Neetel Inside 文芸新都
表紙

電世海
04:Hina-01

見開き   最大化      



「…ダメだったの、弁蔵」
「…ダメだったよ、弁蔵」

弁蔵の起動実験に失敗した翌日。
沢口はコーディングのサポートをしてくれた雛に、結果を報告した。
雛は、軽く握った左手を口許に軽く当てて、くぐもった声で「そう」とだけ言った。
雛は決して沢口に対して、安易な労いの言葉や、希望を持たせる言葉はかけない。
ただ事実を受け止めて、沢口の努力それだけを認める。

「よくできてたよ、弁蔵の中身」
「おう」

沢口の言葉に、雛は薄く笑んだ。
整ったその顔が笑みに少しだけ崩れた瞬間、教室内が少しだけざわめいた。
円条雛、17歳。成績優秀、眉目秀麗な、円条グループの一人娘だ。
正真正銘のお嬢様である彼女は、その感情の起伏の幅が一般的な高校生のものよりも少し小さかった。
笑うこともあるし、怒ることもある。
ただ、彼女が集める視線と期待に、彼女が表に出す感情は比例しなかった。
『もっと笑うべき』『もっと喜ぶべき』
彼女は視線の中で、ただ淡々と生きていた。

彼女は、線を引かれることを知っていた。
『雛ちゃんはお金持ちだから』
『雛ちゃんは女の子だから』
『雛ちゃんは片親だから』
区別は差別とどのくらい違うのか、彼女にはわからなかった。
それがどのくらい彼女の人格に関係するのかわからなかった。
すべてそれらの言葉で片付けて、周囲が彼女を理解するのを拒否したように思われた。

あまり笑わない彼女に対して一番引かれた線は、『片親だから』だった。
それが事実雛の人格形成に何らかの原因があろうとなかろうと、雛にとってはどうでもよかった。
だから彼女は周囲の視線に逆らい、自分が思うまま淡々と過ごす。

沢口は彼女にとって、彼女に線を引かない人間だった。
ルミナやセスも同じく、彼女を特別視しない。
だから彼女は、直接口に出したことはなくても、彼らを大事に思っている。

「コウ」
「んー?」
「寝癖ついてるよ しかも派手に」
「今さら!?」

だから彼女は、言葉で線を引かない。






2時間目の電子工学の授業。
今日は実技。沢口はいない。
昨日起動実験に失敗した沢口に、起動できるドールはない。
授業で何もできないことを恥じているわけではなく、意図せず授業の妨げになってしまうのを懼れているのだろう。
実技でなければ授業を欠席することはない。
彼は本当はこの授業が好きなのだ。
教室に広げられた仮想空間上で、クラスメイトたちが各々、自分のドールの連動実験や自慢大会を行っていた。
雛は少し離れた場所で腰を下ろし、その様子を見ていた。

『コウ殿はおられぬのか』
「…うん」

雛の三体のドールは動物型だ。
動物というよりはぬいぐるみに近く、若干間の抜けた顔をしているのだが、秀才の雛が組んだだけありハイスペックのドールだ。
元気なウサギのぬいぐるみ型のドール。
渋い喋り方をするパンダのぬいぐるみ型のドール。
無口なくまのぬいぐるみ型のドール。
かわいらしいその選択はまさしく『女の子らしい』のだが、彼らに与えられたその名前はやはりというかなんというかずれていた。

ウサギが『セロテープ』、
パンダが『茶碗』、
くまが『キャベツ』。

雛のネーミングセンスにはとりあえず統一感がない。

『コウちゃんがいないとつまんないね、ピナちゃん』
「セロテ、我慢」
『プー』

膨れるセロテープを撫でている雛の足下に、CDが転がってきた。
それを追いかけてきたのは、雛のよく知るクラスメイトだった。

彼女と雛は幼稚園から高校までずっと一緒だった。
今まで何回か同じクラスになった。
幼稚園の頃は仲が良かったほうに分類されただろうが、クラスが離れたりするうちに自然と交友関係がなくなった。
同じクラスになったのは小学校3年生以来で、中学校に入ってからは一度も言葉を交わさなかった。
今回同じクラスになったときも、一言二言交わしたくらいだった。

別に喧嘩をしたわけでもなく、嫌いになったわけでもない。
付き合う友人が違えば離れる。それだけの話だった。

「雛」

久しぶりに雛の存在を認識したかのように、クラスメイト、片倉ユキノは雛の名を呼んだ。
ゆるくウェーブがかかったやわらかそうなセミロングに、眼鏡越しの視線。
雛はユキノの顔に昔の面影を少しだけ見た。
―――やはり彼女を幼い頃から知っている。
雛も改めて彼女を認識した。
そう、彼女も『幼馴染み』なのだ。なのに、雛にとって彼女は沢口よりもかなり遠い。

「ごめん、メディアが転がっちゃって」
「うん」

動きを止めたCDを拾い上げた雛は、それをユキノに手渡した。

「ありがとう」
「うん」

―――昔はユキノとどんな話をしてたんだっけ…。
彼女と一緒にいた時間は、短いというわけでもなく、長いというわけでもない。
一緒にいる場面場面は思い浮かぶのに場面は繋がらず、そのとき何を話したのかが思い出せなかった。
何とはなしに、雛は視界にあるユキノのメディアについて言及した。

「……それ、ユキノのドール?」
「え?ああ…うん。まだ起動できるほどできてなくて」

顔がないの。ユキノはそう言って、幼い頃のユキノの面影を確かに残している顔で笑った。

「私のドールも同じ。まだ顔がない」
「…雛も?ちょっと意外…かな?」

ドールを起動できないユキノは、そのまま雛の隣に腰掛けた。
確認も許可もないその動作が、昔の距離を少しだけ思い出させる。
ユキノはメディアに目を落とし、両手でそれを抱えたままポツリと呟く。

「想像できないんだよね…。私のドールが、どんな顔してるのか…」
「………うん」

雛も同じだった。
感情や情緒等の、基礎プログラムだけは半分ほどは出来ている。
後はカタチをもつための情報を与えれば、稼動テストも少しずつ行えるだろう。
だが、次のステップに進めるようになってから数週間、雛のドールにはまだ顔がなかった。
情緒等の構造から、恐らくは女性型になるだろう。ただ、どんな姿になるのか雛には想像ができなかった。

「…そういえばさ」

ユキノの声に雛は顔を上げる。
顔を上げると、ユキノが少しだけ笑っていた。

「久しぶりだね」

雛の脳裏に、先ほど沢口が口走った「今さら!?」という言葉が翻り、彼女は久しぶりにすこしだけ声を上げて笑った。離れていた距離を、一瞬で忘れた。

「そうだね。…久しぶり」
「ちっちゃい頃は一緒にいたのにね。付き合う友だちが違うと…離れちゃうね」

ユキノも雛と同じことを思っていたのだろう。
距離を言葉にすると、本当になりそうで、雛はどこか怖かった。
だからユキノに話しかけるのをどこかで躊躇っていた。
ユキノが今、二人の距離を言葉にしても、別に何も起こりはしなかった。
『友だち』なら。
そんなものなのかもしれない。
ユキノは、雛の膝の上の『セロテープ』に視線を遣っている。

「…ウサギといえば、幼稚園のときのセロハンテープのケースがウサギだったよね」
「…!…よく覚えてたね」
「雛がすごく気に入ってたから。沢口くんに端っこ壊されて泣いてた」
「…そんなこともあったね」

雛なりの命名の由来。
迂遠でわかりにくい、彼女なりの思い入れ。
雛たちの会話を膝の上で大人しく聞いていた『セロテープ』が、飛び上がって喜んだ。

『私、セロテープって言うの!だからなのねピナちゃん!』
「うん」
「相変わらず直球なネーミングセンスだね」

ユキノは笑っている。
彼女は、迂遠な雛の命名を直球と称する。
彼女も雛を区切らない友人だった。ただ、時間が距離を離してしまった。
もしくは、雛自身が線を引かないことで距離を離してしまったのかもしれない。

「ねえ雛。今度、プログラミング、教えてくれないかな」

はにかんだユキノのその笑みは、たしかに彼女が大人に近づいていると思わせる表情だった。
年月は去った。もう戻らない。
戻らなければいけない意味もない。
雛は言葉にせず、いつもと同じように首肯で返す。



「ユキノ。私今、ドールのイメージが浮かんだ」
「え?」



「ユキノをモデルにしたい」



       

表紙

入唯 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha