
百人殺せば英雄。
三国時代に流行っていた諺である。


後漢帝国の崩壊により始まった戦乱時代-三国時代-には実に多くの戦争が起こった。何千万人単位の民衆が駆り出され、戦死したと伝えられている。残された正史には「英雄譚」が残され、指導者・政治家・武術家・様々な種類の人間が名を残した。特筆されるのは魏帝、曹操孟徳の政治観である。
曹操は法家を信仰している強烈な法律の番人であった。実に苛烈な手法で迅速に戦乱下にある中国大陸の収束を行った。敵対する人間を罠に嵌め、焼き殺し、拷問し、凄惨な方法で人を取り締まる。法を犯せば殺す。曹操に逆らえば殺される。
曹操が生きているという「恐怖」が後漢末期の生活を作りあげたと言っても過言ではないだろう。
その曹操の手法に反発する人間、盲信する人間、実に多くの人間が曹操を中心に動いた。
配下で尤も有用であると呼ばれるのは張遼である。

合肥の戦い。

孫権率いる十万の軍勢と、張遼が率いる七千人の防衛軍が衝突する。明らかに多勢に無勢である。皆、敗北するであろうと予想し、士気は消沈していたと言われている。
張遼は十万が布陣する際を見計らい、奇襲を行う。

孫権軍は完全に不意を突かれた。弱小軍が突貫してくるとは思ってもいなかったのだろう。地獄絵図の様であった。規模すらも分からない混乱。布陣は離散し、張遼に依って多くの兵士が混乱の中、敵も味方も分からないうちに殺されていった。指揮官で孫呉の王である孫権ですら、弓矢飛び交う中で生死の間際に逃げ出したと言われている。僅か七千の兵が、十万の兵を追い詰めたのだ。

急襲。突貫。撃退。張遼は天下に名を轟かせた。
ここからは創作である。

その張遼が指揮する兵隊の中に郝昭という人間がいた。

孫権を打ち破った後は宴会である。夜の空。松明が夜を照らし、祝杯は歓喜の雰囲気とともに飛び交い、兵士達は「自分達が十万を撃退した」と狂喜していた。牛肉と酒が振る舞われた。

「凄まじいな」
駐屯地の防壁壕の中で、郝昭は呟いた。
「信じられん。これが人間の成せる業か」
隣に座る大柄の友人が言う。
「張遼将軍は凄い。俺達は歴史的な戦争に参加したぞ」

郝昭は頬は赤く、眉は細く、長く伸ばした黒髪に、小さく白髪が目立つ、中柄な人間であった。目先は細く、睫毛は綺麗に空に向かっている。
くっ、と酒を飲む。
隣の友人は王石という巨大漢であった。
「俺達が孫権を撃退したんだ。報酬は凄まじいぞ、一生安泰だ。魏王も俺達に喜んでくれるだろう、いやぁ、痛快だった」
王石は盃をぐっ、と持ち上げ、一気に喉に流し込む。夜風が興奮した体を爽やかに撫でた。
「人間の限界以上を見たよ」
「張遼将軍の気迫、自ら先陣突っ込んで、何万と薙ぎ倒しよ!味方である俺達すら、怖くなった」
「男は、張遼将軍の様にあるべきだな」

郝昭が呟いた。王石は目を丸くする。
「おいおい、自分が張遼将軍に並びたいのか」
郝昭はほんのり酔った顔を伏せる。
「ああ」
「そりゃあ無理ってもんがあるぜ、郝昭。あれは規格外の人間の成せる業だ、烏滸がましいぜ。俺達凡人には辿り着けんよ」
「恋焦がれた」
「へへ、男が惚れる男なのは、分かるぜ」

郝昭はぼんやりしていた。
「仕事だから兵役を務めていたが、あれを見せられては、人間、少し狂う。俺も真面目に武芸を習ってみようか」
「字は読めるのか」
「少しは」

郝昭は本を好んだ。儒学、春秋戦国、老荘思想と、当時知識人の間で流行っていた本は愛読していた。最低限の教養はあると、自負している。
「腕を磨こう」
「馬鹿だな、郝昭。少し酔いすぎてるぜ」
「張遼将軍を見ると、人間に不可能なんてない気もする」
「酔ってるな」

王石は、少し自惚れた郝昭が好きだった。ある種の無邪気である。感化されやすい郝昭はいつも醒めた顔をしながら、様々な事を考えている。王石自身はあまり頭の出来は良くない、と自分を知っているので、郝昭の愚直を、素直に愛していた。

「弓を取ってくるぜ。お前が打ちたそうにしてるのが、わかる。適当に的を作ってやりゃいいさ」
「ありがとう、王石」
「待ってろ」

王石が床から離れたその瞬間である。銅鑼が響いた。
「敵襲!敵襲!武器を持て!」
駐屯地は騒然とした。奇襲がきた。酩酊して寝ている人間も多く、各々武器をまともに手取ることもできない。
「構えろッ、構えろ」
指揮団の団長が指示する。しかし、指揮系統が崩壊している。
「うわあッ」
一人は逃げようと走った。敵前逃亡は当然死罪である。しかし、それを咎める人間すら、混乱していた。

不意を突かれた。孫権の犯した油断を、こちら側も食らった。
郝昭は表に飛び出した。野営地から見える敵軍は津波の様に襲い掛かり、先端からは味方の血飛沫が飛び交い始めた。

「郝昭!郝昭、矛はどこだッ」
「持っている、王石の分は」
「俺の武器がない、ふざけた連中がさっき遊びで持っていっちまいやがった」
次第に地面の揺れる轟音が強くなる。騎馬隊の奇襲だ、悲鳴が飛び交う。弓矢が空を覆う様に、際限なく飛んでくる、人間の図体を目掛け、撃たれた順番に、土砂崩れの様に、倒れていった。地面は血に塗れ、絶叫する人間が、辺りを走り回る、大混乱の態を成していた。
郝昭と王石の前にも、矢が飛んできた。郝昭は矛で打ち払う。
「王石ッ、俺の矛を使えッ」
「うわあッ」
無数の弓矢に、王石も完全に混乱していた。馬が迫る。生身の人間から見る騎馬巨体の威圧は、立っていられない程の恐怖を植え付ける。こちらを殺しに来ているのだ。ずどん、ずどん、と地響きが野営を駆け巡る。郝昭自身も困憊し、王石を引き寄せようとした、その瞬間であった。
飛んできた弓矢は、王石の額を貫いた。

「ああっ」
王石は地面に突っ伏した。鮮血に塗れた額は、脳天を裂かれている。致命傷であった。

「不覚、不覚ッ」
郝昭は慚愧した。親友を失った。憎悪は時に、恐怖を上回る。郝昭は我を忘れて、敵軍に突撃していった。
「おのれッ」
自身、驚くほどの荒げた声を発した。騎馬隊の一人が、郝昭の視界に的確に入る。その命を取ろうと、一転、静まり返る冷静を持った。首を見る。その首しか、見えていない。郝昭は対照を定めた。
はっ、と呼吸を発すると、郝昭は首を貫いた。首の動脈一点に突き刺さり、騎馬隊の一人は、馬から崩れ落ちた。どさっ、と地鳴りし、馬は吠えながら、何処かへと走り去る。

郝昭は空を見上げた。先ほどまでの享楽的な雰囲気と打って変わり、飛び交う悲鳴、 屍山血河、山の様な死体が地面を覆い尽くしている。ここは地獄か、と見間違わんほどの惨状である。
「最期かッ」
郝昭が愕然と腰を落とすと、法螺が鳴った。
「甘寧将軍の命令である、撤退、撤退」
敵軍の命令が響く。騎馬隊は後ろに翻り、颯爽と暗闇の中に帰ってしまった。土埃が辺りを飛び散ると、血に塗れた野営地は、不気味に静まり返っていく。

惨敗だった。
奇襲されたのだ、不意打ちだ。冷静を取り戻した野営地は、生き残った者が立ち上がり、ふらふらと彷徨っている。
「無事だったか、郝昭」
一人が声を掛けた。郝昭は呆然と立ち尽くしている。頭の中に何もない。
「気をしっかりしろ」
一人が郝昭の肩を揺さぶる。郝昭は、はっ、と夢から醒めたかの様な顔をすると、王石の方に視線を向けた。
「・・・王石」

手遅れであった。潰れた王石からは、生気を感じない。物の様だ。死体である。郝昭は涙した。

「俺に武勇があれば、王石を守ることが出来たはずだ」
郝昭は呟く。一人は頭を振り、郝昭を慰める。
「しょうがない。こればかりは。自分を責めるな、弔ってやろう」
「・・・」
王石はもう喋らない。先程仲睦まじく喋っていた彼は、この世には、もういない。

郝昭は矛を見る。
「武芸」
喉から手が出るほど欲しくなった。我を忘れて、その武術、武芸を眺めた。郝昭が我を忘れたのは、その時からだった。ただひたすらに練習を重ね、弓矢は遥か彼方を撃ち抜く、達人を目指した。剣術は五人がかりでは太刀打ちできないほどの、深淵と洗練を持った。

慚愧を抱えながら、無我夢中で腕を磨いた。疲れ切って気絶する様に眠る日は、あの奇襲の惨状を思い出す。汗まみれで飛び起きた後は、すぐに武術の練習に取り入った。絶人の域に達する。それを夢に見た。郝昭は徐々にその名を知られていった。
各将軍から目を見張られ、自身、兵を率いるほどに昇進していった。それは郝昭にとっては意味のないことで、自身の武術への探究への、おまけに付いてくる様な、有象無象の沙汰であった。一軍を指揮する将軍になっても、郝昭にとっては、それは変わらなかった。
あるのは、無力であることへの罪悪感、自虐の愚かさ、恐怖。郝昭は焦燥観念と、何かに追われている様な切迫心から、ひたすらに武芸を磨いた。

数十年が経った頃だろうか。
張遼はこの世を去った。しかし、戦乱が終わる気配はない。
魏対蜀対呉の三国時代は継続し、彼方此方で戦争が起きている。魏の城下にもその緊迫した雰囲気は漂い、どこか町人はぎくしゃくとして、殺伐であった。

その街に、ふらり、ふらり、と歩く黒髪長髪の、頬の痩けた男がいた。腰に酒の入ったちょうたんを下げて、何も見えていない様な、虚無の漂う面持ちで、ふら、ふら、としている。
「一人殺せば、犯罪。百人殺せば、英雄」
長髪の男は俯いて、呟いていた。

       

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Neetsha